婚約破棄の指南役 ~追放された公爵令嬢の復活劇~
王城の一室。
ここでは日夜、婚約破棄に向けての訓練が行われていた。
「リリア・ガロッシュ! 貴女との婚約を破棄させてもらう!」
厳しい顔付きで婚約破棄を告げるのは、金髪碧眼で美形の第2王子ヘンリー・ガンダイルだ。
18歳となり王太子に選ばれたヘンリーは、リリア・ガロッシュ公爵令嬢との挙式が予定されている。
「いけませんわねヘンリー殿下。その程度の胆力では、あのリリア様は怯みませんわ」
金髪美人で18歳のアンジェリカは、小さく首を振った。
「今のでも駄目なのか……」
アンジェリカは、ヘンリーに婚約破棄の手ほどきを行っている最中だ。そんな2人は幼馴染であり気安い関係でもあった。
「少し厳し過ぎないかアンジェリカ?」
「いいえ全く。これでもかなり甘く採点しておりますわ」
婚約破棄の訓練が始まって、既に4日が経っている。
『浮気した婚約者が許せない』
『強引に結ばれた婚約を破棄したい』
そういった切実な願いを叶える為に、国内には婚約破棄の指南役が少数ながら存在している。その内の一人が、元公爵令嬢のアンジェリカだ。
アンジェリカがこの道に進んだのは、15歳の時に第1王子から婚約を破棄された事に起因する。
謂れなき罪で公爵家からも除籍されたアンジェリカは、一念発起して婚約破棄の指南役を目指す事にした。そしてサポート経験を積み、凄腕の指南役にまで上り詰めたのだ。
今では独り立ちして、自身の経験を元に「意に沿わぬ婚約など積極的に破棄すべし」との理念を掲げて活動している。
「ヘンリー殿下。つけ入る隙を見せたらやられますわ。リリア様の小賢しさは、わたくしを上回るとお考え下さい」
「アンジェリカよりも小賢しいだと? そんな女など本当に存在するのか?」
「……」
ヘンリーの発言にピキッとするが、淑女の仮面は剥がれない。
「リリア様は狡猾なのです。どうぞお忘れなきよう」
アンジェリカの元婚約者は第1王子だった。一方で、リリアの婚約者は目の前にいる第2王子のヘンリーだ。そういった関係上、アンジェリカはリリアから何かとライバル視されていた。
自分にも他人にも厳しいアンジェリカは、なにかと人の不興を買いやすい。3年前は、そこを上手くリリアに利用される形で貶められている。
切っ掛けは、第1王子と義妹の距離が近過ぎる事を、厳しく咎めた事だった。それを好機と見たリリアは、アンジェリカを貶める計画を義妹に持ち掛けたのだ。
学園では「アンジェリカが義妹に暴力を振るっている」との投書が複数寄せられ、家族も義妹の言い分だけを信じてアンジェリカを責めた。
物的証拠も捏造されており、アンジェリカが不利になる証拠しか出てこなかった。全てにおいて、リリアは抜け目がなかったという事だ。
そういった経緯で「アンジェリカは王太子妃に相応しくない」とされ、婚約を破棄されている。
「甘い相手ではありませんのよ。気を引き締めてくださいな」
「心に留めておくよ」
ヘンリーは一度大きく伸びをする。
「話は変わるが、あれから君の家族がどうなったのか知りたくないか?」
「多少は気になりますわね」
紅茶を飲みながら優雅に答える。アンジェリカの生家であるフェライト公爵家は、3年前に取り潰しとなっていた。
「公爵と後妻は小作人になっている。義妹は北の修道院で過ごしているようだ」
「そうですか。義妹の末路は知っておりましたが、両親は小作人になっていたのですね」
「驚かないのだな?」
「ええ。そういう結果になるように仕向けたのは、このわたくしですもの」
「なるほど。3年前の騒動には、君が関わっていたのか……」
「お父様の不正を公にしただけですけどね」
