軽やかに失神。赤い薔薇の花は成就の証。
わたくしは今、臥せっております。日々、かのお方が訪れる折に自ら手にして来られる、芳しい薔薇の花、オレンジレモンに囲まれて。
「ふう。そろそろ床上げをしたいのですが、お父様とお兄様達はどう仰っておられて」
看病と称して部屋に詰めている乳母やに問うと、未だしばらくとの答え。欲を出しておりますわね、お父様。わたくしの考えている事が分かる乳母やが話します。
「お嬢様。世も末な事件に巻き込まれたのです。国王陛下からも、ここ、王室専用の保養所で、ゆっくり静養する様にと命じられておりますから」
それは重々承知なのですが。こうも大事にして頂きますと、良心がほんの少し痛みます。
「ご回復された後にはお忙しくなられますから。今は休息の時です。お弱りになられたお身体に、新しき血が満ちる様、滋養のあるお食事を、たんとお召し上がり下さいませ」
したり顔の乳母やが、わたくしの前だけで見せる、人の悪い笑みを浮かべておりますの。金の鈴が鳴らされ、銀の盆に載せられた食事が運ばれて来ました。
葡萄酒色したブラッドソーセージが、コロンと転がる銀の皿の上には薄いパンとクレソンと果物のソース。湯気が立つ器の中には、オートミールのおかゆ。蜂蜜がひとたらしかけられております。
「こんなに沢山、食べられないわ」
ふう。コルセットのサイズが上がってしまったら、大変でしてよ。何時ものように、ほんの少しずつ、ついばむ様に口に運びます。
ソーセージを薄く切り、ソースに絡めるとパンに塗り欠片を少々、齧りました。美味しさが広がる中、気になる事を聞きます。
「乳母や。愛の女神様の神殿に供物のお花は、きちんと捧げていて? 願いが叶えられた時には真紅の薔薇、願掛けには純白の薔薇が決まり」
「大丈夫ですよ。お嬢様。赤い薔薇を用意させております」
そう。良かったこと。それにしても上手くいきましたわ。わたくしは不意に可笑しくなりました。ナフキンを口元に当て浮かんだ笑みを隠します。
それは、ほんの数日前の出来事でしたのよ。
☆
第二王子であられたアーシュ殿下にエスコートをされたわたくし。舞踏会が催される大広間のドアが開かれ、中に一歩踏み入れると、モーゼの海割れのごとく、左右に割れる人々の中を、何時ものように扇で顔を半分隠し歩きました。そして壇上に上がろうとした時。
根回しも何も無しで、パッと放置されてしまいました。殿下だけが貴賓席に上がられたのです。
そして、
「そこにいろ、話がある」
横柄にお命じになられました。わたくしはそれを扇を閉じ手の内に握ると、ドレスの左右につまみ腰を引き、優雅に頭を下げ謹んでお受け取りいたしましたの。
……。ふ。ふふふ。ふふ。オーホホホホ。腹の中で笑いました。やっと!、この時が来ましたわよ! わたくしの運命の大転換期。少しばかり悲しんておりますが、これで心置きなく初恋に殉じ、修道院で生きる事が出来ます。と。
学園を卒業した折、我が家にて婚約者であるアーシュ殿下に来訪して頂き、卒業生全員と恩師を呼び集め、謝恩会を開いたかいがありました。
いかにしてわたくしの意に沿わぬ婚約を、あちら様から破棄して頂くか。学園に在席する間中、考えに考え、王道パターンがシンプルイズベストと、一周回って辿り着いたのです。
その結果。
「皆の者、紹介しよう」
殿下の声に、わたくしの横をいそいそ進む、派手なひらひらドレス。少しばかり目を上に向けますと、視界の端にエスコートをし、壇上に誘う殿下の姿が見えました。
「我が愛しいノータリン・バンズ嬢だ」
あら。考えましたわね。あの庶民上がり。持参金をこっちに積み、家計が火の車と噂が高い、バンズ子爵のご養女になられたご様子ですわ。愛しげな声から推察すると、わたくしの目を盗み、しっかりと愛を育てられたご様子。
彼が真実の愛を誓った、『わたくしは可哀想な成り上がり令嬢なのですの、高位貴族の女に毎日ズタボロにされてます(嘘)』女は、しなしなと、なよやかなふりをして精一杯、儚げな野の花を演じておられます。
御伽噺の苦労する成り上がりの姫に、大変な憧れを持っていらした、アーシュ殿下。わたくしの様に何もかも恵まれた女は、それだけで『わがままな悪女』とお思いなのですもの。
殿下曰く、苦労をしていると善人であり、謙虚であり、慎ましい。フン、幻想ですわね。少なくとその彼女において、ですけれど。だって彼女は玉の輿を狙い、貴族が多く通う学園の特例制度(寄付金を納入)を使い、潜り込んでいたのですから。
