【高城の章】神楽坂先生の覚悟 02
「先生、お願いです。押さないで……」
心から願う、本心からくる言葉――。
その言葉に心動かされたのか、
いつまでも襲ってこない衝撃に、高城が安堵の涙した、そのとき。
どんっと、背中が、いきおいよく押された。
神楽坂先生が、高城の背中に抱きつくようにして、体ごと押したのだ。
ふたりの体はまるで溶けていくように、夜の闇に吸い込まれて消えた。
「ではまず、わたしから……。先生の名前は神楽坂春菜です。まだ新米教師で、クラスを受け持つのは今回が始めてです。いたらない点もあるかもしれませんが、みなさんと一緒に勉強するつもりでがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。
今日は先生にとっても記念の日です。ずっと夢見てきたクラスを受け持つ先生になれたからです。わたしがなぜ先生になろうとしたのか、ちょっとだけお話したいと思います。
じつは、わたしはみなさんと同じ中学生になったばかりの頃、いじめにあっていました。
人付き合いが大の苦手で、頑張って人の輪に入ろうとしてもその場の空気が読めずに、いつも場違いなことばかりしてしまうわたしは、しだいにクラスじゅうからバカにされて、無視されて、最後は信じていた、たったひとりの幼なじみの親友にまで背を向けられて、どこにも居場所がなくなりました。
学校に行かず、一日中部屋にこもっているわたしを心配して、当時の担任の先生は毎朝わたしの家に迎えに来ましたが、わたしは部屋から出ることを拒みました。
そんな日々が半年もつづき、先生の熱意に負けたわたしは、ようやく学校へ行きました。でも、そんなわたしを待ち受けていたものは、以前にも増して酷くなったいじめです。
ある日、耐えられなくなったわたしは、校舎中が笑い声でいっぱいの昼休みに、ひとり屋上へ行きました。以前から屋上のフェンスに穴があいていることを知っていたからです。
逃げたかったんです。わたしはこの世から逃げるつもりで、屋上へ行ったのです。
きっとだれもが気持ちいいと感じる……、おさない頃のわたしもそう感じていたはずの雲ひとつない青空の下で、わたしはこの世界に絶望してフェンスの穴をくぐりました。
校舎の端に立ったとき、わたしは足が震えました。両親ことを思い出して涙があふれました。
けれど、引き返すことはしませんでした。そのときのわたしには、暗い底なし沼に沈んでいくみたいに、どこにも逃げ場がなく、この先を進むしか、道が見えなかったからです。
目をつぶって、ゆっくりと倒れるように校舎から身を投げだそうとしたとき、わたしは手をつかまれました。温かいその手は、先生の手でした。
死なせてと泣き叫ぶわたしの言葉を最後まで聞いて、先生はひとことだけ言いました。
『あなたがここから飛ぶのなら、わたしも一緒に飛ぼう』と――。
日が暮れて、わたしの涙が枯れ果てるまで、先生はずっとその温かい手で、わたしの手を握っていてくれたのです。
いまでも辛いことや悲しいことは度々あります。でもわたしのこの手には、あの時の先生の温かい手の感触が鮮明に残っています。先生の温かい手はいまでも、わたしとこの世を、力強くつなぎ止めてくれているのです。
わたしが教師を志したのは、その先生のおかげです。
わたしがいつも頭に思い描く理想の教師像は、あのときの先生の姿です。
先生がわたしを救ったように、わたしも誰かを救いたい。
わたしがクラスを受け持つ担任の先生になりたかったのは、そのためなんです。
ですからわたしは、絶対にいじめを見逃しません。たとえ先生を辞めることになっても、絶対にいじめられた人を救います。
同時に、いじめる人も救います。体を張っていじめをやめさせます。
命をかけて、いじめる人と、いじめを見逃してきたまわりの人たちに、いじめの恐ろしさを教えます。
軽い気持ちで人を笑うことが、どれだけ人を傷付けることになるのか。
面白半分で人を傷付けることが、どれだけ人の心を殺すことになるのか。
それがいじめを経験し、恩師と出会い教師を志した、わたしの使命だと信じるからです。
『いじめ』はみんなの心の中にいます。心の奥底の暗い陰に潜んでいます。
醜い姿をたくみに隠しつつ、仲間意識やノリやその場の空気を利用して、いじめている本人でさえ気付かないうちに、みんなの心を支配しようとしています。
胸騒ぎを覚えたら、そっと自分の胸に手を当ててください。
そして、心の奥底に潜む『いじめ』が目を覚ますまえに、躊躇せず先生に相談してください。
わたしは命にかえても、みんなの心の中にある『いじめ』と戦いますから!」




