98 アナ、美人化計画
ベアボアハンバーグで体と心を満たした私たちは、ミント茶を飲みながら、ゆっくりしている。
五人に別れているティアの内三人は、食べ過ぎて机の上に倒れていた。残りの二人はお風呂当番で、膨れたお腹を抱えながらお湯を沸かしている。
「そうそう、アナとティアにお金を渡すのを忘れていた」
本日、ベアボア料理の依頼達成で貰った銀貨三十枚をエーリカから受け取る。
私はきっちりと均等に分配する為に、銀貨三十枚を四等分したいが、どうすれば均等になるか悩んでしまう。
「えーと、一人銀貨七枚を渡すと銀貨二枚が余るよね。銀貨二枚を大銅貨に変換するには……」
「一人当たり、銀貨七枚と大銅貨五枚です」
頭の回転の遅い私に代わり、エーリカが素早く計算してくれる。
「おっちゃん、あたしは別にいらないわー。自分の依頼料があるし、そこまでお金は必要ないもの」
今回のベアボア料理の依頼で、ティアには非常に助けられた。
魔力抜きの方法を教えてもらったし、発情期のベアボアを退治してくれたし、料理の手伝いもしてくれた。無償という訳にはいかないと思い、受け取るように言うと、「エーちゃんと同じで、おっちゃんが管理して。必要ならおっちゃんに買ってもらうから」とエーリカとティアで一人分と考える事になった。
「じゃあ、三等分という事で、アナには銀貨十枚ね」
机に積み上げた銀貨をアナの前に移動させる。
「わ、私、ほとんど何もしていません。こんなにも貰えません!」
慌てふためくアナが、首を振り振りしながら銀貨を押し返してくるが、私はそれを拒否する。
ティアと違ってアナには受け取る資格がある。
料理の手伝いをしてくれたし、ゴブリンやスモールウルフも倒してくれた。ただ、それ以上にアナの家に住まわせてもらっているのが大きい。
「アナの家で生活をさせてもらっているんだ。新しい依頼を受けて、まだ当分は住まわせてもらうし、食費だと思って、受け取ってほしい」
理由を説明したら、アナは渋々受け取ってくれた。
申し訳なさそうにしているアナであるが、申し訳なく思うのは私の方だ。
色々な材料を使って料理をする私。健啖家のエーリカ。サイズの小さいティアも大人一人分は食べる。食材なんてすぐに無くなってしまうのだ。
今まで食費を出そうと提案した事があるが、借金を背負っている私たちを思い、拒否されていたのだ。
「アナちゃん、お金も入ったし、可愛い服でも買おうよー」
「ふ、服ですか?」
「今日、馬糞を回収している時、商業地区で可愛い服を売っている店を発見したのー。あたしの服を作ってもらおうと思うけど、アナちゃんも一緒に行こう。いつもローブ姿だけじゃ、アナちゃんの魅力が勿体ないわー」
「わ、私、魅力なんて無いですから……」
お茶を飲みながら、アナとティアのやり取りを眺める。
ティアは、煩がらず話を聞いてくれるアナの事を気に入っている。お風呂に入る時も寝る時も一緒だ。
落ち着きのないティアをアナに押し付けてしまい、申し訳ない気持ちであるが、当のアナもニコニコと楽しそうにティアの相手をしているので、良しとしよう。
そんなティアがアナと一緒に服を買いに行きたいそうだ。
妖精姿のティアを相手にする服屋の店員さんの驚きと戸惑いの姿が目に浮かぶ。いや、人形遊びの感覚で、逆に楽しむかもしれない。
まぁ、ティアについては、考えてもしょうがない。
問題はアナだ。
「おじ様? どうしました?」
私はジロジロとアナを観察する。私の熱い視線が気になるアナであるが、私は特に気にしない。
私の実年齢と一緒のアナ。
目、鼻、口とバランス良く配置された顔。ふんわりと広がる肩口までの髪。女子高生の時の私よりも体の膨らみがはっきりとしている。
エーリカやティアのような別次元の美しさはないが、アナも同年代の子と比べれば、とても美人である。
「お、おじ様……その……恥ずかしいです……はぃ……」
「おっちゃん、気持ち悪いんだけど……」
「ご主人さまは思考中です。邪魔をしないように」
ただ残念ながら、アナの体は不健康そうで、実年齢よりも十歳は歳をとっているように見える。
目元にはクマ、唇はカサカサ、肌も水分が少なく張りがない。全体的に痩せすぎている。
私たちに合わせて、朝昼晩とご飯を食べて、毎日薬草風呂に浸かり、寝る前にハーブティーを飲んで、朝までぐっすりと寝ている。そのおかげで、初めて会った時よりかは健康的にはなっている。
だが、まだまだ不健康継続中である。
アナやティアが新しい服を購入するのは賛成だ。
おっさんの姿になっている私では、色々な服を着て楽しむ事が出来ない。私の代わりに、アナたちが楽しんでくれたらと思う。借金が無ければ、プレゼントしたい程だ。
是非ともエーリカも誘って、色々な服を着て、私に見せてほしい。
その為にも、アナの体を綺麗にしたい。
いや、するべきだ!