「非常に残念である。聡明と名高い君が、あの手この手を使い、か弱きノータリン嬢をいじめていたとか。ドレスが貧しいとか、同性として可哀想と思い、相応しいドレス位、贈る事など造作はないだろう?」
わたくしが、自身の望みを叶えるために、駒として密かに推している彼女に、その様な事をする必要性は皆無。天然純粋蜂蜜のままで、破天荒に振る舞って頂くことこそが彼女のお役目なのですわ。
「殿下、ノーラは他の女から贈られたドレスなんか、着たくありません。酷いです。そんな事を言わないで下さいませ」
他の女。わたくしより格下の彼女が吐いた言葉に対して、ブチ切れそうになりました。しかし、か弱き淑女たるもの、ここは怒りを堪えて、軽く震えなくてはいけない場面です。
そこは大丈夫。しっかりと日々特訓済みです。少し息を止めて……。ふぅ。完璧なる震えが作れましたわ。
「ああ、済まないノーラ。例えばの話だ」
アーシュ殿下が慌てて訂正されておられます。それにしても、ノータリン嬢はなかなかに上手く動いて下さってます。彼女に対しては感謝しか無いので、上手く行った暁には、何か御礼を考えなくてはいけません。
「例えばでも、嫌なのですぅ」
あら、ノータリン嬢のヨヨヨとした足元。わざとらしく大きな動きでよろめき、殿下にすり寄ったのですわね、ちらりと目の端に、そう見えました。フフン。レッスンが足りません。まだまだですわ。
「どうして何も知らぬ彼女に、優しく諭さず、酷い言葉を吐いたのだ!」
良いですわよ! 頑張ってくださいませ。アーシュ殿下。その追い詰める口調。わたくしはただ、相応しい時刻に、相応しいドレスをと申しただけです。
日が高い時刻におまけにアーシュ殿下に伴われ散策をなさる最中、ご自身の傘持ち係も居られないのにも関わらず、ドレスの襟ぐりは大きく開き、ダヴェントリー・マスクも付けられず、鍔広帽のみ。
殿下に笑顔を振りまき、談笑しながら歩かれておられました。わたくし達は室内からソレを眺め、目が点になったのは言うまでもなく。わたくしを気遣い皆様が、ノータリン嬢の事を囁かれますから、せめてドレスなりともと、こちらに来られた折に、そうアドバイスしただけでしたのに。
日焼け大敵、白い肌必須、傘持ち必須。ダヴェントリー・マスク必需品。日焼けした肌は労働階級の証ですもの。
「殿下。とっても酷いことを言われたのです。ノーラは悲しかったのです」
あら。ノータリン嬢が何かほざいておりましてよ。会場の目が全てこの茶番に注がれておりますの。一挙手一投足、注意を払わなければ……。その時。
わたくしはピリリと熱を感じました。まさか。と思いました。口さがない宮廷雀の空話だと……。ちらりと視線を左右に送ると、来賓者に混ざり、わたくしに視線を送られるかの方のお姿が!
『ねぇ。知っていて? 今日のパーティ会場に、ご遊学からお戻りになられ、静養中のエドワード殿下がお越しになられるそうよ』
ああ、愛の女神様がわたくし達に微笑みを与えて下さいました。後で神殿に普段の倍の貢物を御供え致しますわ! 初恋の彼の姿がそこに。
運命の転機を感じました。
政を学ばれる為に、ご遊学に向かわれる前の日、まだドレスの裾も引かず髪を結い上げないわたくしに、戻ったら婚約を申し込むと膝を付き手を取り申し出をされた、エドワード殿下。
「待っていておくれ、素敵なレディに相応しい男になって戻ってくるから」
そのお言葉を胸に日々、研鑽を重ね素敵なレディ道を突き進んで来たわたくし。ただその事が仇となり、少しばかりお 頭が足らないアーシュ殿下の婚約者に選ばれてしまいましたけれど。
その事をお知りになられた、あの方のお嘆きのお手紙は、今尚わたくしの枕の中に忍ばせてあります。なので、形振り構わず自分が組み立てた作戦を遂行する為に日夜、頑張ってきました。
エドワード殿下と結ばれないのなら、生涯、結婚はいたしませんと、愛の女神様の神殿に白薔薇を捧げ、願掛けも致しました。
そしてこちらにお戻りになられてから直ぐに、殿下から密かにお手紙が届きましたの。そこには苦しい胸の内のお言葉が。深くお悩みになられておられたエドワード殿下。なのにわたくしの密かな野望にもお気づきになられ、旅の疲れと重なり寝込まれて仕舞われましたの。
弟君であらせられるアーシュ殿下がお動きになられた時に、わたくし独りの時は。恋に殉じ、修道院へ入る決意をしていると、気持ちを包み隠さずお返事にしたためました。
そして。殿下からの返信は来ませんでした。お互いの立場が邪魔をしたのでしょう。初恋は実らぬものと言いますから、タンポポの綿毛を吹き飛ばす様に、夢を諦めたわたくし。
でも今、信じられない事に貴方様がここに。小鳥の様に胸が高鳴り震え、息が止まりそうです。
