第19話
物井カナミ。
マヤの妹さんで、春雪さんの結婚相手。
小さい頃は物静かで、マヤのあとをくっついて歩くような、お人形のように可愛い妹だったらしい。
離婚歴は無し。
春雪さんとは社内結婚であるも、寿退社はせず。
カナミさんは今も、同じ会社で働いている。
つまり、旦那が同じ会社で働いているにも関わらず、彼女は姉であるマヤの旦那、花桐哲臣を寝取ったということになる。
春雪さんが離婚を選択しない理由は、妻の不貞が社内にバレるのを防ぐ意図も、きっとゼロではない。
そんな彼女が何故、マヤと僕のゴシップ写真を手にし、夫である春雪さんへと手渡してきたのか。
考えてもみれば、タイミングだっておかしい。
まるで今日、僕とマヤが会うのを知っていたみたいじゃないか。
有り得もしない可能性が頭の中を支配してきたので、一度スッキリさせる為にも、僕は一人、夜空を見上げた。
「じゃあ、インターフォンを押しますね」
既に暗くなった空の下、白い息を吐きながらも、春雪さんがインターフォンを押すのを見守る。
空にはオリオン座が輝いていて、冬の大三角形もくっきりと見える、とても綺麗な星空だ。
そんな空を見上げてしまったからか。
なぜか僕は、ユリカのことを、思い出してしまっていた。
「インターフォンなんか押してないで、自分の家なんだから勝手に入ってくればいいじゃない」
二階建ての一軒家、同じ様な家々が立ち並ぶ分譲住宅のひとつが、春雪さんの家だ。
飾り窓のある黒くて綺麗な玄関を開けながら、出てきた彼女は僕たちを出迎える。
第一印象は〝幼い〟だ。
ツインテールが妙に似合う童顔、背丈も小さく、スタイルも幼児体型といえよう。そんな彼女が玄関の戸を開けて、外に並び立つ僕たちの顔を眺める。
そして僕のところで、彼女の視線が止まった。
「ふぅーん」
後ろ手にしながら物珍しそうに、少しだけ笑顔を残しながら僕へと歩み寄る。
ショーケースに並ぶ新商品を見るような目で、カナミさんは僕を見続けた。いや、観察と言って良い、そんなモノの見方だ。
「ヤバ、写真と同じじゃん。本当にお姉ちゃん、てっちゃん裏切ったんだね」
口元に手を当てながら驚く。
てっちゃん。
花桐哲臣のことかな。
「先に裏切ったのは哲臣さんの方ですからね。それに、そうするように仕向けたのはカナミじゃない。私を悪人にするような言い方はしないで貰える?」
「しょうがなくない? 哲臣さんも同意だよ?」
「同意がどうとか、そういう次元の話じゃないでしょ? 貴方、未だに自分が何したのか理解してないの? 私の結婚相手を寝取るとか……姉妹なのに、どうしてこんなことをするのよ」
「またそこに戻るの? いい加減止めたら?」
「いい加減止めたらって……貴方ねぇ!」
怒鳴り上げようとするマヤの手を握りしめ、僕の方へと引き寄せる。ぽすんっと僕へと身体を預けた彼女は、そのまま僕の方へと視線を向けた。
「ゼン君……」
「ここじゃ、ご近所さんにも迷惑だろうから」
妹であり間女である。
マヤが抱く感情はもっともだ。
静かになったマヤに代わり、春雪さんが一歩前へと出る。
「カナミ、哲臣さん、今ははいないんだろ?」
「うん、お姉ちゃんと大事な話をするからって、出ていってもらったよ。多分近くのパチンコ屋だと思う。二時間は帰らないんじゃないかな?」
「そうか……では花桐さん、有堂さん、寒いでしょうから中へとお入り下さい。仰る通り、ここではご近所様の目もありますから、どうぞ」
マヤと目を合わせ、軽く頷く。
自分の家なのに、どこか他所他所しい感じに屋内へと入る春雪さんに続いて、僕たちも一緒に中へと踏み込んだ。
家の中はなんていうか。
一言で言えば汚部屋だった。
ゴミ屋敷とまではいかないものの、ペットボトルやお弁当の残りゴミ、キッチンのシンク内には洗わず放置した食器が山になっていたり、リビングには洋服が散乱していたり。
座る場所もない有り様に、僕は無意識に片付けを始めてしまった。
床に落ちていたゴミを広い集めると、春雪さんがゴミ袋を手にし、申し訳な下げに頭を下げる。
「すみません、有堂さんにこんなことをさせてしまって……カナミは昔から片付けをしない性格でして、私がこの家に住んでいた時は、私が片付けていたのですが」
気にしなくていい。
そう春雪さんに伝えるも。
