347 フェルト村までの道程
ゴトゴトと馬車は進む。
先頭馬車のキャビンには、教会関係者であるコニーとティモ、護衛としてマリーとエルマが座っており、デボラは御者と一緒に前方を注意しながら座っている。リタは私が乗っている後方馬車の御者台にいる。つまり、後方馬車のキャビンには私とフィーリンの二人だけが座っている事になる。
そう言うと、広々と使えて楽そうだ、と思うかもしれないが、旅の荷物がギチギチに乗せられていて、ギリギリ二人分のスペースが空いている状況なので、狭くて圧迫感が半端なかった。
ただ後方の帆が開いているので、景色を楽しめたり、空気が入ってきて、思いのほか気分は楽である。
フィーリンなんか景色を肴に干し肉を齧りつつお酒を飲んでいる。
私は私でお尻は痛いのだが、倒れてきそうな荷物に体を預けて、楽な姿勢を維持していた。
「フィーリン、一応私たちは荷物番兼後方の注意をしなければいけないからね。何かあった後では遅いから、しっかりと集中してね」
「足を投げ出して楽な体勢をしている旦那さまも集中してねぇー」
「善処します」
「アタシもぉー」
誰も見ていないのを良い事に、形だけ注意しつつ、二人でだらけていた。
そもそもこんなにも護衛を付ける必要があるのだろうか?
冒険者五人とフィーリンでコニーとティモの二人を護衛する。過剰なように考えてしまうのは、あまりにも今が平和という事の現れだろう。
「本番は村に着いてからだよ、旦那さまぁー。土地が腐り始めているだけならいいけど、完全に腐っていたら、もう最悪なんだからぁー」
「ゾンビ……グールが生まれるんだっけ? そんなにも嫌な魔物なの?」
「最悪ぅー。グールの体液が付いたら体を洗っても数日は取れないんだからぁー」
「そんなにも……」
「グールだけじゃなく、色々なアンデッドが生まれたり、引き寄せるんだよぉー。そいつらは面倒臭くてねぇー。痛覚が鈍いから攻撃しても怯まないんだぁー」
「フィーリンたちは、昔に何かあったみたいだね」
「そうなのよぉー。アンデッドの大群に襲撃されてねぇー。蹴散らしたは良いんだけど、後片付けが大変だったよぉー。一日中、建物を大掃除したけど、結局匂いが取れず、その時着ていた服と一緒に燃やしちゃったぁー」
「燃やすって……」
「アタシたちの体も死臭がこびり付いて、匂いが取れるまで近づくなって博士に言われたよぉー。ルルねぇーなんか、ショックで寝込んじゃったぁー」
当時の事を思い出したフィーリンは、はははぁーと楽しそうに笑う。
嫌な事も時間が経てば、笑い話になる。ただ笑い話にするには、嫌な事を体験しなければいけない。
私は、笑い話はいらないので楽させてください、と女神さまにお願いするのだった。
適度に休憩が挟まる。
街道沿いの空けた場所に馬車を停めると、各々降りては背伸びしたり屈伸運動をして体をほぐす。そして、デボラたちは護衛という事もあり、コニーとティモを囲うように辺りを見回しながら干し肉を齧ったり、水を飲んでいた。
私とフィーリンも言われた通り、少し距離を空けた場所で休憩をする。
そういう事もあり、未だにコニーとは顔を合わせて話をしていない。向こうも視線すら合わせないので、もしかしたらコニー自身も私にどう接すれば良いのか分からずにいるのかもしれない。
ちなみに補佐役として同行しているティモは、歳に似合わず静かにコニーの横にくっ付いていた。ただ外の世界が珍しいのか、冒険者のデボラたちをジロジロと見たり、空を飛んでいる鳥を興味深そうに見たり、別の馬車が通るたび視線を追ったりしていた。
休憩後、フェルト村に向けて出発する。
お尻は痛いのだが、馬車酔いが起こらないので、のんびりとフィーリンと会話をしながら気楽な時間を過ごす。
前方が見えないので何とも言えないが、たぶんダムルブールの街とボルンの街の中間地点まで来たと思う。
「街道を外れる。魔物や盗賊が現れる可能性が高いから注意してくれ」
御者台に座っているリタから注意が飛ぶ。
