49 ピザとリンゴパイを食べよう
アナの提案で昼食はピザに決まった。
カルラ曰く、見様見真似で作ったピザを出すお店が増えているとの事だが、何処にあるのか私は知らない。もし、知っていたとしても、カルラたちの商売仇であるピザ屋で食べるのは止めておく。食べてみたい気もするが、カルラたちに罪悪感が出てしまい顔向け出来なくなってしまう。
それにアナが食べる初めてのピザは、見様見真似のなんちゃってピザでなく、元祖ピザ屋のピザを食べてほしい。
そういう事で私たちは『カボチャの馬車亭』へ向かう事にした。
ただ、一つ心配事がある。
それは、この異世界の住人は昼食を食べる習慣が無い事だ。
その為、食事を提供するお店はお昼時には、準備中になっている事が多い。
『カボチャの馬車亭』のパン屋も例外ではない。
もし、カルラたちが休憩中なら我慢して、適当に開いている露店で済まそう。
そんな事を思い『カボチャの馬車亭』に到着したら、私の心配事は杞憂に終わった。
「ちょうど良いね。今、リンゴパイを作っている所だよ」
『カボチャの馬車亭』へ入るなり、甘い香りが充満していた。もしやと思い厨房を覗くとカルラとカリーナが、明日のリーゲン村に提供するリンゴパイを作っている最中であった。
「交渉するのにも、どんな料理か知っておいた方が良いと思ってね。明日、村の人たちに食べて貰って、交渉を上手くやっておくれよ」
「ええ、それは有り難いです」
「それにしても、おじさん。凄くカッコいい顔に成っているね」
うわーと目を覆っているカリーナが痛々しそうに私の顔を見つめている。いや、顔でなく腫れあがった傷痕を見ている。
「ちょっと、今日の依頼で殴られまして……」
「傷薬はいるかい?」
「大丈夫です。回復薬や軟膏を塗ってありますので痛みはありません」
「そうかい……じゃあ、ピザを作るから食堂で待ってておくれ」
お言葉に甘えて、私たちは厨房を出て、食堂へと向かった。
「あ、明日はリーゲン村に行くのですか?」
椅子に座るなり、アナが尋ねてきた。
「アナには伝えてなかったね。そう、明日はカルラさんの依頼でリーゲン村に行く事になっている」
私はカルラの依頼について簡単に説明した。
リンゴパイやジャムを売り出す為に、砂糖とリンゴを定期的に卸してもらう為に交渉をしにいく事を話した。
「商人まがいの依頼だけど、アナはどうする? 三人で割ると大した依頼料にはならないよ」
「お、お邪魔でなければ……わ、私も同行させてください」
明日の事を相談していると、アナの家は北門を抜けた先にある事が分かった。
「それなら明日は、北門を抜けた馬車乗り場で待ち合わせしよう。朝食を取ってから冒険者ギルドで依頼を受けた後に向かうから、それに合わせて待っていてほしい」
私が簡単に明日の段取りを決めると、「それなら……」とアナが弱々しい声で提案してきた。
「わ、私の家で馬が二頭います。そ、その……良かったら……私の馬で……行きませんか?」
馬で行く? 乗馬って事?
西部劇や中世を舞台にした映画を沢山見てきた。その為、乗馬に対する憧れはある。馬に乗って、底の浅い川を渡るのがカッコいいのだ。
だが、馬という動物が想像以上に大きい事も知っているし、素人が気軽に乗れない動物である事も知っている。
「凄く魅力的な提案だけど……私、馬に乗った事がない。教えてもらうにしても、すぐには乗れないと思うよ」
「そ、そうですか……実は……最近、あの子たちを遠出させてあげていませんでしたので……良い機会かと思ったのですが……」
肩を落とすアナには悪いが、都会育ちの女子高生にとって乗馬は敷居が高い。
「問題ありません」
私とアナの会話を黙って聞いていたエーリカは、いつもの眠い顔で平然と呟いた。
「エーリカ、何か案でも?」
「案という程ではありません。ご主人さまは、わたしと一緒に乗れば良いのです」
「エーリカは馬に乗れるの?」
「もちろんです。わたしはヴェクトーリア製魔術人形二型六番機です。乗馬など淑女の嗜みの一つです」
数年前まで補助輪付きの自転車に乗っていそうな姿なので、元から乗れないと決めつけていた。偏見は良くないね。
「じゃあ、私はエーリカと一緒に乗るから、アナの馬でリーゲン村へ行こうか」
そう私が決定を下すと、「はい!」とアナが嬉しそうに答えた。
