37 アナスタージア
無事に武器を購入した私たちは、ホーンラビット討伐の為、北門へと向かっている。
昨日の雨で、地面が泥濘になっていたり、水溜りがあったりと非常に歩きにくい。
道を真っ直ぐに進めず、水溜りを迂回したりと右へ左へと移動しながら進む。
そのおかげで、私たちを尾行している者の存在に気がついた。
「つけられているね」
「はい、冒険者ギルドにいた女性です」
私は後ろを振り向くと、尾行していた女性がお店の前に置いてある木箱の影へと慌てて隠れた。
本人は隠れているつもりでいるが、木箱が小さい為、黒色のローブが思いっきりはみ出している。
ことわざの意味とは関係なく、頭隠して尻隠さずを体現していた。
私たちがずっと見ていると、たまに木箱の影から顔を覗かすが、私たちが見ている事に気がついて、すぐに頭を引っ込める。それを何度も繰り返している。
「本当に隠れる気があるのか?」
「相手にしてほしいのかもしれません。……無視しますけど」
「もう一度、話を聞きに行こうか?」
「また、逃げてしまうでしょう。わたしに案があります。街を出た所でわたしが対応しましょう」
「彼女の事を嫌っているエーリカが?……無茶だけはしないでよ」
「別に嫌っていません。だから、安心してください。淑女として対応します」
少し不安だが、彼女の対応はエーリカに任せる事にする。
私たちは向きを変えて、北門へと足を進めた。
商人や冒険者が行きかう北門に到着し、冒険者証を提示して街から出る。
平原と林が混在する街道をしばらく進むと、鬱蒼とする大きな森へつながった。そこが今回の目的地である。
私たちが後ろを気にしながら森へ向かっていると、案の定、コソコソと岩や大木に隠れながら女性が付いて来ていた。
一台の馬車が私たちの横を通り過ぎた時、エーリカの足が止まる。
「ここで仕留めます」
「仕留めちゃ駄目だって! 穏便に!」
私が叫ぶと同時に、エーリカは後ろを振り返り、右手の人差し指を尾行する彼女に向けた。
「はっ!」
エーリカの指先から炎の弾が飛び出す。
二十メートルほど離れた場所にいる彼女に向かって、真っ直ぐに炎の弾が凄い速さで飛んでいく。
驚いた彼女は、炎の弾がぶつかる瞬間、両手を前に突き出した。
炎の弾は彼女の手前に展開した見えない壁にぶつかり、四散する。
炎の弾がぶつかった衝撃なのか、それとも驚いただけなのか分からないが、彼女は飛び散った炎と共に後ろへ倒れてしまった。
「むっ、防御されてしまいました」
悔しそうな顔をするエーリカは、再度、指先を倒れている彼女に向けた。
「穏便にって言ったでしょ!」
私は魔力を込めたエーリカの腕を降ろさせる。
「ご安心を。手加減はしてあります」
「そういう問題じゃない!」
私は尻もちをついている彼女の元へ駆けだした。
「痛たた……」
「大丈夫? 怪我はない?」
お尻を擦っている彼女に声を掛ける。
「お父さん!」
声を掛けた私を見て、一言目がこれである。
「いや、お父さんじゃないし……」
私が訂正すると、彼女は「しまった」と声に出して、口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい!」
彼女は素早く立ち上がり、逃げるつもりで方向転換するが、そこには既にエーリカが回り込んでいた。
「逃がしません。これから、淑女の嗜みである拷問で、わたしたちを付け回した理由を吐かせていただきます。覚悟を!」
いつの間にか、エーリカは右手に円錐型ドリルを装着しており、キュインキュインと響かせている。
「ひぃぃ!?」
「拷問なんかしなくていいから、その物騒な物を仕舞いなさい!」
エーリカは私の指示に素直に従い、ドリルの回転を止めた。
「エーリカが暴走してすまない。その、理由を教えてほしい。どうして、私たちの後をつけてくるの?」
フードを目深に被った顔で、私とエーリカを交互に見る。
「えーと……その……あの……」
彼女は、胸の前で両手の指先を絡ませたり、離したりしながら、小声でボソボソと呟き、下を向く。
「じ、実はですね……。その……あの……」
「ああ、じれったい! わたしがお前の虫歯を治療してやろう!」
エーリカのドリルが彼女の口元へ向けて、キュインキュインと回転しだした。
「ひぃぃ!?」
「だから、止めなさいって! 私まで鳥肌が立ってきちゃった」
「い、言います! 言いますから!」
エーリカはドリルの回転を止めて、彼女の言葉の続きを待つ。
「その…………さぃ」
「えっ? なに?」
声がどんどん小さくなって、肝心の部分が聞き取れない。
「その……私を……さぃ」
「はい?」
彼女は、下を向き、しばらく沈黙が続く。
そして、意を決したように顔を上げた。