アナ、美人化計画……もとい、アナ、健康化計画を発動しよう!
「えーと、ほ、本当にどうしたんですか、アケミおじ様?」
「アナ、蜂蜜を少し使わせてもらうよ」
顔を赤らめているアナに断って、厨房に置いてある蜂蜜の瓶を取ってきた。
「アナ、顔を上に向けて唇を向けてくれる?」
「く、唇ですか!?」
椅子に座っているアナが目を見開いて驚いているのを、コクリと頷いて催促した。
真っ赤な顔をしたアナが、しばらく目を瞑り、意を決するように上を向いて、薄い唇を私に向ける。
なぜか、目は閉じたままであった。
エーリカとティアは、じとーっと黙って私たちを見ている。
そんな二人を無視しながら、小さなスプーンで蜂蜜を掬い、指先につけた。
「……んっ」
蜂蜜をつけた指先をアナの唇に触れると、アナの吐息が漏れる。だが、すぐに目を見開いて「蜂蜜!?」と呟いた。
「アナ、しゃべらない。唇に蜂蜜をつけるからそのまま」
私の注意を聞いたアナは、やるせない顔をしながら、私にされるがままになっている。
私はアナの薄い唇に軽く蜂蜜を塗っていく。
「これで良し。蜂蜜は舐めたりせず、このままを維持して。蜂蜜が乾燥しだしたら洗い流していいからね」
「え、えーと……おじ様、これはどういう意味があるんですか?」
「蜂蜜は万能の液体で、乾燥してカサカサになっている唇を治してくれるんだ。今日、明日ではすぐには治らないけど、数日に一回、唇に蜂蜜を塗れば、綺麗な唇になる筈だよ」
蜂蜜は、殺菌、保湿、傷の修復の効果があり、リップクリームの代わりになる。蜂蜜は高価だが、数日に一回、唇に塗るぐらいは良いだろう。
「知りませんでした」と唇を蜂蜜でテカテカにしたアナが、感心したように言う。
ただ私自身、蜂蜜の使い方は知っているが、実際にやった事がないので、どのくらい唇に効果があるかは知らない。
「ご主人さま、わたしにも塗ってください」
「エーリカの唇は、かさついてないじゃない。ハリツヤがあるから塗るには勿体ないよ」
「経験する事が大事なのです。わたしにも塗ってください」
再度、断ろうとするが、すでにエーリカが顔を上に向けて、さぁ塗れと言うように小さな唇を私に向かって突き出している。
仕方が無いので、アナの時と同じように指先に蜂蜜をつけて、エーリカの唇に近づける。
小さな唇に指先が触れると、エーリカの口が開き、私の指をパクリと咥えた。
それを見たアナが「ふわー」と呟き、顔を赤らめ口元を手で覆っている。ティアは「うげー」と気持ち悪そうな顔をして、ドン引きしている。
「エーリカ、蜂蜜を舐めちゃ駄目だよ」
「もうふぃわけありゅません。ふい、うっかり」
「申し訳ありません。つい、うっかり」と言おうとしたエーリカが、私の指を舐め続けている。
指先にエーリカの舌がヌルヌルと絡まり、蜂蜜を舐めとっているのが感触で分かる。
傍から見れば、毛の生えたおっさんの指を美少女が舐めている危険な場面だろう。
だが、私は女性だ。
エーリカに指先を舐められても、変な気分にはならない。逆に「意地汚いなー」と思っているだけだ。
私の指を舐め尽くしたエーリカは、満足そうに指から離れると、なぜかエーリカの肌と唇はツヤツヤしているように見えた。
チラッとティアを見ると、「あたしはしないわよー、汚いー!」と私から距離を取られてしまった。別にするつもりは無かったのだが……って言うか、汚いって……毛は生えているけど汚くないよ。
次は肌荒れに取り掛かろう。
以前のアナは、それほど不健康な訳ではなかったそうだ。
アナの不健康の原因は、最愛の父が亡くなったストレスと、それに伴う食生活である。
ストレスについては、アナ自身、父の死と向き合い、折り合いをつけなければいけない。私たちに出来るのは、一緒に仕事をして、楽しく過ごす事だろう。
