第29話 ※巻島視点
「マヤ……?」
「ああ、そうだ。ユリカさんのせっかく癒えた傷を、わざわざほじくる必要もないだろ? 気持ちだけ受け取っておく。マヤにも悠全が喜んでたって伝えておくさ」
「どうして、なんで巻島とマヤが」
「ま、いろいろと偶然が重なったって感じかな」
気まずい空気、困った表情。
だが、これ以上は踏み込ませない。
「という訳だ、またな悠全」
お前がこれ以上気を使う必要はないし、これ以上罪悪感を抱く必要もない。
お前はとても良い人だからな。
良い人過ぎて、全部を抱えちまう。
それに、これは俺だけが抱えるべき問題なんだ。
このまま墓まで持っていく、そう、決めたんだ。
————三年前、夏
『悟、相談したい事があるんだけど』
唐突に届いた幼馴染からのメッセージ。
単なる学友なら無視しても構わなかったのだが、相手は幼稚園からの付き合いのある女だ。
無下にしては後味が悪い。
それにコイツは俺の同僚の婚約者でもある。
無駄に揉めてしまっては、後々面倒だ。
よって、俺は返事を送ることにした。
幼馴染である、有堂ユリカに。
『別に構わないけど、何よ?』
『悟って、悠君と仲良いよね?』
『そうだな、同僚だしな』
『なら……ちょっと助けて欲しいなって、思うんだけど』
『助けるって、何よ?』
『実はね……私、不倫、しちゃってさ』
返事に詰まる。
昔から馬鹿な女だなとは思っていたが、これほどまでとは思わなかった。
悠全が知ったら悲しむじゃ済まないだろうな。
アイツは一本気な男だから、即離婚だろう。
窮地に立たされた幼馴染を救うべきか少考した後、浮かんできた答えは〝保留〟だった。
『とりあえず、一度会うか』
判断するにはまだ早すぎる。
顔を見ながら話をする、決めるのはそれからだ。
ユリカと待ち合わせをした場所は、普段は行かないBARを選択した。
ここなら知り合いもいないし、モダンな雰囲気は男女を語るには丁度いい。
「時間作ってくれて、ありがとう」
店に入ってきただけで、雰囲気が変わる。
相変わらず美人過ぎて、無駄に視線が痛い。
「幼馴染の頼み事だからな。マスター、こちらの女性にモヒートをひとつ」
「別に、飲まなくても」
「店に来たんだ、一杯くらい飲まないと失礼だろ? それにモヒートには、心の渇きを癒すってカクテル言葉もある。飲んでおいて損はないぜ?」
「……ありがとう、悟は相変わらずだね」
「どういたしまして」
ユリカの不倫に関して知ったのは、この時が初めてだった。
相手の情報もその時に把握した。
屋炭学徒、俺と同じ会社の人間。
「屋炭とはどういう関係よ?」
「高校の時の知り合い。結婚式で再会して、同窓会って名目で誘われて、それで……多分、薬を盛られたんだと思う。気づいたら、裸でホテルにいたの」
犯罪じゃねぇか。
「それ、訴えた方が良くないか?」
「無理、全部動画に残されてるし、こんなの悠君にバレたら間違いなく離婚になる。私、悠君とは別れたくないから……」
「悠全のことだ、さすがに離婚まではいかないと思うけどな」
悠全は正義感の塊みたいな男だ。
嫁さんが脅されてるなんて知ったら、むしろ徹底的に追い詰め、復帰不可能なまでに社会的制裁を加えると思う。
敵に回していい人間じゃないのは確かだ。
そんなスパダリを頼れないユリカは、これまでで一番悲しそうな顔をして俺に告げる。
「悠君とは、もうずっとしてないから」
「してないって、なんでよ?」
「……誰にも言わない?」
「ああ、言わないな」
「……」
ユリカは来ていた薄いシャツを捲り上げると、自らの腹部を俺へと曝け出した。
「痣、か」
