64 幕間 アナスタージアの追想 その3
散々、泣き腫らした次の日。
私はある事を思い出して、急いで外へ出た。
案の定、クロとシロの腹減った視線を受ける。
以前も夕方の餌をあげず、一晩中ほったらかしにした事を反省したのに、またやってしまった。
「ごめん、ごめん。今度、遠出してあげるから許してね」
私の言葉が通じたのか分からないが、大人しく私の後を追うクロたちに急いで餌の用意をする。そして、クロたちが餌を食べている間に厩舎と馬場の掃除を急いで済ませた。
一段落ついたので、井戸で顔を洗う。冷たい水で顔を洗うと、泣いて腫れていた目元が若干すっきりした。
私は自分の朝食を食べる事はせず、急いで街へと向かった。
なぜ、急いでいるかと言うと、雨が降りそうだからだ。いつ降り始めてもおかしくない天気である。雨が降る前に、行きたい場所があるので急で北門を抜けた。
生暖かい風を感じながら、私は教会へ続く道を歩く。
山の頂に教会は建っているが、私はそこまで行かず、坂道の中腹で道に逸れる。
脇道へ入ると、そこは綺麗に整理されたお墓が並んでいた。
こんもりとした地面の端に丸い形をした墓石が並んでいる。
私は墓石に刻まれた名前を見ながら、うろ覚えな記憶を頼りに父の名前を探す。
父の葬儀以来、一度も来ていない。葬儀の際、夢現だったので、場所もはっきりとしない。どうしようもない親不孝者である。
しばらく、探しながら歩いていたら、ふっと思い出した。
母の隣だ。そんな事も覚えていなかった。本当、親不幸者だ。
母のお墓は知っている。何度も父と墓参りをしているからだ。父と母のお墓は、崖に近い場所にある。
私は急いで父と母が眠る場所へ向かった。
長い年月、雨風に晒され、ボコボコに削られた墓石のお墓が母である。その横に、真新しい丸々とした墓石のお墓が父である。
父のお墓の前に白い花が添えられている。私と違い、父は慕われていたようだ。父の事を好きだったが、そんな事も知らなかったのかと、心の中で笑ってしまった。
私は道中に積んできた花を、父と母の墓石の前に添えて、膝を折り、目を瞑った。
心の中で父と母に語り掛ける。自分の事、クロたちの事、家の事、これからの事……。
長い時間、心の中で語った。時間を忘れて語り続けた。
最後に 女神さまにまでお祈りしてしまった。
私はゆっくりと立ち上がり、二つのお墓に向かって「また来るね」と告げて、家へと帰った。
家に着くとパラパラと雨が降り始めた。
空を見上げると真っ黒な雲が街全体を覆っている。
雨が降る時にしか出来ない魔法がある。風の精霊に雨雲を一か所に集めてもらい、雷を落とす魔法だ。
私の魔力では、ただ雲を集めて、適当に雷を落とすだけなのだが、もっと上位の魔法使いなら自分が定めた場所に的確に落とす事が出来るそうだ。
空を覆う雨雲を眺めていたら、初めて雷を落とす魔法を試した時の事を思い出した。
父から雷の魔法があると聞いた日は、ちょうど今日みたいな雨模様だった。
父と一緒に外に出て、何度も何度も試行錯誤しながら、精霊に雲を集めてもらい、一発の雷を落とす事に成功した。こんな短時間で成功するとは思っていなかった父は、とても驚いていたのを覚えている。
ただ、雷は落ちたのだが、事前に狙いを定めていた場所には落ちず、家のすぐ横の樹齢百年ほどの大木に落雷し、駄目にしてしまった。その大木は根本で切り、今では薪割り用の台にしている。
ちなみに、雷を落とした私は、魔力を使い切って倒れてしまい、再度父を驚かせてしまった。
そんな思い出が頭の中に蘇り、また涙が出てきそうになる。
私は軽く頭を振り、雨が本降りになる前に急いでクロたちを厩舎に入れてから、家の中へと入っていった。
ようやく朝食である。
雨音を聞きながら、一人で何日目かになる牛乳スープを食べた。
