73 挨拶回り
この執事は何て言ったのだ?
ベアボアの肉を美味しく料理しろと言ったのか?
あんな不味い肉を美味しく料理してどうするつもりだ?
そもそも美味しく出来るのか?
私がこの異世界に強制転移された初日に食べたベアボア料理を思い出すと、今でも吐き気がする。それだけ、インパクトが強く、私の心にトラウマを植え付けた料理だ。
クロージク男爵は食通と言っていた。これも食に対する飽くなき探求心という事だろうか?
それなら自分らでやってくれ。私を巻き込まないでほしい。
私は不可能だと断ろうとした時、執事のトーマスが私の元まで来て、小さな袋を私に渡した。
「こちらは材料費です。銀貨三枚が入っています。この金額で材料を購入して、ぜひ美味しい料理を提供して下さい」
私が断る前に軍資金を渡された。「残った金はいらない」と言われてしまい、借金を背負った私には、受け取らざるをえなかった。
「こちらを冒険者ギルドに提出して下さい。正式な依頼になります」
トーマスから文字の書かれた木札を受け取った。
直接、当人が窓口で依頼授受をしなくていいのか? 偽造されないか心配になる。
そして、私たちはトーマスに連れられて執務室を退室する。
私たちが出ると、白銀等級冒険者のラースとナターリエが代わりに執務室へ入って行った。
トーマスを先頭に廊下を進み、玄関まで送り出される。つまり、要件が済んだので、さっさと出ていけという事だ。
「結果の報告は三日後でお願い致します。昼の軽食に旦那様に召し上がってもらいます。調理場を提供しますので、昼前に来ていただき調理をお願いします」
そう言い残して、玄関の扉を閉められた。
「…………」
「えーと……おじ様?」
「……どうしよう?」
「ご主人さま、まずは冒険者ギルドへ向かいましょう」
ここで立ち尽くしていても意味が無いので、冒険者ギルドへ向かいつつ話し合う事にした。
「以前、ベアボアを使った料理を食べた事があるけど、凄く不味かった。人間が食べていい肉じゃない。拷問道具になりえる肉だった。エーリカは、ベアボアの肉を食べた事はある?」
「ありません」
「アナは?」
「私は食べた事があります。生前、父が討伐した時に、肉の一部を持ち帰ってきた時がありました。おじ様の言う通り、とても不味くて一口食べるのが限界でした」
「肉の臭みを取る方法は幾つか知っているけど、それで食べられるようになるかな?」
「私は、薬草と塩胡椒を多めに付けて焼きましたけど……駄目でした」
私とアナがうーんと唸りながら、貴族街を出て、坂道へと下っていく。
「ご主人さま、わたしは食べた事がありません。わたしも食べてみたいです」
「ああ、これからベアボアの肉を購入して、色々と試してみるから、その時食べられるよ。期待せず待っていて」
「いえ、わたしはご主人さまが食べたというベアボアの料理が食べてみたいです」
「まじで!?」
「ご主人さまと記憶の共有です」
訳の分からない事を言っているエーリカだが、私とアナの二人がベアボアの肉を食べた事があるので、仲間外れに思っているのかもしれない。
素直にそう言えば良いのに……それがエーリカっぽいのだが……。
後で私が食べた貧民地区の安宿へ行く事が決まった所で、裕福地区へ戻ってきた。
依頼の授受もあるので、そのまま冒険者ギルドへ向かう。
冒険者ギルドに入ると、すでに冒険者の姿は居らず、閑散としていた。
「アケミさん!?」
窓口で書類整理をしていたレナが声を掛けてくれた。
私たちはレナの元まで向かい、挨拶もそこそこに怪我で心配かけた事を詫びた。
レナは「自分のレベルを考えて行動してください」とか、「ブラック・クーガーは討伐対象外なので逃げるべきでした」とか、「生きているのが奇跡なんです。自分の命を優先してください」と、嬉しそうにお説教をしてくる。
途中で、奥の部屋からギルマスが現れ、二言三言話してから威圧感たっぷりの壁のような女性に首根っこ掴まれ、元の部屋へと戻されていった。
レナの小言が一段落した後、私は薬草採取の依頼からブラック・クーガーの戦闘、ワイバーンと黒い騎士について、一通り報告する。たぶん、アナの方から既に報告が上がっていると思ったが、レナも「ぜひ、お願いします」と言われたので、思い出しながら伝えた。
その後、昨日、今日の出来事を伝え、執事のトーマスから受け取った木札をレナに渡す。
「パウル・クロージク男爵からの依頼ですか……」
「こんな木札だけで、依頼の授受は可能なのですか?」
「本当は駄目です。依頼主か代理の人が、必ず冒険者ギルドの窓口で依頼の受付をしなければいけません……が、貴族の方は、まぁ、例外というか……」
貴族特権と言うものだろう。お偉いさんは違うね。
