58 黒い騎士
大地を揺るがす爆発音が目の前で響く。
耳を押さえていたのに、耳鳴りが起きる程だ。
ゆっくりと目を開けると、僅か数メートル先で、ブスブスと煙を上げているブラック・クーガーが立っていた。
まだ、生きているのか!? と思ったが、すぐに地面へと倒れた。
ふぅーと溜め息が出る。
正直、賭けだった。
レイピアを避雷針にする案を浮かび、何とかそれっぽく突き刺したは良いが、実際はレイピアの避雷針よりも高い物は辺りにいくらでもあった。雷が一発で落ちるとは思ってもいなかったが、無事に落ちたので良しとしよう。
呼吸も落ち着き、体が動くようになったので、ゆっくりと立ち上がる。
体中が痛い。凄く、痛い。叫びたい程、痛い。
グチャグチャの左手の様子を見ないようにする。見たら気絶してしまう。
雨は止み、真っ黒だった雷雲が薄くなり、雲の隙間から太陽の光が降り注いでいる。天使のはしごと呼ばれる現象だ。とても綺麗で涙が出てきた。
ああ、私、生きているんだ。
何度も何度も諦めかけて、死を覚悟した。
そんな闘いだった。
体もボロボロ、心もボロボロ、立っているのが不思議でならない。
でも、この酷い状況にも関わらず、なぜか心はスッキリとした気分だった。
私は、痛みに耐えつつ、ゆっくりとブラック・クーガーの元へと歩く。
アナも私の方へ走って来るのが見えた。
地面に倒れているブラック・クーガーを観察する。
顔の横の筋肉が裂け、真っ黒く焼け爛れていた。その隙間からレイピアの刃先が見える。
両目は潰れ、ジェル状の液体が流れている。
レイピアの鍔が突っ込まれている口の端から舌が垂れ下がり、血液に染まった泡が溢れ出ていた。
うん、完全に死んでいる。
こいつに酷い目に遭ったが、不思議と憎しみはない。
逆に申し訳ない気持ちが溢れて、また涙が出てきそうになった。
レイピアの端をチョンチョンと触り、電気が残っていないか確認した後、ブラック・クーガーの口元から柄を握り、丁寧に引き抜いた。
刃先に焦げた肉や柔らかそうなピンクの破片が付着している。
「お、おじ様、無事で……ッ!?」
私の元に来たアナが、私の左手を見て、言葉が止まる。
「何とか生きてるよ」
「はははっ」と乾いた笑いが出た。
「か、回復薬が家にありますので、すぐ持って……」
また、アナの言葉が途中で止まる。
どうしたのだろう? と辺りを見回すと、私たちの周りに大きな影が重なっているのに気が付いた。
空からバサバサと大きな団扇を仰いでいる音も聞こえる。
「ど、どうして……こんな場所に……いるの?」
震え出したアナは、空の方を見て呟いた。
アナの視線を辿り、私も空を見上げる。
そこには翼の生えた巨大なトカゲが、翼を大きく上下に羽ばたたせながら私たちの前に浮いていた。
驚愕するのはその大きさ。中型バスぐらいのサイズが二枚の羽で空を滞空しているのだ。現実離れしていて、思考が追いつかない。
「ド、ドラゴン……まじ?」
「ドラゴンの一種ですが、これは飛竜の下位種でワイバーンです。下位とはいえ竜種です。街や国を挙げて対処しなければいけない危険な魔物です。間違ってもこんな平和な街に現れる魔物ではないです」
震える声でアナが一気に説明してくれる。
冒険者ギルドに張られていた情報依頼の木札を思い出した。
昨夜未明、空を飛ぶ巨大な影を幾人かが目撃。情報を望むという物だ。
その情報元が目の前にいる。
何が目的で私たちの前に現れたのか、今までどこにいたのか、まったく分からない。
一つ分かるのは、戦った場合、逆立ちしても勝てない事ぐらいか。
空を飛んでいるワイバーンを茫然と眺めていたら、ワイバーンから人の声が聞こえた。
「ブラック・クーガー程度で方が付くと用意してみたが、逆に返り討ちに遭うとはな。なかなか思い通りに成らないとは、この世は儘成らぬ事……」
若い男性の声。
風の音や翼の音が鳴っているのに、その声は透き通るように私たちの耳に届く。
「自分が直接動くのは得策ではないのだが……さて、どうしたものか?」
独り言のように話す男の声は、決して私たちに向けて話していない。
言葉にする事で、考えを整理している感じだ。
「ワ、ワイバーンの背に人が、い、います……」
アナに指摘されて初めて気が付いた。
ワイバーンの背に人間が跨っていた。
その人間は、黒い鎧を着ている。兜も鎧も小手も脛当ても全て黒い。フルプレートアーマーというやつか。唯一、口元だけが空いていた。
独り言は、その黒い騎士が発していたのだろう。
「ん? お前、ただの魔術師か?」
黒い騎士がアナを見つめ、初めて私たちに向かって言葉を発した。
ヒッと息を漏らして、アナが一歩後ずさる。
「なら、隣のお前が……」
アナから視線を逸らした黒い騎士が私の方を見つめた。
「…………」
沈黙が流れる。
兜で分からないが、黒い騎士が私を観察しているのが感覚で分かった。
鳥肌が全身を襲う。
一体、この黒い騎士は何なんだ?
