65 幕間 アナスタージアの追想 その4
私はアケミおじ様とエーリカ先輩と一緒にベアボア探しの依頼を受けた。
依頼主に会う前に、なぜかハンカチ屋を訪れる。
エーリカ先輩が自慢するだけあり、素敵なハンカチであった。
何でも、刺繍の絵はアケミおじ様が描かれたとか……。
私も欲しくなり、おじ様に無理を言って似顔絵を描いてもらい、衝動的に注文してしまった。
出来上がるのが、楽しみである。
誘拐されたベアボアを探す為、エーリカ先輩の指導の元、風の精霊と仲良くなった。
誰もいない荒野に向かって、目に見えない精霊に話し掛ける。
恥ずかしくて、涙が出そうになった。
エーリカ先輩のいじめかと思い始めた時、風の精霊から返答がきた。
この時をきっかけに、目に見えない精霊に話し掛ける事が日課になった。ただ、傍から見たらおかしな人に見えるので、一人でいる時にしかやらない。
その後、無事に盗賊たちの住処を見つけ、戦闘になる。
私は魔法で風の壁を作り続ける事で精一杯だった。
エーリカ先輩は、右手を外し、筒状の魔術具を取り付け、犯人たちに向けて石を飛ばした。
凄い音が洞窟内に響き、着弾した石が辺り一面を吹き飛ばす。
凄い威力である。ベアボアを退避していなければ、爆音で心臓が止まっていただろう。
本当、見た目と違って凄い少女である。
怪我で顔が腫れあがったアケミおじ様に驚いたり、帰り道で白銀等級の冒険者に襲われたりしたが、無事に依頼は完了した。
昼過ぎに仕事が終わった私は、巷で噂になっているピザを食べる事ができた。
ピザを食べる前にジャムと呼ばれる果物の甘煮をパンと一緒に食べた。
美味しすぎて言葉を失う。
ジャムの甘さは、果物や蜂蜜の甘さとは違って驚いた。
もし家にジャムがあれば、パンの消費量が倍以上になってしまうだろう。
ピザは、パン生地の上にトマトで作ったソースを塗り、チーズを上から掛けて焼いた食べ物だった。
こちらも凄く美味しかった。
特にトマトのソース。ただトマトを煮込んだだけでは出来ない、複雑な味がした。ピザ自体は簡単で、似たような料理は既にあるのだが、この複雑な味のするトマトソースは、薬草を使わなければ思いつかない代物だ。私は、ピザ全体よりもトマトソースに目が奪われてしまっていた。
最後にリンゴパイなる物を食べた。
ジャムやピザ以上の衝撃である。パンとは違うサクサクとした生地。その中にジャムと同じリンゴの甘煮が入っていた。サクサクとした生地と甘いリンゴが口の中に広がり、言葉に言い表わせない幸せが体全体を包む。
この世には、私の知らない料理が沢山あるのだと知らしめた食べ物であった。
まったりと食後を楽しんでいると、若い青年が現れた。
何でもドライヤーなる魔道具の相談に来たとか……。
それにしても、アケミおじ様は一体何者なんだろうか?