食生活に関しては、野菜中心のバランスの良い食事を摂れば良いのだが、それは難しい。この世界の野菜は、苦味が強く、美味しくない。献立の一つにサラダを用意したいが、虫食いが酷くて生野菜は難しいのだ。
その為、手っ取り早く肌荒れを改善するには、化粧水や乳液といった水分補給や保湿をして、ケアをすれば良いのだが、生憎とこの世界に化粧水や乳液といったケア商品は存在しない。私も作り方を知らない。
どうしたものかと考えた結果……。
「ティア、お風呂の用意は出来そう?」
私は厨房にいるティアに声を掛けると「もうすぐ入れるよー」と返ってきた。
「アナ、お風呂に牛乳を入れても良い?」
「ぎゅ、牛乳ですか!?」
「今日は薬草風呂でなく、牛乳風呂に入ろう。美肌になるよ」
お湯に牛乳を入れて混ぜるだけの簡単入浴剤である。
牛乳風呂は、美肌効果、保温効果、ストレス・リラックス効果がある優れもの。
私は市販の入浴剤を使っていたので牛乳風呂には入った事はないが、噂では臭いも気にならないほどであるそうだ。
掃除に関しては、よく分からない。何人もいるティアに頑張ってもらおう。
その事を説明すると、「興味あります」と簡単に許可をくれた。
早速、厨房に行き、牛乳を取り出して、浴室へ向かう。
二人のティアが頑張ってくれたので、浴槽には7割ほどのお湯が満たされていた。
その浴槽にドボドボと牛乳を注ぐ。どのくらい入れれば良いのか分からないので、量は適当。入れ過ぎで牛乳臭くしない為、気持ち少なめ。
牛乳を入れたお風呂に腕を突っ込んでグルグルと攪拌すれば、乳白色のお風呂が完成した。
匂いも気にならない程度だ。
厨房に戻った私は、次に小麦粉を取り出す。
今度は髪の毛のケアだ。
禿げ頭の私は今まで気にもしていなかったが、この世界の住民の髪は、艶も無く、べた付いて重そうな感じになっている。
毎日、風呂から上がった後、私がエーリカを、エーリカがアナの髪をブラシで梳いているので、二人はそこまで重そうにしていないのだが、良い機会なので綺麗な髪を手に入れよう。
シャンプーやリンスがない世界なので、これも手作り。
手作りシャンプーで簡単なのが、塩シャンプーである。お湯に塩を混ぜて、食塩水で髪を洗うのだ。
だが、肌荒れの酷いアナが塩シャンプーを使うと、しみて痛そうだし、肌に悪そうなので、却下する。
次に考えたのが精油シャンプー。植物油に薬草を混ぜた物。
ただ、この世界の油が何で作っているのか分からないので却下した。もしかしたら髪に合わないかもしれないし、油が上手く洗い流せないかもしれない。そうなったら、枕は油まみれになる。
アナに使う前に自分で試せば良いのだが、生憎と私の頭は産毛すら生えていない。
そこで思い出したのが、小麦粉シャンプー。
鍋に小麦粉と水を加え、弱火で温めながらトロトロになるまでかき混ぜる。たったこれだけで、髪や頭皮の汚れが落ちて、肌にも優しい。
排水口が詰まりそうなので、私は使った事はないが、アナの家の浴室はすのこの下が地面なのでそのまま洗い流せる。細かい掃除は分身したティアに任せよう。便利な妖精である。
私は小麦粉シャンプーを作る為、先にアナとティアにお風呂に入ってもらう事にした。
アナは私よりも先に入るのをためらっていたが、アナの為に考えた牛乳風呂と小麦粉シャンプーだ。私に気にせず使ってもらいたい。
「アナ、牛乳風呂はゆっくりと時間を掛けて入る方が効果があるそうだよ。私たちの事は気にせず、のぼせない程度に入ってね。途中で小麦粉シャンプーを渡すからそのつもりで」
アナと五人のティアが浴室に入って行くのを見届け、私は小麦粉シャンプーに取り掛かる。
「ご主人さま、わたしの分も作ってください」
「エーリカの分? エーリカは汗を掻かないから必要無いんじゃないかな? 今のままでも綺麗だよ」
「わたしも少しは汗を掻きます。それに埃などで汚れています。ご主人さまが作った物でわたしも綺麗になりたいです」