今まで味気なかったスープは、そこそこ美味しかった。
食事を終えた私は、家の中を徹底的に掃除する事にした。
床、壁、窓は勿論、竈の煤まで綺麗にする。一人になってから一度も使っていない浴槽も洗った。今日は久しぶりにお風呂にでも入ろうかな。また母が残した使わない調理器具を整理したり、薬草の残りを確認したりもした。
最後に父の部屋へ行き、もう使われる事のないベッドのシーツを剥がし、部屋の隅々まで掃除をした。
一通り家の中を掃除した所為で、疲れてしまった。以前よりも体力が無くなっている事に気が付く。
そんなヘロヘロになっている状態でも、疲労以上に満足感が上回っている。
私は休憩がてら、椅子に座り、父が残したお金を確認した。
残りのお金を勘定し終わる事には、血の気が引いている状態になっていた。
お金の残りが想像以上に少ない。
今すぐどうこうなる程、少ない訳ではないが、このまま私が何もせずに過ごせるのは、あと十数日が限界だろう。
さて、どうしようか……。
私一人だけなら、ホーンラビットでも狩って食べていけば生きていける。ただ、私にはクロとシロという兄姉を世話しなければいけない。彼らが主食とする飼葉はそれなりにする。朝夕とそれなりの量を食べる。それも毎日である。その為、大量の飼葉を定期的に購入するので、値段もそれなりになっているのだ。
今までのように冒険者ギルドの椅子に座り続けていれば、間違いなく数十日後にはお金が無くなり、住む家も無くなり、路頭に迷うだろう。
悩んでいる暇はない。
働かねば!
この世には色々な仕事があるが、私が出来る事など一つしかない。
冒険者である。
だが、父と違い、私一人で冒険者を続ける事は無理だろう。
私は魔法使いだ。
魔法使いは後衛職。前衛職が前にいて、ようやく活躍できる。
私一人ならホーンラビットの二体や三体同時になら倒せるだろう。だが、それ以上の数に襲われたら、手が足りない。また冒険中に魔力切れを起こしたら、まともに動く事も出来ず、生きたまま魔物に食べられてしまうだろう。
さらに現在の私は、以前に比べ、体力が足りない。長い間、何もせず冒険者ギルドの椅子に座り続けた弊害である。
魔物退治にこだわらず薬草採取やゴミ収集などの依頼を主に受けても、魔物討伐依頼に比べ、依頼料が安いので、クロたちを養うには足りない。
私は覚悟を決めなければいけない。
今まで父と二人で生きてきた。今は一人である。だが、一人で冒険者は無理そうだ。だから、赤の他人と組まなければいけない。
私のような半端者の冒険者と組んでくれる酔狂がいるだろうか? それが問題だ。
どうしようかと悩んでいると、ある二人組の冒険者の姿を思い出した。
ちぐはぐの二人。私と父の間柄に似ている二人。大ミミズ討伐という冒険をした二人。
あの二人ならもしかして……。
私は覚悟を決めた。
次の日、覚悟を決めた私は玉砕した。いや、正確にいうと自爆である。
二人組の冒険者を見つけたら、簡単に挨拶をして、先日の間違いを詫びて、仲間にしてもらうお願いをする。一連の流れを何度も何度も頭の中で練習を繰り返しながら、冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドに到着した私は、いつも通り椅子に座り、二人組の冒険者を待った。ドキドキが治まらない。頭が霞みかかってくる。ただ待っているだけなのに、倒れそうだ。
そして、彼らが現れた。
すぐにでも彼らの元まで向かいたかったが、少し様子を見る事にした。
冒険者ギルドに来て、いきなり話し掛けると迷惑だろう。話し掛ける機会を伺った方がいい。
つい呼吸が荒くなる。近くに座っていた男性冒険者が不審な目で私を見てくるが気にしない。いや、きにする余裕がない。
二人組の冒険者は、依頼票を吟味して、窓口へ向かった。
今だ!
