第14話
「俺がユリカさんからお願いされて、お前に不倫を勧めたんだ。ああ、ただ、勘違いするなよ? 俺が彼女と関係があったのはずっと昔の話だ。お前が出会う何年も前、そういうレベルの話だよ」
情報の奔流に、頭がどうにかなりそうになる。
ユリカと巻島が繋がっていた。
そんなの、全然知らなかった。
「なんで、そんなことを」
「そんなの、たったひとつの理由しかないに決まってるだろ? 俺の行動は全部、悠全、お前の為だよ」
「僕の為って」
「いいか悠全、お前は嫁さんの不倫に気づきながらも、離婚も話し合いも出来ずにいた。あの状態のままじゃ、お前はいつの日か最悪の選択をしていた可能性が高い。自殺か殺人か、どちらにしても人生終了だ。俺はお前の同僚であり親友だからな、悠全が落ちぶれる姿なんざ見たくもなかったってことよ」
正義を振りかざし、正当性を謳う。
当然のように出てくる言葉に、我慢が出来なかった。
「全ては僕の為、そう言っていれば許されるとでも思っているのかよ!」
叫んだ途端、壁をドンッと叩かれた。
激情に身を任せて、すっかり失念していた。
ここは漫画喫茶だ、叫んではいけない。
「……また後で電話する」
「いや、今日の夜、俺がそっちに行く。野郎と長電話する趣味はないんでね」
「……分かった」
時計を見る、午後二時、まだ夕方ですらない。
動画の続きは、見る気になれなかった。
既にバレている盗撮だ、意味なんて何もない。
ユリカは僕の不倫も知っていたし、自分の不倫がバレていることも把握していた。その上で僕の前で反省を装い、僕との関係を元に戻そうとしている。
理解出来ない。
理解出来る訳ないだろ。
なんなんだよこれは。
こんな女だと知っていたら、僕は結婚なんかしなかったのに。
「……マヤ」
真っ白に染まった頭の中で、唯一信じたい人の顔が思い浮かんだ。
だけど。
マヤとの出会いまで仕組まれたものだとしたら。
……いや、さすがにそれはない。
マッチングアプリは今も存在しているし、彼女と僕が出会ったのは偶然の産物のはずなのだから。
メッセージを送りたい。
彼女の声を聞きたい。
安心したい。
「……ぐっ……」
だけど、出来ない。
何もかも信じることが出来ない。
どうすればいい。
一体何が正解なんだ。
迷い続け考え続けても、何が答えか分からない。
いや、きっと答えなんてないんだ。
こんな腐った問題に、答えなんかあってたまるか。
食欲もない、眠ることも出来ない。
頭の中で雑音が鳴り響いている。
ダメだ、こんな状態じゃダメだ。
一度、頭の中をリセットしないと。
漫画喫茶を出て、通りを眺める。
目に入ったのは、カラフルに輝くパチンコ屋だった。
「いらしゃいませー」
パチンコなんかしたことがない。
生涯、遊ぶつもりもなかった。
でも、爆音の中にいると、雑音が止まる。
無駄なことを考えずに、休むことが出来る。
(……ん?)
意図せず座った台、千円だけ使ったところで、図柄が揃った。それはそのまま止まらない大蓮チャンへと繋がり、他者の羨望の眼差しへと変わる。
(……)
何も考えずに、揃い続ける画面を眺める。
少しだけ、心が落ち着いていった。
「十三万六千円も? 千円しか使ってないのに?」
パチンコって、こんなに儲かるものなのか。
たった数時間、座っていただけなのに。
傷ついた心を神様が癒してくれた。
そう受け取ることにした。
そして、夜を迎える。
「お? なんだ、思っていた以上に落ち着いてるじゃねぇの。何か良いことでもあったのか?」
懐の余裕が、そのまま心の余裕に繋がる。
世の中お金で買えない物は沢山あると言うけれど、慰謝料という言葉の通り、金は心の潤滑油になりえるのだ。と、心の中で思う。
「別に、大したことじゃないさ」
待ち合わせ場所に向かうと、既に巻島の姿はそこにあった。駅から離れた場所にある喫煙所、相も変わらずのヘビースモーカーっぷりに、愛想笑いが思わず浮かんでしまった。
「殴られる覚悟で、足を運んだんだがな」
「それは良い心がけだ。じゃあ、歯を食いしばってもらえるかな?」
考えてもみれば、巻島という男に裏はない。
ずっと一貫して言っていたことだ。
彼は、僕の味方だと。
「なんてね、冗談だよ。別に、巻島は悪くない」
強く閉じていた目を開き、巻島は冷や汗を流しながらも、肩を上下させながら一息ついた。
「まぁ、そうだな。俺は勧めただけ、決めたのはお前だ。……なんていう正論でどうにかなる話ではないってのも理解出来る。さて、何から話そうか?」
