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05 真相(1)

 区役所に併設されているカフェで、ミツルは一人座っていた。

 頭を抱え何度もため息をついた。戸籍を取り寄せられると知ったとき、ミツルはもしかしたら母と会えるかもしれないという、ほのかな思いすらあった。

 それは最悪な形で打ち砕かれたといっていい。

 関係者はあと一人となった。残されたのは、名前もわからない母の不倫相手だけだ。週刊誌には上司のA氏としか書かれていなかったし、その会社すらわからない。

 かといって、法務局へ行って死亡診断書を手に入れられたとしてどうなるというのか。母の死因がわかったところで手詰まりになるだけではないのか。


「それでも、行かないよりはマシか……」


 ミツルはひとりごち、取得したばかりの戸籍を荷物にしまおうとして、手を止めた。

 取り出したクリアファイルには、国会図書館で複写した事件の記事が入っていた。

 出版社! ミツルは心中で叫んでいた。新聞社は難しいかもしれないが、週刊誌ならどうだろうか。発行元もライターの名前もわかる。ミツルはすぐさまカフェを飛び出した。


 ミツルは一番近い出版社を選んだ。着いたのは昼前のことだった。『週刊スキャンダル』を刊行している寄居(よりい)出版社は、東京駅から電車で二駅、出版社や古書店が立ち並ぶ街の一角にあった。小さな雑居ビルの三階。細いコンクリートの外階段を登った先には、磨りガラスの嵌められたアルミサッシのドアがあり、『寄居出版社』と掠れた文字で書かれていた。

 いまとなっては珍しいボタンだけの小型のインターホンを押すと、ブーッと室内に音が響いた。ややあって、ドアが内側に開いた。

 出てきたのは年配の女性だった。五〇は過ぎているだろうか。痩せぎすとした女性はミツルを見て、あからさまに訝しんだ。


「どちら様ですか?」


 ミツルは準備してきた台詞を告げた。


「朝霞といいます。こちらに寄居アキトさんて記者の方がいらっしゃいますよね?」


 女性はその場で振り向き、奥へ声をかけた。


「社長! 社長宛に若いお客さんですけれど!」


 細さに似合わぬ大声に、ミツルは少々面食らった。


「客? 知らねえぞ俺は」


 低い声がして、ドアから視界を遮るように立てられたパーテーションの奥から、アロハシャツを着た男が現れる。無精髭と寝癖の目立つ中年の男。ミツルはこの男が寄居なのだと理解した。


「朝霞ミツルといいます。一〇年前に寄居さんが記事に書かれた、朝霞ミナコの息子です」


 これも用意してきた台詞だ。寄居もまた訝しんだ顔でミツルの顔を凝視した。


「アサカミナコぉ? んー? ……あぁ」


 寄居の顔と雰囲気がにわかに変わった。鋭い、真剣な視線がミツルに向く。


「何しに来た?」


 威圧されている、とミツルは感じた。ぞくりと背中が粟だった。

 しかしここで引くわけにはいかない。ミツルは、自分を確かめるように拳を握る。


「何があったのか知りたくて」


 寄居はその場で値踏みするようにミツルを見てから、「入りな」と短く告げ、奥へ下がる。女性にスリッパを促され、ミツルは靴を脱いで中に入った。


 雑然とした室内には、デスクが三つと丸テーブルが一つ。


「リモート時代ってやつでよ。ここには俺と川口の二人しかいないんだわ。まあ、座れや」


 勧められるままミツルは、丸テーブルを囲むパイプ椅子のひとつに腰をおろした。


「あの、それでーー」


 話を切り出そうとすると、寄居の視線がミツルを射抜いた。言葉が止まる。


「まずはお前の事情を話せ。そのあと考えてやる」


 静かにそう告げられて、ミツルは息を呑んだ。寄居はミツルが今まで会ったことのない人種だった。そこに居るだけで、見られているだけで背中が冷えた。

 ミツルは身をこわばらせたまま、一〇年前から今日までのことをとめどなく話した。緊張のあまり、ミツル自身、途中から何を話しているのかわからなくなってきたくらいだが、向かい合う寄居はただ黙って、ミツルを見据えたまま話を聞いていた。

