86 ベアボア狩り その3
「エーリカッ!?」
縄に絡め取られたエーリカがベアボアの背中から落ちて、地面を転がっていく。
「おっちゃん、安心して。エーちゃんはあんなんでは傷一つ付かないよー。アナちゃんが助けに向かったみたいだし大丈夫」
後ろから追いかけてきたアナがエーリカの元までクロを向かわせているのが見えた。
「それよりも、新手の魔物の心配をした方がいいよー」
突然現れた魔物を見る。
ベアボアを追いかけるように二頭の四足歩行の獣が舌を出しながら、必死に走っていた。
毛並みは黒に近い紺色。鼻先は尖って、鋭い牙を生やしている。
「あれは犬? いや狼かな?」
「スモールウルフよ」
スモールウルフは、スモールと付いているが大型犬ぐらいのサイズで、私たちが乗っているスレイプニルのシロやベアボアの速度に追いつく速さで走っている。
そして、そのスモールウルフには、なぜか子供が跨っていた。
気味の悪い子供だ。腰蓑をつけただけの裸同然の子供。欠食児童のように痩せこけた体付き。肌の色は赤黒く、私と同じように髪の毛はない。耳と鼻が尖っており、大きな瞳は真っ黒だ。
赤鬼の子供のようである。
「あれってもしかして、ゴブリン?」
「そう、ゴブリン。それもレッドゴブリンよー」
「レッドゴブリン? 何が違うの?」
「普通のゴブリンよりも知能が高い。だから、武器が使えたり、スモールウルフを乗り物として使っているのよー」
ティアの言う通り、スモールウルフに乗っているレッドゴブリンは、おもちゃのような弓矢を使って、前方を走っているベアボアに矢を放っている。
ただ、その矢には威力がなく、ベアボアの体には刺さらず、モップのような毛で弾かれていた。
「まさか、ゴブリンもベアボアを狩っているの? それに巻き込まれたの、私たち?」
「逆よ! ゴブリンがベアボアを使って、私たちを狩っているのよー。嫌がらせのような矢で興奮させて、私たちにベアボアをぶつけているの!」
「じゃ、じゃあ、ゴブリンも何とかしなければいけない訳!?」
「そうよー! ただ、ゴブリンは問題無さそうね」
「何で!?」と叫ぼうとしたが、すぐに理由が分かった。
猛スピードで走っていたベアボアが急停止する。
ベアボアのすぐ後ろを走っていたゴブリンの一体が急に止まったベアボアにぶつかり、スモールウルフと一緒にベアボアの足の間に挟まった。
ベアボアはすぐに動き出し、後ろ脚で地面に倒れたゴブリンとスモールウルフを踏みつける。
通常のベアボアよりも巨大なベアボアの体重が乗った後ろ脚は、ゴブリンの頭を砕き、スモールウルフのお腹を破裂させた。
走り出したベアボアは、もう一匹のゴブリンに向かって、体当たりする。
ぶつかったスモールウルフは、面白いように空を飛び、地面に叩きつけられる。
スモールウルフに跨っていたゴブリンは、ベアボアの大きな牙に突き刺さっていた。
腹を貫かれたゴブリンは両手両足をバタバタさせてギャアギャアと喚いている。
ベアボアは、ゴブリンを貫いたまま、私たちの後を追いかけ始めた。
その光景に私の背筋は凍り付く。
このままベアボアに追いつかれたら、私たちもゴブリンのように吹き飛ばされるか、踏み潰されるか、牙で貫かれるのであろう。
うう、凄く嫌だ……。
「おっちゃん、目の前に岩場があるわ! もう一度、ベアボアをぶつけてやるから、落ちないようにして!」
ティアの言う通り、三メートルほどの岩場が迫っていた。
私は急いで、シロの背中にしがみ付く。
「シロちゃん、このまま、このまま……避けて!」
ティアの叫びと同時に、岩場を急転回して、右へ避ける。
グンっと体が引っ張られて、シロの背中から落ちそうになるのを堪えた。
後ろを振り返ると、ベアボアも私たちと同じように急展開して、右へ避けた。
ただ、上手く避けきれず、ゴブリンを貫いていた牙が端にぶつかり、岩場の一部を粉砕した。その衝撃で、牙に刺さっていたゴブリンは腹を裂かれ、岩場と一緒に潰れてしまった。
「前回は、クロちゃんもいたから上手くいったけど、あたしたちだけでは、ぶつかってくれそうもないわねー」
冷静に分析するティアに悪いけど、ゆっくりと聞いている余裕はない。
ゴブリンが離れて身軽になったベアボアは、グングンと速度上げて、私たちに迫りくる。
お尻や股や下半身の異物が鞍に擦れて痛いし、ベアボアの恐怖で徐々にシロにしがみ付く力が弱くなってきて、いつ落馬してもおかしくない。
「ティアー! 何かこの状況を打開する案はないの? 魔術で何とかしてー!」
「無茶言わないでよー! あたしは幻影魔術しか使えないの! あたしの魔力よりもベアボアの魔力が強くて、魔術が効かないんだから、おっちゃんが何とかしてよー!」
「私、こんな姿だけどレベルは笑っちゃうぐらい低いんだから。何も出来ないよ!」
「あたしは妖精なのよー。攻撃手段なんか無いわよー」
