92 ベアボア料理をしよう その2
食道楽男爵に提供する料理は二品。
スペアリブのワイン煮と燻製にしたベーコンである。
癖の強いベアボア肉には、赤ワインが必須である。赤ワインに漬けたベアボアステーキは微妙であったが、しっかりと赤ワインで煮込めば、逆に美味しくなるだろうと思った。
そして、ワイン煮にするならスペアリブだろうと言う事で、ベアボアの肋骨肉を使う。
赤ワインで煮込んだ柔らかい肋骨肉が一品目と決めた。
もう一つのベーコンであるが、これはシンプルな料理が必要と案が出たので、合わせて作る事にした。
長時間、赤ワインで煮る料理だと、赤ワインでベアボアの味を誤魔化していると男爵に思われるかもしれないと危惧した結果である。
シンプルな肉を楽しめる料理として、ステーキとローストビーフが候補に挙がったが、ステーキについては、魔力抜きをしていないベアボアステーキを試食した時のトラウマが蘇るので却下した。
ローストビーフは、この世界にアルミ箔や耐熱袋が無いので諦めた。私はアルミ箔と耐熱袋を使う料理方法しか知らないのである。
そこでベーコンである。
大ミミズの時、リーゲン村で貰ったリンゴの幹や枝がずっと放置されていたので、この機会にベアボア肉を使って燻製にしようとエーリカが提案したのを採用した。
そういう事で、これから肋骨肉のワイン煮とベーコンを作ります。
エーリカの収納魔術から布に包まったベアボア肉を机に置いてもらう。この肉は、昨日の内に牛乳とソミュール液に漬けこんだ肉である。
まずやるべきは、ソミュール液に漬けていたバラ肉を塩抜きしなければいけない。
昨日の段階で、ベアボアのバラ肉にフォークで穴を開けて、塩水と少量の砂糖とハーブを入れたソミュール液に漬けておいた。本当は三日ほど漬けなければいけないのだが、今回は時間が無いので半日ぐらいしか漬けていない。たぶん通常のベーコンには成らないだろう。まぁ、ベーコンに拘らず、燻製肉として提供すれば良いかな。
水を張ったボウルにバラ肉を漬けて、しばらく塩抜きをする。
その横で、食べやすいサイズにカットした肋骨肉に、塩胡椒を振り掛ける。
竈に火を点け、鉄フライパンを温める。原料の分からない植物油を馴染ませてから、包丁で潰したニンニクを軽く炒めて香りがついたら、肋骨肉を入れて表面を焼いていく。
「アナ、肉を焼くのを任せて良い? 表面を焼くだけだから、中まで熱を通さなくて良いからね」
焼く工程をアナに任せた私は、玉ねぎをくし切りにしてから大きな鍋で軽く炒める。
玉ねぎがしんなりしたら、アナが焼いていた肋骨肉をフライパンから鍋に移した。
玉ねぎの上に乗せた肋骨肉に、貯蔵室にあった赤ワインをドバドバと入れ、ローリエぽい葉を一枚入れてから、ゆっくりと弱火で煮込んでいく。
料理の工程を見ていたティアに、鍋の管理と灰汁取りをお願いした。
「ティアねえさん、料理に鱗粉を落とさないように気を付けてください」
「蝶や蛾じゃないんだから、鱗粉なんてついてないわよー!」
「同じような物です」
「全然、違うわよー!」
鍋を見ながら、ティアがエーリカに向かって、わーわー言っている。
妖精のティアを見てトーマスが反応するかと思ったが、トーマスは壁の染みのように身動き一つせず、私たちを監視し続けていた。一言も話さないので、もしかして立ったまま寝ているのかもしれない。
水抜きしていたバラ肉を取り出し、綺麗な布で水気を吸いとる。水に漬けていた時間は僅かであるが、元々ソミュール液に漬けていた時間も僅かであるから問題ないだろう。一応、塩加減を確認する為、バラ肉の端を切って、フライパンで焼いて味見をした。
