02 朝霞ミツル
朝霞ミツルは今年一九になる。
彼にとって人生とは、薄暗く狭い部屋のようなものだった。
朝霞ミツルの父親--朝霞タカシは、この遠海駅で死んだ。
一〇年前の七月二十五日、朝五時過ぎ。通過する急行列車に轢かれたのだ。
まだ八歳だったミツルは当時のことをほとんど覚えていない。父の葬式の後、わけもわからぬまま、父方の祖父母に引き取られ、以降の一〇年を田舎で過ごした。母とはそのときから会っていない。
ミツルの田舎は閉鎖的なところだった。ミツルは腫れ物のように扱われていた。ミツルを遠巻きにしてあちらこちらから断片的な会話が聞こえてくる。「かわいそう」「こわい」「いなくなった」。なんのことやらと思っていたが、事件のことを知ったとき、おぼろげながらそれらを理解した。
中学生になったミツルは、祖父母からスマホを買い与えられた。周りの子達も持っているしと、特に警戒もせずに渡したのだろうと思う。ミツルはインターネットで、父の事を調べた。
一見すると、朝霞タカシの死は、よくある飛び込みの人身事故だった。しかし検死の結果、体内から大量のアルコールと睡眠薬の成分が検出され、一転して事件の可能性が出た。
その後、睡眠薬の成分が妻のミナコに処方されているものと一致し、さらにはミナコの不倫が発覚する。痴情のもつれやら、保険金目当ての計画的な殺人やらとさまざまな憶測がネットで飛び交い、一部のメディアも流れに乗った。
あれこれと言われたにも関わらず、この事件は自殺ということになったようだった。ミツルはそんな記事を見つけ、調べるのを止めた。
事件のことを知ったところで、ミツルを取り巻く環境が変わるわけでもない。
結局一〇年間、ミツルが田舎に受け入れられることはなかった。祖父母すら、関わることを最小限にしていたくらいだ。ミツル自身、閉鎖的な社会に溶け込むつもりも、受け入れてもらうつもりもなかったから、その点において不幸を思うことは一度もなかった。
大学進学を機にミツルは上京を決めた。
読書と勉強くらいしかやることが無かったミツルは、国内屈指の難関といわれる国立大学にストレートで合格し、上京する。
しかし、そもそもやりたいことがあったわけでもない。一〇年も孤立した生活を送っていたミツルのキャンパスライフは、やはり明るいとはいえなかった。
あっという間に三ヶ月が過ぎた。大学とバイト先と自宅を行き来する毎日。退屈な繰り返しを続けていたミツルの運命が動いたのは、七月七日のことだった。
経営学の課題で、古い雑誌の記事が必要になった。別にその記事でなくとも課題自体はクリアできる。しかしミツルのなかで、それは及第点であり満点ではなかった。
ミツルが向かったのは永田町、国立国会図書館だった。
お目当ての雑誌はすぐに見つかり、閲覧室で読んだ後、何ページか複写を頼んだ。待つ間、館内をぶらつこうと案内をみたときだ。ある一点にミツルの目が止まった。
「新聞資料室……」
命日が近かったからだろうか。ミツルは父親のことを思い出した。
時間潰しくらいの気分で、ミツルは当時の新聞記事を閲覧してみることにした。
後から思えば、それは開けてはならない箱の蓋に、指をかけた瞬間だったのかもしれない。
平成二十五年七月二十五日の新聞を探す。
朝刊は大手電機メーカーJETの新商品発表会に関する記事が大きく取り上げられている。地域面は前日行われた新大島花火大会の記事。事故は二十五日の早朝。載っていなくて当たり前だ。最初の記事は当日の夕刊だった。
一面は『大手電機メーカーJETの合併ならず』。事故の記事は地域面の下の方に小さく書かれていた。
『東部臨海線遠海駅で電車にはねられ、男性が死亡
二十五日午前五時二〇分ごろ、臨海区の東部臨海線遠海駅で、会社員男性 (三十五)が大海行き急行電車にはねられ、間もなく死亡した。東湾岸署が事故原因などを調べている。
国営臨海鉄道によると、新大海─大海間で最大二時間四十三分遅れ、上下線計三十二本を運休、約三万五千人に影響した。』
ミツルは指が震えた。
小さな記事のなかで、名も無き会社員として父が死んでいた。正直なところ両親のことはほとんど覚えていなかった。八歳といえばもう記憶もしっかりしてきている頃だが、共働きだったからだろうか。家族三人が揃っている記憶は数えられるほど少ない。祖父母の家に両親の写真はなかったから、思い出どころか顔すらぼんやりとし始めている。
それが何故だろうか。ミツルはいまこの瞬間、父の死というものを自らの意志で心に刻み込んだように感じた。
自覚した途端、導かれるようにミツルは関連記事を漁った。新聞から、週刊誌から、気になる記事は複写に出した。記事はさまざまだった。あれやこれやと憶測混じりに書かれていたが、一貫して共通していたことがある。
『朝霞タカシさんが自殺した動機は不明』
それはきっかけだった。幽鬼のように虚ろだったミツルの目に、強い光が生まれた。
このときミツルは、父の死の真相を調べようと心に決めた。