才女であったアンジェリカは、公爵家の運営にも携わっていた。だからこそ、巧妙に隠された公爵の不正を見つける事が出来たのだ。
「お父様が犯した不正の証拠を匿名でバラ撒けば、必ず国が動きますもの。公爵家に捜査の手が入れば、わたくしが『不正に貶められて婚約を破棄された証拠も』義妹の部屋からついでに出てきますわ」
その結果、狙い通りにアンジェリカの無実は証明され、不正を行っていた公爵家は取り潰しとなった。ちなみに第1王子と義妹の間で結ばれていた新たな婚約は、公爵家の消滅と同時に無効となっている。
「公爵家に引導を渡したのが実の娘だったとは。皮肉なものだな」
「ええ。ですがそれこそがリリア様の筋書きだったと気付いた時、わたくしはどうしようもなく恐ろしくなってしまいましたけど」
アンジェリカは遠い目で窓の外を見る。
「フェライト公爵家が取り潰されては、第1王子殿下の失脚は免れませんもの」
そう言って溜息を吐く。
「わたくしはリリア様に踊らされたのです」
リリアの狙いは、第1王子の後ろ盾である公爵家を潰し、自身の婚約者である第2王子ヘンリーを王太子に据える事だった。そしてその目論見は完全に成功している。
「残念ながら、わたくしの完敗です」
当時は数多の人間が、リリアの思惑通りに動かされた事になる。
「捏造に関わった証拠を義妹が処分出来ない事も、お父様が不正を働いていた事も、貶められたわたくしがどう動くのかも、リリア様は全て分かっておられたという事です。まるで人の心を、完全に把握しているようではありませんか」
ヘンリーは背筋が冷たくなるのを感じた。リリアは夜会や茶会で精力的に情報収集を行っている。そうして得られた情報や本人との直接対話を元に、相手の性格や様々な行動心理を読んでいたという事だ。
「全てがリリア様の手のひらの上だったのでしょうね。驚嘆に値しますわ」
「しかし最近、完璧だったはずのリリアにも綻びが目立ち始めた。だから君をここに呼んだのだが」
「ええ。存じておりますわ」
アンジェリカは紅茶を一口飲んだ。
「今日も王家の影から、リリアについて色々と報告を受けているんだ。王太子妃になるまで本性を隠し通せば良かったものを、気が緩んでいるのだろうな」
「他に王太子妃になれそうな御令嬢がおりませんもの。ライバル不在で増長しているのでしょうね」
「だが私は、婚約者に舐められたままで引き下がるような甘い男ではない」
ヘンリーはニヤリと笑った。
最近では、リリアの本性が露骨に現れていた。弱い立場の令嬢達に暴力を振るう事もあれば、年頃の令息達を誘惑したりもしている。
「リリアは王族になるべきじゃない」
「そうですわね。今でさえ、誰もリリア様の行動を咎められないのですから」
アンジェリカの生家が取り潰しとなった現在、残る公爵家はリリアの生家であるガロッシュ公爵家だけだ。予定通りにリリアが王妃となれば、いずれこの国はガロッシュ公爵家が牛耳る事となるだろう。
「仮にリリアの問題行動が表沙汰になろうと、ビクともしないのだろうな」
「ええ。唯一の公爵家となったガロッシュ公爵家は、絶大な影響力を持っていますもの。余程の事がない限り『もう波乱はない』と、思っていらっしゃるのでしょうね。だからこそ、リリア様を驚かせてあげられると思いますけど。ふふふっ」
アンジェリカは既に布石を打っている。
「楽しそうだな。そろそろ私にも、君の計画を聞かせてくれないか?」
アンジェリカはニコリと笑って、ソーサーにカップを置いた。
「ヘンリー殿下。リリア様との挙式は、王国北部の大聖堂で行うのでしょう?」
「ああ。王族の慣例だからな」
