89 ベアボア狩り その後
エーリカの手を繋いだまま、頭の無いベアボアの元まで向かう。
ベンの飼っていたベア子よりも二回りも大きなベアボアは、頭を食べられた断面から血が流れ、渇いた大地を赤く染めていた。
自分の血の上で死んでいるベアボアなので、血抜きは必要なさそうであるが……。
「これはちょっと食べたくないね」
巨大ベアボアを食材として見た場合、私は使いたくないと判断した。
魔力増し増し、男性ホルモン増し増しのバリバリ発情期だったベアボアだ。たぶん、相当獣臭そうである。
命を懸けて鬼ごっこをした仲であるが、食材としては不合格とさせてもらう。
私の意見を皆に伝えたら、皆も同意してくれた。
「食材としては使えないけど、冒険者ギルドに持っていけば買ってくれるよね?」
「わ、私はベアボアを討伐して売った事はありませんが、この大きさのベアボアなら魔石も素材も良い値で買ってくれそうです……たぶん」
アナの言葉を聞いて、少しだけ胸が高鳴る。命懸けで倒した魔物だ。高く買ってくれたら嬉しいな。
「じゃあ、持ち帰るとして、内臓は取り出した方がいいのかな?」
「食材として持って帰るなら、すぐに取り出した方が良いのですが、このベアボアは素材として冒険者ギルドに買って貰うので、そのままで良いと思います」
「アナの言う通りにしよう。エーリカ、このベアボア、収納魔術に入れそう?」
「大きすぎて無理です」
ですよねー。
服の裾がエーリカの収納魔術になっている。図体のデカいベアボアをそのまま入れる事は不可能だ。
同じようにアナの収納の魔術具は、肩掛けカバンなのでそれも無理である。
ここでベアボアを小さく解体すれば解決するけど、正直やりたくない。こんなデカいベアボアを収納魔術に入れるぐらい小さくばらせば、日が暮れてします。
どうしようか? と考えていると、「あたしが持って帰ろうか?」とティアが言ってきた。
「ティアも収納用の魔術具を持っているの?」
「魔術具じゃないわ。空間魔術で収納するの」
それは良い! と思い、早速、ティアに空間魔術をお願いした。
ティアは「任せなさい!」とアナの胸元から自信満々に右手を突き出した。
ティアは、ブツブツと呟きながら、突き出した右手をグルグルと回転させていく。
ティアの右手の先に黒い靄が集まりだし、右手の動きに合わせるように黒い靄が渦を巻いていく。
グルグルと回る靄は徐々に大きく広がり、巨大なベアボアがすっぽりと入る大きさまで広がった。
まるで渦巻銀河のような靄で、つい中に入りたくなる衝動に駆られてしまう。
「これ、私が中に入ったら、どうなるのかな? 窒息して死んじゃうかな?」
「そもそも入れないわよー。入った瞬間、空間魔術が壊れて、何も起きないわー」
「えっ、そうなの?」
私が疑問に思ったので、詳しく聞いてみた。
収納する空間魔術は非常にデリケートで難しい魔術である。
死体やただの物を入れるだけなら問題は無いが、生き物を入れると、生き物の魔力と使用者の魔術が反発して、空間魔術が維持できなくなり、壊れてしまうらしい。
「ほんの少しの変化で壊れちゃう難しい魔術なのよー。それを使えるあたしは凄いんだからー」
魔法や魔術に疎い私であるが、ティアの言う通り、凄い魔術なのは分かった。だが、今もアナの服の中で大カラスから逃げているティアを見ると、まったく凄さが伝わらない。
「じゃあ、回収しちゃうねー」
ティアは人差し指を動かすと、空間魔術で作った黒い渦がそれに合わせて動き出す。
動き出した黒い靄は、地面に倒れている巨大ベアボアをズズズと飲み込んでいき、収納していく。そして、ベアボアの姿が消えて、血で汚れた地面だけが残された。
その後、首の刎ねられたスモールウルフとゴブリンに顔を向けた。
「スモールウルフは、貧民地区の人は食べるのかな?」
「私は食べた事がありますが、非常に不味かったです。ただ、貧民地区の人は食べるかもしれません。それに毛皮や牙、魔石は買取対象ですので、そのまま冒険者ギルドに持って行った方が良いです」
「ゴブリンは流石に食べないよね」
赤黒い肌をした首のないゴブリンを眺める。
貧民地区の人たちとはいえ、人間の姿に近い物は倫理的にアウトだろう。もし食べていたらドン引きしてしまう。食人族じゃないんだから……。
「ええ、食べないと思います。魔石だけ回収して、燃やしましょう」
私とアナの話し合いで、スモールウルフは回収。ゴブリンは魔石を回収してから焼却処分と決めた。
解体の出来るアナがゴブリンの体にナイフを突き刺して、腹を裂き、手を突っ込んで体内をまさぐり、魔石を回収する。その様子をまじかに見る事になったティアが、「うぎゃー!」とアナの胸元から飛び出し、私たちの作業の方を手伝った。
