前編 耀大
本当は嫌なのに、大陸に引っ張られて動画配信の撮影をしている耀大視点からの話です。
耀大
「なぁ、なんか雰囲気やばくねえか?」
動画サイトにUPするためにカメラを回しながら大陸を見る。
「今まで行ったことのある心霊スポットとひと味もふた味も違う感じがするな」
大陸はワクワクした顔で懐中電灯の光をあちらこちらへと動かす。
その光の後に何かが蠢いているように感じられて俺は逃げ帰りたくて仕方なかった。
「耀大!ビビってないでしっかり撮影しろってっ!」
「そういう大陸も懐中電灯をあんまり動かすなよ!闇しか映らないだろう!!」
「あー悪い悪い」
悪いとも思っていない大陸は注意した後も懐中電灯の光が乱雑に動く。
カメラのライトでは撮影の為の光量が足りない。
「大陸、お前、もしかして怖いんじゃないか?」
「な、何を言ってるんだ!怖くなんかないぞ!!・・・でもなんか嫌な感じがするよな?」
大陸が怖がっていると知って俺は安心した。
「そうだな」
今までの心霊スポットで大陸が持つ懐中電灯がこんなに揺れたことはなかった。
大陸はちょっと感の鋭いところがあるから、なにかに反応して懐中電灯を動かしているのかもしれない。
背後からヒュォーーと風が通り抜ける音がして俺たちをビビらせる。
ここは10年ほど前に廃墟になった山奥にある結核のサナトリウムだった。
今の御時世に結核?と思われるかもしれないが、患者数は意外と多く、年間2000人弱が亡くなっている。とちょっと検索したら出てきた。
長期療養が必要な患者を預かる施設だったが、設備の劣化や、立地条件など色んな要素が含まれて閉鎖された。
それから暫くは暴走族のたまり場になっていたらしいのだが、あらぬ方向から物音がしたとか、すすり泣く声がするという話が出始め、暴走族も寄り付かなくなった。
その噂が広まって一時期、大量の心霊オタクがこぞってこの場所に足を踏み入れた。詳しい書き込みがあまりなく、情報を探っても当たり障りのない、物音がしたとか、話し声が聞こえる等しか出てこなかった。
けれど、不思議なほど一部には人気があり、とても有名な心霊スポットとなった。
「大陸、本当にここで蝋燭立てて怪談するつもりなのか?」
「持ちネタ用意してきてるんだからするさ!」
「ここではやめたほうがいいんじゃないか?」
「耀大はビビリだな!」
そういうお前もビビってるだろうと言うと、大陸の機嫌が悪くなるので俺は黙った。
自分達が踏む砂利の音と、風の音だけが聞こえ、心做しか気温が下がったように思う。
「なぁ、寒くないか?」
真夏だというのに、大陸の吐く息が白くなっている。
「お前の息、白くなってるぞ」
ゾワゾワと鳥肌が立つ二の腕を擦る。
「ばか、カメラが揺れるだろ!!」
「でも、寒いよ」
「そうだな。気温が下がるって事はなにか起こるんじゃないか?ありがちだろ?」
やけに嬉しそうな大陸の顔に腹立たしいものを感じる。ここに来てからずっと大陸に腹を立てている気がする。苛立ちをなるべく表に出さないように気をつける。
「もう帰ろうよ・・・」
情けない声が出てしまったが、今はそれよりも本気で帰りたかった。
一歩進む毎に気温が一度下がるような感覚で、今はもう真冬並に寒い。
蚊に食われないために長袖長ズボンを穿いているけれど、それでも寒さに耐えられず、ガタガタ体が震えだす。
シーンとした静かさと闇、俺たちの踏みしめる砂利の音だけが響く。
左前方からジャリッと誰かが砂利を踏みしめた音がしてカラーン・・・コツン・コツンと人差し指くらいの大きさの石が排水管に当たり、地面に転がったと想像できる音が鳴った。
大陸の持つ懐中電灯はその方向を揺らぐこと無く照らしていて、俺も体とカメラがそちらを向いていた。
「今の音!」
「シッ!」
今度は右側からカラッ、コロッっと小石が転がる音がする。
そしてジャリ、ジャリと砂利を踏みしめる音。
だれかいる?