明日の相談が一段落した頃、カリーナが飲み物とパンを持ってきてくれた。
「ピザはもうちょっと待ってください。その間、ジャムの試食をお願いします。これも交渉の材料にしてください」
そう言うなり、焼きたてのパンの横にリンゴジャムの入った小瓶を置いた。
ジャムは出来立てで、まだ湯気が出ている。本当は冷めた方が美味しいのだが、湯気に混じってリンゴの甘い香りが鼻に付き、エーリカではないが、私もお腹の虫が鳴りそうだ。
さっそく、パンを掴み、木匙でジャムを掬い、パンの端に塗る。
ガブリと硬いパンに齧り付くと、小麦の香りとリンゴの香りが鼻から抜ける。そして、口の中にリンゴの果実と合わさった砂糖の甘みが口の中に広がった。
ああ、美味しい。疲れた時はやっぱり甘い物だね。
私はガブリガブリとジャムを塗った硬いパンを完食する。
少し前までなら、パン一個だけで顎が痛くなっていたが、今は余裕がある。
これもレベルアップの恩恵だろう。レベルアップ様様である。
「何ですかこれ!? 何なんですかこれ!?」
ジャム初体験のアナは、目を丸くしてジャムが入っている小瓶を見つめていた。
「リンゴの砂糖煮だよ。気にいった?」
「蜂蜜とは違う甘さ。リンゴの甘さもありますが、これは別物です!」
あまりの衝撃だったのだろう。アナの滑舌が良くなっている。
その後、アナはジャムの付いたパンを食べる度に幸せそうな顔をしていた。
うん、美味しい物を食べると、みんな幸せになるんだね。食は偉大なり。
ちなみにエーリカは、ジャムをたっぷりとパンに付けて、黙々と食べている。いつもの事である。
そういう事で、一人二個ずつあったパンはあっという間に無くなり、ジャムの小瓶もスッカラカンになってしまった。
「お待ちどうさま。特大ピザです。焼きたてのリンゴパイもあります」
ドカっと三人前の巨大なピザが大皿に乗せて運ばれてきた。
「す、凄いね。よく焼けたね」
「へへへ、一度、大きいのを作りたかったんです。では、ごゆっくり」
軽く焦げ目の出来たチーズの上にきつね色に焼かれた薄切りのベーコンが乗せられている。シンプルなベーコンピザだ。
ゴクリと唾を飲み込んでから、八等分に切られた巨大ピザの一切れを自分の皿に乗せる。
「ああぁー……」
アナが私と同じように一切れのピザを自分の皿の乗せようとした時、伸びたチーズが両端のピザに引っ張られて、上に乗っていた具がチーズ諸共、ずり落ちてしまった。
「ははは、よくある、よくある」
「後輩、食べ物は生き物です。油断していると痛い目に遭います」
訳の分からない事を言っているエーリカは、木匙で剥がれ落ちた具を拾い、アナのピザに乗せていく。
「あ、ありがとうございます。エーリカ先輩」
甲斐甲斐しく後輩の面倒をみるエーリカが一段落したのを見て、私たちは焼きたてのピザを食べ始めた。
熱々のピザ生地を掴み、端の方にかぶりつく。
熱く溶けたチーズの脂とカリッと焼かれたベーコンの脂が口の中に広がる。そして、酸味の効いたトマトソースがこくのある脂を和らげ、食欲が増していく。
最初、アナはナイフとフォークでピザを切り分けて食べようとしていたが、私とエーリカの姿を見て、同じように手ずから食べ始めた。
「ふわぁー……」
溜息のような声を発した後、ジャムと同じように食べる度に幸せの顔をしていた。
エーリカは以下同文。
二切れのピザを食べた私は、残りをエーリカとアナに分けた。
まだ腹六分目ぐらいで余裕があるのだが、いかんせん、顎が痛くなって断念した。
エーリカが大食らいなのは知っているが、不健康に痩せているアナも意外と食べるのに驚いた。
二人がピザを食べている間、私は台所でお湯を貰い、ミント茶を作った。
食後のデザートにはお茶が欠かせない。
「エーリカはともかく、アナはまだ食べられそう?」
「はい、こんな美味しい料理。まだまだ、食べられます」
美味しい料理を食べた所為か、やっぱりアナの滑舌が良くなっている。
「じゃあ、リンゴパイを食べようか」
出来たてのリンゴパイは、土台のパイ生地に甘煮のリンゴを乗せて、その上に網目状になっているパイ生地で形を作っていた。
私が簡単に口で説明しただけなのに、私の想像通りの形に成っている。
フォークでリンゴパイの先を押し付けると、きつね色に焼かれたパイ生地がパリっと良い音を響かせる。
焼き加減は完璧。
さて、味はどうかな?