低レベルの冒険者で、低位の魔物相手にギリギリの闘いをする厳つい中年の男性。それが可愛い絵を描いたり、美味しい料理を作る。さらにドライヤーなる髪を乾かす魔術具を作ろうとしている。
本当、アケミおじ様は不思議な方である。
明日は、リーゲン村まで行く事になった。道中はクロとシロに乗ってもらう約束をする。
その為、私は家に帰るなり、クロたちをいつも以上に綺麗に梳いであげた。
もしかしたら、家の中に入るかもしれないので、家の掃除も丹念にした。
昨夜作ったスープが二日分残っている。もし、おじ様たちに残り物のスープを見られたら恥ずかしいので、今日の夕飯と明日の朝食で食べきる事にする。
その所為で、食べ過ぎで寝付くまで苦労した。
次の日、予定通り、クロとシロに乗ってリーゲン村まで辿り着いた。
道中、アケミおじ様が股を痛めたりするが、誰しもが通る道なので我慢してもらう。
リーゲン村は長閑で平和な村だった。村によっては、閉鎖的で排他的な場所があり、外から来た冒険者を毛嫌いする村もある。だが、このリーゲン村は私たちにとても気さくで優しかった。
村人たちはクロたちを見て、驚いていたのが面白かった。私にしてみれば、足が八本あるだけで、普通の馬と変わらないのだが……。
村の至る所に大きな穴が開いている。これが大ミミズが飛び出した穴だろう。こんな大きな穴を作る魔物をどうやって討伐したのか気になる。今度、おじ様に詳しく聞いてみよう。
大ミミズの卵探しは、私とエーリカ先輩が行った。
暗く狭い地面の中を這うのは初めてで、宝探しをしているみたいで楽しかった。
エーリカ先輩よりも先に私が卵を見つけた。エーリカ先輩の前では言えないが、優越感が募っている。
商談はアケミおじ様に任せ、私とエーリカ先輩は集まってきた子供たちの相手をした。子供たちにクロとシロに乗せてあげて、乗馬を楽しんだ。子供たちは勿論、クロたちも楽しそうにしていたのを見ると、依頼が無くても、またこの村に来たいと思った。
帰り道、森の街道沿いでギルマスと青銅等級冒険者の人たちと会った。
思っていた以上に森の様子がおかしいらしく、普段は見かけないフォレスト・クーガーを仕留めたとギルマスが自慢気に話している。
クーガーと聞いて私は不安に染まる。父を殺した魔物は、フォレスト・クーガーの上位種でブラック・クーガーである。同じクーガーな所為で、父が亡くなった日の事を思い出してしまった。
その後、特に問題も起きず、夕方までアケミおじ様やエーリカ先輩が私の家にいてくれて、クロたちの世話をしてもらったり、掃除などを手伝ってくれた。
クーガーの件はあったが、とても楽しい一日であった。
そして、次の日、私たちは薬草採取の依頼を受け、森の街道沿いに来た。
薬草採取の依頼は何回も受けた事があるし、今は枯れているが、以前は家庭菜園で薬草を育てていた経験から特に問題なく依頼達成量を採取できた。
私は普段から料理に薬草を使っているので別として、普通の人は体の調子が悪くなった時にしか薬草は使わない。
だが、アケミおじ様が言うには、薬草にも色々な効能があるので、体調が悪くなくても薬湯やお風呂に入れて使っても良いと言っていた。悪い所を直すだけではなく、常に健康を維持する為に使用しても良いらしい。今後、安眠効果のあるミーレ草を薬湯として飲み続けてみようと思う。
私たちが無事に薬草を採取し終えた時、森の方からギルマスと三人の青銅等級冒険者が血相を変えて飛び出してきた。
何でも森の奥でブラック・クーガーが現れたそうだ。
私はそれを聞いて、目の前が真っ暗になる。
父を殺した同種の魔物が目の前の森の中にいる。そう思うと、足が震えてきた。
ギルマスはすぐさま応援を呼ぶために、サシャと呼ばれる冒険者に指示を出して、ギルドまで向かわせた。
緊急招集の音はすぐに鳴った。腕利きの冒険者がすぐにでもここに集まってくるだろう。魔物討伐を生業としている腕利きの冒険者たちである。ブラック・クーガーとはいえ一溜まりもないだろう。だが、そんな状況でも犠牲は付き物である。そう、私の父のように……。
父の事を知っているギルマスは、それでも鉄等級冒険者のエーリカ先輩をブラック・クーガー討伐に参加させた。
エーリカ先輩の魔物を引き寄せる能力が必要との事。