何が目的で私たちの前に現れた。
味方なのか? 敵なのか? それとも、ただの通りすがりか?
黒い騎士の話し方は、柔らかで、悪意がまったく感じられない。
どういう状況なのか、尋ねてみたら素直に答えてくれるかもしれない。
逆に言葉を発した瞬間に、ワイバーンが襲ってくる不安もある。
黒い騎士よりもワイバーンが怖い。
結局、一言も言葉を発する事も出来ず、身動き一つする事が出来ないでいた。
蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「まったく、何の冗談だ。そんな姿で欺瞞して、我々の目を謀れると思っているのか?」
姿? 欺瞞?
もしかして、この黒い騎士は、私がただの女子高生だと分かるのか?
ハゲで中年で筋肉で加齢臭のする姿であるが、中身が違う事を?
私は思い切って、黒い騎士に声を掛けようとすると……。
「まぁ、良い。やる事は変わらん」
一言呟き、黒い騎士はワイバーンに乗ったまま、左手を上空へと伸ばした。
黒い騎士の鎧に銀色の線が走り、黒一色だった鎧に幾学模様が浮かび上がる。
上空へと伸ばした左手から黒い魔力が流れ、細く長い形を作り出した。
針のような細く長い物は、黒い騎士の鎧と同じ、黒一色に銀色の模様が浮かんでいる。
ヤバイッ!?
私は直観的に危険を感じ、右手に持っていたレイピアを体の前へ持っていく。
その瞬間、黒い騎士は細く長いだけの黒い槍を私に向けた。
レイピアに魔力を一気に流すと同時に、黒い騎士は黒い槍を放った。
手首を曲げただけの投擲。
それだけの動作で、黒い槍は私に向けて飛んできた。
いや、飛んでくる軌道は見えていない。
気が付いたら目の前に槍があり、たまたま体の前に構えていたレイピアの剣身にぶつかった。
白色と黒色の火花が飛び散り、レイピアが弾かれる。
私を中心に衝撃波が起こり、近くにいたアナが大きく吹き飛ばされた。
「――ッ!?」
全身に激痛が走る。
体の全て、頭から足のつま先まで細胞一つ一つに激痛が起こり、目の前が真っ白になる。
私はその衝撃波で飛ばされずにいた。
その代わり、私の体は黒い槍に貫かれている。
細く長い針のような黒い槍は、胸から背中へ貫通し、地面に突き刺さっている。
痛みは、すぐに消えた。
そして、黒い槍を中心に力が抜けていく。
腕に力が入らず、垂れ下がる。
頭が重くて、前へと垂れる。
足に力が入らず、膝が折れる。
黒い槍に突き刺さっているので、地面に倒れる事もなく、槍に体を預けるようにくの字の状態で力尽きた。
「一瞬とはいえ『聖破の槍』に抵抗するとは……開花していないとはいえ、大した者だ」
透き通るような男の声が聞こえるが、内容まで分からない。
なぜか、遠くの方でエーリカの声も聞こえる。
意識が薄れ、視界が黒く染まっていく。
薄れる視界の端にエーリカの姿が見える。
気のせいかもしれない。
いつも眠そうな目で表情をあまり変えないエーリカが、泣きそうな顔をして、私の方へ走って来る。
私の名前を大声で叫びながら……。
そんなキャラじゃないだろう、と珍しい光景につい微笑んでしまう。
私の走馬燈は、日本の記憶でなく、エーリカだったみたいだ。
自分では気づかない程、私にとってエーリカの存在は大きかったのだと今更ながら気が付いた。
ワイバーンの喉が膨れ上がる姿がぼんやりと見えた。
体中の力が入らないのに、なぜか右手がゆっくりと持ち上がり、前へと伸ばす。
私の元へ走ってくるエーリカの方へ。
ワイバーンの口から真っ赤な炎が放たれる。
私の意識は、そこで途絶えた。
アケミおじさんが、強火でジュッと焼かれてしまった所で、『第一部 新人冒険者』は終わりです。
第二部に入る前に、別の方の視点の話を投稿したいと思っています。
宜しく、お願いします。