「んー!」
「凄いです!」
「美味!」
三者三様、リンゴパイの味に舌鼓を打つ。
バターの香りがするサクサクとした食感のパイ生地。リンゴの風味と砂糖の甘みが合わさったリンゴの砂糖煮。
私が作った時よりも間違いなく美味しくなったリンゴパイである。
流石、長年お客さんに提供してきた料理人である。
もう言葉はいらない。感想もいらない。ただ食べるだけ。
私たち三人は無言でフォークを動かし、リンゴパイを堪能した。
お腹も心も満足した私は食後のミント茶を楽しむ。
ふとアナを見ると、食べ掛けのリンゴパイを難しい顔をしながら見つめていた。
「アナ、どうしたの? やっぱり、口に合わなかった? それとも胃もたれでも起こした?」
「後輩が食べないのなら、わたしが食べます」
エーリカがアナの残しているリンゴパイの皿に手を伸ばすと、アナは素早くリンゴパイの皿を遠ざけた。
「た、食べます! 食べます!」
「もしかして、味が気になる事でもある? 改善出来るかもしれないから気付いた事があったら教えて」
「あ、いえ、味は……素晴らしいです。その……す、少し、不安になりまして……」
「不安?」
「こ、このリンゴパイや先ほどのジャムを売るつもりなんですよね?」
「ああ、その為に明日はリーゲン村まで行って、材料の交渉をするつもりだよ」
「は、はい……い、今もピザ目当てで、沢山の方がこの『カボチャの馬車亭』へ押しかけているのは知っています。も、もし、そこで……このリンゴパイやジャムを販売するとなると……今以上に混乱するでしょう」
「ああ、確かに……やっぱり、捌き切れない程のお客が押し掛けてくるかな?」
「間違いなく」
アナ曰く、この世界の甘味と言えば、果物と蜂蜜である。
ただ、この世界の果物は現在日本で売られている果物に比べて、甘みは少ない。
蜂蜜に関しては、養蜂農家が少ない為、自然から採取する方法で蜂蜜を取る。砂糖ほどではないが、蜂蜜も希少で高い。
貴族や大富豪ならともかく、普通の平民にとって甘い食べ物は普段では食べられない代物だ。
そこに果物以上に甘く、蜂蜜とは別の甘さがある食べ物がお手頃価格で販売されたとすると、間違いなく街中の人が押し掛け、大混乱が起きるだろうとアナは危惧していた。
「も、もしかしたら、貴族の人からも問い合わせがあるかもしれません……はぃ……」
「き、貴族!?」
「ご、ごめんなさい。もしかしたらです。き、貴族なら普通に砂糖を使っているでしょう。ただの憶測です」
「まぁ、確かにピザを販売した時も朝夕と凄い人数が集まって来たからね。今は何ちゃってピザ屋が出来てお客が分散したし、お手伝いの子も雇っているから、何とかやっていけている状況らしい……。まぁ、今も沢山のお客が押し掛けているのは間違いない」
私とアナがうーんと唸っていると、エーリカがアナの残しているリンゴパイから目を逸らさずに「問題ありません」と呟いた。
「エーリカには解決策があるの?」
「販売価格を上げる。個数制限をする。予約制にする。販売相手を限定する。と幾つか思い付きますが、わたしが言った意味は別です」
「……と言うと?」
「ここでわたしたちが考える事ではないという意味です。考え、実行するのは実際に生産、販売する『カボチャの馬車亭』の方たちです」
「まぁ、そうなんだけどね……ただ、レシピを教えた私にも少しは責任があるし……」
「明日の依頼の結果で、生産自体とん挫する事もあります。結果を見てから考えた方が良いでしょう」
「確かにそうだね。取引出来ないかもしれないし、出来たとしても砂糖やリンゴの量が少ないかもしれない。カルラさんたちも考えていると思うし、エーリカの言う通り、この話は保留にしておこう」
「では、考え事も済んだ事ですので、後輩の食べ残しはわたしが処理します」
「だ、駄目です!」
リンゴパイに差し迫るエーリカの手をブロックしたアナは、パクパクと残りのリンゴパイを食べ終える。
口直しにミント茶を飲んだ私たちは、「ほぅ……」と幸せな雰囲気に包まれるのであった。
ご飯を食べて、終わってしまいました。




