第21話
物井家を出て、とりあえず車を走らせたものの。
隣に座るマヤは、沈黙したまま。
どう転んでもカナミさんは彼女の妹だ。
血の繋がりは、切っても切れないもの。
僕とマヤが結婚したら、あの子、僕の義妹になるんだよな……それはちょっと嫌かも。
「ゼン君」
適当に車を走らせていると、隣に座るマヤが僕の手を握りしめる。
「ごめんなさい」
「……なんで?」
「だって、ゼン君にも隠してしまったから」
隠す? ああ、春雪さんとの関係のことか。
「正直なところ、話を聞いた時には驚いたけど、別に気にはならないかな」
「でも」
「だって、僕と出会う前の話でしょ? 今も同居してはいるけど、春雪さんもマヤも、確実に一線を超えないようにしているって、側にいて分かるもの」
言葉では上手く言い表せないけど。
目に見えない壁みたいなものが、二人の間には確かにあったんだ。
それに彼はマヤを前にして、カナミさんを自分が愛した人だと言ってのけた。
マヤとの離縁宣言。
あの言葉は、そう受け取れる。
「むしろ、どこか納得した感じかな。例え姉妹の旦那だとしても、同居生活なんて普通選択しないから。元彼だったのなら、そこら辺はあり得るかなって、そんな感じ」
「……ゼン君」
赤信号で車を停止させた後、不安で潤む彼女の頬に手を添えて、そっと唇を重ねる。
「何があったとしても、もう戻れない位置にいるって言ったよ? マヤの過去に何があったとしても、僕は受け入れるさ」
「うん……うん、私も、ゼン君に何があっても、受け入れるからね」
「ありがとう、マヤ、愛してるよ」
「私も愛しています。ゼン君」
キスをする度に、泣き顔から笑顔へと変わる。
そんな彼女のことが、愛おしくてたまらない。
「ねぇ、ゼン君」
「ん?」
「今日、ウチに来ませんか?」
「ウチって……マヤの家? 春雪さんも一緒?」
「いえ、春雪さんからメッセージがありまして、彼はもう家に戻るそうです。逃げてばかりじゃなくて、戦わなくちゃダメだって、そう書いてあります」
見せてくれたマヤのスマートフォンの画面には、確かにそう書かれていた。
「もう、今日も遅いですし……それに、いろいろとしてくれたお礼もしたいと、考えています」
「そ、そっか……じゃあ、マヤの家に行くとしようかな」
「……はい、ナビ、設定しておきますね」
マヤが設定してくれた住所を、車へと登録する。
この住所を消す必要はない、だって僕たちの関係は、既にユリカも哲臣さんも知っていることなのだから。
ある意味公認の関係。
だから、大手を振って彼女の家へと行ける。
お礼か……ちょっと楽しみかも。
むふ。
☆
「それで、土日の二日間を不倫相手の家で過ごして、今朝はそこから悠々自適に通勤してきたってことか? なんていうかスゲェな、以前の悠全とはまるで別人みたいだぜ」
「そう? 普通だと思うけど?」
巻島は驚いているみたいだけど。
愛する人と一緒に休日を過ごす。
これを普通と言わずなんと言うよ。
「奥さんのことで思い悩んでいた頃とは比べ物にならねぇなって意味だよ。ユリカさんからのメッセージは? 何も無かったのか?」
「マヤの家で泊まるって、しっかりとメッセージを送ったよ」
「マジか、お前いつか刺されるぞ?」
「大丈夫だって、前にユリカが言ってたんだ。マヤを家に呼んで、目の前でセックスすればいいって」
「は? なんだそれ?」
「さぁ? 僕も意味は分からないけど、要はユリカも、僕とマヤの関係を望んでいるって事なんじゃないの? とにかく、今日から僕の家は変わったってこと。いずれ住所変更もしないとかな」
あ、その前に婚姻届出さないとか。
更に言えば結婚式も……いや、再婚なんだから、書類だけにした方がいいのかも? そういうのをマヤは気にしなさそうだけど。
あ、新幹線が出ちゃう。
「じゃあ、いつも通りの報告はこの辺で」
「ああ、しっかりと一週間、仕事頑張ってこいよ」
「誰かさんの分まで、しっかりと働いてくるさ」
通話終了っと。
これから一週間、名古屋で缶詰か。
ユリカも仕事でこっちには来れないだろうし、そう何度もマヤを呼びつけるのも酷だろうしね。
単身赴任の言葉通り。
しっかりと身一つで働いてきますか。
いろいろなしがらみから解放され、独身気分で働くのも、たまにはいいだろ。
新幹線の座席へと座り込み、仮眠を取るべく目をつむる。東京から名古屋まで約二時間、眠るには丁度いい時間だ。
自由席だけど、隣に座る人もいなくて良い。
そう、思っていたのだけど。
「……」
どうやら、隣に誰かが座ったらしい。
頼むから隣で弁当だけは食べないで欲しいな。
そんな、どうでもいいことを考えていると。
「有堂さん、でしたよね」
急に、僕の名を告げてきた。
閉じていた目を開ける、すると。
「あの……僕が誰だか、分かりますか?」
「……屋炭、学徒」
そこには、見覚えのある顔ではあったものの。
動画で見た時よりもやせ細り、着ているスーツも汚れていて、なんだか以前よりも印象が悪い、屋炭学徒が座っていた。
いや、最初から印象なんて最悪なんだ。
コイツがいたからユリカは不倫を選択し、僕はずっと悩まされることになったのだから。
「ああ、やはり分かるのですね。良かった、話が早い」
屋炭はそう言うと、床へと両膝を付け、僕へと向けて頭を下げてきた。
「ユリカさんと僕との関係修復に、どうかお力添え願えないでしょうか」
一体何を突然。
……ああ、そういえばユリカは別れたって言ってたっけか。
「こんな事を旦那様である有堂さんにお願いするのは間違っているとわかっております。ですが別れる前、ユリカさんからお聞きしました。有堂さんは毎週土曜日にどこかへと出かけていると。そして密かに、僕は最近の有堂さんを尾行させていただきました」
「尾行?」
「はい、土曜日の朝、家を出た後から、ずっと」
ということは、僕とマヤが会っていたことも知っている、という訳か。
いや、それだけじゃない。
今朝まで彼女の家にいたことも知っているということか?