何となく塩味がするかな? と首を傾げる塩加減である。まぁ、塩っ辛くなければ良い。
「アナ、肋骨肉の乾燥をお願い」
バラ肉には、肉の中にも水分を多く含んでいるので、アナに風の精霊の力を借りて、乾燥させてもらう。
こんな事で風の精霊の力を使うなと怒られそうだが、時間が無いので我慢してもらう。使えるものは何でも使うのだ。
ティアがせっせと灰汁取りをしているワイン煮の鍋を見る。
赤い液体がクツクツと煮立ち、ワインの香りが鼻をくすぐる。
本当は、ここにみりんや醤油を入れて深みを出したい所であるが、生憎とこの世界に無いので、ケチャップを入れる事にした。ただ、ケチャップもこの世界に無いので、ケチャップの代用のトマトソースを入れよう。
以前作ったトマトソースは既に使い切っているので、材料使い放題の機会だからエーリカと一緒に一から作る事にした。
新鮮で美味しそうな野菜を貯蔵室から持ってくる。
トマト、玉ねぎ、ニンニクを私がカットしてから、エーリカが順番に炒めて煮込んでいく。
クツクツと煮込まれるトマトソースに、ハーブをパラパラと入れてからティアに声を掛けた。
「ティア、水分が無くなりそうになったら水を足してね。絶対に焦がさないように注意して」
「あいよー」
ティアは元気良く返事をして、根気よく灰汁を取ってくれている。
「トーマスさん、燻製を作りたいのですが、煙を出しても良い場所はありますか?」
壁の染みと化していたトーマスに尋ねると、「それでしたら」とトーマスは貯蔵庫とは別の扉を開ける。
そこは裏庭に繋がっていた。
裏庭は、綺麗にレンガで区切られた菜園であった。
さすが、食道楽男爵。普通の貴族なら観賞用の綺麗な花が植えられている筈なのに、ここの裏庭は葉野菜を中心に色々な野菜が植えられ、管理されていた。
「アナ、バラ肉の乾燥はその辺で止めて、エーリカと交代してくれる。エーリカ、こっちに来て燻製セットを用意して」
昨日、エーリカにリンゴの幹やアナの家にあった木板で簡易燻製器を作ってもらった。まぁ、燻製器と言っても、ただの長方形の箱なのだが……。
上段、中断、下段と蓋を開けられる様にしてあり、上段、中断に細いリンゴの枝を網目状に組んだ木網が落ちない様に設置してある。
風の精霊で乾燥させたバラ肉を持ってきて、中断の木網の上に乗せた。
そして、リンゴチップを底に設置して、火を点ける。
このリンゴの枝で作ったスモークチップもエーリカの自家製である。
乾燥した枝の表面を除去した後、ドリルの魔術具で細かく削ってくれた。
昨日の試食に燻製を作ったので、ちゃんと煙が出るのは確認済み。
細かく削り固めたリンゴチップからユラユラと煙が上がるのを確認してから全ての蓋を閉める。
女子高生の時、燻製に興味が出て、通販で使い捨ての燻製セットを購入し、ベーコンを作った事がある。
段ボール製の燻製器をベランダに設置して、今回のようにソミュール液に漬けこんだ豚バラ肉を桜チップで燻製にしたのだ。
結果は失敗。
ベーコンではなく、燻製の香りがするローストポークが出来上がった。
温度が低かったのか、燻製時間が短かったのか分からないが、失敗である。
これはこれで美味しかったのだが、ベーコンのつもりで作ったので、がっかり感が半端なかった。
たぶん、今回も同じ結果になるだろうと予想される。
ベーコン作りと言っているが、ローストポークのつもりで食べれば問題ないだろうと開き直ろう。
「蓋を開けると温度が逃げるから、頻繁に肉の様子を見ないように。もし煙が消えていそうだったら、蓋を開けて、再度点けてね」
エーリカに注意事項を伝えてから、私は厨房へ戻った。
