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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第24話

「え? じゃあもう離婚は成立したってこと?」


 日曜日の朝、ベッドの中でいきなりマヤに報告された。


「はい、先日ゼン君の言葉に感化された春雪さんが動いてくれまして、あの人の手によって、離婚届が無事提出されたとのことです」


「……ってことは、もう?」


「はい、私はもう花桐マヤではありません……と言いたいところだったのですが、旧姓に戻すといろいろと手続きが面倒だと思いまして、今は花桐のままにしています」


「あ、そうなんだ」


「だって、申請してから十日間くらい時間が掛かるみたいですし、それにすぐ有堂に変わるじゃないですか。それを考えたら二度手間だなぁって思いまして」


 確かに、それは面倒だし時間が無駄に掛かる。


「さすが、マヤはしっかりしてるね」


「……ふふっ、否定しないんですね」


「何を?」


「苗字のことですよ」


 ああ、有堂に変わるって部分か。


「否定して欲しい?」


 ぶんぶんぶんぶん! って顔を振って、全力否定された。


「そんなことされたら泣きますよ?」


「あはは、しない。っていうか、マヤは本当に可愛いよね。前は綺麗一辺倒だったけど、今は綺麗と可愛いが混ざった感じがするよ」


「それ、褒めてます?」


「もちろん、僕たちの仲が深まった証拠だよ」


「それならいいんですけど」


 乱れた髪も素敵だ。


 手ぐしで梳いた後、ベッドで横になったまま、近づいて今日初めてのキスをする。


「それにしても、思っていた以上にあっさり終わるものなんだね。離婚っていうと、なんかもっと大変で、時間とお金が掛かるものかと思っていたよ」


「協議離婚で終わらせましたからね、訴訟までしたらやっぱり大変みたいです。それと財産分与で揉めたりするみたいですけど、ウチはそれもスムーズに終わりましたからね」


「どういう配分?」


「半分に出来るものは全て半分にしましたが、この家はもともと私の実家ですので、家だけは土地も含め、全て譲ってもらうことにしました」


「あ、ここマヤの実家だったんだ」


「はい、私とカナミが生まれ育った家です」


 そうだったのか。

 てっきり一戸建てを購入したのかと思っていたよ。


「それで、春雪さんとカナミさんは?」


「そこも完全に元通りです。ゼン君との話し合いの場でカナミが言ってたじゃないですか、別にあの人の事は好きじゃないって。それを受けて、春雪さんが取り返す為に動いたみたいです」


「動いたって、どんな?」


「細かくは聞いてませんけど、話し合い……だけじゃなさそうですよね。春雪さん、元々柔道やってたから、そこそこ強い人ですので」


 確かに、大きい身体だったもんな。

 そういえば、耳が柔道家の耳してたかも。


「完全に、哲臣一人が悪になったってことか」


「誘ったカナミも悪ですけど、そもそもあの人が誘いに乗らなければ良いだけの話ですからね。それと、私と春雪さんをくっつけたがってたのもあの人みたいでしたから。考えてもみれば、自分の立場を良くしたかっただけなのかもしれませんね」


「正当性を謳う為か、そんなの、どうあがいても無駄だろうにね。それにしても」


 布団の中にいるマヤの胸に触れる。

 物凄く柔らかくて、温かい。 


「最近、裸で寝るようになっちゃったよね」


「……それは、ゼン君のせいですけど」


「そう言われれば、そうかも」


 朝だし、このまま致してしまいたくなる。

 