「わ、私を仲間にして下さい!」
「……はぁ?」
彼女の決死の言葉を聞いて、私は間抜けな返答をしてしまった。
彼女は極度の人見知りである。
その彼女の会話はなかなかに骨の折れる作業であった。
どもったり、小声になったり、沈黙タイムに入ったりと、会話のキャッチボールが上手くいかない。
だが、聞き上手のアケミさんである私は、根気良く彼女の話を聞いたり、たまにエーリカがドリルを回転したりして、ようやく話の内容が理解出来た。
そんな私たちの苦労の結晶は以下の通りである。
彼女の名前はアナスタージア。通称、アナである。
アナは鋼鉄等級冒険者の魔法使いである。
母親は幼い頃に亡くし、父親と一緒にずっと過ごしてきた。
その父親は優秀な冒険者であった為、魔法の才能があったアナも冒険者になり、父親と一緒に冒険者稼業をしていたそうだ。
だが、そんな父親も一か月前に亡くなってしまった。
アナは最愛の父親を亡くしてから今日に至るまで、黒のローブを纏い、父が愛していた冒険者の大事な場所、つまり冒険者ギルドで喪に服していたそうだ。
来る日も来る日も冒険者ギルドに通い、椅子に座って、父の思い出に浸かる。
それを一ヶ月間、休み無く忌服し続けていたそうだ。
最愛の父を亡くし、悲しみに暮れているとはいえ、さぞや冒険者ギルドも困っていただろうに……。
お金に関しては、父親が貯めていた貯金があったので、一ヶ月間は何の不自由無く暮らせていたのだが、さすがにプー太郎生活を一ヶ月続けていたら、貯金の底が見えてきたそうだ。
これは困ったと冒険者稼業を再開したいと思ったのだが、ここで問題が二つある。
一つは、一ヶ月間、冒険者ギルドの椅子に座っていただけなので、体力や能力が低下していた事。ランクとしては鋼鉄等級冒険者であるが、現在は、鉄等級冒険者並の能力まで下がっている。
もう一つは、アナが魔法使いである事。後衛職の魔法使いがソロで冒険者をするには自殺行為である。
冒険者仲間を必要とするが、今まで父親としか冒険の依頼をこなしてこなかったアナは、人見知りという事もあり「仲間にいれて」と声を掛ける事すら出来ずにいた。
そこで白羽の矢が立ったのが、私たちである。
駆け出しの冒険者。さらに二人組。
すでに出来上がっている冒険者よりも、アナが入り込める可能性がある私たちに狙いを定めたそうだ。
私たちを観察し、声を掛けるタイミングを計る。
そして、私たちがスライム捕獲依頼を受けた日、意を決して、声を掛けたまでは良かったのだが、ここで私の事を「お父さん」と間違って言ってしまい、混乱して逃げてしまったそうだ。
「えーと……アナと呼ばせてもらうけど、私とアナのお父さんって、呼び間違う程、似ているの?」
外見は中年のおっさんだが、中身は女性だ。アナのお父さんと似ていると言われたら、複雑な気分がする。
「い……いぇ……その……雰囲気が……少し……すみません。外見は全然……はぃ……」
「ああ、雰囲気ね……」
雰囲気……内面って事だね。……あれ、私、内面も男っぽいって事!?
「お父さんは……その……ぃ……ぉ……」
「話す時は大きな声ではっきりと!」
「はひぃ!? ごめんなしゃい!」
エーリカがドリルを突き出して、叱り飛ばす。
「そ、その、お父さんは食べるのが好きで……わ、私のお母さんは生前、料理のお店を持つのが夢で……その……おじさんが料理をする話をギルドで聞いて……その……親近感を覚えまして……つい、い、言ってしまうのです……はぃ……」
ああ、そういえば、初めてアナに話しかけられた時、冒険者ギルド内で節約生活について話し合っていたな。その時、料理云々も話した記憶がある。それを聞いていたのだろう。
「それで、仲間にするかどうするかの話だったね……エーリカはどうしたい?」
アナに対して良い感情を持っていないエーリカに聞いてみた。
「わたしはご主人さまの判断にお任せします」
おや、即決で断ると思っていたのだが……。
「アナ、私たちは今、借金返済でお金が必要なの。君を仲間にしたら、依頼料を三等分する事になってしまう。二人でも厳しいのに、三人になると借金返済どころか、生活すら儘ならない」
二人だけなら借金返済の目処が立つ訳ではないのだが、それを正直に言うつもりはない。
「し、知っています。ギ、ギルド内で……聞きました……いえ、聞こえてきました」
さすが、一ヶ月間、冒険者ギルドの椅子に座っていただけの事はある。良く聞いている事。
「お、お金はいりません。その……まだ……貯えに余裕があります……ぼ、冒険に慣れる為に……お願いします」
アナは忌服期間のブランクを埋める為、また、他の冒険者と慣れる為に、一緒に冒険をしたいそうだ。
