34 リンゴパイとジャム作り その1
レナから無事に依頼料を貰った私たちは、冒険者ギルドの入口で立ち止まっている。
天気は大雨。
いつ止むか分からないので、ギルドの待合室でずっと待機する訳にもいかない。
ギルド職員に聞くと、この街で雨は滅多に降らないので、どこの店に行っても雨具は売っていないそうだ。せいぜい、マントやロングコートといった外套があるだけ。
勿論、私は持っていない。
まぁ、私の場合は、麻製のズボンとシャツ、それに皮鎧なので濡れても構わないのだが……。
隣に佇むエーリカを見る。
エーリカの服装は、黒をベースにしたゴシックドレスだ。
さすがに雨で濡れ濡れにするには忍びない。
「エーリカは雨具なんて持っていないよね?」
「あります」
「あるんかい!?」
何を当たり前な事をという顔で答えたエーリカに、ついツッコミを入れてしまった。
「それなら、レナさんに空き部屋を借りて、着替えてきて」
素直に私の指示に従ったエーリカは、レナの案内で空き部屋に入り、雨具に着替えて戻ってきた。
「てるてる坊主」
雨具に着替えてきたエーリカを一目見た私の第一声である。
エーリカの雨具は、頭からすっぽりと被る真っ白のポンチョである。
ちなみに、白の長靴まで履いている。
異世界の風景にまったく合わない場違いな服装だ。
その所為か、レナ率いる女性ギルド職員が遠巻きにエーリカの姿を眺めていた。
「坊主? ご主人さまと違って、私の髪は生えていますよ」
首をコテリと傾けて、私の光輝く頭を眺める。
その言葉、ブスブスと心に突き刺さるよ。シクシク……。
「じゃ、じゃあ、行こうか」
気を取り直した私は、エーリカと共に雨が降りしきる外へと出て行った。
このまま『カボチャの馬車亭』に帰っても良かったが、後でアップルパイを作るつもりなので、足りない材料……シナモンとバターを買いに西地区の露店街へ向かった。
「その雨具、本当に水滴を弾いているね。素材は何? 科学繊維じゃないよね」
ずぶ濡れの私の横で、少し楽しそうにしているエーリカを眺める。
いつも真っ黒のドレスを着ているエーリカが、真っ白のポンチョを着ているので、何だか新鮮な光景である。
そのエーリカが着ているポンチョは、雨具というだけあり、雨を弾き、水滴として下へと流れ落ちている。
そのレインポンチョ、私も欲しい……と思ったが、ハゲの私が着たら、本当にてるてる坊主になってしまう。
「この雨具は、ヴェクトーリア博士のお手製です。素材は分かりませんが、たぶん水中にいる魔物の皮を使っていると判断します」
でた! 何とか博士! エーリカを作り出した本人。
人間そっくりの自動人形を作れる天才であるが、一方で、その人形に土木作業でもさせるかのようにドリルを与えたり、場違いな雨具を作る人。
「その何とか博士……」
「ヴェクトーリア博士です!」
エーリカに睨まれる。
「ああ、ヴェクトーリア博士ね。うん、覚えているよ。……そのヴェクトーリア博士って、どんな人なの?」
「言えません」
「ああ、保護されているんだっけ?」
そう言えば、エーリカと出会った当初にもこんな話をしたな。
「はい、ご主人さまは管理者権限がありません。ヴェクトーリア博士に関しては、一切の情報を開示する事は出来ません」
エーリカの雰囲気から察するに、エーリカ自身、話したくても話せない状態なのかもしれない。
私は空気を読んで、これ以上、この話を止めた。
雨が降っている事もあり、西地区の露店は店を畳んでいる所が多い。お客も数えるぐらいしかいない。
私が目的とした薬草屋は屋根が付いていたので、無事にシナモンもどきを購入する事が出来た。
もう一つの目的であるバターは、建物の一階にある乳製品屋で見つけ、これも無事に購入した。
目的の材料を購入した私たちは、道を引き返し、『カボチャの馬車亭』へと帰っていった。
ずぶ濡れで『カボチャの馬車亭』へ到着した私たちを出迎えてくれたのは、カルラだった。
「おや、お早いご帰宅だね。流石にこの天気では、冒険者の依頼は受けられないかい?」
「あるにはあるのですが、やる気が起きません。素直に帰ってきました」
「はっはっはっ、冒険者は命がけの仕事だからね。やる気のない時に無理して、怪我でもしたら元も子もないよ。帰ってきたのは良い事さ」
仕事をサボった事に対して罪悪感があったのだが、カルラが豪快に笑ってくれたので、少し気が楽になった。
「クズノハさん、それなら時間があるんだろ。少し、話したい事があるんだ」
「私もカルラさんに相談したい事があるんです」
