84 ベアボア狩り その1
ベアボアの生息地も聞けたし、ティアの冒険者登録も無事に終わった。早速、ベアボア狩りに向かうつもりでいたのだが、エーリカから防具屋へ行こうと提案されてしまった。
「ご主人さまの守備力が心配です。危険性の少ないベアボアとはいえ魔物相手に狩りを行うので、安全を期すためにご主人さまの防具を購入しましょう」
以前使っていた皮鎧は、ブラック・クーガーとワイバーンのせいで壊れてしまった。
今の私は、麻製のシャツとズボンだけだ。魔物と対峙する恰好ではない。ただの街人Aの格好だ。
ただ、ベアボア狩りとはいえ戦闘にいく訳ではないし、何よりお金を使いたくなかったので、エーリカの提案を断ろうとした。だが、アナとティアも賛同するので、渋々行く羽目になってしまった。
冒険者ギルド印の防具屋は、東地区に入ってすぐにある。
そう言えば、東地区をしっかりと歩いた事がなかったな。今度、暇な時にでも歩いてみようと心のメモ帳に記載する。
防具屋は、武器屋と対して変わらない内装であった。
手に取って見える棚には、中古の鎧や兜などが乱雑に並んでいる。カウンターの奥は新品らしく、バーの酒瓶のように目立つように陳列されていた。
お金は男爵から貰った軍資金から使うつもりなので、予算は銀貨二枚。つまり中古品しか購入できない。
色々と手に取って試着した結果、私の防具は皮製に決まった。
鉄などの金属製の防具は重くて実用性が感じられなかった。中古とはいえ値段も高いので、金属製は私には合わない。
魔物の鱗で作った胸当ては、皮製と対して重くなく、耐久性が優れていたので、少し悩んだが、予算がオーバーしていたし、血痕の跡みたいな汚れが付いていたので諦めた。
鎧でなく、服の下に仕込む鎖帷子も良いかと思ったが、これがなかなかに重く、値段も高い。
結局、以前と同じような皮鎧と、ちょっとだけ金属が入った脛当てと手甲を購入した。全て中古品で、冒険者割引とエーリカの値引き交渉で、銀貨一枚で済んだ。
余談だが、防具屋のおっちゃんにティアが「妖精用の防具はないの?」「ないよ」「本当にないの?」「ないよ」としつこくやり取りして困らせていた。
最初は渋っていた私であるが、防具を新規一転した事で、今すぐにでもスライムやホーンラビットと戦いたい気分になってしまった。心移りの速い女である。おっさんだけど……。
ただ、今日は討伐ではなく、安全を最優先にした狩りである。
防具が新しくなったとはいえ、自分のレベルは一般市民ぐらいだ。能力相応以上の事はしないよう気を引き締め、私たちは冒険者ギルドの前で待ちぼうけしているクロたちの元に戻り、南門に向かう。
ピザを購入するお客で賑わう『カボチャの馬車亭』を横目で眺め、臭い空気を漂わす貧民地区を通り過ぎ、やる気のない南門の門兵に身分証を提示してから、ダムルブールの街を出た。
広大な荒野の先に広がる山脈。
雲一つない真っ青な空を背景に連なる山脈は、キルガー山脈と呼ばれ、隣国の境界線になっているそうだ。
頂上付近には白い雪に覆われているので、標高は相当高く、非常に険しい為、自然の城壁となっている。
一応、隣国警備として兵士が駐在した事で、今では駐屯地が発展し町が出来ているそうだ。そこは鉱山の運営をしており、犯罪者や囚人が刑罰として、鉱山で働かされているとの事。
私たちが捕らえた犯罪者も今ではそこで働いているのだろうと思うとしみじみしてしまう。
私たちの目的地は、その街の付近である。
クロとシロに乗った私たちは、時々休憩を挟みつつ、乾いた土で覆われた荒野の中をゆっくりと進む。
いや、荒野というよりも、もう砂漠である。
照り付ける日差しが私のツルツルの頭を焼いていく。まだ朝方なので我慢できるが、これからますます気温が上がっていくと思うと防具よりも帽子を買うべきだと反省した。
道中、大きなトカゲやナイフのようなハリネズミが地面をウロウロしていたり、空には鷲ぐらいの大きさのカラスが飛んでいるのを見かけるだけで、特に目ぼしい物は存在しない。
私の股を気遣ってゆっくりとしたペースで進んでいるにも関わらず、ティアは何もない荒野でも楽しそうに話し続けていた。
「アナちゃん、鉄鋼ネズミがいるわ。おっちゃんの皮鎧よりも頑丈よ。ちなみに結構美味しいわよー。あっちの岩陰にサンドスライムが擬態しているわ。ちなみに食べられないわよー」
クロの頭にしがみ付いているティアが、後ろに乗っているアナに、魔物を見つけては指差して教えている。
鉄鋼ネズミは一見岩にしか見えないアルマジロであった。サンドスライムについては、擬態が完璧すぎて私では砂とスライムの見分けが付かなかった。
「あの棘が付いている植物は魔物だから近づかない方が良いわよ。ちなみに食べられないけど、水分は豊富よー。右の端にある岩山、あれロックタートルよ。一日に数メートルしか動かない引き籠りよー。ちなみに味は知らないわ。ほぼ岩山だから狩った人はいないんじゃないかな?」
ティアの魔物ガイドを聞いていると、何も無いと思っていた荒野でも、結構魔物が生息している事に驚いた。
それにしても、どうして美味いとか不味いが最後に付け加えるのかな? エーリカに教えているのだろうか?