「ダメ、今日はお昼には行く予定ですよね?」


「……ああ、そうだね」


 スマートフォンを見るに、時刻は既に九時を回っている。この家からマンションまで二時間は要するのだから、そろそろ出ないと不味い。


「会って話をして、僕の方も片付けないとな」


「今日で全部、終わると良いですね」


「……そうだね」


 別れ際のユリカを思い出すに、そう簡単には終われそうにない気がする。


 でも、これはケジメだから。


 そもそもユリカが不倫しなければ、僕だって離婚なんか選択しなかったんだ。


「ゼン君、とりあえず朝ご飯、用意しときますね」


 だけど今の僕は、この選択を後悔してはいない。


「後ろ姿も綺麗だね」


「もう、あんまり見ないで下さいね」


 裸で歩くマヤは、とても輝いて見える。


 こんな素敵な人と出会えたのだから、後悔なんかするはずがない。


 これからマヤと歩く未来は、今よりもずっと輝いているだろうし、笑顔が耐えない未来なんだ。


 楽しみでしょうがない未来。

 それを原動力に、僕は行動を開始した。


「……あら? サングラスが戻ってる」


 ユリカのいるマンションへと向かう途中、マヤがダッシュボードの中にあったサングラスに気づく。


「ああ、それ、もう役目を果たしたから、持って帰って来たんだ」


「役目を果たした……ああ、そうでしたか。それで、どうでしたか?」


「凄い破壊力だったよ」


「まぁ、そうですよね」


 別に眩しくもないのに、マヤはサングラスを取り出すと、両手で優しく、自らの耳に掛ける。


「ユリカさん……ちょっと会うのが怖いですね」


「そう?」


「だって、常識が通用しなさそうじゃないですか。それにゼン君への異常な愛を知っている身としては、いきなり刺されるんじゃないかって心配で」


「さすがにそれは無いでしょ。もしユリカが襲ってきたら僕が守るし」


「……ゼン君、弱そうだからなぁ」


「なにそれ、僕が頼りないみたいじゃないか」


「だって、春雪さんに勝てます?」


「それは無理」


「ふふっ」


「別に、笑わなくても」


「大丈夫ですよ、私の愛情も負けてませんから。それに、もし刺されそうになったとしたら自力でなんとかします。私、これでも柔道黒帯なんですよ?」

 

「それは知らなかったな、通りで寝技が強い訳だ」


「今度、本気で締めましょうか?」


「それは、別の意味なら喜んで」


「…………ゼン君?」


 引きつった笑顔も素敵だね。

 さて、夫婦漫才はここまでにして。


 気を引き締めて、向かわないとな。



 自分の家なのに、自分の家ではない感じがする。

 

 マンションの駐車場へと到着し、自らの家を眺めた感想が、これだ。


 雲一つない青空なのに、雰囲気は陰鬱とし、どこはかとなくゲームに出てくるラストダンジョンみたいに感じてしまう。


 そんな、得も知れぬ不安にも似た感情に支配され動けずにいると、助手席から下りたマヤが僕の方へと近づき、そっと手を握る。


「ゼン君」


 僕が怖じ気付いてどうする。

 握られた手に力を込めて、一歩を踏み出す。


「行こう、きっと相手も待ってる」


 駐車場からエントランスへと入り、管理人さんへと会釈をし、エレベーターへと乗り込む。

 

『エレベーター三基もあるから、朝の渋滞とかは無さそうでいいよね。綺麗だし便利だし、悠君が選んだ物件は最高だね』


 数年前、隣にいるのは妻であるユリカだった。

 それが未来永劫、ずっと続くと思っていたのに。


『うわぁ! 見て見て悠君! 十二階の景色最高じゃない!? こんな景色を毎日見れるとか、これだけで家賃の元が取れるって感じだよね!』

 

 頭の中が、まるで走馬灯だ。

 勝手に流れては、勝手に消えていく。 

 

 思い出の中くらいは、綺麗なままでも構わない。

 最後なのだから、それぐらいは自由でいい。


「じゃあ……インターフォン、押すね」


 数日前、カナミさんが言っていた言葉。


『自分の家なんだから、インターフォンなんか押さずに入ってくればいいじゃない』

 

 あの時は、確かに、って思っていたけど。


 いざ春雪さんの立場になると、それが出来ないと理解出来る。

 

 僕の中ではもう、この家は他人の家だ。


 インターフォンを押さずに入るなんてこと、出来そうにない。


「……あ、鍵、開きましたね」


「そうだね……じゃあ、入ろうか」


 スマートフォンから解錠したのだろう。

 出迎えの為に扉を開けることなく、解錠だけをする。


 出迎える価値なんかない。

 そういう意味として、受け取る。


 扉を開け、深呼吸ひとつ。


「お邪魔します」


 もう、ここは僕の家ではないから。  

 〝ただいま〟という言葉は、使えない。 


「お邪魔します……ゼン君、入っていいの?」


「問題はない、一緒に行こう」


 僕とユリカの関係を、終わらせる為に。

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