「ヘンリー殿下とリリア様の挙式当日は、軽犯罪者達への恩赦が行われます。つまり北の修道院にいる義妹も、即日自由の身となりますわ」
「それがどうしたと言うのだ?」
「義妹は制限なく動けますのよ? 挙式を潰そうと考えて、必ずヘンリー殿下の目の前に現れますわ。そうなる事を見越して、わたくしは大聖堂に近い北の修道院に、義妹を収容させたのですから」
「馬鹿な……王族の婚姻を妨害するというのか?」
恩赦を受けた直後に罪を犯すなど、ヘンリーには信じられなかった。
「本当に有り得る話なのか?」
「わたくしは平民として生きる幸せを知っておりますが、義妹は平民として生きる幸せを知りません」
ゆえにアンジェリカは義妹の思考が読める。
「貴族の身分が二度と手に入らない義妹は、修道院から出て真っ先に何を望むと思いますか?」
「難しいな。しばらくは何をするにも身が入らないはずだからな」
「いいえ。むしろ挙式当日こそ、義妹は精力的に動きます。リリア様を不幸の道連れにしたいはずですから」
「君ではなく、リリアを道連れにしようとするのか?」
「ええ。だって義妹から見たわたくしは、既に不幸な平民ですもの」
ヘンリーは唸った。
「修道院から解放されて自由となれば、普通は前向きに生きようとするのではないか?」
「それは義妹には当てはまりませんわ。自分より幸せな者を、奈落の底に突き落とす事に快感を覚える子ですもの」
挙式当日に向けて、着々と準備は整っていく。
△
王国北部にある大聖堂には、王太子の婚姻を一目見ようと大勢の国民が詰め掛けていた。アンジェリカもその中に紛れている。
(いましたわねアマンダ)
アンジェリカが予想した通り、参列者達の中には義妹の姿がある。
やがて大聖堂の前で王家の馬車が止まると、待機していた兵士達が整列して馬車のドアを開けた。
(さあ、始めましょうかリリア様)
ヘンリーに続いてリリアが馬車から降りてくると、義妹が勢いよく飛び出して叫ぶ。
「その女は王太子妃に相応しくありません!」
「何奴だ!?」
場が騒然となり、兵士達が義妹を一斉に取り押さえた。義妹は大声で喚くが、兵士達は力を緩めたりはしない。
「煩いわね。牢にでも入れておきなさい」
リリアは扇を口に当てて悠然と答える。
「まあ待てリリア。今日は神から祝福される日だ。大目に見てやれ。モノ申したい者がいるのであれば、言わせてやればいいじゃないか」
「何を仰いますのヘンリー様? 虚言を聞く必要があります?」
「そこの娘を改心させてやれば、私達の婚姻を祝福する者が1人増えるではないか。門出の日の出来事として、私達の良き思い出となるだろう」
(なかなかの演技力ね)
特訓の成果だ。当初とは異なり、ヘンリーにはぎこちなさが無い。
「娘よ。お前の名は?」
「私は、今は無きフェライト公爵家が次女、アマンダでございます。王太子殿下」
義妹はカーテシーを披露する。
「ほう。誰かと思ったらアマンダ嬢か。随分と様相が変わったな」
これも演技だ。以前の美貌は見る影もないが、ヘンリーはしっかりと義妹の顔を覚えている。
「あまり時間がないのでな。言いたい事があるなら手短に話せ」
「ありがとうございます。畏れながら王太子殿下。私はリリア・ガロッシュの被害者なのです」
「何?」
「第1王子殿下と義姉の婚約破棄時に、私はリリア・ガロッシュから偽証を強要されておりました」
義妹はキッとリリアの顔を見据え、
「その女は王家転覆を目論む悪女ですわ!」
言い切った。
(貴女も率先して私を貶めようとしていましたけどね。リリア様を悪女だと言うのなら、貴女も悪女だと思いますわ)
アンジェリカが心の中で苦笑すると、リリアは口を開いた。