「申し開きがあるなら言え!」
いけません。シャンとしないと。わたくしは恐る恐るといった風情で顔を上げました。準備は何時でも大丈夫な様に万端。ここ最近、人前に出る時には青白く見える様、化粧を工夫しておりましたの。
「恐れながら殿下に申し開きを致します。わたくしは確かにその様な事をノータリン嬢に申しましたが、悪意から来るものではありません。日中に屋外で大きな襟ぐりのドレスは、日焼けを致しますから、ふさわしくないとお教えしただけでしてよ」
「ノーラを貶めたのが、悪意からでないと? 嫉妬したからでは無いのか?」
「どうしてわたくしが、側室候補に嫉妬を?」
震えを圧し殺す風を装いつつ、か細い発声で会話を構築していきます。まだですわ。
「ふぇん。殿下! 側室候補って! どういう事なのですか? ノーラの事が1番じゃないのですか? 酷い!」
ノータリンが喰い付いて来ました!貴方、そこは軽くふらつくか、失神をされても良い場面ですわよ。絡まっておられた殿下の細腕から離れて、こちらに一歩前に出、わたくしをうけて立っている場合ではありません。
「ノーラはそれでもいいです。殿下のお側にいられるのなら。でも、また、きっといじめられるのです。あの時みたいに、笑い者にされるんです」
皆に憐れと見られたく懸命にお話をされておられますが、出来れば殿下に支えられてが良いですわ。今の場面、か弱き淑女が独りベラベラ喋るのは、はしたなく思われましてよ。
「わたくしが何時、貴方を侮辱したのですか?」
でも、来てます来てますいいムードでしてよ。このまま頑張って突き進んでくださいませ。ノータリン。
「ノーラは、殿下がお好きなフリフリが大好きなのです。あの時もドレスにいっぱい使ってたのに。ノーラが寝ずに殿下をお喜びさせようと、デザインを工夫したのです。それを『そのビラビラ海藻みたいなフリルを、布が足らず、出しっぱなしの胸元に貼っつけたらどうかしら』、そう言ったでしょう?」
あら。よく覚えていたこと。ここはわたくしはだんまりを決め込む場面です。悲しげに項垂れる薔薇の花のように。
「なんと! その様な酷い言われようをしたのか」
「はい、殿下。一緒に居られた皆様が、クスクス笑ったの、ノーラの事を」
二人の甘々やり取りを聞きつつ、呼吸法を駆使し、その時に備えて行きます。
「きっとまた、いじめられます。ノーラが1番じゃないと、みんなが嗤うんです」
「分かっている、分かっている。ノーラ。僕が愛するのは愛の女神に誓い、ノータリン。君ひとりさ。後で神殿に行き誓おう」
「殿下! ノーラ嬉しい」
「ノーラ!わが愛する乙女よ」
ドン引きの視線が壇上に注がれているのに、気が付いておられません。ふたりの世界にどっぷりですから。大勢の前で仰られました。
『僕が愛するのは愛の女神に誓い、ノータリン、君ひとりさ』
言質は皆に取られましたわ。わたくしもしかとお受け取り致しました。勿論、エドワード殿下も。そして、わたくしの背後では、ジリジリと距離を詰め寄る紳士の皆様方に混じり、取り巻きの皆様方がソワソワと、準備をされている気配が広がっていました。
婚礼前だというのに、ひと目も憚らず抱擁を交わしたお二人。そして、ノータリンの肩を抱き、身のうちに寄せつつ、アーシュ殿下の婚約破棄の宣誓がわたくしに成されました。
数秒。ここはわざとらしく感じられぬ秒数が必須。毅然と聞き入れ耐える風を装うわたくし。その前に。
「ああ! なんてことでしょう」
わたくしに親しい友人達がひと声上げると、軽やかに失神。それを我先にと受け止め介抱する紳士達。会場は大騒ぎ。そしてわたくしも。
「あ!」
ここ一番、儚げな声を上げ、扇を手から滑り落とし、ふらりと軽やかに失神。予想していた通り、アーシュ殿下とは違うたくましい腕に支えられた気配と、手紙に焚きしめられた香木の香りを感じました。
「アーシュ! 君はか弱き淑女に対し、何という無体な事を!」
うふふ。エドワード殿下のお声が。ウェディング抱っこで抱え上げられました。ふう……。気が遠くなっていきます。
「あ! 兄上!」
「婚約破棄をするのも、男として王子として、責任を取るのなら構わないが、もっとやり方があるだろう!」
叱責の声が遠くに聴こえましてよ。
ふっと。意識が闇の中に飛ばされました。久しぶりに本気モードの失神でしたの。
心地よい好いた殿方の熱い鼓動にときめきながら、わたくしの野望は叶えられたとの確信を、しかとその時、持ちましたのよ。
愛の女神様の神殿を、真紅の薔薇でいっぱいにしないといけませんわね。
終、わ、り。