父を亡くした私であるが、実際にブラック・クーガーを見た事のない私は、強く反対できなかった。
そんな私とアケミおじ様は力不足という事で、退避命令が下る。
アケミおじ様と一緒に私の家へ向かう。
エーリカ先輩が心配なのだろう、おじ様は頻繁に後ろを振り返っていた。
私も不安になり、ちょくちょくと後ろを確認する。
手が震え、足が震える。悪い想像が次から次へと現れては消えていく。
おじ様も私同様、不安であるにも関わらず、私を気遣ってくれる。
見た目に反して、とても優しい人だ。
私たちは何も出来ず、林に入り、私の家へと向かう。
そして、異変に気が付いた。
家の敷地に張ってある結界が壊れて、無力化していた。
不安が頂点に達する。
絶対に何か悪い事がこの先で起きている。
その直感は現実へと変わった。
私の家の方向から生き物の断末魔の叫びが聞こえたのだ。
今にも逃げ出したい衝動を抑え、私たちは獣道を進んだ。
そして、そこには……。
アイツがいた。
父を殺した黒い獣。
禍々しい真っ黒の体毛を靡かせ、私が飼っている鶏を生きたまま食い殺している。
なぜブラック・クーガーが私の家の敷地内にいるのだろう? ブラック・クーガーがいるのは、少し先の森の奥だったはず。
それなのに、私たちが向かった先に待機しているようにいた。
私は直観的に、誰かの悪意を感じた。
私はすぐに逃げましょうと提案したが、アケミおじ様は首を振る。
理由を聞くと、クロとシロが危ないから助けたいとの事。
私にとってクロとシロは家族であるが、おじ様はそうじゃない。もしクロたちを助けに向かった際、ブラック・クーガーに見つかってしまえば、襲われてしまう。低レベルのおじ様では、歯が立たないだろう。
それなのに、おじ様は助けたいと言った。私の家族だからという理由で……。
混乱して、おじ様の事を「お父さん」と言ったり、散々失礼な事を言った私に対して、大事な仲間だからというだけで、私の大事な家族をブラック・クーガーから救いたいと言い退けたのだ。
絶望に染まっていた私の心が薄らいでいく気がした。
どんなにレベルが低くても、おじ様が出来ると言えば、出来てしまう信頼感があった。
私はそんなおじ様の言葉を信じ、クロとシロを助ける事に賛同した。
結論からいえば、クロとシロを逃がす事が出来た。
だが、アケミおじ様と私の二人が、窮地に立たされてしまった。
私がいくら魔法を放ってもブラック・クーガーに傷を与える事が出来なかった。
おじ様の攻撃も同じ結果である。
傷を負わす事が出来なければ、倒す事は不可能。
ブラック・クーガーがどこかへ行ってくれればいいのだが、残念ながら相手は私たちを殺す気満々である。
おじ様の魔術で視力を奪ったブラック・クーガーに、私が使えるもっとも強力な魔法、『雷槍』を使うが、狙いを定めても上手く当たらず意味がなかった。
もし、ここにエーリカ先輩がいれば、もっと上手く対応できただろう。傷すら与えられないブラック・クーガーを相手に「案があります」といって、生きる希望を与えてくれるだろう。彼女はそれだけの能力がある。
それに引き換え私は……。
何も出来ない私は、情けなさと絶望感で、意気消沈してしまっていた。
仲間と言ってくれたアケミおじ様を助ける事も出来ず、ただ二人とも、飼っていた鶏のように食い殺されてしまうだろう。
だが、諦めかけていた私におじ様はエーリカ先輩のように希望の言葉を掛けてくれた。
「アナ、私に案がある。私が合図したら、さっきの魔法を撃てるように用意しておいて」
どの冒険者よりもレベルの低いアケミおじ様。そんなおじ様がブラック・クーガーに対して、考えがあると言った。
どのような案なのかさっぱり分からないが、私はおじ様が与えられた希望に向かって信じる事にした。
その後のアケミおじ様は凄いとしか言えない。
小雨が降る中、素早い動きをするブラック・クーガーの攻撃を紙一重で躱していく。
動き自体ぎこちないのに、なぜかブラック・クーガーの攻撃が当たらない。さらに躱した後で細身の剣で反撃までしているのだ。
達人は、相手のちょっとした動作……視線や筋肉の動き、ちょっとした空気の流れで、相手の動きを先読みする事が可能だと聞いた事がある。
接近戦は門外漢な私でも、おじ様の動きは先読みに近いものがあると思った。
おじ様は本当に低レベル冒険者なのだろうか?