「平民の女は何を考えているのかしら。理解に苦しむわ」
平民が大勢いる中では悪印象となる発言だ。流石のリリアも、挙式当日のアクシデントで浮足立っている。
「アマンダ嬢。私の妻となるリリアに、言い掛かりをつけられては困るな」
ヘンリーは肩を竦めて義妹を諭す。
(リリア様の腰を抱きながら言えていれば満点でしたわね)
ヘンリーの「私は婚約者の味方だ」というアピールは、リリアに安心感を与える。わざわざそんな事をするのは、持ち上げて落とす方が心理的ダメージが大きいからだ。
「平民の女。虚言で私を侮辱するつもりなら容赦しませんわよ」
「虚言……ですって?」
義妹は憤慨するが、リリアは鼻で笑う。
「私は王太子妃になるのよ。平民の戯れ言に、いつまでも付き合っていられないわ」
するとヘンリーは義妹を見据えた。
「アマンダ嬢、証拠はあるのか?」
「あります!」
しかしリリアは動じない。なぜなら「物的証拠など存在しない」と知っているからだ。
「この手紙をご覧ください。そこのリリア・ガロッシュの自筆で、婚約破棄に関する計画が記されております」
それでもリリアの表情は変わらなかった。自分に足がつくような証拠など残していないからだ。
「リリア。アマンダ嬢の言い分は真実なのか?」
「いいえ。私は、そのような手紙を書いた覚えなどありませんわ」
「それは間違いないのだな?」
「神に誓って嘘ではありません。手紙は偽造された物でしょう」
リリアは真っすぐな瞳でヘンリーを見つめている。
「そうか。では、手紙に関してはリリアの言葉を信じよう」
ヘンリーは義妹から受け取った手紙に目を通すと、ビリビリと小さく破いてから捨てた。
「何をなさるのですか王太子殿下!?」
「手紙など、金さえ掛ければ偽造可能だよアマンダ嬢。元は公爵令嬢であった貴女なら分かるだろう?」
義妹は悔しそうに口をつぐんだが、これもアンジェリカの思惑通りだ。何人も人を介してだが、偽造した手紙が義妹に渡るように手配したのは、他ならぬアンジェリカだった。
だからこそ手紙をヘンリーに破らせた。専門機関で詳細に調べられては、偽造だと見破られてしまうからだ。
(証拠が無いなら作ればいい。虚偽であろうと構わない。全て貴女がやってきた事よリリア様)
するとヘンリーは、アンジェリカとの打ち合わせ通りに動く。
「リリアは『神に誓って嘘ではない』と言っている。しかしアマンダ嬢は『リリアが王家転覆を図った』と主張している。どちらも、取り下げる気はないのだな?」
「「はい」」
ヘンリーは悩む素振りを見せる。
「王族の婚約を謀略で破棄させたとするなら、それは王家に対する明確な反逆だ――」
ヘンリーは、護衛の腰に差さっている剣を引き抜いて鋭く振った。
「真実を述べるのであれば罪には問わん。しかし虚偽の発言をするのであれば、この場で斬り捨てられても仕方ないと思え。リリア、そしてアマンダ嬢よ」
ヘンリーは剣を下に向けて、カツンと石畳を打った。
「構いませんわ!」
「そ、そんな……」
義妹は即答したが、リリアは返事を躊躇った。どちらの言い分を支持するべきか、ここにいる者達に強く印象付けただろう。
(修道院に手を回した成果ですわね)
平民になったアンジェリカは、まずは貯えていた個人資産を使って北の修道院に莫大な寄付をした。その見返りとして要求したのは「死にたくなるレベルで義妹を徹底的にいたぶる事」だった。
自業自得とはいえ、義妹は北の修道院で地獄を見ただろう。その修道院から解放されたとて、これから待つのは平民としての生活だ。
生きる希望をなくしている義妹は、リリアを不幸の道連れにする事だけを望んでいる。
