91 ベアボア料理をしよう その1
ベッドの中でゴロゴロと惰眠を貪っていると朝の鐘が耳に入ってきた。
仕方なく起き出した私とエーリカは、のそのそと食堂へ向かう。
食堂には、すでにアナとティアが朝食の準備をしていた。
今日は、グロージク男爵にベアボア肉料理を提供する日であるが、提供する時間が昼の軽食時なので急いで向かう必要はない。
見習い冒険者に成ったティアも冒険者ギルドが選んだ依頼を受けるだけなので、急いで依頼票を吟味しに行かなくていい。
つまり、私たちはゆっくりまったりと朝の時間を楽しむ余裕があるのである。
「お待たせしました。食事にしましょう」
アナの合図で、食卓に並んだ料理を食べ始める。
本日の朝食は、牛乳スープ、ベーコンエッグ、パン、温野菜である。
眠り過ぎてぼーっとする頭に牛乳スープは助かる。熱いスープを一口、二口と喉を通すと頭の中の靄が徐々に晴れていく。
黙々と朝食を食べていると、人参の温野菜をポリポリと食べていたエーリカが、ガツガツと食べているティアをじとっと眺めながら注意の言葉を飛ばす。
「ティアねえさん、食事の時ぐらい一人になって食べてください」
「えー、折角、分身したんだから、みんなで楽しく食べるわよー」
「一人で食べようが五人で食べようが栄養は同じなんですから、一人だけ食べて、残りは壁でも眺めていればいいでしょう。落ち着きがない」
「そんな罰ゲームみたいな事しないわよー。そんなんだからエーちゃんはぼっちなのよー」
まだ目が覚めていないので、あえて気にも留めていなかったが、今のティアは五人に分身している。
一人が温野菜を食べて、一人はパンを食べて、一人はベーコンエッグを食べて、残りの二人がスープを啜っている。
何とも落ち着きない食事風景である。
「ティアは確か最大で十人まで分身体を増やせるんだよね。もしかして、残りの五人は今も家のどこかに隠れていたりするの?」
家の中を見回しながら尋ねると、五人のティアが一斉に目を逸らして「そ、そんな訳ないじゃないー。魔力の無駄使いよー」と言っている。
これは、すでに最大数まで分身しているっぽいな。
「ティア、分かっていると思うけど、この家はアナの家だからね。好き勝手したら駄目だよ。特に食材。無駄食いしたら、弁償させるからね」
私がティアに注意していると、家主のアナが「別に構いませんよ」とニコニコしながらティアを眺めている。賑やかなのが嬉しいのだろう。アナは本当に良い子である。
「わーてるわよー。あんたらの留守の間、クロちゃんたちの面倒や家を警備してあげるんだから、文句言わないで」
恩着せがましい自宅警備員の妖精であった。
朝食後、ゆっくりと食後のお茶を楽しんでから出かける準備をする。
料理に使う食材や道具をエーリカの収納魔術に入れてから、徒歩で街へ入った。
私たちの周りを五人のティアが楽しそうに飛び回っている。
もしかして、五人で冒険者の依頼を受けるのだろうか? その事を話したら……。
「まさかー、一人はおっちゃんたちの手伝いに回すわー。残りの四人で依頼をこなしてくるからねー」
……と、わくわくした声を発しながらティアが飛び回っていた。
冒険者ギルドの窓口に、姿形がまったく同じの四人のティアが現れて、レナが凄く驚いて困っている図が目に浮かぶ。
「レナさんを困らせたり、怒らせたりしないで、しっかりと話を聞くんだよ」
「わーてるわよー」
「他の冒険者の迷惑を掛けたり、煩くしないようにね」
「子供じゃないんだから、心配しなくて良いわよー」
ああー、心配だ。
ティア自身を心配するのでなく、他の人に迷惑を掛けないかが心配だ。
子供に初めてお使いに出す母親の気分である。
「じゃあ、ティア、初依頼、頑張って」
「「「「おうともさー」」」」
貴族街に続く坂道の手前で、四人のティアに別れを告げる。
四人のティアは、「初依頼は何だろう」「ベアボア討伐だったらどうするー?」「蜂蜜取りよー」「果物採取でも良いわねー」と各々話しながら飛んで行った。
傍から見れば、四人で会話しているのだが、実質は独り言である。そう思うと、可哀想な光景である。
ちなみに、見習い冒険者の初仕事は馬糞回収だ。妖精が馬糞回収。とてもシュールである。
「本当に大丈夫かな?」
ティアの背中を見ながら心配そうに呟くと、エーリカが「問題ありません」と返ってきた。
「体が小さいので物理に弱いですが、力と魔力はあります。根は真面目ですから、途中で仕事を放り出したり、中途半端な事はしないでしょう。見習い冒険者程度の依頼なら問題ありません」
「さすがティアの妹だけあり、良く分かっているね」
「問題は、姿と口数だけです。あの姿で口を開くと注目を集めるので、変な連中に目を付けられたり、拐かされるかもしれません」
虫籠を背負った子供たちに追いかけられているティアを想像してしまった。
「担当するレナさんが大変そうだ」
「四人のティアねえさんの相手をするのです。非常に大変だと思います。心中を察します」
ティアの背中を見送った後、私たちはゆっくりと坂道を上り、脇道に入り、貴族街へ入る。
綺麗に整備された歩道を歩き、同じような家を眺めながらクロージク男爵の家を思い出す。