ジャリ、ジャリという音が近づいてくる。
「大陸!逃げるよっ!」
俺の言葉にハッとした大陸が走り出そうとしたがす、俺が慌てて腕を掴んで止めた。
「なにすんだ!」
今逃げようとした出口の方からもジャリ、ジャリとこちらに向かって来る音が聞こえ始める。
ほんの数歩先まで砂利を踏みしめた音が近付いている。
「なんか臭くないか?」
「溝の腐った匂い・・・?」
俺は大陸の手を絶対離すものかと握りしめ、次に起こることに身構える。
背後から溝の匂いが吹きかけられた気がして、身を縮こませていたら、男の低く聞き取りにくい濁った声が大陸と俺の間から聞こえた。
『なに・か・よう・か・・・?』
今まで掴んでいた筈の大陸は、叫び声を上げて走って逃げていってしまった。
振り返っても誰もいない。
なのに人の荒い息遣いが右耳に直接吹きかけられるように聞こえてくる。
俺は独り取り残されたまま、動けない。
足が固まってしまったように動かせない。恐怖で声も出ない。大陸を呼びたくて口を開けるが、喉からは震えしか出なかった。
溝の臭いはどんどんきつくなっていく。
カメラと自身の体を匂いのきつい方角に向けた。
頼れるものはカメラ用の小さな明かりだけだった。
カメラのライトがプツ、プツと数度瞬きをして、完全に落ちて闇になった。
月明かりも届かない真の闇にただ怯えるしか出来ない。
一歩も動けない。
恐怖に声も出ない。
耳元でハァハァと荒い息が聞こえる。
振り返るが誰もいない。
『そんなに・・・こわいか・・・?』
さっきとはまた違う地の底を這うような男の声が聞こえ、パニックを起こす。
俺は声にならない叫び声を上げ、その場に腰を抜かした。
溝の臭いはもう俺から発している、そんな気さえするほど強く臭う。
砂利を踏みしめる音が何十にも聞こえ、俺に近づいてくる。
ジャリッ ジャリ ジャリッ
また耳元で息遣いが聞こえる。
何か言われると身構える。
『かえれ・・・』
『くるな・・・』
耳をふさぐがその声は小さくならない。
『かえって・・・』
女の声が混ざった。
『でていけ・・・』
『ここは、わたしたちのばしょだっ!!」
バンッっと鉄の扉が閉まるような大きな音がして床にへたり込んだまま俺は飛び上がる。
その場から動けず、俺はただ震えるしかない。
大人程の大きさの石がゴロゴロ転がる音もどこからか聞こえる。
溝の臭いが部屋中に立ち込め、寒くて仕方ない。
「耀大っ!!」
出口から大陸の声がして懐中電灯の明かりが部屋を照らす。
大陸の叫び声が聞こえる。
俺は声も出ないほど怯えていた。
懐中電灯が照らすそこには、何十という数の人の姿が映し出された。
明かりが揺れる度に別の誰かがいる。
カメラのライトが付き、映し出された人が消えていく。
ドブの臭いが遠のき、冷気が引いていく。
それでも吐く息は白く、鳥肌は立ったままだ。
動かない足を叱咤してなんとか大陸の方へ一歩を踏み出す。
大陸が俺の腕を掴み、引っ張られ、建物から出ることが出来た。
車の中も気温が低くい。
寒くて仕方ない。
「この辺一帯駄目なのか?」
「エンジン掛かれ!!掛かれってば!!」
何度もセルを回してもキィーキルキルキルと空回りする音しかしない。
俺はカメラを建物に向けて回し続ける。
車の気温が上がり始め、車のエンジンが掛かった。
大陸は方向転換して急発進した。
「大陸!事故を起こしたら目も当てられない。ゆっくり走れ!」
「わ、分かってるよっ!」
少しスピードが緩まり、安心して乗っていられる速度になり、体の力を抜いてシートに背を預けた。
少し心の落ち着きを取り戻した俺は大陸に文句を言う。
「大陸、俺を置いていった・・・」
「すまん・・・付いてきてると思ったんだ」
やっと言葉を交わし気を抜いた途端、また冷気が車内を満たし始める。
「なんで?!」
俺は大陸の横顔を見つめた。
車のエンジンが何の予告もなく切れた。
ドブの臭いが車内に立ち籠める。
大陸はハンドルを両手で握りしめ、ブレーキは踏まずに惰走で山道を下っていく。
俺が背後を振り返ると、リアウインドウに何十もの手形が付いていて景色は何も見えなかった。
溝臭さが薄れ始め、気温が上がってくる。
ホッと息を吐いた瞬間、大陸のハンドルを持つ手に力が入り、ブレーキを強く踏んだ。
体が前のめりになり、シートにぶつかるように背後へ引っ張られる。
車が止まり、大陸の息を吐く音が聞こえる。
「なに?」
「ハンドル操作を出来なくされた・・・」
「まじ?」
青い顔をした大陸は首肯いた。
車内は夏の蒸し蒸しした気温が戻っていたが、大陸の腕には鳥肌が立ったままだった。
セルを回すとあっさりとエンジンが掛かり、俺たちは下山した。
暫く走るとコンビニの明かりが見えて、常識が通用する世界に戻ってきたんだと安心できた。
駐車場に二台のスペースをとって斜めに止まっていても気にならず、俺達は車から飛び降りてコンビニでトイレを借り、珈琲と小さな弁当を買った。
誰だったか、怪談会や心霊スポットに行った後はまっすぐ家に帰らず、どこかに立ち寄って飲食した方がいいと言っていた。
常識と乖離した世界から抜け出したくて、藁にも縋るような気分だった。
大陸も同じように弁当を買い、イートインで二人、黙々と食べた。
イートインの大きなガラスから斜めに止まった大陸の車が見える。
そこにはリアウインドウだけではなく、車体のあらゆる所に手形が付いていた。
後編 大陸
お楽しみ下さい。