「エーリカも魔物がいる事は気づいていた?」
「いえ、わたしはあまり魔物について詳しくありません。ティアねえさんが適当に言ってるだけかもしれませんから、話半分で聞いておいてください」
「適当じゃないわよー! エーちゃんたちと別れて、狩人連中に捕まる間、色々な場所を冒険したから知っているだけよー。経験の知識。生の知識よー」
ブーブーとティアの文句を聞きつつ、ゆっくりと向かう事数時間、高い山々が連なる山脈が目の前に迫ってきた。まだまだ距離としては遠いのだが、徐々に標高が上がってきた事で、日焼けした肌を冷たい風が冷ましてくれる。
砂漠地帯を抜けた事で、草木が生え始めている。また、ゆっくりと流れる小川もあり、雪解け水の澄んだ色をしており、非常に冷たそうだ。
「ご主人さま、この辺がベアボアの生息地だと思われます」
「ああ、私もそう思う。レナさんに教えてもらった通りの場所だね」
レナには、キルガー山脈手前の草木が生い茂る場所にベアボアがいると教えてもらった。
まさにこの辺であるのだが、今の所、ベアボアらしき生き物は見当たらない。
「おじ様、私が風の精霊に聞いてみましょうか?」
アナがベアボア誘拐事件の時みたいに、風の精霊に教えてもらうつもりでいる。
ちなみに、風の精霊の親戚みたいな妖精のティアに風の精霊みたいな事は出来ないのか? と聞いてみたところ、「精霊と妖精は違う」と返ってきた。
簡単に言うと、精霊は目に見えない力や気の集まりである。その精霊が一つに集まり物質化したものが妖精である。妖精も元は精霊であるが、似て非なる存在らしく、自我が芽生え言葉を話せるまで進化する事で別の扱いになるそうだ。まぁ、ティアの場合、妖精の姿をした自動人形なので、姿形だけのえせ妖精なのである。
そんなティアにエーリカが「使えない」と言いそうだったので、急いでエーリカの口元を押さえた。
これからアナが風の精霊に呼びかけるので、姉妹の口喧嘩で中断して欲しくない。
「風の精霊さん、風の精霊さん、私の願いを聞いてください。ベアボアを探しています。場所を教えてください」
アナがクロの背中に乗りながら、両手を空に伸ばして、何もない空間に話し掛ける。
しばらくして、何も反応がないのを確認したアナは、手の位置を変えて、違う方向へ再度呼びかけた。
ティアも空気を読んで、口を噤んでいる。
私、エーリカ、ティアの視線を感じながら、何回も風の精霊に呼びかけ続けると、一陣の風がアナを中心に吹き出した。
「返事がありました。あっちの方です」
アナは東側の山脈沿いを指差した。
私たちは風の精霊の示す場所へクロたちを歩かせる。
徐々に斜面を上り始め、草花だけでなく、岩場も目立ち始めた。
「ん? エーリカ、キョロキョロとどうしたの?」
冷たい山風で体が冷え始めた頃、私の前に座っているエーリカが周りを観察するように顔を動かしている。
「何か変な感じがします」
「変? どう変なの?」
「視線を感じます。それに風に乗って、異臭もします」
視線? 誰かに見られているの?