男爵の家はすぐに見つかった。目印はスライムである。
男爵の家の庭には、塀の側面に柵を囲って、緑色と灰色のスライムがプルプルと震えながら飼われているのだ。
私はすぐに玄関に行かず、スライムのいる塀に近づいた。
スライムが草を食べる所為か、柵で囲っている地面だけ芝生が生えていない。
私たちの姿を確認したグリーンスライムとグレースライムは、近づいてきてプルプルと震えだした。
「柵の隙間から逃げ出さないのかな?」
木板で組んだ柵は、私の拳大ぐらいの隙間が沢山出来ている。体の柔らかいスライムなら簡単に抜け出せそうだ。
「結界が張ってありますから大丈夫でしょう」
エーリカが杭を指差して説明してくれた。
柵の杭に小さな魔法陣が描かれており、その影響でスライムが逃げ出さない結界が張ってあるそうだ。
スライムの飼育の為に結界を張るとは、さすが貴族様である。
「か、飼われているだけあり、人に慣れていますね」
アナが、柵の隙間から指を入れて、スライムを撫ぜようとしている。
「スライムって触って良いの? 危険じゃない?」
「ただのスライムなら問題ありません。ご主人さまもスライム捕獲の依頼の時、触っていたでしょう」
エーリカに言われて、そう言えば、と思い出した。
私もアナを真似て、柵の隙間に指を入れる。
私の指を入れた瞬間、アナにコチョコチョされていた二匹のスライムが、すぐに私の指に近寄ってきた。
「あらら、おじ様の指が良いみたいですね」
コロコロとアナが笑う。
「おっちゃんの指、汗臭くて汚そうだから、爪垢でも食べたいんじゃないのー」
失礼な事を言うティアを無視して、私は二匹のスライムを指で触る。
水風船のような弾力。マシュマロのような肌触りで、とても気持ちが良い。貴族が飼いたくなるのが分かる。何匹か捕らえて、アナの家で飼ってみたくなってきた。
つい口元が緩んできて、しつこくコチョコチョしていると、トプンとグリーンスライムの体内に指先が入ってしまった。
「うわ、これ、大丈夫!? スライムに害はない!?」
「スライムの愛情表現です。さすがご主人さま、凄く気に入られています」
「ただ、腹が減っているだけじゃないのー。何が面白いんだか……」
ティアはスライムにまったく興味が無いみたいだ。
スライムの中は、マッサージを受けているみたいに柔らかい刺激を与えている。古い角質を食べるドクターフィッシュみたいな感触だ。
しばらくスライムを堪能した私は、スライムの体からスポンと指を引き抜く。指にスライムの破片がこびり付いている事もなく、いつも通りの毛の生えた指であった。
まぁ、念の為、石鹸で綺麗に洗っておこう。
私たちはスライムから離れ、玄関へ向かい、ドアノックを叩く。
エーリカたちの協力のおかげで、不味くて吐きそうなベアボア肉を食べられる味まで改善した。貴族であるクロージク男爵が気に入ってくれれば良いのだが……。
緊張で乾いた唇を舐めると、すぐに扉が開き、燕尾服を着た執事のトーマスが現れた。
「お待ちしておりました、皆さま」
猫背で痩せこけたトーマスは、恭しく挨拶をして、私たちを屋敷に入れてくれる。
世間話をする事もなくトーマスは私たちを連れて、左側の通路に入り、すぐ手前の扉を開けた。
そこは厨房で、綺麗に磨かれた木製の作業台やレンガで組み立てた竈や釜があった。
『カボチャの馬車亭』の台所より若干広いぐらい。食道楽男爵で名を知られている貴族の厨房なら、さぞかし広いだろうと思っていたのだが、これは拍子抜けである。
ただ、壁に掛かっているフライパンや鍋類は様々のサイズがあり、大きさや用途に合わせて使うナイフや包丁が収納立てに入っていて、広さの割りに道具や設備は充実していた。
「こちらにあります食材や道具は、お好きに使って構いません」
執事のトーマスが厨房の奥にある扉を開けると、そこは貯蔵室になっていた。
貯蔵室はひんやりと冷えている。何でも氷の魔石が壁に埋め込まれているそうだ。さすが食道楽男爵の貯蔵室である。
木箱の中に色々な野菜が入っており、棚には大きな葉で包まれた肉やチーズなどが置かれている。勿論、ベアボア肉も用意してあった。
私たちも独自に用意しているが、折角なのでベアボア肉以外、ここの食材を使わせてもらおう。決して、食材をけちるつもりではない。必要経費として使うのだ。
「では、改めて説明させていただきます。昼の軽食までにベアボアの肉を主食にした料理を提供していただきます。旦那様が美味しいと判断しましたら、今回の依頼は達成とさせて頂きます。では、始めて下さい」
そう言うなり、トーマスは私たちの邪魔にならないように、壁際へと移動した。
厨房から出るつもりはなく、私たちの監視役として居座るつもりなのだろう。
まぁ、無理もない。相手は一番位が低い男爵とはいえ、貴族様である。
見た目極悪人面の鉄等級冒険者が調理をするのだ。変な物や毒物を使われないように監視する事は必然である。
トーマスの視線が気になるが、私たちは事前に相談した料理を作り始める事にした。
少し、長くなったので分割。
中途半端な場所で切らせてもらいました。
次回、調理パート。