私とエーリカとティアで、大型犬の大きさもあるスモールウルフを持ち上げて、黒い靄の収納魔術に放り込んでいく。
スモールウルフの頭をポイ。ベアボアの牙をポイ。グレネードランチャーで損傷が大きいスモールウルフもポイ。
その後、エーリカに穴を掘ってもらい、四人でゴブリンの遺体を穴の中に入れていく。
千切れた頭や腕などを顔をしかめながら、穴にポイポイする。
飛び散った内臓は、すでにゴブリンの血で汚れているアナにお願いした。
アナは嫌な顔をする事もなく、血まみれの内臓を拾っては穴に入れていく。
「アナちゃんが、想像以上に肝が据わっていて驚くわー」
「ど、動物の解体に慣れているだけですから……べ、別に凄くありませんよ……はぃ……」
ゴブリンの血で汚れている手をパタパタと振りながら、アナが照れている。
ティアは、別にアナを褒めた訳ではなく、引いているだけなのだが、あえて訂正はしないでおいた。
ゴブリンの死体で埋まった穴にエーリカが炎の魔術を放って、燃やしていく。
荒野とはいえ、魔物の死骸をそのままにしておくと、別の魔物が集まったり、死骸がアンデッドになったり、ゴースト系が発生したりするので、不要な死骸は燃やして埋めるのがマナーである。
もし、燃やしたり埋めたりする事が不可能な場合は、冒険者ギルドに報告すれば、別料金で代行してくれるそうだ。
死骸は、灰になるまで燃やす必要はなく、程よく焼いたら、そのまま土を被せて、埋めれば良いそうだ。
一段落したので、クロたちの元に行くと、いきなりシロが私の頭を齧りだした。
「ちょ、ちょっと、痛い、痛い! 何で噛み付くの!?」
「怖い思いをしたので、怒っているわー。おっちゃん、素直に謝ったら?」
「シロ、ごめんね。君を怖がらせたベアボアは、もう居ないから噛まないで!」
なぜかベアボアの代わりに私が謝っても、シロの噛み付きは収まらない。甘噛みであるのだが、これが結構痛い。そして、臭い。さらに怖い。
「首筋を撫でてあげてください。すぐに機嫌が良くなりますよ、おじ様」
革袋に入っている水で汚れた手を洗っているアナの言う通りに、シロに噛まれた状態で手を伸ばして首筋を撫ぜてやると、シロは私の頭から口を外し、気持ち良さそうに頭を空へと向ける。
もういいかなと手を離すと、もっとしろと言うように、シロの頭が私の体をグイグイと押してくる。
それを見ていたクロも私に近づき、クロの頭も私の体を押してくる。
シロとクロの頭に挟まり、グイグイと押され、身動き出来なくなってしまった。
「お腹を空かせているのかもしれません。リンゴを上げましょう」
見かねたエーリカが裾からリンゴを取り出し、私たちの元まで近づくと、シロとクロはすぐに私の元を離れ、エーリカに向かった。
スキンシップよりも食い気らしい。シロとクロにサンドイッチされるのは大変なのだが、リンゴに負けたと思うと少し寂しい。
「ベアボアに突撃されたけど、クロたちは怪我をしていない?」
私はアナから水袋を受け取り、頭を洗う。うぶ毛すら生えていない頭にシロの歯型がついていないか心配になる。
「まだ若くて臆病ですが、結構、頑丈なので怪我はしていませんよ。私たちを乗せて歩く程度なら問題ありません」
飼い主のアナが言うのだから、間違いないだろう。
私たちは、リンゴを食べ終えたクロたちに乗り、ベアボアとの鬼ごっこをした道を辿っていく。
道中、二匹のスモールウルフを回収し、二匹のゴブリンを処分し、ゆっくりと山沿いの窪地まで戻ってきた。
窪地には、二体のベアボアが倒れたままになっている。
一体は群れのリーダーの雄ベアボアであり、巨大ベアボアの頭突きで頭が陥没してしまい、舌をダラリと垂らしながら死んでいた。
もう一体は、巨大ベアボアに吹き飛ばされた仔ベアボアである。仔ベアボアは辛うじて生きていた。だが、呼吸は短く、瞳に正気を感じない為、いつ死んでもおかしくなかった。
他のベアボアの姿はない。散り散りにどこかへ行ってしまって戻ってくる気配はない。
「折角なので、子供のベアボアを楽にさせて、食材として持って帰ろう」
成熟した大人のベアボアよりも未成熟の子供のベアボアを狩ろうと話し合っていた所で、巨大ベアボアが現れて追い駆けっこが起きたのだ。
子供を狩るのに気が引けていたが、すでに助かる見込みもないので、私たちが楽にさせてあげる。そして、弔いを兼ねて、美味しく調理してあげよう。そう思えば、気が楽である。
「それでしたら、すぐに血抜きをして、内臓を取り出しましょう」
アナは喜々として、ナイフを取り出した。
身動きできず死にかけている仔ベアボアに近づいたアナは、ベアボアの喉にナイフを突き刺して、血抜きを行う。