まぁ、保存も出来るし、少し多めに作るかな。
アナたちがお風呂から出てくる前に、手早く鍋に小麦粉と水を入れて、火にかけていく。
初めて作るので、量は適当だ。小麦粉がトロトロに成れば良いので、様子を見ながら調整する。
長めのスプーンで根気よく混ぜ続け、小麦粉シャンプーを完成させた。
火から鍋を下ろし、熱を冷ましておく。
香り付けにカモミールに似たミーレ草を入れておいた。
「エーリカ、小麦粉シャンプーが冷えたら、アナたちに持って行ってくれる。これを髪につけて、揉むように洗えば良いと伝えてね」
心は女性でも、外見はおっさんの私が入浴中のアナたちに小麦粉シャンプーを持っていく訳にいかない。
エーリカに頼んだ後、私は食卓に戻り、お茶を飲みながら休憩する事にした。
しばらくすると、小麦粉シャンプーをアナに渡したエーリカが戻ってくる。
二人で誕生日会の料理について話し合っていると、アナと五人のティアが浴室から出てきた。
「どうだった?」
体温が上昇し、血行の良くなったホクホク顔のアナに聞いてみた。
「髪が軽くなってスッキリとしました。体もポカポカで気持ちが良くて、このままお布団に入りたいです」
「このまま眠ったら、朝起きた時、髪の毛が爆発しているよ。乾かしてからベッドに入ってね」
エーリカにブラシを出してもらい、私たちもお風呂に入る。
エーリカと体を洗いっこし、お湯で軽く髪を洗ってから、エーリカの髪にトロトロの小麦粉を塗りたくって揉んでいく。
綺麗な金髪を小麦粉汁で汚していくので、罪悪感に苛まれる。
どうしてもやりたいという事で、エーリカも私の胸毛や腕毛に小麦粉を塗っていく。体中、トロトロの小麦粉状態になっているのを見ると、天ぷらキョンシーみたいに油で揚げられるかもと思ってしまった。
浴槽のお湯でしっかりと小麦粉を洗い落とす。髪や体に小麦粉が残らないように、しっかりと落としたので浴槽のお湯が大分減ってしまったが、私とエーリカが湯船に入ったら、水嵩が増えてちょうど良くなった。
牛乳成分が混ざったお湯は肌に絡まり、スベスベしている。匂いも気にならない程だ。
いつものようにエーリカが背中を倒してきたので、抱きしめるように腕を回し、二人でゆっくりと牛乳風呂を楽しんだ。
ポカポカとした体で浴室を出ると、五人のティアに髪の手入れをされているアナが目に入った。
アナの髪の毛が空気を含んだようにふっくらと横へ膨らんでいる。髪に艶もでていて、地味な感じのアナが華やいで見えた。
五人のティアもブラッシングしたみたいで、いつも以上に幻想的な姿になっていた。
小麦粉シャンプー、恐るべし。
「後輩、ティアねえさん、見た目だけは変わりましたね。さすが、ご主人さまです」
「見た目って、何よー! ムカムカよー、ムカムカ!」
「おじ様は凄いですね。色々と知っていて、感心します」
髪の状態を触って確認しているアナが、照れながら褒めてくれた。
「あたしがアナちゃんの髪を洗って、丁寧に梳いてあげたんだから、綺麗になるのは当然よー」
二割増しぐらい綺麗になった五人のティアが一列に並び無い胸を張ると、「今度はエーちゃんよー」とエーリカの元にティアたちが突進していった。
エーリカは「ご主人さまにしてもらいます」と断るが、五人のティアに囲まれワーワーギャーギャーと言われたので、渋々髪を梳かされていく。
そんなやり取りを、私とアナは笑いながら見守るのであった。
こうして、蜂蜜リップ、牛乳風呂、小麦粉シャンプーを定期的に使う事になった。
今日明日ではすぐに効果は出ないが、継続していけばアナも元の健康的な姿になるだろう。
本日をもって、アナの美人・健康化計画は始まるのであった。
やっつけ美容法です。
これで、アナが健康的で綺麗になれば良いのですが……。