だが、そんなおじ様の動きも長くは続かず、ブラック・クーガーに押し倒されてしまう。
私は無駄だと分かっていても魔法でおじ様を助けようとするが、やはり役に立たない。
だが、役に立たない私の魔法でもブラック・クーガーの猛攻に隙を作る事が出来た。その隙をついて、おじ様は細身の剣をブラック・クーガーの口へ突き刺した。
これがおじ様の考えた案だと、私は気が付いた。
外が駄目なら中から。
おじ様の合図で『雷槍』が撃つ流れだったが、たぶんおじ様の案が失敗した時の第二の案だったのだろう。
必死にしがみ付いて、細身の剣を押し込んだおじ様は見事にブラック・クーガーの頭を貫通させた。
普通の生き物なら頭を破壊すれば、動く事は出来なくなる。
だが、ブラック・クーガーは魔物だ。魔物はしぶとい。確実に息の根を止めない限り、油断はしてはいけない事は、冒険者にとって常識である。
だが、冒険者の経験が浅いおじ様は、やりきった感が出ている。いや、怪我や疲労で動けないでいた。
これでは、死に体のブラック・クーガーに襲われる可能性が高い。
私はおじ様を助ける為、『雷槍』の用意をした。
「風の精霊よ、我の言葉を聞き届けたまえ!」
ベアボア探しの依頼を受けた時から私は精霊を使う事が上手くなった。
以前よりも私は強くなっている。
「天駆ける精霊よ、黒雲を集積し乱れ踊れ!」
ありったけの魔力を精霊に渡し、私の願いを叶えてもらう。
荒れ狂う雲の塊から光が迸る。
「全てを貫く光の槍を、我に代わり敵を穿て!」
頭に角が生えたように細身の剣が突き刺さったブラック・クーガーは、馬場の中央に立ち尽くしている。
私の魔法では傷一つつける事も出来ないブラック・クーガーの体だが、樹齢百年の大木を真っ二つに裂ける事が出来る自然の力なら自慢の黒毛も耐える事は出来ないだろう。
狙いが外れないよう、全ての魔力を出し尽くす。
そして、光の槍をブラック・クーガー目掛けて、落とした。
「『雷槍』ッ!」
轟音と共に世界が光に包まれる。
光が消え元の世界へと戻ると、ブラック・クーガーは焼け焦げた死骸へと変わっていた。
魔力を使い果たしたおかげで、命中率皆無だった『雷槍』は、見事、ラック・クーガーに当たり、焼き殺す事に成功する。
あのブラック・クーガーを倒せた。
父を殺したブラック・クーガーを……。
私とアケミおじ様の二人で……。
私はふらつく足で、ブラック・クーガーの死骸を観察しているおじ様の元へ向かった。
おじ様は全身傷だらけだった。特に左手が見るも無残な形になっている。私の家に保管してある回復薬で完治できるか心配になる。
私は急いで回復薬を取りに向かおうとした時……。
そいつは現れたのだった。
巨大な翼を生やしたトカゲのような魔物。
竜の下位種……飛竜のワイバーンが私たちの目の前を飛んでいた。
意味が分からなかった。
理解の範疇を超えていた。
別の世界に迷い込んでしまったような夢とも現実とも判断つかない非現実的な光景だった。
そんなワイバーンの背に黒い男が跨っているのに気が付いた。
兜も鎧も小手も脛当ても全てが黒い。
黒い騎士だ。
特殊な方法で飛竜を捕まえ、洗脳し、背に乗って空から攻撃をする飛竜部隊のある国が存在する。だが、その部隊を所持している国は、私たちがいる国とは別の遠い国である。
そんな部隊がわざわざここまで来たのだろうか? そして、なぜこの瞬間に現れ、私たちの目の前にいるのだろうか? それとも、まったく別の者か?
色々な疑問が荒れ狂う風のように頭の中をかき混ぜ、冷静な思考には程遠り状態になっている。
おじ様も同じで、口を半開きにして、空を停滞しているワイバーンを眺めているだけだった。
ワイバーンの背に跨っている黒い騎士は、独り言のように何かを呟いている。その内容は、まったく理解できない。
なぜか黒い騎士は私を見つめた。
体中の毛穴が開き、悪寒が走る。口から息が漏れて、呼吸が出来なくなる。
視線はすぐにおじ様の方へ移動するが、悪寒は続き、足が震え出し、足元がおぼつかなくなっていた。
黒い騎士は、二言三言呟くと左手を持ち上げ、上空に針のような細く長い真っ黒な槍を作り出す。
そして、槍をおじ様に向けて投擲したのだ。
おじ様を中心に衝撃が走る。
私は吹き飛ばされて泥濘んだ地面に叩きつけられた。
痛みで意識が朦朧とする。
意識が飛びそうになる視界に黒い槍に刺さったアケミおじ様が、ワイバーンの炎で燃やされていくのを視界に映った。
目の前で、おじ様が燃やされてしまいました。
その後の話を一話だけ投稿して、第二部へ入ります。
宜しく、お願いします。