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薄氷の恋 ――不倫した妻と僕を結ぶものは、罪悪感という名の感情、ただひとつ――  作者: 書峰颯


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第16話

「不倫相手が二股していた……まぁ、別におかしなことじゃないんじゃないか? マッチングアプリ使ってたぐらいなんだから、相手が悠全一人じゃない可能性なんざ普通にあるだろ。というか」


 ふーっと、巻島は空へと煙を吐いた。


「そういう話、俺にして大丈夫なのか?」


「むしろ、巻島にしか出来ないよ」


 苦笑と共に言い放つと、彼は再度、美味しそうに煙を吸い込んだ。


 名古屋から東京へと戻った僕たちは、いつも通りの屋上の喫煙所にいる。


 痩せ型で、スーツ姿が妙に似合う天然パーマの彼を見ると、どうやら僕は安心してしまうらしい。


「だって、僕の味方、なんだろ?」


「まぁ、そうなんだけどよ」


 巻島とユリカは幼馴染の関係であるとはいえ、その距離は近いとは言い難い。

 ユリカが巻島を頼ったことは、逆に言えば他が無いからとも言える。


 思えば、最近ユリカの友達を一人も見かけない。

 多分、みんな逃げちゃったんだろうな。


「そんで?」


「ん?」


「悠全としてはどうしたいんだ? 今も変わらず、花桐さんのことが好きなんだろ?」


 マヤのことが好き。

 それは絶対に変わらないこと。


「そうだね」


 今だって鮮明に思い出せるんだ。

 ホテルで二人、愛し合っていたことを。


『有堂マヤに、してくれるんですよね?』


 恥じらいながら、僕と一緒になることを望む。

 あの日の全てが嘘だとは、到底思えない。

 

「なら、悠全がするべきことは、俺が言わなくても分かってるんじゃないのか?」


 僕がするべきこと。

 それは、マヤへと連絡を取り、写真の真意を聞くことだ。

 

 もしマヤが二股をしているのであれば、僕とその相手、どちらを彼女が選択するのか。


 きっと、僕は彼女に、僕を強要する権利がない。

 僕とマヤの関係は、どうあがいても不倫相手にしか過ぎないのだから。

 

 ダメなら潔く身を引く。 

 ただそれだけのこと。


 覚悟だけはしておこう。

 ハンカチの用意だけは、しておこうかな。


 吸い終わったタバコを灰皿に押し付ける巻島を見て、ふと、気になることを思い出した。


「そういえば、僕からも聞きたかったんだけど」


「なんだ?」


「どうして巻島がここにいるのさ? 僕は隔週だったけど、巻島は三か月間、名古屋に行きっぱなしだったんじゃなかったの?」


 聞くと、彼はポリポリと頭を掻いた。


「別に、大したことじゃねぇよ」


 出張が急遽取りやめになる。

 それは決して大したことじゃないと思うけど。




「……え、 巻島、顧客相手に怒鳴ったんですか?」


 オフィスに戻り聞いた話によると、巻島は担当になった顧客へと怒鳴りつけたらしい。


 なんでも前任者を褒めちぎる顧客だったらしく、適当に相槌を打っていれば良かったのに、巻島は前任者の全てを暴露したのだとか。


 不倫し、会社の金に手を出そうとしたバカ野郎だと。


 上層部が全力で隠そうとしたことを出先で暴露してしまったのだから、上の怒りは相当だろう。出張取りやめもやむなしと言ったところか。


 なぜ巻島が怒りを覚えたのか。

 それは、言葉にしなくても分かる。


 そんな彼だからこそ。

 僕は信用出来るし。

 頼ってしまうんだ。


(僕も、動かないとだよな)


 悩むだけで立ち止まるなんて、意味のないこと。


 マヤへと写真の真意を確認し、彼女の気持ちを僕へと打ち明けてもらう。もし、彼女が僕以外の誰かを選ぶのだとしたら、それを受け入れるしかない。


 我儘を言ったところで、僕たちの関係は不倫でしかない。世間一般で見たら、不倫なんかしない方が、当たり前なのだから。


 ……と、頭で理解はしているものの。

 やっぱり、泣いちゃうんだろうな。

 

 メッセージを送るのが、ちょっと怖いや。



 数日が経過した。

 

 結局、僕はマヤへとメッセージで真意を尋ねることが出来ていない。


 顔を見ながら直接話を聞いた方が良い……っていうのはきっと建前で、もし選ばれなかったらマヤと会えなくなるかもしれないっていう、恐怖の方が勝ったのだと思う。


 どれだけ惚れてるんだよって、内心笑える。

 別れるなんて選択、出来そうにないな。

 

 お願いだから合成写真とか、そういうのであって欲しいと願いながら、土曜日を迎えた。


「悠君、行ってらっしゃい」


「うん、行ってきます」


 あの日以降、ユリカは僕との距離を保ち続けている。何も彼女には伝えてはいないけれど、きっと僕がどこに行き誰と会うのか、分かっているのだろう。


 それどころか、恐らく今日も家には屋炭が来る。


「今日、何時まで帰って来ない方がいいとか、ある?」

 

 僕がいない時間を狙って、この家で二人は愛し合うんだ。そんなところを見たくもないし、帰宅して屋炭の何かがあるのも見たくもない。


 きちんといつも通り、僕にバレないようにしておいて欲しい。


 そう思って、先の質問をしたのだけど。


「いつ帰ってきてもいいよ。あの人とはもう別れたから」


「……別れた?」


 予想外の言葉を、ユリカは口にした。

 口元に手を当て、頬を染めながら彼女は言う。


「うん。連絡先もメッセージもやり取りも、ぜーんぶ消した。だって悠君、あの人と私がこの家にいるの、嫌でしょ? 愛する悠君の為だったら、私は何でも出来るよ」


 じゃあ、そもそも不倫なんてしないで欲しい……とは口には出さず。


 どこまでが本当でどこまでが嘘か分からないユリカの言葉に返事をすることなく、僕は玄関を開け、家を後にした。



「ゼン君、お久しぶりです」


 厚手のロングコート姿のマヤは、僕の顔を見るなり子犬のように駆け寄り、僕の前へとやってきて、もじもじとしながら僕の両手を握った。

 