「おや、そうなのかい? なら、部屋で着替えてきたら、また戻って来てくれるかい? 暖かい飲み物を用意しとくよ」
雨で冷えた体に、暖かい飲み物はとても有り難い。
私たちは部屋へ戻り、濡れた体をタオルで拭いてから新しい服に着替えた。
エーリカもレインポンチョをすっぽりと脱いで下着姿になる。そして、いつもの服装へと着替えた。
濡れた服や靴、レインポンチョを壁に掛けて乾かしておく。暖房器具もないし、生乾きで臭くならないと良いけど……。
私たちが一階へ降りていくと、カルラとカリーナが飲み物を用意して待っていた。ちなみに、マルテの姿はない。自分の家へ戻って、お手伝いをしているのだろう。
私たちが席に着くと、温めたレモンジュースを注いでくれた。熱を入れた事で酸味が和らぎ、飲みやすくなったレモンジュースが体を温めてくれる。
ああ、美味しい……。
「それで、カルラさんの話とは?」
私の話は長くなりそうなので、先にカルラの話を聞く事にする。
「前に看板の話をしただろ。ピザ発祥とか何とかの……」
『カボチャの馬車亭』のピザを真似て、なんちゃってピザを出すお店が増えている。そのような他店のピザと差別化出来ないかと相談されたので、『元祖』や『本家』、『発祥の店』と書いた看板を立てたらどうかと案を出したのだった。
「その看板を作成しようと思うんだよ。そこで、クズノハさんにお願いがある」
「お願いとは?」
「ピザの絵を描いてほしい」
「はい?」
「マルテがクズノハさんの絵を絶賛していたからね。文字だけじゃ面白味がないから、ぜひクズノハさんの描いたピザの絵を載せたいのさ。描いてくれるよね」
また、絵か……。
私の落書きのような絵を人様に見られるのは、非常に恥ずかしいので断りたい……が、これからカルラに宿泊代を無料にしてもらう交渉をする所だ。
事前に恩を与えるのは得策である。
「わ、分かりました。ピザの絵を提供しましょう。……それで、直接、看板に描くのですか?」
「いや、折角だから、専門の看板屋に頼もうかと思っているよ。クズノハさんは、木札に絵を描いてくれれば、それを参考に看板屋が描いてくれるさ」
それは助かった。看板に一発描きをやらされたら、緊張でピザがもんじゃ焼きになる所だった。
カリーナに木札を用意してもらい、数パターンのピザの絵を描いてみた。
うーむ、ピザの絵なんて描いた事がない。どうもしっくりこない。
丸々一枚のピザ。六等分に切られたピザ。手に持って、チーズが伸びているピザ。具も色々と変えてバリエーションを増やしていく。カルラとカリーナの顔を描いて、美味しそうにピザを食べている絵まで描いてしまった。
私は調子に乗って、用意してもらった木札を使い切るまで、適当にピザの絵を描き続けた。
そして……
「もう、逆立ちしても出てきません。この中から選んでください」
私はギブアップ宣言をする。
「はぁー、凄いね。よくここまで描けるね。感心しちゃったよ」
「どれも素敵な絵です。おじさん、絵描き屋さんに成っちゃえば。絶対に儲かるよ」
本音か社交辞令か分からないが、カルラとカリーナは満足そうに木札を確認している。
「絵に関しては、旦那と一緒に相談するから決まったら教えるよ。それで、クズノハさんの相談とは何だい?」
ようやく私のターンが回って来たので姿勢を正す。
「カルラさん、新しい料理を買いませんか?」
「新しい料理!? なになに、どういう料理!?」
カルラでなく、カリーナが真っ先に食らい付いた。
キラキラと目を輝かして、前のめりに迫ってくる。
少し、怖い……。
「ああ、確か今日までだったね。宿の無料期間」
カルラは、私の考えを見抜いて、にこやかに笑っている。
「んん、えーと……アップルパイ……いえ、分かりやすく、リンゴパイにしましょう。リンゴを甘く煮て、パイ生地に包んで焼き上げるお菓子です」
「お菓子!? お貴族様が食べる料理だよね! それを教えてくれるの!?」
椅子を蹴り上げて、カリーナがグイグイと詰め寄ってくる。年頃の少女が中年のおっさんに迫らないでほしい。どうすれば良いか対処に困る。
そんなカリーナにカルラが「静かにしな!」とカリーナの頭に拳を落とす。
「あうぅ……」と頭を押さえるカリーナを気にもせず、カルラは眉を寄せて、難しい顔をした。
「甘く煮ると言ったけど、もしかして砂糖を使うのかい? それとも蜂蜜かい?」
やはりきた、砂糖問題。
「ええ、砂糖の甘煮です。やはり、値段が高くて難しいですか?」
カリーナの反応から察するに、裕福地区の人たちでもお菓子を食べる習慣はないようだ。つまり、お菓子の材料である砂糖自体、ほぼ購入する事はない。