私が席を立つと、周りの冒険者から騒めきが起きる。
「おはようございます、私、アナスタージアと言います」
「先日は申し訳ありませんでした」
「私を仲間にしてください」
頭の中で何度も反復した言葉を思い出す。
ドキドキが止まらない。
呼吸が荒くなる。
頭がクラクラしてきた。
断られたらどうしよう。
話しすら聞いて貰えないかもしれない。
逆に簡単に仲間に入れてくれるかもしれない。
不安と期待を持って、震える体を前に出し、二人の冒険者の近くまで行き、一日の気力を全て出し切るつもりで、声を掛けた。
「え、えーと……」
振り向く二人。
余りの緊張に、頭の中で何度も繰り返し練習をしていた言葉が、綺麗さっぱり消え失せた。
頭が真っ白になる中、どこか父に似ている厳つい冒険者の顔を見たら、つい「お父さん」と口から出てしまった。
困った顔をする厳つい冒険者が何かを言いかけるが、泣きそうになった私はすぐに外へと逃げてしまった。
前回と同じ過ち。
何か吹っ切れた気がして、新しい未来に向けて歩けると思った矢先、同じ失敗を繰り返してしまった。
まったく成長しない自分が悔しくて、泣きそうになる。
私は冒険者ギルドの入口近くで蹲っていた体をすくっと立ち上がらせる。
遠目で見ていた通りすがりの人がビクっと肩を震わせたが気にしない。
まだ私は何もしていない。ただ言い間違えただけだ。勝手に間違えて勝手に逃げただけ。まだ、仲間にしてくださいとお願いした訳でも、それを断られた訳でもない。諦めるには早い。
私は再度、冒険者ギルドに入り、二人の冒険者を探すが、ギルド内には見当たらない。入り口近くで蹲っていたから、外へ出て行った訳でもない。
それならと、冒険者ギルドの建物と繋がっている武器屋を覗くと……二人はいた。
武器を吟味している最中である。
私は話す機会を伺いながら、扉の隙間から様子を見ていると、チラチラと二人が私の方を見始めた。
私は急いで隠れる。
折角、武器を選んでいるのに、私が邪魔をしては申し訳ない。それに人形のような華麗な少女が少し怖い。殺気とまではいかないが、私を邪魔そうな目で見ている。
だから、厳つい冒険者が私の方へ向かって来たので、つい走って逃げてしまった。
これでは、ただの不審者だ。ただ、仲間にしてほしいだけなのに……。
その後、外へと出ていった二人の冒険者の後をばれないように追いかけた。
二人はたまに足を止めて後ろを振り返るが、私は瞬時に物陰へ隠れる。
話し掛ける機会を伺っているだけで、別に隠れる必要はないのだが、どうも隠れ癖がついてしまった。
私の隠れる能力が凄いのか、二人は気にした風もなく、北門まで向かい、街の外まで出て行った。
そして、木や岩などを利用して後をつけていると、突如、炎の塊が飛んできた。
私は急いで風の壁を作ったが、一瞬の事で魔法の精度が弱く、粉々に砕けてしまう。
驚いた私は、そのまま尻もちをついて倒れてしまった。
何が起きたのか分からず、涙目になりながら辺りを見回すと、厳つい冒険者が私の前に立っていた。
私の方から話し掛けるつもりでいたのに、向こうから来てしまった。
厳つい冒険者が心配そうに私に話し掛けてくれたので、急いで返事をしたら……また、「お父さん」と言ってしまった。
また間違えたと思い、逃げようとしたら、私の後ろに人形のような少女が、冷たい目をしながら、禍々しい道具を腕に嵌めて、背筋を凍らせる恐ろし音を響かせながら、仁王立ちしていた。
その後の事は、あまり覚えていない。
混乱している私に、優しく声を掛ける厳つい冒険者と時々脅してくる華麗な少女によって、私は当初の目的であった言葉を言う事が出来た。
「仲間にして下さい」
その後、私のたどたどしい言葉を根気良く聞いてくれた冒険者二人――たまに脅してくる少女がいるが――は私を仲間にしてくれた。
ただ、正式の仲間ではない。
お互い何も知らない間柄だ。それに彼らは借金を背負っている。私にはまだお金に余裕があるので、依頼料は受け取らない事にした。
そういう事で、私は仮とはいえ、冒険者の仲間が出来たのだ。
声を掛けるだけで、ヘロヘロになってしまった。ただ、これが私にとって人生二回目の本当の冒険だったのかもしれない。
厳つい中年男性の名前はアケミ・クズノハ。この辺では見かけない変わった名前である。色々あって私はアケミおじ様と呼ぶ事になった。
人形のような華麗な少女はエーリカ。こっちも色々とあってエーリカ先輩と呼ぶ事になった。エーリカ先輩は、私を後輩と呼ぶ。何か複雑な気分である。
実際に仲間になった事で、私が勘違いをしていた事があった。
歴戦の戦士と思っていたおじ様は、実は弱くて、レベルが五しかないと聞いた……冗談だろうか?