「本当に、久しぶりだよね」


「はい、なんで一緒にいないんだろうって、不思議でなりません。こんなに誰かを好きになるのなんてこれまであったかなって、ちょっと思っちゃいます」


「結婚してるのに?」


「そういえば、そうですね。あは、なんでかな?」


 目をそらしながら、こてんと首をかしげる。 

 とっても可愛くて、いじらしい。

 彼女が別の人の女だということが、信じられない。

 

「マヤ」


「ゼン君」


 再会した瞬間に、僕たちの熱は一瞬で沸騰してしまうレベルなのに。ついばむように二度三度と唇を重ねた後、彼女の手を引き、駐車場へと向かった。


「あら、今回はレンタカーではないのですね」


 車を見て、即座に彼女は言った。


「ああ、うん、僕とマヤのこと、ユリカは知ってたみたいでね」


「……そうなのですか?」


「うん。ちょっと理解しがたい内容ではあるのだけれど、彼女としても僕の不倫は丁度良かったみたいでさ。まぁ、そこら辺の話もしたいから、温かい場所に行こうか」


 半信半疑のマヤだったけれど、それでも僕と一緒にいられるのは嬉しいらしく。


 車に乗り込むなりキスをせがみ、車を走らせた後はずっと僕の手を握りしめ微笑んでいる。喋りたいことが沢山あって、言葉が止まらなくて。


 お互いの何を気にするでもなく語り合い、そして笑い合う。時たま言葉が止まるとキスをして、それでまた笑いあって、また語りだす。


 恋人の時間。


 それはそのまま夫婦の時間に変わべきものだ。

 僕達は結婚し、今のように手を繋いでいたい。


 誰にも邪魔されず、ずっと。 


「あ、そういえば……」


 しばらくすると、彼女は隣でダッシュボードを開け、ゴソゴソと探り「うーん」と一人悩み始める。


「何をしているの?」


「私物を忍ばせようと思いまして」


「私物?」


「はい。ゼン君は私の大切な人ですっていうアピールをしようと思いまして。ねぇねぇゼン君、何を忍ばせたら良いと思います? リップ? ヘアゴム? 思い切って下着とか入れちゃいましょうか?」 


「ふふっ、さすがに下着は止めておいた方がいいんじゃないかな?」


「そうですか……んー、それでは、これにしておきましょうか」


 取り出したのは、小顔のマヤには少々大きめの、丸縁のサングラスだった。


「サングラス?」


「はい。眩しい時に使うものですから、助手席に座る人の必須アイテムです。奥様のも入ってるみたいですから、その横に並べておきますね」


 ダッシュボードにユリカへと宣戦布告のサングラスを置いた後、にっこりと微笑む。


 やっぱり、会って良かった。

 目の前にいる彼女が、僕を裏切っているはずがない。


 そんな安心感に包まれながら、僕は車を走らせた。


 結局、どこかの店へと入ることはせずに、途中にあったモクドナルドのドライブスルーにてポテトと飲み物を購入し、そのまま車内にて最近の出来事をマヤへと伝えた。


 誰かに聞かれて欲しい内容でもないし、ユリカが探偵を雇っている可能性もある。

 その点、車内なら会話を聞かれる心配もない。


「なんていうか……本当に、理解に苦しみますね」


 伝えると、マヤは軽く握った手を口元にあてる。


 思い悩む探偵のような仕草の後、助手席に座る彼女はスマートフォンを取り出し、華麗にスワイプしたあと僕へと画面を見せた。


「……不倫症候群?」


「オセロ症候群とも呼ばれるものらしいですけど、浮気や不倫をしたことによる背徳感でしか得られない快感を求めてしまう、一種の病気のようなものなのだと書いてあります。精神科での治療も出来るみたいです。でも、だからといって許されるものではないですよね。ゼン君と不倫をしている私が言う権利は、これっぽっちもないとは思いますけど」


 困った感じに微笑む。


 それもそうだろう、僕たちが今まさにしている行為が不倫なのだから、ユリカ一人を責めることは出来ない。


「過去の経験から相手を疑ってしまい、安心を求めてしまう行為……とも記載があります。ユリカさん、もしかしたら過去にいろいろとあったのかもしれませんね」


 ユリカの過去か。


 巻島の話だと、そこそこな嫌われものだったみたいだけど。


「ゼン君、もっと聞きたいこと、あるんじゃないんですか?」


 目の前に座るマヤが、真剣な眼差しを僕へと向ける。


 ユリカが僕の事を調べていたという事は、当然、不倫相手であるマヤの事も調べていたということ。


 言葉にしなくても伝わる辺り、さすがはマヤだなと感心する。感心して、それと同時に安心もした。


「うん、この写真なんだけど」


 やましいことが無いからこその質問。


 ユリカから貰ったマヤの写真を、彼女へと見せる。マヤが僕の知らない男の人と笑いながらどこかを歩いている、そんな写真だ。


「……やっぱり」

 

 写真を見たあと、マヤは軽く息を吐いた。

 

「ゼン君に嫌われたくないので、ちゃんと説明しますね」


「うん」


「この人は、私が今同居している、妹の旦那です」

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