私も顔を動かして、キョロキョロと周りを見回すが、私たち以外、誰もいない。ただ、岩場や急な斜面が多く、死角に隠れているのかもしれない。
「ティアねえさんは、何か感じますか?」
「うん、少し前から感じていたよー。ただ、確信がなかったから今まで黙っていたけど、エーちゃんも感じているとしたら間違いなさそうねー」
「ちなみに、異臭ってどんな臭い?」
「汗の臭い、体臭の臭い、糞尿の臭い、血の臭い……僅かだけど、そんな臭いがするわねー」
臭いの種類を聞いただけで不安が募る。
「ど、どうしますか? か、帰りますか?」
青い顔をしたアナが、不安そうに聞いてきた。
「視線や臭いの強さから相手との距離はまだ遠いでしょう。わたしたちはベアボアを狩りに来ただけですので、この場から移動すれば、無くなるかもしれません」
「エーリカの言う通り、たまたま通り掛かった私たちを見ているだけかもしれないね。気味が悪いけど、このままベアボアを探してもいいんじゃないかな?」
「おっちゃんの言う通りよー。ここまで来たんだから、ベアボアの一匹や二匹、連れて帰るわよー」
「ご主人さま、念の為、視界の開けた場所を通りながら、ベアボアを探す事を提案します」
こうして、私たちはベアボア探しを続ける事になった。
正直言って、嫌な予感がする。今すぐに帰りたい気分である。ただ、依頼達成の為、新鮮なベアボア肉を求めて、ベアボアを探さなければいけない。
ティアも含め、私たちは無駄口を叩かず、山沿いを進んでいく。
私は不安を解消する為に、エーリカの腰に回している腕に力を入れる。
ギュッと抱きしめる形になったエーリカは、背中を倒し、私にもたれ掛かってきた。さらに後頭部を皮鎧越しにグリグリとしている。
私は別段甘えたかった訳ではないのだが、気分が紛れたのは間違いないので、そのままエーリカの好きな様にさせておいた。
何度か風の精霊に呼びかけたアナの案内で、ようやくベアボアを発見した。
今、私たちは急斜面の高台にいる。ベアボアたちは高台の下にある窪地に集まっていた。
窪地は雪解け水の地下水から湧き出る水場になっており、サギやフラミンゴのような足が長く細い鳥が数羽立ち止まっていた。
ベアボアは水辺の周りに生えている草場に集まって、鳥たちの邪魔をしないように草を食べている。
数は六頭。四頭はベア子と同じ平均的なサイズ。その一頭の横にくっ付いて行動している、少しサイズの小さい仔ベアボアがいる。最後の一頭は、一回りほど大きく、群れの中心で膝を折り、眠っていた。大きいベアボアがこの群れのリーダーの雄なのだろう。
牛の飼育には、穀物飼育と牧草飼育がある。
穀物飼育は、言葉の通り、穀物を主に食べさせる飼育だ。栄養管理が良いだけでなく、肉の臭みを取り除き、代わりに穀物の香りを移す事が出来る。ただ、自然でない飼育だと批判があるらしい。
一方、牧草飼育は、地面に生えている草を主に食べさせる飼育だ。大地の養分を取り入れている草を食べるので、肉に独特な臭いがつく。
好みは人それぞれであるが、私は穀物飼育が主体の日本の牛肉に慣れているので、どうしても独特な臭いのついた牧草飼育の肉は苦手である。
私好みにするなら、ベアボアに穀物だけの餌を与えて、独特の臭みを和らげたい。だが、いかんせん。クロージク男爵の期限は明日である。あまりに現実的でない。
それならと、仔ベアボアを見る。
成熟した肉よりも未成熟の肉の方が美味しいらしい。食べた事が無いから分からないが、仔牛や仔羊という年齢で分けた肉料理がある事から、成熟肉と未成熟肉では、味も値段も違うのだ。
依頼の為には、仔ベアボアを狩るべきなのだが……。
「子供の未成熟肉の方が美味しいと聞いた事があるけど、さすがに親子を引き剥がすのは忍びないね。体の大きな雄も例外として、どのベアボアを狩ろうか?」
「ご主人さま、若い方が美味しいのですか?」
「そうらしいよ……食べ比べた事がないから断言できないけど、そう言われている」
「では、仔ベアボアを狙いましょう。母親も一緒に狩れば問題ありません」
エーリカがしれっと言う。私とアナとティアが、エーリカの顔を見て引いている。何て恐ろしい娘……。
「エーちゃん、姉であるあたしも、たまに恐怖を覚えるわよー」
「依頼の内容を考えた上での発言です。美味しい方が重要です」
「あ、あれ何てどうですか? 他のベアボアよりも若そうです」
アナが指差しているベアボアは、群れから少し離れた場所で、黙々と草を食べている一匹のベアボアだ。ただ、他のベアボアと比べて若いかどうかは、まったく分からない。
さて、どうするかな……と悩んでいると、前方の急斜面から小石や岩がゴロゴロと転がってきた。
そして、巨大な影が斜面を転がるように、目の前を通り過ぎていった。
なに!?
あまりにも唐突に現れ、走り去っていった巨大な影……。
それは、群れの雄リーダーよりもさらに大きなベアボアであった。
やはりと言うか、雲行きが怪しく成ってまいりました。