「多分、アイツの性癖なんだと思う。する度に叩かれたりしてね、身体に跡が残るから止めてって何回も言ってるんだけど、止めてくれなくて」
「それで、レスになっていると」
涙目になりながら、静かに頷く。
「どれぐらい?」
「もう、二年くらいになっちゃう」
普通に考えれば刑事事件だ。
警察に頼るのが一番間違いがない。
だがその場合、ユリカの不倫もバレる。
被害者であれ何であれ、ユリカが屋炭と寝たという事実は変わらない。
されにそこにセカンドレイプ、動画がネットに公表されたが最後、一生消えない傷がネットタトゥーとして残されちまう。
悠全も繊細な男だからな。
何もない……じゃ、済まないだろう。
「それで? 俺に何をしろと?」
「そんなの分からない、悠君と離婚にならなければ何でも良い……あと」
拳を握りしめ、歯を食いしばる。
「屋炭にだけは、復讐したい」
「……なるほどな、事情は分かった」
「何か方法、あるかな?」
「いや、今のところ何も。だが、俺の可愛い幼馴染の頼み事だ、可能な限り動いてやるさ」
その後、ユリカとは他愛のない世間話をして、その日は別れた。
正直なところ、解決策なんて何も思いついてはいない。
でも約束はした、可能な限りは動いてやると。
調べたところ、屋炭の勤務地は名古屋、関東の俺達とは顔を合わす機会がほとんどない。
一番簡単なのは屋炭の悪事を会社にバラすことなんだが、悠全も同じ会社である以上、アイツの耳に入る可能性は高い。
何もかも悠全にバラしてしまうのが一番間違いないと思うんだがな……と考えていたところに、一本の連絡が入ってきた。
『巻島君、ちょっとだけ時間、作れたりしますか』
相変わらず俺の事を〝君〟呼びする。
後輩でも俺のことを巻島君って呼ぶのは一人だけだ。
高校の時、付き合いのあった女。
花桐マヤ、その人だ。
待ち合わせをしたのはユリカと同じ店、約束時間きっちりに姿を見せたマヤは、俺を見つけるなり微笑み、隣の席へと座る。
ユリカと違って優等生タイプだな。
美人なんだが近寄りがたい。
そんな感じだ。
「時間を作ってくれてありがとう。実はね巻島君、ちょっと相談したいことがあって」
「何よ? まさか離婚とかじゃねぇだろうな」
言うと、マヤは眉をハの字にしながらコクリと頷いた。
「だから春雪と結婚しとけって言ったんだよ」
「……そうね、巻島君の言う通りだったと思う」
高校時代、マヤと春雪は誰もが認めるカップルだった。
絶対にこの二人はそのまま結婚するんだろうなって、誰もが思っていた。
なのに二人は別れを選択しちまった。
別れの原因までは知らねぇ。
そんなの聞いたところで、藪蛇確定だからな。
「まぁ、話だけは聞いてやるよ」
「うん、実はね————」
話を聞いて、愕然とした。
マヤが結婚した相手の哲臣って奴は全く知らない男だったが、妹のカナミちゃん、更にはそのカナミちゃんと春雪が結婚していたこと。
そしてそのカナミちゃんが哲臣って奴と不倫の関係になり、春雪はたまらず別居を選択し、マヤも実家に一人で住んでいるという事実は、驚くには充分過ぎる内容だった。
「いや……なんていうか、ご愁傷さまだな」
「茶化さないでよ、こっちは真剣に悩んでるんだから」
「ああ、悪い。で? マヤとしてはどうしたいんだ? 離婚するんなら、とっととしちまえばいいんじゃないか? 裁判になったとしても、間違いなく勝てるだろ?」
「勝ってもしょうがないでしょ、妹から慰謝料奪ってどうするよの」
「そういうのって、別々に請求出来るんじゃなかったっけ?」
「出来るけど、結局は変わらないの」
