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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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2/20

第2話

「先日はいきなりメッセージを送ってしまってごめんなさい、奥様、大丈夫でしたか?」


 花桐さんは再会するなり、僕へと謝罪を述べた。


 布団の中で受け取ったメッセージなのだからユリカに気づかれることもないだろうし、万が一気付かれたとしても、彼女はきっと何も言ってこない。

 

 大丈夫、そう伝えると、花桐さんは胸に手を当て、眉を下げながらも笑みを浮かべる。


「そうですか、良かった」


 今日の花桐さんの服装は、どこかのキャリアウーマン風な装いだ。


 長袖のワイシャツに羽織るようなベスト、下はタイトなパンツスタイル。短めの髪型も相まってか、職場にいる別部署の上司を連想させた。


 働いているの? そう質問すると、花桐さんは可憐な顔を横へと振る。


「数年前、結婚と同時に退職してしまったから、今は専業主婦なんです。この服装は、待ち合わせ場所が都内でしたので……だったら、久しぶりに昔を思い出してみようかなって思って」


 とても似合ってる。


 素直な気持ちを伝えると、花桐さんは髪を耳に掛けながら、微笑と共に「ありがとう」と言葉にした。


「実は、私、有堂さんで五人目なんです」


 コーヒーショプ、ボックス席みたいな他者の視線がない場所で、ホットコーヒーをかき混ぜながら花桐さんは口にする。


「これまでの四人は、会ったその日の内に肉体関係を求めてきたので、その場でお断りしてしまいました。そういうのが目的の人もいるみたいなんですけど、私はちょっと違いまして……」


 そんな野獣みたいな人もいるんだねって言うと、彼女は卑屈に微笑んだ。


「ふふっ、きっと、女側にもそういう人がいるのでしょうね。だからじゃないですけど、五人目っていうキリの良い数字だし、今回を最後にして、マッチングアプリ使うのを止めようと思っていました」


 その最後の相手が僕だったということか。

 だとしたら、何とも光栄な話だ。

 

「有堂さんは単純な快楽目的じゃない……あんまり突っ込んだ話をするのはタブーだとは思いますけど、多分、奥様との何かしらの問題を抱えている。だから、心を落ち着かせるために、こうして異性との出会いを求めた。……実は、私も同じなんです」


 花桐さんの視線が、左手の薬指へと向けられる。


「旦那と上手くいっていなくて、それを誰かに聞いて欲しいって思って、こうして出会いを求めてしまった。ですが、離婚まで考えている訳ではありません。離婚、出来る理由でもないと思いますし……」


 意味深な言葉のあと、若干の沈黙が流れる。


 店内のBGMですらも耳に入らない沈黙のあと、花桐さんはハッとした感じで顔をあげ、表情を笑顔に変えた。


 無理に作った笑顔。

 彼女の本音が、分かった気がする。


「と、とにかく、私は肉体関係を求めている訳でもないですし、話を聞いてくれる人がいたらそれでいいと思っています。単純に、憂さ晴らしに付き合ってくれる人がいたらいいなって思って、マッチングアプリを使いました」


 素敵な使い方だと、僕は花桐さんを褒めた。

 

 既婚者のみのマッチングアプリは、本来こういう使い方をするべきなのだろう。


 直接伝えると角が立つ、最近だとネットへの書き込みひとつで全てバレる可能性だってあるんだ。


 溜まり続けるフラストレーションを解消する為に、安全な捌け口を探す。


 僕も、視線を自分の左手の薬指へと向けた。


 もしかしたらユリカも、僕へのフラストレーションの捌け口を探す為に、僕の知らない誰かと、出会いを求めてしまったのだろうか。


「有堂さん」


 名を呼ばれ、顔を上げる。


「奥様のこと、愛しているのですね」


 愛している。

 僕は今でも、ユリカを愛している。

 ずっと、彼女の側にいたい。


 だけど、もう、今のユリカと一緒の部屋、同じ時間を過ごしていると、それだけで終わりを選んでしまいそうになるんだ。


 愛しているのに。

 離婚という名の終わりを。


「……有堂さん、考えていても何も変わりません。私で良ければ話を聞きますよ? それとも、場所を変えましょうか?」


 頭の中のモヤモヤが消えないままに、僕は花桐さんの後を着いて歩く。


 スマートフォンを見るも、メッセージのひとつも入っていない。二週連続で土曜日に出かけているのに、ユリカは何も思わないんだ。


 愛が冷めている。

 そうとしか思えなかった。


「カラオケとか、何年ぶりかな」


 花桐さんはどこか楽しそうに席へと着いた。

 僕もテーブルを挟んで反対側へと座る。

 

「奥様のこと、話したくなったらで良いですからね。それまでは、せっかくだから歌いましょうか」


 マイクを握ると、花桐さんは可憐に微笑む。


 彼女みたいな人がマッチングアプリを使ってまで、誰かに打ち明けたいと願う悩み。


 今のところ何も僕には打ち明けてはいないけれど、その闇は僕と同じぐらい深そうに感じる。


「〜♪」


 花桐さんの歌は、僕の知らない歌ばかりだった。

 ユリカが選ばない歌を、彼女は歌う。

 それがなんだか、とても新鮮に感じられた。

 