いやいやいやいや……。
最近ストーキングされ過ぎだろ、どれだけ僕たちの行動を監視する目があるんだよ。
自然とシワの寄る眉間に手を当て、少しだけ顔を振った。
ただ、この男が接してきたということは、考え方によっては好都合かもしれない。この男が僕の側にいるということは、ユリカの想定の範囲外のこと。
「屋炭さん、とりあえず顔を上げて下さい」
「ですが、僕は」
「ユリカとなら、既に離婚する話が進んでいる状態です」
ならば、手懐けるのが最善策とも言えよう。
「離婚……本当ですか」
「はい、ご存知の通り、僕には既に恋人がいます。きっかけは貴方とユリカの不倫でしたけどね」
「それは、何と謝罪すれば良いか」
差し出した手を握ると、彼は僕の隣へと座る。
地につけた膝を手で払ってあげると、彼は表情を笑顔に変えた。
「いえいえ、ですがユリカの裏の顔も見ることが出来ましたので、むしろこちらから感謝を伝えたいくらいです。それで、屋炭さんの現状はどのような感じなのでしょうか? 良ければ僕へと、教えていただければと思うのですが」
名古屋到着まで、まだまだ時間はある。
根掘り葉掘り聞くには充分過ぎる時間だ。
そして、聞いた話をまとめると。
まず、ユリカと屋炭は現状、ユリカから一方的に別れを告げられた状態であり、屋炭としてはそれを受け入れてはいない状態であるということ。
二人を繋いでいた連絡網は全てがブロックされ、屋炭からは連絡を取る手段がないらしい。
彼の方はというと、ユリカと別れた後、会社を退職し、両親にも悪事がバレたため実家にもいることが許されず、今は安普請のアパートでの一人暮らしを強いられているらしい。
更には購入した車や貴金属類の支払いが滞った状態で、家計は火の車。借金に借金を重ねている状態、なのにユリカのことが忘れられず、今もこうして彼女の為に散財している状態なのだとか。
今朝、巻島に刺されるって言われたけど、これってユリカの方が刺されるまであるんじゃないか? 別れるにしてもやり方が酷すぎるだろ。
ユリカからしたらこの屋炭という男は、完全に玩具だったという意味なのだろうけど。
「今日、有堂さんとお話が出来て良かったです」
「いえいえ……ああ、そうだ、屋炭さん」
財布の中から一万円札を取り出し、屋炭へと差し出した。
「え? お金、ですか?」
「はい、ユリカの為に散財したとのこと。僕の懐には一円も入ってはおりませんが、それでも妻のしたことですから」
「そんな、受け取れません」
まぁ、普通は受け取らないだろうね。
不倫相手の旦那からの施しなんて、通常ありえない。
「大丈夫です、ユリカから奪い返した後に返してくれれば、それで大丈夫ですから」
通常、不倫相手へのプレゼントの類は〝贈与〟とみなされ、奪い返すことが難しい。
だが、ユリカと屋炭に関しては、盗撮動画内にて「幸せに出来ない」と言っていた。
聞けば、ユリカは僕と離婚し、彼と再婚するとまで当初は言っていたのだとか。
恋愛に熱が上がってしまったのだろうね。
それは間違いのない〝詐欺行為〟に該当する。
「いずれ、ユリカと対話の場を設けます。それまで頑張って下さい」
「……っ、本当に、ありがとうございます」
まぁ、精々僕の円満離婚の為に頑張って欲しい。
僕が君に期待しているのは、それだけなんだからさ。