片やリリアは王太子妃になる身だ。こんな事で全てを失うのは、余りにも惜しいと思っていた。
(リリア様が平常心であれば、ヘンリー殿下のおかしな発言にも気付いたでしょうけど)
斬り捨てるというのは、あくまでも脅しに過ぎない。いくら王太子といえど、司法を通さずにそんな事をすれば大きな反発を招くからだ。
しかし真に迫るヘンリーの表情は、演技である事を微塵も感じさせないレベルだった。混乱しているリリアは完全に雰囲気に呑まれてしまっている。
「……ん?」
ヘンリーが周囲を見渡し、招待していた元学園生達を、たった今見付けたような顔をする。
「おい! そこのお前達!」
『は、はいっ!?』
「リリアの学友だな?」
ビクリと怯える者が多数いたが、ヘンリーの意図を察しておずおずと近付いて来る。
「話は聞いていたな? お前達が知っている事があるなら、今ここで話せ」
しかし誰も口を開かない。
「どうした? 言い難い事でもあるのか?」
ヘンリーは何も分かっていない素振りで、元学園生達を威圧する。
「何を恐れているのか知らんが、アマンダ嬢の生家は取り潰されているのだぞ? お前達がリリアの意見を肯定しようと、アマンダ嬢からの報復はない。そしてもしリリアが虚偽の発言をしているのなら、リリアの生家は王家転覆を図ったとして取り潰しとなる」
リリアが息を呑んだのが、アンジェリカにも伝わった。
「よってお前達は、誰に気兼ねをする必要もないはずだ。真実を話すのであれば、過去の行動も含めて罪には問わないと約束しよう。恩赦を与えようじゃないか。しかし――」
ヘンリーは剣の刃先をカツンと石畳にぶつける。
「無言もしくは虚偽の発言をした者は、ここで私が斬って捨てる。家も取り潰してやろう」
元学園生達は震え上がった。
「私がそうだとは言わんが、王族には人の心の機微に聡い者もいる。発言には重々気を付ける事だ。さあ話せ。リリアが正しいのか、アマンダ嬢が正しいのか。どちらだ?」
すると一人の女が、地面に両手を突いて頭を下げる。
「申し訳ありませんでした! アマンダ様が正しく、リリア様の発言は虚偽でございます!」
他の者達も次々と女に倣う。
「日頃からアンジェリカ様に注意されており、腹立たしかったんです。そんな時でしたから、リリア様に協力してしまいました」
「リリア様に強要されて仕方なかったんです! 申し訳ございません!」
10人超の女が罪を告白すると、ヘンリーは質問しながら詳細な情報を集めていく。証言は全て、リリアの罪を裏付けるものだった。
真っ青になっているリリアは、過呼吸を起こして今にも倒れそうになっている。
「という事らしいが? これはどういう事だリリア?」
「ざ、戯れ言ですわ!」
「戯れ言? 虚偽の発言をすれば、斬り捨てた上で家も取り潰すと私は言ったのだぞ? それだけのリスクを負って、アマンダ嬢に肩入れしてやる理由がどこにある?」
「それは……」
フェライト公爵家は既に取り潰されている。平民となった義妹に恩を売る利点など、そもそも存在しないのだ。
「残念だよリリア」
「ヘンリー様!?」
そしてへンリーはリリアに告げる。
「リリア・ガロッシュ! 貴女との婚約を破棄させてもらう!」
ヘンリーが堂々と言い切ると、リリアはその場に崩れ落ちた。
「王家への反逆罪だ。リリアを連れて行け」
純白のウェディングドレスを着たリリアを、兵士達は強引に立たせて連行していく。
(リリア様。報いは必ず受けなければなりませんのよ)
その時、リリアがアンジェリカの方を向いた。目を見開いたリリアに、アンジェリカは小さく手を振ってやる。
それだけでリリアは、これがアンジェリカの復讐だったと察したようだった。