「有堂さんも、一曲どうぞ」


 マイクを差し出される。

 どんな歌を選曲すればいいのだろうか。

 出来る限り、ユリカの前で歌ったのは避けたい。


 そんな、意味の無い悩みで頭を悩ませていると。


「私、有堂さんの分も選曲しちゃいますね」


 花桐さんが勝手に、選曲してしまった。

 しかもデュエット曲、歌えなくはないけど。

 

 歌って、いいものなのだろうか。


「有堂さん……今は、忘れましょ」


 少し困ったような、それでいて優しい頬笑み。

 花桐さんを困らせたくない。

 そう思い、僕はマイクを手に取った。



「あー楽しかった。でも、そろそろお開きにしないとかな」

 

 気づけば二時間が経過してしまっていた。


 本当に楽しかった。

 久しぶりに、心の底からそう思える。


「次に会う時は、奥様とのこと、話せるようになっているといいですね」


 突然の言葉。

 次また会えるのかと、驚きと共に問う。


「もちろん、有堂さんが良ければ、ですけど」


 そんなの、大歓迎に決まっている。


 聞いていて楽しかったし、僕が歌っても彼女は手を叩き、楽しそうに合いの手を入れてくれるんだ。


 ぜひ、お願いします。


 素直な感想と共に返事をすると、花桐さんは気恥ずかしそうな、それでも喜びを隠さない笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 言いながら、花桐さんはスマートフォンを手に取ると、僕の横へと席を移動した。


 何かと思って眺めていると、画面にはどこかのカラオケ店のアプリが開かれており、それを彼女は僕へと見せつける。


「実は私、一人カラオケとかにもよく行くんです。このアプリはカラオケ店のアプリなんですけど……ほら、私のランク、最上級のゴールドでしょ? お前何回一人で行ってんだよって感じですよね」


 喋りながら、手にしたスマートフォンを僕へと見せるために、花桐さんは更に距離を縮めた。画面を僕へと見せた後、彼女は互いの距離に気づく。


 目と目が合い、そのまま動けなくなる。

 二人とも何も言わず、でも、視線を逸らさず。


「……」

 

 唇が、自然と近寄ってしまいそうになる。

 止まっていた心臓が、動き始めた。

 そんな感覚に襲われる。


 しばらくの硬直のあと。

 僕達は何も言わずに、少しづつ距離を取った。


 隣に座る花桐さんは、膝小僧をぴったりと揃えながら、太ももの上に置いた手を握り、上唇で自分の下唇をきゅっと噛む。


 どこか赤みをはらむ頬は、花桐さんの女を隠しきれていないようにも伺えた。


 彼女も旦那さんとの間に問題があるということは、お互い、もう随分としていない、ということだろう。


 婚約相手から異性として見られていない悲しみは、僕が毎日味わっているものだ。それどころか、僕以外の男に、ユリカは異性を感じている。


 情けない男。

 それが有堂悠全という、僕という男だ。



「お帰りなさい」


 家に帰ると、またしてもユリカが出迎えてくれた。


 今回は前回とは違い、トイレから出てきたという訳では無い。僕が鍵を開ける音を聞き、わざわざ出迎えてくれたという感じだ。


 その行動が何を意味しているのか。


 もしかしたら僕が花桐さんと会っていることを、ユリカは把握しているのではないか? それについてユリカは嫉妬し、僕のことを問い詰めようとしてくれているのではないのだろうか?


 本来ならダメなことなのだけど。

 それだとしても、嬉しいと感じてしまう。


「ただいま、これ、お土産」

「渋谷に行ってたの?」

「うん、ちょっと一人で、ブラブラと」


 一人ではない。


 花桐さんと二人、お互いの相手を裏切らないという何かの(まじな)いみたいな感じで、お土産を購入した。


 多分、今頃彼女も旦那さんへと、同じお土産を渡している頃だと思う。

  

 ユリカからの返事も聞かずに、僕は箱からバウムクーヘンを取り出し、真ん中から半分に分けると、皿に載せテーブルへと置いた。


「ユリカの分、置いておくね」


 多分、一緒には食べないと思う。

 全くの期待をしないままに、僕は席に着いた。


 バウムクーヘンをナイフとフォークで切り分け、口へと運ぶ。口の中が甘さで満たされると、次に幸福感が僕を包みこんだ。


 花桐さんが選んだからかな。 

 なんだか必要以上に美味しく感じる。


「吐かないんだね」


 不意に、ユリカがそんなことを言った。

 

 ——私が作った料理は全部吐いちゃうくせに。


 彼女の目が、そう言っているように見える。

 僕はそれを聞き、食べるのを止めた。


 翌朝になっても残されていたバウムクーヘンを手に取り、僕は無言のまま、ゴミ箱へと捨てる。


 そして思う。

 花桐さんに会いたい。

 

 次の土曜日が、待ち遠しくて仕方がなかった。

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