【高城の章】壊れた先生 02
(……やはり、冗談だったんだ。
先生が生徒を金づちで殴りつけるなど、あるわけがない)
両手で頭を抱え込み、いままでの人生で一番になるだろう痛みを覚悟していた高城は、いつまでも襲ってこない衝撃にそう思った。
しかし、おそるおそる顔を上げた高城が見たのは、寸前まで振り下ろされた金づちと、眼鏡越しに見える先生の鋭い視線。
「……ほら、逃げなさい、笑いのカリスマ高城くん。きみは『大トリ』なんだから」
その言葉が冗談ではないのは、先生の目を見れば明らかだった。
高城は飛び跳ねるように立ち上がると、脱兎のごとく教室から逃げ出した。
窓から差し込む月明かりだけが頼りの、暗い廊下をひた走る。
一年二組は、第二校舎最上階の三階にある。
このまま突き当たりの階段を一階まで下りれば、目の前が昇降口だ。
廊下の突き当たりまで走った高城は、角を曲がりながら電気のスイッチを押した。
予想していた通り、明かりはつかない。
(やっぱり、ブレーカーごと学校中の電気が切られている……)
高城は一階へ向かって暗い階段を転がるように駆け下りた。
踊り場を曲がり二階へ下りる。
さらに階段を下りて、踊り場を曲がった瞬間、信じられない光景が目の前に広がった。
一階の廊下が、消えている――。
見えるはずの昇降口が見えない。
差し込んでいるはずの月明かりもない。
階段を下りきった辺りが、完全に暗闇に包まれている。
一歩ずつ足もとを確かめるように階段を下りた高城は、そのカラクリに気が付いた。
廊下が消えたのではなく、防火シャッターで封鎖されていたのだ。
「そこは思いっきりシャッターにぶつかって、尻餅をつかないと」
いつのまにか階段の踊り場から、神楽坂先生が高城を見下ろしていた。
踊り場の窓から差し込むわずかな月明かり。
その薄明かりを背にした先生の表情は、真っ黒な影になって何も見えなかったが、全力で走ってきた高城にくらべ、息も切らしていない様子だった。
「わかっていても突っ込んでいくのが、お笑いってものでしょう? ほら、思いきりぶつかって、『聞いてないよっ!』って叫びなさい」
先生がゆっくりと階段を下りて、防火シャッターの前で立ちすくむ高城に近づいてくる。
その手に持っている金づちを見たとき、高城の背筋が凍り付いた。
金づちの先から、なにやら液体が滴り落ちていたのだ。
「ここへ来るとき、廊下でうずくまっている駒井くんを見つけたの。
先生ちゃんと『やめて!』って三回叫ぶのを待ってから叩いたのよ。……高城くんに教えてもらった通りにね」
防火シャッターを背にした高城が、へなへなと膝から崩れ落ちた。
(もうおしまいだ。
いくら大トリと言われたからって、同じ失敗を繰り返す馬鹿を見逃すほど、先生も甘くはないだろう)
真っ黒なシルエットの先生の腕が、いきおいよく振り上げられるのを最期に、高城はぎゅっと強く目をつぶった。
そのときーー。
ばんばんと鈍い音を響かせながら、階段の上から何かが近づいてくる。
目を開けると、振り返る神楽坂先生のシルエットと、そのシルエット越しに、丸い影がさっと横切るのが見えた。
(あれは一組の男子が私物化していた、使い古されたバスケットボール……!)
「亮ちゃん、こっちっ!!」
佐倉の声が階段の上から聞こえた。
同時に、流れる雲に月が隠され、辺りが完全に闇に包まれる。
とっさに高城は、先生のわきをすり抜け階段を駆け上がると、待っていた佐倉とふたり、二階の廊下を全力でひた走った。