請求したところで、支払うのは哲臣ではなくカナミちゃんってことか。
妹の財布から金を抜き取るのに抵抗があるのは、まぁ理解出来るけどよ。
「そもそも、なんでそんなことに?」
「多分、春雪君と私の関係をカナミが把握したんだと思う。あの子、私のおさがり大嫌いだったから」
「ああ……まぁ確かに、姉ちゃんと同じ男を好きになったってだけで、それなりにメンタルヤベェだろうしな」
穴兄弟ならぬ穴姉妹だもんな。
春雪は一体どういうつもりで結婚したんだか。
「それで、話って何よ?」
「離婚したい」
「すれば?」
「妹に迷惑を掛けずに、出来ることなら春雪君とカナミの関係を修復した上で、離婚したい」
「そりゃ無茶だろ」
「分かってる、だから相談しに来たの」
言ってることが無茶苦茶だろ。
しかもマヤは今回被害者なんだから、徹底的に相手を潰せばいいだけだと思うんだけどな。
何ていうか、無駄に優しいというか。
姉妹ってめんどくせぇというか。
「ああ、先に断っておくが、俺が間に入ってどうのこうのは無理だぞ? 春雪ともカナミちゃんとも面識がある以上、俺じゃどうにも出来ねぇ」
「……じゃあ、誰か紹介してよ」
「紹介って言ってもな」
夫婦喧嘩は犬も食わないって言うぐらい、普通は関わりたくない問題だからな。
適当な奴に声掛けしたところで、どうにも出来そうにないだろうし。
適当じゃない奴、それこそ親身になって相談に乗り、解決までたどり着ける紳士な男。
……ん?
そういえば一人、適任なのがいるな。
アイツなら惚れた相手を助ける為に何でもするだろうし、ユリカへの罪悪感を抱かせるのにも、マヤなら丁度良い相手とも言える。
「ふむ」
「巻島君、どうしたの?」
「ああ、いや……ちょっとだけ妙案があってだな」
「妙案?」
「ただまぁ、俺の一存じゃどうにも出来ねぇ。少しだけ時間貰ってもいいか? 話がまとまったら後で連絡するからよ」
思い描いた絵図通りに事が運ぶとは、微塵も考えちゃいねぇ。
だが、今の二人は何かしら動かないと、もっと最悪な事態になりかねない。
何より、ユリカの言う通り、最近悠全の様子がおかしい。
異常なまでに落ち込んでるし、ぶつぶつと独り言を呟くようになっちまった。
アイツは限界になるまで助けを乞わない。
誰かが救いの手を差し出してやらねぇと。
それから数日後。
「紹介するぜ、こちらが俺の幼馴染、有堂ユリカさん。んで、こちらが俺の高校の後輩、花桐マヤさんだ」
「初めまして、有堂ユリカです」
「こちらこそ初めまして、花桐マヤと申します……あの、もしかして大学のミスコンで優勝した、あの花園ユリカさんですか?」
「なんだマヤ、知ってるのか?」
意外にも、壁を崩したのはマヤの方だった。
学生みたいに熱い視線を、ユリカへと向ける。
「伝説級の人じゃないですか! ノミネートされた段階で他の人が辞退したっていう、あのユリカさんですよね! やだ、私、密かに憧れてました!」
「あはは……ありがと、久しぶりに、ちょっと嬉しい」
「やだ、ユリカさんに会えるならもっと綺麗にしてくるべきでした! ああ、最近完全に主婦になっちゃってたから、いろいろとダメかも」
「そんなことない、綺麗ですよ」
「えー、えへへ? ありがとうございます! ユリカさんにそう言って貰えると、自信が出ます!」
瞳キラキラっに輝かせちゃってまぁ。
っていうかマヤの奴、完全に別人じゃねぇか。
ま、いきなり敵意むき出しよりかは、全然良いけどな。
「それじゃ、話を進めても構わないか?」
スイッチが入り、真剣な眼差しへと変わる。
三人掛かりで一人の男を騙す。
コンフィデンスマンの始まりだ。