「でも、これがまかり通るなら偽造とかの問題は無いんですかね」
「一応、署名の横に家名の印が押してありますので、それで判断しています」
サインの横に封蝋の様に赤い蝋に印が押してある。レナの話では、平民が貴族の印を真似して偽造したら、確実に首を刎ねられるので(物理的に)、リスクを考えると偽造詐欺は起こらないそうだ。
「それで、依頼内容は……料理の提供で間違いありませんか?」
「え、ええ、間違いありませんが……それだけしか書かれていないのですか?」
未だに異世界文字が読めない私は、木札に書かれている内容は分からない。
「はい」とレナが答えたので「それで良いの?」と返したら、「貴族の依頼ですから」と言われた。
冒険者ギルドと貴族の間にも色々とあるのだろう。ただの冒険者の私がとやかく言う事ではないので、深くは追及しない。
ただ、レナにベアボア肉について聞きたかったので、私の方から詳しく依頼内容を伝えた。
「ベアボアって魔物のベアボアですよね。そのお肉を美味しく料理するんですか?」
「その様です。何か良い案はありませんか?」
「魔物肉を食べるのは、貧民地区の人たちだけですので、私の方からは何とも……」
「ベアボアの肉を買いたいのですが、商業地区に売ってますかね?」
「私の知る限り、売っている所は見た事がありません。誰も買いませんから……やはり、肉も貧民地区で売っていると思いますよ」
魔物に詳しい冒険者ギルドでも、料理方法は知らないみたいだ。
話が一段落した後、私たちは久しぶりにレベルアップの確認をした。
私のレベルは一つ上がっていた。ブラック・クーガーの死闘がレベルアップの糧になったのだろう。
現在はレベル七である。こうして、目で見れる成長があると嬉しくなる。
アナもレベルが一つ上がって喜んでいた。ブラック・クーガーに止めを刺したのが大きかったみたいだ。
ちなみに、エーリカは変わりなしとの事。
こうして、私たちはベアボア料理の探求の為、冒険者ギルドを後にした。
次に向かったのは『カボチャの馬車亭』である。
貧民地区に行く途中にあるので寄ってみた。
『カボチャの馬車亭』に入ると、ちょうどカリーナが受付の椅子に座って、何かをしていた。
私の姿を見たカリーナは、急いで台所に入って、カルラとブルーノを呼んでくれた。
「クズノハさん、あんた、大火傷をしたと聞いていたけど……本当に怪我をしていたのかい? 以前と変わらないんだけど……」
嬉しそうに受付にきたカルラが、ピンピンしている私を見るなり、訝しそうな顔をして、私を観察している。
「ええ、この二人のおかげで、以前と同じぐらいに回復しました」
「まぁ、何はともあれ、元気そうで何よりだよ。それで今日からまた泊まりにくるのかい?」
「そのつもりだったのですが……」
料理の依頼が舞い込み、台所を使わなければいけないので、当分アナの家に厄介になる旨を伝えた。
それを聞いたアナは、「いつまでも居てください」と嬉しそうに同意してくれる。
「折角、宿泊代無料だったのに、それは災難だね」
「依頼期間は三日ですので、その間は、私たち用に部屋を開けておかなくて構いません」
「お言葉に甘えて、そうさせてもらうよ」
リンゴパイのレシピの報酬で、借金返済まで宿泊代を無料にしてもらっている。怪我で七日、今回の依頼で三日を宿泊無料が使えなくて勿体ないと思ってしまう私はケチなのだろうか?
「落ち着いたら、全快祝いに食事を用意するから、知り合いも呼んで、貸し切りで祝おうかね」
「その時は宜しくお願いします」
話も一段落したので、今回の依頼についてカルラに相談してみた。
「ベアボアって、魔物のベアボアかい? さすがに魔物肉で料理をした事はないよ」
「そうですよね」
「魔物肉は、基本、苦くて臭くて食材に向かないと聞くね。食べているのは貧民地区の連中だけ。それだけ、貧しいんだね」
「マルテが食べた事があると言っていたよ」
カルラの横で私たちの話を聞いていたカリーナが声を出した。ちなみに、ブルーノさんは今まで一言も話していない。
「へー、マルテちゃんが? どうして、食べたの?」
「マルテの知り合いに貧民地区の子がいるらしいの。何でも怪我か何かで困っていた所を助けたら、後でお裾分けで貰ったらしい。試しに食べてみたら、お腹壊したって言っていた」
ベアボア肉は、腹を壊すし、吐き気もするし、トラウマも植えられるし、凄い肉である。
話を聞く限り、ハンカチ屋のマルテにベアボア肉の調理法を聞きに行っても意味はなさそうだ。
結局、自分たちで何とかするしかない。
どうしたものか……。
話しが長くなり、分割したせいで、挨拶回りで終わりました。