「役立たず!」
「どっちがー!」
エーリカやアナも離れてしまって、全く余裕が無くなった私たちは口喧嘩を始めてしまった。
「もっとベアボアの力を削げば、あたしの魔術も効くのに、何でこんな時にエーちゃんがいないのよー!」
「シロや私の心臓を気にせず、グレネードランチャーを連発すれば、倒せたかもしれなかったのに……」
「そうよー、おっちゃんやエーちゃんが悪いわ。あたしはまったく悪くないわー! もっと、エーちゃんが……あっ!?」
エーリカに責任転嫁をしていたティアは、ある事を思いついたらしく言葉が途切れた。
何か良い感じの途切れ方で、余裕のない私は藁をも掴みたい状況なので、つい期待してしまう。
「ティア、何か良い案が思い浮かんだ?」
「おっちゃん、魔力抜きよー! ベアボア肉の魔力を抜いたみたいに、剣をバチバチさせてベアボアに突き刺して! 魔力が抜けた瞬間、あたしが幻影魔術で何とかするわ!」
期待して損した。今の私は情けない事に上手く魔力を操作できない。この事は、昨日の内に教えていたのに忘れたのだろうか? その事を口早に説明すると……。
「知っているわよー! 契約魔術をしたエーちゃん程じゃないけど、あたしの魔力でおっちゃんの乱れた魔力を一瞬だけ調整するわ!」
「そんな事、出来るの!?」
「あたしはヴェクトーリア製魔術人形よ! ありったけの魔力を使えば、一瞬だけど何とかするわ! 本当に一瞬だから、おっちゃんは素早く剣に魔力を注いで、ベアボアにブッ刺して!」
「わ、分かった!」
成功するか分からない一発本番の作戦である。
これが成功しなければ、シロかベアボアが力尽きない限り、追い駆けっこは終わらない。もし先にシロが力尽きたら、私たちは終わりだろう。
不安が全身を襲うが、ティアの作戦に賭けるしかない。
「シロちゃん、あたしが合図したら速度を落としてね」
ティアがシロに指示を出しから、私の胸元まで近づいた。
「いくわよ、おっちゃん。用意は良い?」
皮膚が擦れて痛む太ももに力を入れて、落ちないように踏ん張りながら、鞘からレイピアを引き抜く。
魔力が流れていないレイピアの重みでバランスが崩れるが、歯を食いしばり、落馬しないように耐える。
そして、渇き切った口の中で僅かな唾を飲み込み、ティアの瞳を見て「ああ」と呟いた。
「いっくよー! でいっ!」
ティアの体が光り出す。
私の鳩尾の少し上にティアの手を添えた部分から熱い塊が体内に押し込まれた。
ティアの魔力が体中を駆け巡り、私の魔力を押し流すように両手へと一気に集まった。
強制的に魔力を操作され、頭の中がクラクラし、倒れそうになる。
「おっちゃん、意識を保って! すぐに剣に魔力を注いで!」
ティアの必死な声を聞くと、ティア自身も余裕が無いのが分かる。
急いで、レイピアの柄から魔力を流す。
体中の魔力が手に集まっていたので、すぐにレイピアの刀身が光り出し、スパークが走った。
「シロちゃん、速度を落として!」
シロが人間の言葉を理解しているのか、ティアの声が特別なのか分からないが、シロはティナの言う通り速度を落とし、迫りつつあるベアボアとの距離を縮めた。
ギラギラと赤い目で私を睨みつけるベアボアと目が合う。ゾクリと鳥肌が立つ。魔物とはいえ、殺気を帯びた目で睨まれると、体が固まり恐怖が支配する。何でそこまで私を敵対視するのか分からない。
凄い速度で走るシロの背中の上で、体を捻り、魔力で軽くなったレイピアを掲げ、タイミングを計る。
いつ魔力の集中が切れるか分からないので、すぐにでもベアボアに突き刺したかったが、もし外してしまったら次は無いので、心の中で「焦るな、焦るな」と呟く。
「お、おっちゃん、あたしの魔力もすぐに切れるわ! 早く止めを刺して!」
「分かってる! もっと距離を詰めて、横にずらして!」
私が叫ぶと同時とすぐにティアがシロに指示を出す。
ベアボアとの位置が斜め後ろへと移動した。
良い位置だ!
レイピアを握る手に力を込めると……。
「ちょ、前、前、前!?」
絶叫に近いティアの叫び声があがる。
何? と前方を見ると、棘の生えたサボテンのような植物が目の前に迫っていた。
―――― 剣……振…… ――――
「……ッ!」
反射的にレイピアを前方に振るうと、刃先が当たっていないにも関わらず、棘の生えたサボテンの胴体がスパっと切れて、一瞬のうちに枯れた。
シロとサボテンがぶつかって怪我をしなかったのは良かったが、ちょっとした動作で集中力が切れ、レイピアに走るスパークが消えかかっている。
早くベアボアに突き刺さなければと、焦って後ろを振り向くと同時に衝撃が起きた。
「キャァッ!?」
距離を詰めたベアボアがシロの側面に体当たりして、シロが大きく跳ね上がった。
その衝撃で私はバランスを崩し、横へと倒れる。
落ちる!?