砂糖は、お金を持っている貴族が購入するだけなので、流通の量が少なく、価格が安くならないのだ。
「難しいね……。クズノハさんにピザを教えて貰ったおかげで、無理をすれば出来なくはないけど……毎日、お客に提供するとなると……考えたくもないね」
確かに、一回や二回、使用するだけなら問題はないが、それが毎日となると難しいのだろう。高価な砂糖を定期的に購入する。それも大量に……考えただけで鼻血が出てしまう。いや、フルチ先生のように、口から内臓が出てしまうな。
とはいっても、私には代替案があるので、難しい顔で思案しているカルラにその案を伝える。
「私に考えがあります」
「考え?」
私は頷いて、エーリカにリーゲン村から頂いた壺を出してもらった。
「これはリーゲン村から頂いた砂糖です」
私は壺の蓋を開けて、薄茶色の粒を見せてから味見をしてもらう。
興味深々のカリーナがまず手を出して、指先で砂糖大根の砂糖をつまむ。
「甘い!?」
それを見たカルラも指先に砂糖をつまみ、口に運ぶ。
「おや、これは……果物の甘さとは違った甘さだね」
なぜか、エーリカも砂糖をつまんで口に運び、「美味美味」と呟いている。
「これは砂糖大根……と私は呼んでますが……」
そもそも、私は本物の砂糖大根を見た事がない。それに、砂糖大根から取れる甜菜糖を味わった事がない。
だから、この異世界のリーゲン村で栽培されている植物が、日本の砂糖大根と同一かどうかすら分からない。だが、面倒臭いので、ここは砂糖大根で押し通す事にする。
「その砂糖大根から砂糖が作れます。ただ、通常の砂糖より甘さは控えめで、さらに雑味があります」
「十分甘いと思ったけど、これで甘さ控えめなのかい?」
カルラとカリーナが砂糖を見ながら驚いている。
「私の知っている砂糖と比べれば、控えめですね。だから、通常の砂糖と比べて、値段も安いと思います」
リーゲン村で砂糖大根の値段は聞いていない。そもそも売り物でなく、家畜の食用目的で栽培していたので、値段すら付いていないと思う。その事をカルラに伝えた。
「つまり、交渉次第では、砂糖大根の砂糖が安く手に入るかもしれません」
ある程度の量を定期的に作れるかは現時点で分からないので、あえて伏せておく。
「なるほど……」
「あと、砂糖を使う事で利点があります」
「利点?」
「はい、砂糖は高価な材料です。つまり、作り方が分かっても他店では簡単に真似をする事は出来ないでしょう」
「ああ、ピザのように成らないという事だね」
「はい」
言うべき事を言った私は、温くなったレモンジュースを一口啜り、渇いた喉を潤す。
カルラは目を瞑り、しばらく考え込む。
「お母さん、今考えたって、どうにもならないよ。まずはその新しい料理を食べてみよう」
カリーナがカルラの肩を揺すって思考を中断させる。
エーリカも「良い判断です」とコクコクと頷いている。
二人とも早く食べたいだけな気がするが……。
「それもそうだね。その……リンゴパイだっけ、それを食べてから考えるかね。そもそも私たちじゃ作れないかもしれないし」
「作る事自体は簡単です。リーゲン村でも同じような物を食べさせて貰いました。それの改良版ですから、特に問題はないかと思います」
「実際に売るかどうか分からないけど、料理の作り方を教えて貰う代わりに、宿泊代七日で良いかい?」
おお、流石、カルラさん。私から宿泊代無料を請求しなくても、自分から言ってくれた。
心の突っかかりが取れて、気が楽になった。
「はい、宿泊代七日でお願いします」
私は即答で合意する。
「じゃあ、早速、作ってくれるかい?」
「勿論です!」
私の代わりに、なぜかエーリカが元気良く答えた。
私たちはリンゴパイを作る為に受付の横にあるドアから台所に入る。
「それはそうと、クズノハさんはお金に困っているのかい? まぁ、冒険者に成ったばかりだから収入は少ないのは予想は付くけど……」
借金があると言うのは、正直、恥ずかしい。だが、宿代無料期間が終わる都度、レシピを買って貰うと不信感を抱かれるかもしれないので、正直に借金があると伝えた。
「ええ、少し借金を抱えてまして、なるべく節約したいんですよ」
「ほう……ちなみに期限はどのくらいだい?」
「たしか……あと二十一日だったかな?」
「返せる目途は?」
「何とか頑張っています」
「そうかい……」
カルラは少しの間、目を瞑ると散らかっている台所を片付け始めた。
てるてる坊主エーリカ。
カルラさんと交渉。
次回、料理パートです。