55 ブラック・クーガー その1
私とアナは街道を歩き、アナの家へと向かっている。
アナは時折、後ろを振り向き、様子を見ていた。
森からブラック・クーガーが出てこないか心配しているのか、またはエーリカの事が気になるのかもしれない。
「エーリカなら大丈夫。彼女は私と違って強いし、状況判断も出来るからね」
「はい」と一言呟き、私の後ろを黙ってアナはついてくる。
アナにはそう言ったが、私自身、エーリカの事は気になって仕方がない。
エーリカの能力は信用している。
私と同じ鉄等級冒険者であるエーリカだが、能力的にはもっと上のランクの冒険者でも不思議ではない。だって、彼女はあの白銀等級冒険者のラースを吹き飛ばしたのだ。
そう、エーリカは強い。私なんかよりも頼りになる。だから、心配はいらない。
……いや、心配をしているのじゃない。
私自身が不安なのだ。
常に一緒にいたエーリカがそばに居ない事に不安になっているのだ。
お風呂やトイレ以外は、いつも一緒にいた。
依頼で戦闘になった時も私の事を常に見て、危険になったら必ず助けてくれる。
筋肉ダルマの時は一対一で対決したが、エーリカが近くにいる事を知っていたので、私は安心して筋肉ダルマと戦う事が出来たのだ。
そのいつも一緒にいるエーリカは今はいない。
危険な場所にいるのはエーリカだ。
私は安全な場所に避難するだけ。
だが、私の不安は増すばかりだ。
不安を取り払うように腕を組んで擦り出す。
アナも体の前で両手を組んでチラチラと不安そうに後ろを振り返っている。
獣道へ入る所で北門から十人ほどの冒険者が馬を駆けて走り過ぎて行った。
緊急依頼を受けた冒険者だろう。これからブラック・クーガーを討伐する為に急いでギルマスの所まで向かう。
こんな人数で対処できるのかと不安になるが、それは仕方ない事。ほとんどの冒険者は朝一番に依頼を受け、依頼達成に出かけてしまう。依頼の内容によっては、何日もかかる場所へ向かう事になる。緊急招集のサイレンが聞こえない場所にいる冒険者は多いはず。無視する冒険者もいるだろう。
ただ、あれが全てという訳ではない筈。さっき通り過ぎた冒険者は第一弾で、これから第二、第三と向かう。
まぁ、鉄等級等冒険者の私が心配する事ではない。エーリカの事は気になるが、私は言われた通り、避難するだけだ。
「アナ、行こうか」
私がアナの家に通じる獣道に入ろうとするが、アナは走り去った冒険者の方を見たまま、動かないでいた。
「アナ?」
もう一度、アナの名を呼ぶと、アナはゆっくりと私の方を振り返った。
アナの手は震えている。顔色も普段以上に血の気がない。それに今にも泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫? 何か気になる事でもあるの?」
「ご、ごめんなさい。お父さ……父が亡くなった時の事を思い出してしまって……」
「あっ……ああ……」
「父はブラック・クーガーに殺されました」
「ブラック・クーガーって、もしかして今回の魔物?」
「いえ、父を殺したブラック・クーガーと今回のブラック・クーガーは別です。父を殺したブラック・クーガーは既に討伐されています」
アナは目を伏せながら、ポツリポツリと語り出す。
ダルムブールの街から馬を走らせて丸一日かかる村にブラック・クーガーが出没した。
銅等級冒険者だったアナの父親は、十五人からなるブラック・クーガー討伐隊の一人として参加した。
無論、鋼鉄等級冒険者のアナはお留守番。
アナの父親はクロに乗り、討伐隊と共に村へと向かった。
そして、三日後、顔見知りの冒険者が父親の遺体を乗せたクロを牽いて、アナの前に現れた。
冒険者たちは一人の犠牲者を出すが、討伐自体、無事に達成された。その犠牲者がアナの父親である。
そして、アナは父親を埋葬し、一ヶ月近く冒険者ギルドに通いつつ喪に伏したのだった。
私がアナと出会った時は、人見知りでまともに会話が出来ない状況であったが、その後、依頼は真面目に行い、一緒に料理もして楽しくしていた。
最愛の父親を亡くしてはいるが、心の整理を済ませ、前を向いて進んでいると判断していたが、今思えば、父親を亡くしてからまだ一ヶ月だ。
今回の件も色々と思う事があるのだろう。
「そうなんだ……」
私は一言だけ……それだけしか言えなかった。
両親とは距離を取っていた私にはそれしか言えない。
もし、私の両親が亡くなったとしても、私は悲しむ事が出来るのだろうか?