ただ街道を外れても平和は変わらず、すぐにだらけてしまった。
本日宿泊するのは街道外れにある教会。その教会までまだ時間は掛かる。
やる事もない私は、大きな欠伸をした事で、ある事を思い出した。
「そう言えな、フィーリンが持ってきた小さな樽は何だったの?」
「ああ、忘れていたぁー」
フィーリンは、山積みにされている荷物の中から小さな樽を見つけ出す。
「この距離なら大丈夫だよね」
チラリと景色を見たフィーリンは、樽を縛っている石の紐を力任せに引き千切っていった。
バキバキと全ての石の紐が無くなると、樽の中からパコパコと叩く音に混じって、「開けろー! 出せー! バカフィーちゃーん!」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ま、まさか……樽の中身って……」
「頼もしい助っ人を連れてきましたぁー」
蓋を開けた瞬間、光の尾を引きながらティアが飛び出した。
「ちょっと、フィーちゃん! これは完全に誘拐よー! 監禁よー! 姉いじめよー!」
すぐさまティアはフィーリンの目の前でホバリングすると、わぁーわぁーと抗議する。
「よりにもよって、一番魔力の高いあたしを拐かすなんてー!」
「探すの大変だったよぉー」
「この確信犯めー! 明日になれば一人に戻っちゃうんだよー! アナちゃん家の家事は出来なくなるし、冒険者の依頼も受けられないー! そろそろノアとフィンの家庭教師の依頼が入る頃なのにー! 大事な依頼料がー!」
「まぁまぁ、ティアねぇー。お酒でも飲んで、落ち着いてぇー。ワインも持ってきているからねぇー」
皮袋を渡されたティアはグビリグビリと飲むと少しだけ落ち着き、ストンと私の肩に座った。
「そもそも、ここ何処よー?」
「馬車で半日以上行った所。もうすぐ教会に辿りついて一泊するよぉー」
「半日以上って……これじゃあ飛んで帰れないじゃなーい」
「だから、ここで開けたんだよねぇー」
確信犯のフィーリンは、ティアに睨まれる。
「そう怒らないで、ティアねぇー。旦那さまと二人っきりで旅をするのも悪くないけど、久しぶりにティアねぇーとも旅がしたかったんだよぉー。ティアねぇーがいれば、旅も戦闘も安全安心だよぉー」
「ま、まぁー、あたしはみんなのお姉さんだからねー。頼りになるからねー。強いからねー」
いつもみんなにぞんざいに扱われている所為か、フィーリンから頼られると徐々に怒りも収まっていった。
「まったく……今さら帰れないし、仕方ないから付き合ってあげるわよー」
「さすがティアねぇー。どんどん飲んでぇー、ぐびぐび飲んでぇー」
大好きな姉兼酒飲み仲間が出来た事でフィーリンも嬉しそうだ。
「あー、あいつら! あたしが居なくなった事、まったく知らなかったみたい! なんて薄情なの! それでも魔力を分けたあたしなの!?」
満足するまでワインを飲んだティアは、今の現状と今後の状況を知らせる為に分身体に連絡を取った。すると、分身体にも関わらず、フィーリンに誘拐された事を誰も知らなかったみたいで再度怒り出す。ただ分身体もティアなので、実際は自分自身に怒っているだけである。
「私もティアが来てくれるのは嬉しいし、頼りになる。ただ悪いけど、あまり表には出ないでほしい」
「はぁー、何でよー! また狭い樽に入っていろって言うの?」
「樽には入らなくていいけど、どこかに隠れていてほしいな」
デボラたちはすでにティアとも顔見知りであるので、事情を説明すれば同行を許してくれるだろう。
ただ副助祭のコニーは別だ。
同行を認める云々の前にティアとは会わせたくない。
だって、教会の宝物庫でコニーを眠らせたのはティアである。
コニーはその時の事を覚えていないようだが、ティアの姿をはっきりと見たら思い出してしまう恐れがある。そうなると、有耶無耶にした罪がぶり返してしまうのだ。
そう言った事情をティアに説明すると、あっさりと納得してくれた。
「じゃあ、ティアねぇー。アタシの道具袋に入っていて良いよぉー」
「何度も潰されているから嫌」