 たどたどしく、二〇分は話しただろうか。ミツルが口を閉じると、寄居は「わかった」とだけ答えて席を立った。

 寄居の視線から解放されたミツルは、崩れるようにパイプ椅子に背中を預けた。暑さの汗か冷や汗か、背中がじっとりと濡れていた。ミツルが大きく息を吐くと、女性--川口がグラスをミツルの前に置いた。氷の入った麦茶を見て、ミツルは思わず手を伸ばし、飲み干した。


「あ……。ごちそうさま、です」


 礼も言わずに飲んでしまったのに気がつき、ミツルはバツが悪そうに肩をすぼめた。川口はそれを見て少し微笑むと「構いませんよ、おかわり注ぎますね」とグラスを持って下がった。

 入れ替わるように寄居が戻ってきた。手には分厚いファイルが一冊。タイトルはミツルからは見えなかった。


「本当に知りたいんだな?」


 ミツルを見下ろし、寄居は一層低い声を出した。初めて聞く、本物のドスの効いた声。ミツルは息を詰まらせたが、首だけは縦に振られていた。


「そうか」


 寄居はどかりと腰を下ろした。


「一〇年前の七月二十五日、朝霞タカシは遠海駅のホームで、大島行きの急行電車に飛び込んだ。付近には人の姿もなく、通常ならすぐに自殺で処理される内容だ」


 寄居はファイルをめくりながら話し始めた。


「だけどな、その日の午前中に匿名のタレコミがあったんだよ。遠海署の記者クラブに。『朝霞タカシは妻に殺された』ってな」


「え!?」


 そんなことはどのメディアにも書かれていなかった。ミツルは目を見開いた。


「で、警察も捜査をはじめたんだよ。そしたら司法解剖で大量のアルコールと睡眠薬の成分も検出されたわけだ。事故当時、朝霞タカシは極度の酩酊状態だった。そんな状態の朝霞タカシが、一人で遠海駅にいたのは不自然だって話になった。ただ朝霞タカシの家から遠海駅は電車で三十分以上かかるし、ミナコは免許を持っていない。早朝からタクシーを使えばすぐにわかっちまう。ミナコが自宅にいればそこで話は終わっていたんだがな」


 寄居はチラリとミツルを見た。


「いたんだよ。遠海駅の近くに。それで不倫がバレちまった。ミナコと不倫相手は遠海駅近くのホテルをいつも使ってたんだよ。さらに、検出された睡眠薬はミナコが病院で処方されたものと一致した。そうなると俄然、ミナコが夫を殺したっていう話に信憑性が出てきたわけだ」


 ミツルは口の中が渇いたような気がして、唾を飲んだ。


「でも、自殺、だったんですよね」


 警察では確かにそう聞いた。寄居もうなずいた。


「ああ。自殺で結論づけられたよ。ホテルの監視カメラな。ミナコも不倫相手も一晩中、部屋を出た形跡はなかったんだよ。映っていたのは五時半頃にホテルを出たときだけ。ようは不可能ってことだ。まあ、朝霞タカシがどうやって遠海駅まできたのかもよくわかってないんだけどな。結局、状況から考えて自殺ってことになった。動機は妻の不倫。かなり嫉妬深い性格だったという証言もあったしな」


「誰かに、依頼したとか、そういうのはないんでしょうか……」


 ミツルが言うと、寄居は顔をしかめた。


「お前さん、自分でなに言ってるかわかってんのか? 自分の母親が父親の殺しを誰かに依頼したってか。ドラマの見過ぎだ。そんなヤバい仕事、いくら金がかかると思ってんだ。朝霞ミナコにはそんな金もないし、度胸もねえよ。ともあれ、これで朝霞タカシの事件は終わりだ」

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