血を分けた実際の両親なのに、悲しむ程の繋がりはない。
悲しむかどうか分からないが、それなりに思う所はあるだろう。
だが、それだけだ。
たぶん、私はアナの話を聞いた時と同じ、両親が死んだとしても、「そうなんだ」と思うだけで終わりそうだ。
そんな私たちは一言も話さず、草木を分けて獣道を進む。
この道を行くのは二回目。一回目は昨日の事である。
道は一本道。迷う事はないので、私が先頭を歩き、アナは無言で私の後ろを歩く。
アナの家が建っている敷地へ入る手前、アナは立ち止まり、私に声を掛けた。
「おじ様、止まってください! 変です!」
アナの方を振り向くと、辺りをキョロキョロと観察している。
「変って何? 動物でもいた?」
「け、結界が壊れています。間違いありません!」
家の敷地周辺の森には、害獣や人避けの結界が張ってある。その結界が機能していないそうだ。
そう言われてみれば、結界を超えた時の違和感を感じなかった。
「げ、原因は分かる?」
言葉に言い表わせない不安が全身を襲う。
「い、いえ……今の段階では分かりません」
アナもこの異変を感じているのか、落ち着きなく目を凝らしている。
私たちが固唾を呑んで立ち止まっていると、鳥の断末魔の声が聞こえた。
「い、今のは!?」
ギョッとして、声の方を振り向く。
声はアナの家の方から聞こえた。
「お、おじ様……わ、私が……飼っている……に、鶏か……も……」
今にも倒れそうな顔色をしているアナは、震える声で私に言う。
「確認しよう」
私がアナの家の方へ向かおうとすると、アナが私の服を引っ張り、動きを止めた。
「き、危険かもしれません。あ、危ないかもしれません。引き返した方が……」
「ただの鶏同士の喧嘩かもしれないよ。少し様子を見てくるから、アナはここにいて」
正直、私も行きたくない。今すぐ引き返して、エーリカの元まで戻りたい。
だが、アナの家には、アナの大事な家族がいる。
もし、仮に何か異変が起きていたら、助けなければいけない。
悲しみと不安に染まったアナの顔を見ていると、怖くても確認せざる負えない。
怖い怖いと思って向かえば、実際は大した事がないに決まっている。
そして、アナと二人で笑って終わりだ。
「わ、私も行きます」
震える手を押さえ込みながら、アナは泣きそうな顔で言った。
私たちはゆっくりと進み、アナの家の敷地へ入るとすぐに足を止め、草木に隠れるように急いで身を伏せた。
全身から冷や汗が出て、震えが起きる。
物音をさせまいと、息を潜める。
アナの家の広大な敷地には、予想通りに異変が起きていた。
楽観的な希望は足蹴にされ、不安が的中する。
馬場の中で棒立ちしているクロとシロは、しきりに両耳を動かしながら、ある物体を見つめていた。
その物体は、家庭菜園の柵の中におり、放し飼いにされていた鶏を食べている。
鶏は全滅。
最後の一羽は太い前足で抑え込まれ、動きを封じられている。
そして、鋭い牙で生きたまま噛み付かれ、食べられていた。
スラリとしたスリムな胴体。引き締まった筋肉。四足歩行で立ち、長い尻尾はユラユラと左右に揺れている。
ネコ科の大型種。
真っ黒な毛に覆われたピューマがアナが飼っている鶏を生きたまま食べていた。
「ブラック・クーガー……何でここに?」
アナが小声で呟く。
そう、何でここにこいつがいるのだ?
こいつがいるのは、ギルマスと別れた森の奥のはず。
もしかして、二匹いたのだろうか?
または、森にいたブラック・クーガーが、このアナの家の敷地に移動したのかもしれない。
いや、そんな事はどうでもいい。
そんな事よりも、なぜ、このタイミングでここにいる?
あまりにもタイミングが良すぎる。
悪意を感じるタイミングだ。
十三金の殺人鬼じゃないんだから!