「アナ、トマトソースの鍋を火から下して、卵と燻製用のチーズを選んで持って来てくれる」
小さな鍋に水を入れて、火を掛けてからアナに指示を出す。
すぐに貯蔵室から卵とチーズを持てきたアナにゆで卵を作ってもらい、私はティアの元へ向かう。
赤ワインの色が付いた肋骨肉の周りを玉ねぎが躍るように煮込まれている。
その鍋の中にトマトソースを入れる。
多すぎると味が変わってしまうので、トマトソースは少しだけ入れた。
味に深みを出す隠し味のつもりで作ったが、思いのほか沢山作ってしまったので、後で入れ物に入れてお持ち帰りしよう。うん、計画通り。
「おじ様、卵が茹で上がりました」
少し早めにお湯から出したゆで卵を「熱い、熱い」と言いながらアナと一緒に殻をむいていく。
中身が半熟でありますようにと祈りつつ殻をむいたゆで卵とチーズを持って、エーリカのいる裏庭へ向かう。
隙間から煙が漏れている燻製器の上部の蓋を開けて、ゆで卵とチーズを木網に乗せて、蓋を閉める。
これでスモークエッグとスモークチーズが出来る。
さて、やる事が無くなってしまった。
男爵に提供する時間まで、まだ一時間ほどある。
ワイン煮と燻製はギリギリまで調理したい。
ワイン煮はティアに任せている。燻製はエーリカだ。
私とアナの二人は手持ち無沙汰になってしまった。
時間つぶしにスライムと遊んでいる訳にはいかないだろう。
うーむ、どうしようか? と思い悩んでいると、ある事を思い出した。
ワイン煮の付け合わせが無かった。
ベーコンの付け合わせとして、スモークエッグとスモークチーズを用意してある。
一方のワイン煮の付け合わせを用意していない。
肉だけ置いても良いのだが、折角なので、何か用意した方が良さそうだ。
さて、何を作ろうかな?
良い油があるからフライドポテトはどうだ? 少し多めに作れば、私たちのおやつになる。
ただ、料理が簡単で、すぐに出来上がってしまう。トーマスの監視の中、男爵が食べる前にバクバクと付け合わせ用のフライドポテトを食べる訳にはいかない。
それなら、ジャガイモ繋がりで、マッシュポテトが良いかもしれない。
マッシュポテトなら肉料理の付け合わせにぴったりだ。味も風味も口当たりも良いし、貴族に気にいるだろう。
早速、私とアナの二人で、付け合わせのマッシュポテトを作っていく。
茹でたジャガイモをスプーンやフォークで丹念に潰す。ポテトマッシャーが無いので、結構大変だ。
根気よく潰したジャガイモにバターと牛乳を少しずつ入れて混ぜ合わせる。
余談だが、おフランスの某有名料理店で供されるマッシュポテトは、ジャガイモと同等の量のバターを入れるそうだ。凄く、くどそうであるが、それで星を何個か取っている。
フランス料理は、何でもバターである。油の代わりにバターを引いて、味付けの調味料にバターを乗せて、最後の仕上げに焦がしバターを振りかける。お値段も高いが、カロリーも高い料理だと何かの本で読んだ事がある。
まぁ、私の作るマッシュポテトは常識の範囲内でバターを入れた。
そして、最後に塩胡椒で味を整える。
こうして、ベアボア肉を使った料理は完成した。
料理漫画の主人公みたいに、技術も突飛なアイデアもない普通の料理だ。
現代日本のインターネットで検索をかければ、同じようなレシピは沢山閲覧できる。
料理が趣味のただの女子高生が作った料理が、異世界の貴族に満足させられるだろうか?
昨日試食したエーリカ、アナ、ティアは美味しいと言ってくれた。
彼女たちの言葉を信じよう。
一抹の不安を抱えつつ、完成した料理を皿に移す。
クロージク男爵、いざ、尋常に勝負!
料理完成。
美味しく出来ました。