実際にホーンラビットを討伐して、冗談でない事が分かる。
銅等級冒険者だった父と一緒に冒険をしていたので分かるが、おじ様の武器の扱いは素人同然だった。そして、魔物を倒す際、躊躇いを見せていたので、アケミおじ様の言っていた事は本当だったのだ。
一方、華麗な少女であるエーリカ先輩は凄い。判断も早く、指示も的確で、変わった魔術を使う。そんな彼女は、おじ様を危なげなく補助をしている。
私は想像と違う現状に落胆する事はなかった。逆に私の役割があると確信した。私は仮にも鋼鉄等級冒険者で、父と色々な依頼をこなした。エーリカ先輩と同じ、アケミおじ様の補助に回れば、役に立つと確信したのだ。
父の後を追いかけていただけの冒険でなく、お互いに助け合う冒険が私の第二の冒険であった。
久しぶりにホーンラビットの肉を食べた。
アケミおじ様の料理は、母から受け継いだ料理に似ている。だが、私が作る料理よりも格段に美味しかった。
味付けの仕方、薬草の使い方、焼き加減は……エーリカ先輩だけど、ちょっとした違いで、各段に美味しくなっている。
トマトのスープも絶品。以前、トマトを煮込んだスープを作った事があるが、味の深みがまったく違う。野菜を炒める、薬草を入れる、こんなちょっとした違いで味が変わるのかと気づかされた。
その後、アケミおじ様と太ったホーンラビットで一騎打ちの討伐が行われた。
ハラハラドキドキする展開だった。
何度も危ない場面が起き、私が手を貸そうか悩んでいると、エーリカ先輩がアケミおじ様を助けていた。エーリカ先輩は、常におじ様の事を見ているのである。
無事に依頼をこなした私たちは、報告の際、エーリカ先輩のお願いでホーンラビットの真似をさせられ、ギルド職員や他の冒険者の前で下手な演技を見せる一幕もあった。
これ依頼報告に必要な事? と涙目になりながら演技を終え、心身共にヘロヘロになった私にアケミおじ様は、今回の依頼のお金を私にくれた。
それもきっちり三等分の金額である。
約束通り依頼料はいらないと断ったが、冒険者なんだから仕事した分は受け取るようにと押し付けられてしまった。
胸の奥が熱くなるのを感じた。
目頭が涙で溢れそうになる。
私が冒険者として、二人の仲間として、認められた気がした。
半端者だった私を……。
帰宅する私の足元は軽かった。
クロとシロを世話をしている時、今日の出来事を話してあげた。
夕飯は、塩と胡椒を使った簡単な野菜スープ。アケミおじ様のように、野菜を炒めたり、薬草を入れてみたら、今まで食べていたスープとは一味違った。
そして、布団に入り、眠ろうとした時、今日の出来事が頭の中に映像として蘇る。
その全てが、私が失敗した場面。
どうして、私は上手く話せないのだろう。
何で、あの時、ああしなかったのだろう。
そんな場面が現れては消えて、晴れ晴れとした気分が、欝々とした気分に変わっていく。
この夜、ベッドの中で、今日の出来事を反省しながら、眠れない夜を過ごしたのだった。
ようやく、アケミおじさんたちの仲間になりました。