先読みが得意の殺人鬼は、被害者を驚かせてから殺すのだ。タイミング良く友達の死体を窓へ投げ込んだり、木にぶら下げたりと、演出の為に裏で多大な努力をする殺人鬼……いや、英雄である。
世間ではホラー映画とされる十三金は、実は英雄映画として私は観ている。
リア充、不良、お調子者、いじめっ子などのお馬鹿な青年を怒りの鉄槌でお掃除する英雄だ。
だから、英雄映画。
まぁ、最後は、調子に乗って、手を出してはいけないヒロインに手を出してしまい、返り討ちにあってしまうのだが……って、こんな事を考えている時ではない。
「おじ様……逃げましょう」
真っ黒の毛に覆われたブラック・クーガーは、鶏を食べた事で、口の周りだけ赤く染まっている。
鉄等級冒険者の私と鋼鉄等級冒険者のアナでは、手に負えない魔物。
決して、戦ってはいけない魔物だ。
ああ、逃げよう。逃げて、ギルマスの所へ戻り、応援を呼ぼう。
それがベストだ。
ただ……。
「アナは先に行って。私はクロとシロを逃がしてから行くから」
「クロとシロを逃がすって、何で!?」
「鶏を食べ終わったら、今度はクロとシロを襲うかもしれない。襲われる前に助けたい」
エーリカは、クロとシロを気にいっている。そのクロとシロを見殺しにすれば、エーリカは悲しむだろう。
それに、アナにとっては兄妹同然と言っていた。生まれた時から一緒に育ってきたクロとシロという兄妹。
絶対にクロたちを死なせたくない。
「だ、駄目です! 危険です! お父さんが危ないです! ブラック・クーガーに殺されます!」
「私はお父さんじゃない!」
「し、知ってます! おじ様はお父さんじゃない! 私のお父さんは、髪の毛があり、力もあり、弱くありません。女性のような話し方もしませんし、体臭もありません。おじ様はお父さんじゃない。おじ様は……」
大声で叫びたいのを我慢しつつ、アナは小声で自分に言い聞かせるように、私の事をお父さんじゃないと繰り返している。
混乱しているっぽいけど、何か酷い事言われてない、私?
「アナ! アナ!」
アナの両肩に手をやり、無理矢理、顔を突き合わせるようにした。
「私はアナのお父さんじゃない! だから、ブラック・クーガーには殺されない!」
「……ッ!?」
外見の年齢が近い所為か、アナは私と父親をダブらせてしまう時がある。ブラック・クーガーに殺された父親とダブって見ていた私もブラック・クーガーに殺さると思っている。
だから、私ははっきり言う。
「私は冒険者だ。アナも冒険者だ。私はアナの父親ではないが仲間だ。大事な仲間の兄妹をブラック・クーガーに殺される訳にはいかない。だから、クロもシロも助ける!」
私の言葉を聞いたアナは目を見開いてから、俯いてしまった。
「わ、私も……ます」
しばらくアナを見ていると、俯きながらボソボソと小声で何かを呟いた。
「えっ、何?」
私が聞き返すと、アナはゆっくりと顔を上げて、ニッコリと笑った。
「私がクロとシロを逃がします。おじ様ではクロとシロは言う事を聞きません」
それを聞いた私も釣られて笑う。
「なら、一緒にやろう。気づかれたら、クロとシロの背中に乗って逃げればいい」
あっ、それだ!
その場のノリで適当に言った案ではあるが、凄く良いアイデアな気がする。
今ここで長々とアナと話しているが、今この時もブラック・クーガーが私たちの事を感づくかもしれない。ギルマスのように見逃してくれれば良いのだが、相手は魔物だ。そんな気まぐれ、二度はないと思った方が良い。
もし、クロとシロを助けず、回れ右をして逃げたとする。その時、ブラック・クーガーが感づき、追いかけてきたら、人間の逃げ足では間違いなく追いつかれ、食い殺されるだろう。
それならいっその事、クロとシロに乗って逃げた方が確実だ。何ていったって、クロとシロはスレイプニルである。足は八本。若いスレイプニルとはいえ、絶対に速いはず。
クロとシロも助けて、私たちも助かる。一石二鳥だ。
二兎追う者は一兎も得ずにならない事を願う。
作戦は簡単。
ブラック・クーガーから遠い馬場の裏に回り、クロとシロを呼び掛けて引き寄せる。近くに来たら、背中に乗って、走り去るのだ。
問題は、私がまともに乗馬が出来ない事。
昨日初めて馬に乗ったのだ。それも操作するエーリカの後ろに乗っていただけ。
だから、難しい事はせず、走るのはクロかシロに任せよう。
私は振り落とされないように、しがみ付いていればいい。
簡単だが、凄く不安な作戦であるが、頑張るしかない。
良し、絶対に逃げきってみせるぞ!
アナの家に到着すると、なぜかブラック・クーガーがいました。
あーだこーだありまして、クロとシロを助ける事になりました。