僅かな傷痕からドクドクと血液が流れていく。そして、仔ベアボアの瞳から光が消えていき、呼吸が止まった。
「アナはベアボアの解体をした事があるの?」
「いえ、初めてです。猪は何度もありますから、問題無いと思います。まぁ、私がやるのは内臓を取り出す所までですので、その後は冒険者ギルドに任せます」
子供のベアボアとはいえ、サイズは成熟した牛ぐらいある。
私とエーリカでベアボアの後ろ脚を持ち上げて、アナが切りやすいように手伝う。
アナはベアボアの皮を引っ張りながら股間部分にナイフを入れて、ゆっくりとお腹の皮を切っていく。
「ここで内臓を傷付けて、体液を肉に付けてしまうと味が不味くなってしまいます」
「特に膀胱を傷付けた時は酷い事になります」とアナは説明をしながらナイフを丁寧に動かしていく。
股から胸部まで何度も細かくナイフを動かしてお腹を裂いていくと、腹膜に覆われた内臓がデロンとはみ出した。
アナは切り裂いたお腹に手を突っ込み、腹膜ごと内臓を外へと取り出す。
ベアボアの血の臭いを嗅ぎながら生の解体ショーであるが、ホラー映画好きの私はついつい見入ってしまう。ただ意味のない解体なら顔を背けていたが、調理の延長として見ているので、私にとって意味のある解体であった。
ちなみにエーリカはいつも通りの無表情、ティアは私たちに背を向けて顔を覆って見ないようにしている。
「綺麗な内臓です。これならお肉も期待出来そうです」
腹膜から内臓を取り出し、魔石を探しているアナが呟いた。
内臓の色や寄生虫の有無によって、肉の味が変わるそうだ。
「内臓はどうしますか? 食材として持って帰りますか?」
心臓近くで見つかった魔石を湧き水で綺麗にしたアナが尋ねてきた。
ちなみに魔石は、綺麗な黄色をしている。
「いや、貧民地区と違って、内臓を料理として使うつもりはないよ。勿体ないけど処分しよう」
安宿で食べたベアボアスープを思い出したエーリカとアナは即座に同意する。
その後、内臓を抜き取ったベアボアを冷たい湧き水の水場に沈めた。
透き通るような綺麗な水場が、ベアボアの血で染まっていく。
「理由は分からないのですが、内臓を取った後、水などで冷やした方が肉質が良くなるそうです」
私も聞いた事がある。
体中に残っている血液に、傷口から侵入した細菌などが繁殖して、肉の味を落とすらしい。それを防ぐ為に、肉の体温を下げて、細菌などの繁殖を減らすとの事。
この世界の住人は、目に見えないウイルスや菌の存在を知らない為、理由までは分かっていないのだが、経験から学んでいるようだ。
まぁ、私もネットを斜め読みした程度のにわか知識なので、間違っているかもしれないけど……。
内臓を抜いた仔ベアボアの体温を下げる間、しばらくやる事がなくなった。
その為、抜き取った内臓を燃やして埋めたり、頭が陥没して死んだ雄ベアボアをティアの収納魔術に入れたりする。そして、火を起こし、お茶を淹れて、休憩する事にした。
エーリカの収納魔術に入っているリーゲン産のリンゴと『カボチャの馬車亭』のパンを皆に配り、軽く腹ごしらえをする。
「エーリカ、どうして、そんなにもリンゴとパンを持っているの?」
「リンゴは、大ミミズの卵調査の時、傷みなどで廃棄処分するリンゴを沢山譲ってくれました。パンも売り残りで処分するのに困っていたので、代わりに貰いました」
「いつの間に……」
「食べる事に関しては、ちゃっかりしてるのは、今も昔も変わらないわねー、エーちゃんは。食い意地だけは一人前なんだからー」
体と同じサイズのリンゴを抱えながら、ガブリガブリと盛大に食べているティアには言われたくないだろう。
その後、ローズマリー入りのミント茶を飲みながら、仔ベアボアの肉を使った料理は何にするかを四人で議論した。
アナは、ステーキなど肉本来の味を楽しめるシンプルな料理が良いと提案する。
ティアは、肉や野菜が沢山入ったスープが食べたいと言った。
エーリカは、私の魔力から読み取った謎料理、スキヤキ、カツレツ、ハンバーグを食べたいと言った。
三者三様、色々な意見が飛び出て、白熱した議論を交える。
三人の意見を聞きつつ、私は実現可能で、癖の強いベアボア肉を美味しく出来るレシピを考え、最終的に二つの料理をクロージク男爵に提供する事に決めた。
明日はクロージク男爵に、癖の強いベアボア肉の料理を提供する。
街に戻ったら、足りない材料を買い、アナの家で提供する料理を作り、試食する。
まだまだ、やらなければいけない事は多い。
一時間ほど休憩をした私たちは、水に漬けていたベアボアを引きずり出し、ティアの収納魔術に入れて、ゆっくりとダムルブールの街へと帰って行った。
これにて、一連のベアボア狩りはお終いです。




