【序章】ふたりの天才 02
「ここが、これから一年間、先生とみなさんが一緒に過ごす教室です」
一年二組の教室の前で、ぴたりと足をそろえて立ち止まり、バレリーナのようにくるりときれいな弧を描いて振り返った神楽坂先生は、目の前に広がる光景に愕然とした。
整然と並んでいたはずの列は見る影もなく乱れ、みな思い思いに歩き回っている。廊下にぺたりと座り込んでおしゃべりをする生徒や、追いかけっこを始める生徒までいた。
まさか自分の行動が、生徒たちの緊張を必要以上にほぐしていたとは知らない先生は、今日まで何度も頭のなかで思い描いていた光景と、まるで違う現実にとまどった。
「ええと……、みんな教室に入って、出席番号順に席に着いてください。さっき列に並んでいた通りの順番です。ねえ、みんな、早く……」
なんとか生徒たちを教室のなかに誘導したものの、すっかり動転している神楽坂先生のか細い声の呼びかけは、興奮ぎみの生徒たちの耳にはまったく届かない。
収拾のつかない事態に、早くも神楽坂先生の頭が混乱する。
先生は早鐘を打つ心臓を手のひらで押さえつけ、とにかく精一杯に声を張り上げた。
「あの、みなさん! おねがいですから、席に着いてくださいっ!」
動転しているせいか、張り上げた声が裏返ってしまった。
するといきなり、男子生徒の一人が、指をさして突拍子もない叫び声を上げた。
「ひやぁあああっ! あんなところに!」
クラスじゅうの誰もが、いっせいに男子生徒に注目する。
「あんなところに、町田敦子がおる!」
そう叫んだ男子生徒の指先は、あろうことか神楽坂先生に向けられていた。
とつぜんみんなから注目された先生は、目をぱちぱちと瞬かせながら、いまだ治まらない胸の鼓動を手で押さえつけていた。
「なあんだ、よく見たらモモタローだった」
わけがわからず息を呑む神楽坂先生。クラスじゅうが先生に注目している。
しばし沈黙のあと、叫び声を上げた男子生徒が肩をすくめ、ため息まじりにこう言った。
「せんせぇ、そこはノリツッコミしてくれないと。この空気どうしてくれるんですか?」
「どうするって……。先生、なにが起きているのか……」
「そこは、フライングキャット! でしょうがっ!」
ポーズを付けて決め|台詞を叫ぶ男子生徒。とたんにクラスは爆笑の渦に巻き込まれた。
そうか――。神楽坂先生は、ぽんっと手を叩いた。
(胸を押さえ、声を裏返して叫んだ姿が、流行のアイドル町田敦子のモノマネをしている、お笑い芸人『モモタロー』さんのネタにそっくりだったんだ……)
「って、だれがモモタローよっ!」
思わず怒鳴り声を上げてしまった神楽坂先生は、顔を真っ赤にして、あわてて両手で口をふさいだ。
愛嬌のある顔の芸人に間違われて怒った姿が、頭のなかに思い描く理想の教師像とはかけ離れた、大人げない態度だったと恥じたのだ。
しかしクラスじゅうの誰もが、そんな先生の姿を見て笑っている。
「と、とにかく、みんな席に着いて。ホームルームを始めますよ」
失態を取り繕うように、生徒に声をかける神楽坂先生。
すると生徒たちはさっきとは打って変わって、「はあい」と大きく返事をすると、そそくさと自分の席に着き始めた。
(すごい。さっきまでわたしの言うことなんて、まるで聞く耳を持たなかったのに……)
神楽坂先生は呆気にとられつつも、自分のことを指さした男子生徒を目で追っていた。
見るかぎり、髪型も雰囲気もいたって普通の、どこにでもいそうな男子生徒。
しかし先生の視線に気付いた男子生徒は、とたんにさわやかな笑みを浮かべてウインクを飛ばした。そのときの表情は、自信たっぷりのアイドルのようにも見える。
神楽坂先生は、手もとの出席簿で名前を確認した。
高城亮介。――笑いで一瞬にしてクラスをまとめた生徒。
それが高城を始めて見た、神楽坂先生の感想だった。