正直、アナの提案はありがたい。
これから討伐依頼が増えるだろう。武器を購入したとはいえ、私はまだレベル五で戦力外だ。いつまでもエーリカに任せっきりだと、エーリカの負担が大きい。
アナはブランクがあるとはいえ、鋼鉄等級冒険者の魔法使いだ。戦力に期待できる。
私はしばらく考えた結果……。
「お互いの事は何も知らない事だし、お試し期間として、何回か組むという事なら良いよ。それで良い?」
「は、はい! お願いします!」
アナが元気良く答える。
私たちに慣れたのか、それとも自分の希望が叶って嬉しいのか分からないが、徐々に会話のキャッチボールがスムーズに成っていった。
「では、改めて自己紹介をしようか」
私が提案すると、アナは今まで目深に被っていた黒色のフードを取り外した。
そういえば、彼女の素顔をしっかりと見ていなかったと思い出す。
肩まで伸ばした癖のある黒髪。垂れた目元は気弱さと優しさを感じさせる。全体的に均等の取れた可愛い顔立ちをしているのだが……。
「えーと……アナの歳はいくつ?」
「わ、わたし……今年で一七に……成りました」
おお、まさかの同年代。もちろん、女性の時の話だ。
だが、現在のアナの顔立ちから同年代とは思えない。
それもそのはず。
可愛らしい顔立ちであるアナは、非常に不健康そうな状態であった。
ウェーブの掛かった黒髪は、手入れが一切されておらず、鳥の巣状態。
目元にはクマが出来ている。
肌は荒れているし、唇もカサカサだ。
最愛の父親が亡くなったストレスによるものか、急な一人暮らしで不摂生な生活をしているからか、それとも、元からこんな感じなのか、判断は付かない。
そんなアナの不健康で、不衛生な顔から同年代には見えず、一回りや二回りも年上に見えてしまっていた。
「えーと……私はクズノハ・アケミ。こっちがエーリカ。私は細身の剣を使う前衛職……だけど、レベルが低いから期待しないで。逆にエーリカは優秀。頭も良いし、魔術も使える」
私の紹介にエーリカは、満足顔でドリルをキュインキュインと回す。
「ア、アナスタージア……です。こ、鋼鉄等級冒険者で……ま、魔法を……使います……はぃ……」
私の簡単な紹介の後、アナも改めて自己紹介をした。
「そ、それで……何と呼べば……良いですか?」
「呼び方? 好きに呼べば良いよ」
「で、では……お父さ――痛ぃ、痛ぃ!?」
いつの間にか通常の手に付け替えたエーリカは、右手から小さな魔力弾をアナに当てている。
「何がお父さんですか! 血縁も無いのにご主人さまをお父さん呼ばわりは許しません!」
うむ、エーリカに賛成だ。
流石に同年代の女の子にお父さん呼ばわりはちょっとね。
「えーと……ご、ご主人さま? ――痛い、痛い、痛い!?」
バス、バス、バスとエーリカの魔力弾が容赦なくアナの体に当たり、涙目に成っていく。
「ご主人さまと契約もしていないのにご主人さまとは!? ご主人さまをご主人さまと呼んで良いのはわたしだけです!」
私に対するご主人さま呼びは、エーリカにとって拘りがあるようだ。
「で、では……ア、アケミおじ……様?」
アケミおじ様!?
カリーナやマルテにおじさん呼びされているが、同年代の女の子にまでおじさん呼びされるとは! それも『様』付き。私、女の子だよ。何の嫌がらせ? この見た目が悪いの!? いや、百パーこの見た目が原因なのだが……。
頭をかばって恐る恐るエーリカを見るアナと同様、私もエーリカの反応を確認する。
当のエーリカは、指先を降ろし、満足そうに頷いた。
うわ、エーリカの許可が下りてしまった!?
「で、では……アケミおじ様……宜しく、お願いします。そ、それと……エーリカちゃんも――痛い、痛い、痛い!? 何で!?」
再び、アナに向かって魔力弾を飛ばすエーリカ。
「後から入ってきた若輩者が、先輩であるわたしを『ちゃん』付けですか? 急に偉くなったものですね?」
「ひー、ごめんなさい、ごめんなさい! エーリカ先輩!」
「うむ、以後、気をつけるように」
何だ、この体育会系のノリは?
末っ子という事もありエーリカはよっぽど年上扱いをされるのが嬉しいのだろう。
だが、見た目に反して、エーリカの実年齢はどの人間に対しても年上なのだが……。
「ご主人さま、不甲斐ない後輩の面倒はわたしが見ます。ビシバシと鍛えていきたいと思いますので、ご主人さまは安心しておいてください」
ひぃーと声なき声が漏れてしまうアナの不健康そうな顔がより一層青褪めてしまった。
「……ほどほどにね」
「ほどほどにビシバシと鍛えていきます」
そんな事で、私たちは当分、アナと一緒に冒険者の依頼を受ける事になった。
アナ登場です。
当分、一緒に行動する事になりました。