もう駄目だ! と思ったら、両足にかけていた鐙のおかげで、落馬は免れた。
だが、今もシロの横腹でブラブラして、いつ地面に落ちるか分からない。
目の前を乾いた土や岩が凄い速さで通り過ぎていき、息が詰まる状況だ。
「おっちゃん! ベアボアが来た!」
不安定に揺れる体でベアボアを確認すると、目と鼻の先にベアボアの赤い目が迫ってきた。
今度は私の体ごと、シロの横腹に体当たりする気だ!
恐怖のあまり、一気に汗が引く。
呼吸する事も出来ず、息が止まる。
頭の中が真っ白になり、思考が停止する。
「おっちゃん、今よ!」
ティアの叫び声で、真っ白になっていた思考が僅かに動き出す。
今にも落ちそうな体勢にも関わらず、レイピアは握り締めたまま。
私は迫りくるベアボアに向けて腕を伸ばす。
今に消えそうなスパークを纏わせたレイピアを突き付けると、ベアボアはレイピアごとシロにぶつかった。
レイピアを突き刺した痛みで、ベアボアの突撃は私を逸れ、シロのお尻へぶつかる。
その衝撃で両足の鐙が外れ、空中へ投げ飛ばされた。
うわっ、落ちる!?
目の前に乾いた大地が迫り、衝撃に備えて両目を瞑った瞬間、一瞬だけ体が空中で止まり、そのままドサっと地面に倒れた。
「な、何が起きたの?」
理由は分からないが、一瞬だけ空中で動きが止まったおかげで、大した痛みもなく地面に着地できた。
「は、早く退いてよー!」
私の胸からティアの声が聞こえる。
すぐに体を立て直すと、地面の上で大の字に倒れているティアがいた。
小さい体にも関わらず力持ちのティアが、私を落馬の衝撃を和らげてくれたらしい。
「ティア、ありがとう。助かった……」
「まだよ!」
そう言うなりティアは、パタパタと力無く飛び上がり、後方を見た。
鼻っ面にレイピアが突き刺さったベアボアが痛さで顔を振りながら、私たちに向けて突進してきていた。
「今度は、あたしの番よ。おっちゃんの魔力抜きが効いている事を願ってて……」
土埃をまき散らしながら、徐々に迫る巨大ベアボア。
腰が抜けている私は、地面に座っている事しか出来ない。
そんな私の前にティアは自信満々に空中で仁王立ちし、今にもぶつかりそうなベアボアに向けて腕を突き付けた。
「『幻夢』!」
ティアが叫ぶと、ベアボアの顔に靄が纏わりつく。
「よっしゃー! 効いたわ! ……って、うそっ!?」
効いたかどうか分からないが、ベアボアの動きは止まる事はなく、私たちに向かって走り続けていた。
「危ない!?」
私は目の前のティアを両手で掴み、体を倒して横へと転がる。
その直後、巨大ベアボアが凄い速さで通り抜けて行った。
ベアボアがまき散らす小石が体中に当たり、地味に痛い。
深い溜息が漏れる。どうやら、助かったみたいだ。
「あ、危なかった……無事、ティア?」
「ぐ、ぐるじいぃ……」
強く握りしめていた両手を放すとティアが飛び出す。
ヘロヘロと飛ぶティアは私の肩口に乗り、走り去ったベアボアを眺めた。
「魔術は効いているの?」
「ええ、ばっちりよー。強い衝撃を喰らわない限り、私たちの幻影を追いかけ続けるわ。ちなみに目的地はあれよー」
ティアが指差す先は、三百メートルほど離れた場所にある岩山であった。
その岩山に向かって、ベアボアは無我夢中で走っている。
「壊れやすい岩と違って、大地と同じ岩山にぶつかれば、ベアボアとはいえ頭が潰れて駄目になるでしょうね。見物だわー」
くっくっくっと楽しそうに笑うティア。さすがエーリカの姉だけあり、残酷な事を考える。
「もうすぐぶつかるわ! 行け、行け、行ぃけぇぇーー!」
ティアの叫びに合わせるように、猛スピードで走っていたベアボアは、速度を落とす事なく巨大な岩山にぶつかった。
ここからでも衝撃音が聞こえる程の衝突だ。
「よっしゃー! やってやったぜー!」
オレンジに近い赤い髪を靡かせながら、ティアは勝利のガッツポーズをする。
私は深い溜息を吐いた。
行方不明のベアボアを探せば窃盗団と戦闘になり、ベアボア肉を食せば胸やけを起こし、ベアボア狩りを行えば命懸けの鬼ごっこが始める。
もう、ベアボアはこりごりだ。
明日の依頼が上手くいったら、今後、ベアボアとは関わらないでいこう、と私は心に誓うのであった。
アケミ・ティアコンビで、ベアボア討伐。
鬼ごっこ終了です。