「そんなぁー」
悲しい顔をするフィーリンから視線を逸らしたティアは、私の腰に吊るしてる小物入れを開けると、中身を取り出し、隙間を空けた。
「いつの間にか忍び込んでいたりするし、ここが良いかもね」
「転んでもアタシごと潰さないでよー」
すぽっと小物入れに隠れたティアは、「狭いなー」と文句を言っている。まだ当分の間、私とフィーリンしかいないのだから、今から入らなくてもいいだけどね。
そろそろ夕暮れ時に差し掛かる頃、目的地であるブドウ畑に囲まれた教会へ辿り着いた。
教会は、以前クロージク男爵と合流する為に訪れた教会と大差なく、無料で食事と寝床を用意してくれる。その為、すでに何組かの商人や旅人が宿泊の為に訪れていた。
無論、突然訪れた私たちも泊まれるのだが、問題はコニーの存在である。
副助祭とはいえダムルブール大聖堂に務めているコニーだ。大物が飛び込み予約をしたせいで、小さな教会に務めている神官たちが慌て始めた。
そんな神官たちにコニーは「私はただの副助祭です。横になれる場所さえあれば問題ありませんので、気になさらないでください」と物腰柔らかく伝える。
ただコニーという青年は、若干表情が乏しい所があり、その所為で言葉と表情がずれてしまい神官たちが余計に困っていた。
私たち冒険者組は、馬車に積まれている荷物を下す。パンやお酒、肉や野菜の入った木箱で、一宿一飯の恩ではないが、ダムルブール大聖堂から小さな教会への差し入れである。
そのおかげで夕飯は、パンと温めたワインだけでなく、焼いた肉まで出てきた。そして、コニーとティモだけ個室を用意され、私たち冒険者は男女別々のスペースで雑魚寝であった。
何だかなぁーと思っていると、デボラたちは「肉が出ただけありがたい」と安上りな事を言っていた。
小物入れに隠れていたティアは、「探検してくるー」と言って飛び出していく。だが、すぐに「何もなかったー」と帰ってきた。
フィーリンは「お願いしたら、お酒を補充してくれたぁー」と嬉しそうに報告してきた。
私はと言うと、特にやる事もないので、お尻を休める為にさっさと寝てしまった。
二日目。
行きとは別の街道に出た馬車は、昨日と代り映えなくゴトゴトとフェルト村へ向かっている。
今日の宿泊先は、教会と親しく付き合っている商人の館らしい。無論、連絡はしていないので、昨日の教会のように突然訪問する形である。それで大丈夫なのか? と心配になるが、電話も電報もない異世界なので、お互い気にしないらしい。
それにしても辛い。
お尻が辛い。腰が辛い。何よりやる事がなくて辛い。
一日中、馬車に揺られるのが本当に辛くて、依頼を受けた事に後悔している。
ティアは頻繁に「遊びに行ってくるー」と外に出ていく。
フィーリンはお酒を飲んでは眠り、お酒を飲んでは眠りを繰り返している。
私も睡眠を使って時間を飛ばしたかったが、一応、護衛任務中なので我慢していた。
二日目でこれである。
場所によっては、月単位で旅をすると聞く。旅商人などは街から街へ頻繁に馬車移動だ。車や電車に慣れている私では絶対に無理である。
休憩を挟みつつ平和な馬車旅を満喫していると、「うー、やだやだー」と外に出ていたティアが戻ってきた。
「どうしたの?」
「どうもこうも、空気が変なのよー」
腕を摩っているティアに「どう変なの?」と質問する。
「空気が重いっていうか、粘つくっていうか、変な感じなのよねー」
「そうなの?」
ティアが言うような変化は、私では感じ取れなかった。
「雲が出ているね。湿気とか気圧の関係かも」
「きあつって言うのは分からないけど、一雨降りそうねー。その所為かな?」
私とティアは空を見上げる。
青々としていた空は、黒い雲に覆われ始めていた。
遠くの空は明るいのに、私たちの上空だけ暗くなっていく。何とも気味の悪い感じだ。
生暖かい風が肌を撫ぜるとティアは、「気持ち悪いー」と小物入れに避難した。
そして、ポツリポツリと雨が降り始めた頃、目的地の館へ辿り着いたのであった。




