【神楽坂の章】プール事件 01
夏休みを間近に控えた、ある日の午前中。
一年二組は体育の時間を利用して、一組と合同でプール掃除をすることになっていた。
その時間に授業のない神楽坂先生も手伝うことになっていたが、更衣室のロッカーに入れておいたジャージが見当たらない。職員室の机にもないので、先生は教室に行って自分の机のまわりを探すことにした。
すでに二組の教室は女子生徒が着替えに使用しているので、窓もカーテンも閉め切られた教室内は薄暗く、むんと熱気がこもっている。
神楽坂先生は額に汗を浮かべながら、引き出しの中はおろか、机の下にまで潜り込んで自分のジャージを探した。
「先生、どうしたの? あわてちゃってさ」
すっかり体操服に着替え終わった一組の女子生徒のひとりが、そんな神楽坂先生の姿を見て、心配そうに声をかけてきた。
「先生のジャージが見当たらないの。こまったなぁ、この格好だと汚れちゃうよね」
神楽坂先生は白いブラウスに、ベージュのタイトスカートをはいていた。
この格好でプール掃除など、どう考えてもありえない。
着替え終わった一組の女子生徒たち数人は、声を掛け合って教室のなかを一緒に探した。
二組の女子生徒たちは、遠巻きにその光景を眺めつつも、気にも留めない様子で談笑しながら着替えている。
「先生、ほかの場所に置いたんじゃないの? これだけ探してないんだから、きっとここにはないと思うよ」
「そうでしょうけど……」
すでに教員用の更衣室も職員室も散々探しまわっている先生は、あきらめ切れずに、辺りに視線をさまよわせながら教室を歩き回った。
「隠されたんじゃないの?」
そのとき、教室のうしろの引き戸から入ってきたのは、珠木早苗だった。
いまだ制服に身を包んだ彼女は、ようやく自分のロッカーからジャージを取り出し、着替えを始めた。
「そんなわけないじゃん。誰が隠すっていうのよ」
笑いながら言った一組の女子生徒に、珠木は真面目な顔で言い返した。
「妬まれてるんだと思うよ。神楽坂先生、生徒に人気あるからさぁ」
一瞬にして、教室が静寂に包まれる。
みな、神楽坂先生を横目で見ながら、ひそひそと小声で話をしている。
一緒に探してくれた一組の生徒でさえ、苦笑いを浮かべながら先生から目をそらした。
生徒の動揺を感じ取った神楽坂先生は、わざと明るく振る舞いながらこたえた。
「先生方が、そんないじめみたいなことするわけないでしょう」
すると珠木が、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「笑える。先生たちに妬まれてるなんて、ひと言も言ってないのに。……もう行こう、みんな」
すっかり着替え終わった珠木は、女子生徒たちを引き連れて教室をあとにした。
薄暗い教室に取り残された神楽坂先生のまわりには、もう誰もいなかった。
*
「どうしたんですか、その格好? ジャージに着替えてと言ってあったでしょう」
神楽坂先生の格好を一目見るなり、一組の稲田先生は肩を落としてそう言った。
「すみません。あの、持ってきたはずのジャージが見当たらなくて……」
山の瀬中学校のプールは、第二校舎わきの高台になった場所にある。
抜けるような真夏の青空のもと、一組と二組の生徒は、すでに体操服に着替えてプールサイドに並んでいた。
目のまえで怒られている神楽坂先生を見て、みな、くすくすと笑っている。
「仕方ないな。じゃあ用具置き場の整頓でもしていてください」
ため息を残してその場を去ろうとした稲田先生に、神楽坂先生はあわてて食い下がった。
「あの、わたしやります! 転ばなければ、どうってことはないですから!」
「いいんですか? まあ、あなたには、なにを言っても無駄だからな」
皮肉のこもった苦笑いを浮かべると、稲田先生は神楽坂先生にデッキブラシを手渡した。
「よおし、おまえら! プールに入って床をこすれ! 滑るから気を付けろよ!」
稲田先生の号令のもと、水が抜かれたばかりのプールに、生徒たちがおそるおそる降りていく。




