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笑いの授業  作者: ひろみ透夏
高城の章

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【高城の章】ピエロの笑顔 02

 


「先生、すぐそばにいるよ」



 高城(たかぎ)の全身に、電気が流れたような衝撃が走る。

 思わず抱えていた女子生徒を投げ出して、飛び跳ねるようにその場から離れた高城(たかぎ)は、すばやく廊下を見渡した。

 しかし、どこにも神楽坂(かぐらざか)先生らしき人影なんてない。


「すぐそばって、どこ?! 脅かすなよ、どこにもいないじゃんか!」

 辺りに視線を走らせながら叫んだ、そのとき――。



「でで~ん! 高城(たかぎ)くん、アウトーッ!」



 いきなり背後から聞こえた、明るくて大きな声。

 驚いて振り返ると、さっきの女子生徒が廊下に立っていた。

 血まみれの顔に、細い銀縁の眼鏡をかけながら続ける。



「……わたしが、先生でした」


 とつぜんの出来事に、高城(たかぎ)はパニックにおちいるより先に、神楽坂(かぐらざか)先生が着ている制服の、胸の名札を確認した。

 そこには確かに、佐倉(さくら)と書かれてある。


「先生、佐倉(さくら)は……?」


佐倉(さくら)さんは、もう罰を受けました。制服はもう必要なくなったようなので、先生がもらいました」


 淡々とこたえる神楽坂(かぐらざか)先生。手には、血に染まったノコギリを握りしめている。



「動かないで! 塚田(つかだ)くん」



 先生の背後で、そっと教室に入ろうとしていた塚田(つかだ)が、びくりと足を止めた。

 振り返りもせず伸ばした手に握られたノコギリが、的確に塚田(つかだ)の喉元をとらえている。


「きみたちもどうせ、ケータイを取りにきたんでしょう? だけど無駄です。

 ……頭のいい塚田(つかだ)くん、まだわからない?」


 先生はじっと高城(たかぎ)を見つめたまま、銀縁の眼鏡に人差し指をそえた。


高城(たかぎ)くんにはヒントを教えたのにね。これは『鬼ごっこ』じゃなく、『缶蹴り』だって。

 ……缶蹴りの缶は、ここです」


 先生がかたわらに置かれた段ボール箱を蹴り上げた。生徒たちから集めた携帯電話が、ばらりと廊下に散らばる。


「いくら逃げ道をふさいだからといって、逃げまわるみんなに罰を与えるのは不可能だもの。言い換えればケータイは釣り針です。ここにおびき寄せて、みんなを釣るためのね」


 先生が得意げに両手を広げた。



「ほら見て! こんなにたくさん、釣り上げたんだから!」



 廊下に転がる生徒たちを見渡しながら、狂ったように高笑いする神楽坂(かぐらざか)先生。

 力なくしゃがみ込んだ高城(たかぎ)が、そんな先生に向かって、うつろな目で訴えた。


「先生、もとの先生を返してください。明るくて面白い、俺が大好きだった、本当の神楽坂(かぐらざか)先生を……」


 高城(たかぎ)の脳裏に、おばあさんが着るような、ふわふわで温かそうなカーディガンに身を包んでやさしく微笑んでいる、神楽坂(かぐらざか)先生の姿が浮かぶ。

 変わり果てた目のまえの先生の姿に、ぽろりとひとつぶ、涙がこぼれた。


高城(たかぎ)くん、先生が別人に見えるの? 確かに先生は変わったように見えるかもしれない……。だけど本当は、なにも変わっていないのよ」


 神楽坂(かぐらざか)先生の狂喜じみた笑顔が、少しずつ消えていく。



「見て、高城(たかぎ)くん」


 先生は廊下の壁を彩っている、文化祭のにぎやかな飾り付けを指さした。

 その中心にあるのは、おかしな顔で舌を出す、巨大なピエロ。

『世界に広げよう、笑顔の輪』というスローガンのもと、一年生が共同で制作したオブジェだ。


 昼間の鮮やかな色彩は失せ、黒とブルーの陰影で浮かび上がる夜のピエロは、なんとも哀しげな表情で舌を出している。


「不思議よね。昼間見ると、あんなにおかしなこのピエロも、夜の闇のなかで見ると、こんなにも哀しそうな表情に変わるのよ。ほっぺの星印がまるで涙みたい……。でもピエロは、なにも変わっていないのよ」


 尖った視線を高城(たかぎ)に移しながら、先生が続ける。


「わたしたちが決めつけていただけじゃない? ピエロは笑っていい存在だって……。明るくて面白い、みんなのおもちゃだって……。

 ほんとは心のなかで泣きながら、無理して笑っているかもしれないのに……」


 神楽坂(かぐらざか)先生が、ゆっくりと一歩ずつ、くずおれている高城(たかぎ)に近づいてくる。



「ねぇ高城(たかぎ)くん。そうゆうことをさぁ……」


 振り上げたノコギリが、月明かりを受けてぎらりと光る。




「ちょっとは、考えたことあるわけっ?!」




 怒鳴り声を校舎じゅうに響かせながら、先生は手に持ったノコギリをいきおいよく振り下ろした。

 まるでスローモーションのように近づいてくる、銀色に輝くノコギリの歯をじっと見つめながら、高城(たかぎ)はもうすっかり覚悟を決めていた。


神楽坂(かぐらざか)先生をここまで追い詰めたのは、この俺だ。

 こんなに冷たい廊下にみんなが倒れているのに、俺だけが無事でいいはずがない。

 みんなと一緒に、ここで終わろう)


 そう覚悟して、目を閉じようとした瞬間。

 目の前まで垂直に降りてきた銀色のノコギリが、直角に移動して廊下の壁に叩き付けられた。



「行け、亮介(りょうすけ)! 屋上へ逃げろ! そこに逃げ道がある!」


 塚田(つかだ)が、うしろから先生を羽交い締めにしたのだ。

 神楽坂(かぐらざか)先生は、いまにも塚田(つかだ)の巨体をふり飛ばしそうないきおいで、狂ったように暴れている。

 銀縁の眼鏡の奥からのぞく鋭く尖った視線だけが、ぴたりと高城(たかぎ)を睨みつけていた。



「でも、(とおる)……!」


 立ち上がった高城(たかぎ)が、暴れるふたりをおろおろと見つめる。


「俺は平気だ。いいから行け、亮介(りょうすけ)! 先生の言葉を思い出せ! 答えはそこにある!」



 高城(たかぎ)は戸惑う気持ちを振り払うように踵を返すと、屋上を目指して廊下を走った。





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