何から聞くべきか。
一番に聞くべき事がある。
だけど、怖くて聞けない。
「巻島とユリカの関係は?」
僕の口から出てきたのは、非常にどうでもいい質問だった。
「幼馴染だな。幼稚園くらいからの付き合いだよ」
「……想像以上に長かったんだね」
「ああ、ただ、高校が違ったからな。学校が変われば縁が切れる。単なるご近所さん、その程度の話だ。再会したのも悠全の結婚式の時だからな、それまでは全然、連絡のレの字も無かったぜ? 俺もユリカさんも、再会を懐かしむ人間じゃなかったからな、悠全が気付かなくても当然さ」
思えば出張初日、ビデオ通話の時、二人に距離感が無かった気がする。近しい人が他人を装う演技だったと言われれば、確かにその通りだ。
「ユリカは、昔から今みたいな女だったの?」
続けて出た質問も、非常にどうでもいい内容だった。
「そうだな、女王様タイプだったな。仕切りたがりで自分が絶対で、例え間違っていても認めないタイプの女だったぜ?」
「なんだそれ、最悪だね」
「ははっ、まぁそう言うなよ、お前の嫁さんだぜ? ……そんなんだから友達もいなくてな、通学路が同じってだけの俺と、毎日一緒だったって訳よ。あれでいて裏では泣いたりしててさ、それなりに可愛い女だったりもしたんだけどな」
ユリカがどういう子供だったのか。
彼女の実家に行った時に、アルバムをご両親から見せてもらったことがあるけど、写真からは〝なんか大人びてる可愛い子〟という印象しか受けなかった。素質はあった、そういうことだろう。
「しかし、どうして俺が裏でユリカさんと繋がってるって分かったんだ? ユリカさんの性格だ、悠全に直接伝えたりはしないだろ?」
「ああ、直接は言われてない。多分、僕が行動したから、彼女も伝えてきたんだと思う」
「行動?」
巻島からタバコを一本貰うと、それを口に咥えた。火を点けてもらい、煙を吸い込み、吐き出す。
「盗撮、したんだよね」
「盗撮?」
「うん、自宅に仕掛けたから監視カメラって言うべきかな。僕が出張して家に誰もいなくなれば、ユリカは不倫相手を家に呼ぶだろう、そう思って仕掛けたんだ」
「……それで、成果は?」
タバコを吸い、煙を吐く。
頭の中が妙にクリアになる。
言葉が上手にまとまっていく。
「成功したよ、ユリカは家に不倫相手を呼んだ。相手は僕たちの予想通り、ウチの会社でやらかした屋炭って男だったよ。巻島が知らないってことは、高校時代の知り合いだったんだろうね」
「そっか、アイツ、監視カメラに気付かなかったのか。なんかちょっと、意外だな」
「いや、気づいてたよ?」
「……ん?」
「気づいた上で、屋炭を家に呼んだんだ。自分の性癖、罪悪感と背徳感を味わいながら他の男に抱かれたい。恋愛が好きなんだろうね、ユリカは一生、誰かと恋愛の駆け引きをし続けたいんだと思うよ」
「……気づいてたっていう、根拠は?」
「途中からカメラ目線だった」
「ああ、なるほど……昔から思ってはいたが、本当にバカな女だな」
巻島が吐いた煙が、星の無い夜空へと消えた。
幼稚園からの付き合い。
だけど巻島とユリカは、恋人にはならなかった。
二人の関係を言葉にするには、きっとそれだけで充分なんだと思う。
互いに恋愛感情のない男女関係、友情と言える何かだけが、二人の間にはきっとあるんだ。
タバコの先端を赤く燃やした後、僕も真っ白な煙を空へと吐いた。
タバコって、メンタルでこんがらがった思考回路を、クリアにする効果とかがあるのかもしれない。
喫煙所でいろいろな話題が出てしまうのは、タバコによって脳が刺激され、言えなかった言葉が出やすくなり、それを口にしてしまうから。
なるほどな……と、自分の中で納得する。
そして、言えなかった質問を口にした。
「巻島」
「ん?」
「マヤと巻島は、どんな関係なの?」
マヤと巻島の関係。
マッチングアプリを介しての出会いなのだから、そこに巻島が絡むはずがない。
絡めるとしたら、マッチングアプリの運営と繋がりがあり、僕とマヤさんを意図的に出会わせるという、なんとも労力だけが掛かりそうな、とてつもなく無駄な作業に奔していたということになる。
「さすがに、何もないぜ?」
「……まぁ、そうだよね」
当然の答えを聞き、僕はもう一度、タバコを吸い込む。
クリアになった頭に思い浮かんだのは。
一番会いたい、マヤの笑顔だった。