(さようならリリア様)
全てを見届けたアンジェリカは、満足した顔でリリアを見送った。
△
「それで、どうしてここにヘンリー殿下がおりますの?」
アンジェリカが住む平屋の一軒家は、多くの兵士達に取り囲まれていた。現在ヘンリーは、大して広くもない室内で、アンジェリカと向かい合って座っている。
「君は、今の生活に満足しているか?」
「とても満ち足りておりますが?」
アンジェリカは縛られない生活が気に入っている
「では申し訳ない。先に謝っておくから、まずは目を通してくれ」
ヘンリーが差し出したのは、フェライト公爵家の復興を示す書類だった。当主はアンジェリカの叔父で、アンジェリカ・フェライトは養女となっている。
「これは一体……」
アンジェリカは突然の事に言葉が続かない。
「君はガロッシュ公爵家から王家を守ったのだ。その功績は評価されてしかるべきだろう? なので私が、君の生家の復興を提言したのだよ」
(余計なお世話ですわ!)
憤慨するが、アンジェリカの表情はにこやかなままだ。
「感情が顔に出ないとは流石だねアンジェリカ。それでこそ未来の王妃だ」
「王妃?」
「ああ。私の婚約者だったリリアは北の修道院に送られて、ガロッシュ公爵家は取り潰しとなっただろう?」
「そうですわね」
アンジェリカの助命嘆願により、命を失う者は出なかった。だが命が助かったとはいえ、小生意気なリリアは修道院で苛め抜かれる事だろう。
ちなみに義妹と両親は、復興したフェライト公爵家には戻れず、小作人として苦しい生活を送る事となる。元婚約者の第1王子は、王宮の離れで一生幽閉に近い生活だ。
「フェライト公爵家は復興し、アンジェリカには何も瑕疵がないのだから、当初の予定通りアンジェリカが王太子妃になるべきだ」
そう言ってヘンリーは、遥か昔にアンジェリカが記入した婚約書類を提示した。一部に訂正印が押されており、アンジェリカの婚約相手は第1王子からヘンリーに訂正されている。
「訂正印!?」
「一から作るより、こちらの方が速いからな。まあ気にするな」
「今更何故わたくしが、王族との婚姻など面ど……お断りさせていただきます」
「それはないだろう? 君がガロッシュ公爵家の者達の助命嘆願をしたから、その願いを叶えたのだ。であれば君も、王家の願いを叶えるべきだ」
ヘンリーは「それとも拒否してみるか? 王命だから断れないと思うが?」と言って、にこやかに笑う。
(逃げられない!?)
アンジェリカは何も言い返せない。
「リリアに感謝したいくらいだ。まさか私が、愛する人を手に入れられる日が来るなんてね」
「愛する人?」
「私は昔から君が好きだったんだよ。君が兄上の婚約者になってからは、諦める努力をしてきた。リリアが王太子妃に相応しい人間なら、私もリリアだけを愛せるように努めるつもりだったのだが。ん? どうしたんだいアンジェリカ?」
唐突に愛を告げられたアンジェリカは、赤くなって目を逸らした。
「そういう可愛い顔は、私以外の者に見せたら駄目だよ?」
「からかわないでください!」
ヘンリーはニヤリと笑う。
「まさか、恥ずかしかったのか?」
「……」
図星だった。
「ヘンリー王太子殿下!」
「ん?」
アンジェリカは震えている。
「あ、貴方との婚約を破棄させてもらいますわ!」
しかしヘンリーは動じない。当然ながら婚約破棄など出来るはずもなく、アンジェリカが指南役となって以降、唯一の婚約破棄失敗事例となった。
やがて二人は、愛し合って婚姻を結ぶ事となる。
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