「そうだよ、春ちゃんが片付けてくれないから、こんなに汚くなっちゃったんじゃん。この家は春ちゃんの家でもあるんだから、責任もってちゃんと綺麗にしていってよね」
汚部屋にした張本人が、腰に手をやり偉そうにほざく。
マヤの妹ということは、将来的に僕の妹にもなるというこか? こんな倫理観も清潔感もない人が? というか、本当にこの人マヤの妹か? 似ても似つかないにも程があるだろ。
いろいろと言いたい事が口から出てきそうだけど、とりあえず沈黙、今は片付けを優先したい。
「ゼン君、春雪さん、これ以上の片付けは家主に任せて、そろそろ本題に入りましょうか」
マヤの言う通りだ、これ以上片付けを続けていたら、それだけで二時間が終わる。
各々がリビングのカーペットの上に腰を下ろすと、カナミさんだけが文句を言った。
「えー? まだキッチンも片付けて欲しいんだけど?」
「それぐらい自分でやりなさい。それよりも、この写真は何? なんの為に春雪さんへと手渡したの?」
文句たらたらなカナミさんを無視し、マヤがテーブルへと写真を差し出す。
僕とマヤが名古屋で一緒にいたという証拠写真、差し出すと、カナミさんは写真を手にし、それをそのままマヤへと差し戻してきた。
「春ちゃんというか、お姉ちゃんに渡したかったんだよね。春ちゃんとお姉ちゃんは同居してるんだから、絶対に手渡せるじゃん?」
「……だから、その意味を」
「にっひひー、知りたい?」
八重歯を見せながらニコニコと笑っている。
この状況から分かることは、カナミさんにとって、この写真はあまり重要ではないということ。
むしろこの写真はマヤへのメッセージ。
それが意味することは、たったひとつだ。
「僕の妻であるユリカが、カナミさんへと会いに来た、ということでしょうか?」
言うと、彼女は目を細め、微笑のまま僕を見た。
「……正解」
微笑んでいるけど、目が笑っていない。
どうやら間違いのない、正答を選んだらしい。
「え? ゼン君、それ……どういう意味でしょうか?」
「難しい話じゃないよ、お姉ちゃん」
僕の代わりに、カナミさんが口を開いた。
「その人の奥さんが、てっちゃんに会いに来たってだけの話だよ」
「ユリカさんが哲臣さんに?」
「そうでしょ? 不倫相手の旦那に、ウチの旦那に手を出さないで欲しいって言いに来たってことだよ。まあ、普通の展開じゃない?」
僕の盗撮にも気づいていたユリカが、予め探偵か何かを依頼し、ホテルでの僕たちを撮影した。
いや、もしかしたら彼女本人が撮影しに来ていたのかもしれない。今のユリカならそれぐらいする、不倫をしている僕のことが、堪らなく好きなのだから。
「ゼン君……」
「可能性はあります。ユリカは僕との離婚を望んでいない。何があっても最終的には自分のところに戻ってくる、そう信じているみたいですから」
けど、僕はユリカとの離婚を望んでいる。
だから、ユリカは予防策を打ったんだ。
「あはっ、凄い人だよね。ユリカって人から直接聞いたけどさ、自分の方が先に不倫したんでしょ? それなのに旦那の不倫は許さないとか、ちょっとアタシには理解出来ないかもね」
「……それを貴方が言える資格はないでしょ?」
「そう?」
血管が浮き出そうなくらいに怒りを宿したマヤの手を、ぎゅっと握りしめる。
ひとつずつ解決していこう。
現状、ユリカの目的は判明した。
だから次、マヤの問題点だ。
「失礼ですがカナミさん、哲臣さんは確か、パチンコへと向かったのですよね?」
「……そうだけど?」
「呼び戻すことは可能でしょうか?」
提案すると、皆が僕へと視線を向けた。
「可能だけど……いいの? まだお姉ちゃんとてっちゃんは離婚してないんだよ? それに、てっちゃんには貴方のこと、まだ伝えてないからね?」
マヤは嘘が上手なのだろう。
僕との関係を明かしていないとか、どれだけの注意を払い、妹夫婦と接してきたのか。
それだけに、彼女の本気度が伺える。
マヤの想いがあれば、何も怖くはないさ。
「互いに不倫していた夫婦の場合、それは大した問題にはならない。そう、春雪さんから教わりましたので」
「……そ、分かった。じゃあ、てっちゃんに連絡入れるね」
ユリカが介入してきたんだ。
遅かれ早かれ、僕の存在は彼にバレる。
ならば、先手を打ってしまった方が良い。




