328 看板案を考えよう
私たちの第一目標は、アナの食事処を開店する事である。
昼食時に話し合った事で、準備しなければいけない物、買い足さなければいけない物が明確になった。
やるべき事が分かると私たちは、食事処に向けて作業を始めた。
支配人兼料理長になるアナは、楽しそうにモーニングセットの練習をする。
貯蔵室から食材を調べ、買い物リストを作製。そして、調理過程を見直し、薬草の種類を決め、実際に作り始める。
試作した料理は、補佐のティアに食べてもらい感想を聞き、何度も試作を繰り返し、味の調整をしていった。
初めの内、アナは食事処に関して戸惑っていたのだが、開店間近になった事で誰よりも真摯に考え、準備をしている。
そんな成長したアナを見ると、多少強引であったが食事処を始めて良かったと思える。体付きがふっくらとしてきたし、健康的な肌ツヤにもなってきたしね。
それはそうと、昼食を食べた後にも関わらず、試食を繰り返すティアが心配だ。お腹が膨れて、空を飛ぶ事なく机に倒れている。今のティアにデコピンをしたら、七つの大罪をモチーフにした連続殺人事件の『暴食』事件みたいに死んでしまいそうだ。
フリーデはエプロン作りを始めた。
フリーデは貧乏育ちで古着すら買う事が出来ず、自分たちで作った衣服を着て育ったそうだ。その為、簡単な衣服なら作れるという事で、エプロン作りを買って出たのである。
ただサイズに合わせて一人一着を作るつもりでいたフリーデだが、ティアが最大十四人に分裂できる事を知って、げんなりする。サイズが小さいとはいえティア用に十四着作るはめになったフリーデは、「やめとけばよかった」とぼそりと呟いていた。
そんなフリーデは、みんなの元へ行っては採寸をして、補佐のティアにメモをしてもらっている。無論、私も測られた。
私も中学生の時に授業でエプロンを作った事があるが、今では作り方すら覚えていない。裁縫についてまったくド素人の私だが型紙の存在は知っている。その為、「型紙を作る材料ってなに? 羊皮紙でも使うの?」と聞くと、「何それ?」と真顔で返答された。
フリーデは採寸の数字を目安に、適当に布を切って、縫い合わせていくそうだ。
うーん、大丈夫なのだろうか?
私の心配をよそにフリーデは小金持ちのティアを連れて、街まで布を買いに出かけて行った。
リディーはエーリカと一緒に食事処の扉の模様を彫っている。
大好きなエーリカとの共同作業の為、リディーは終始嬉しそうだ。ただエーリカの方は、様子を見に来た私に「ご主人さまも一緒にやりましょう」と誘っている。
木工細工が不得意な私が断ると、残念そうにチラチラと見てくる。
リディーには扉の後にも机と椅子の模様彫りが待っているので、邪魔をしないよう早々に離れる事にした。
余談だが、机と椅子を作ったディルクが「手直しするほどに駄目だったか?」と若干影を落とした表情をしていた。無骨で丈夫そうな机と椅子であるが、正直面白味に掛けるので、フォローする事が出来なかった。
そんなディルクであるが、エールを購入する為にフィーリンと一緒に街へ出かけている。
収納魔術が使える小金持ちのティアも一緒なので、午前中のように無銭飲食になる事はないだろう。
ただティアも飲ん兵衛の傾向があるので、ディルクがしっかりと目を光らせてもらおう。頑張れ、ディルク。
ゴーレムのロックンだが、一人寂しく穴掘りをしている。
エール探しで街に行く事になったフィーリンが、出かける前に自家製エールを保管する地下を掘るよう指示を出していた。その為、黙々と(しゃべれないけど)穴掘りをしている。
魔力弾で地面を穿ち、邪魔な土や石を外へ運ぶ。
私に気が付いたロックンは土塗れのまま近づいてきた。
「ご苦労さん」と労うと、ロックンが両目をチカチカとさせながら両腕を上げ下げする。そして、私と穴を交互に見て、さらに両腕を上げた。
たぶん一緒に掘ろうと誘っているのだろうが、完全に肉体作業なので、「やる事がある」と断る。
どことなく寂しそうな雰囲気になったロックンが作業場に戻ったので、私も家へと戻った。
みんなの視察を終えた私は、居間の机に木札と羽ペンと飲み物を用意してからドカッと座った。
みんなも頑張っている事だし、私も頑張ろうかな。
私がやるのは看板作りである。……とはいえ、実際に看板を作る訳ではなく、看板案である。先程も言った通り、木工細工は不得手なので、私の図を参考にリディーとエーリカに作ってもらおう。いや、リディーたちは机と椅子を彫らなければいけないので、ディルクにでも頼むかな。
まぁ、どちらにしろ、幾つか案を出してからなので、これから考える事にした。
まずやる事は文字の練習である。
私は未だに異世界の文字が書けないし、読む事も出来ない。
ここの異世界文字は、四角や三角のような記号に近い文字を使う。たまにアルファベットに似た文字も入ってくるので、ついローマ字読みをしてしまい、余計に混乱する。
その為、一番癖が無く綺麗に整った字を書くエーリカに『薬草料理店 スレイプニル』と書いてもらい、それを参考に木札に文字の練習をした。
木札に文字を書いては鉋みたいなもので削って、さらに書いていく。
ただまったく文字が読めない私なので、字が上手くなっているのか、さっぱり分からない。
まぁ、今は何も考えずにエーリカの文字を真似て、練習あるのみ。
………………
…………
……
木札がペラペラに成り始めたので、字の練習を終了する。
正直、文字が上手くなったかどうか分からないが、文字を書き始めた小学生から中学生ぐらいの文字ぐらいには成長しただろう。
木屑だらけの机を綺麗にすると、私は本番へと進んだ。
新しい木札に『薬草料理店 スレイプニル』と描いていく。
そう『書く』ではなく、『描く』だ。
何度も線を重ねて文字を太くしていく。そして、微調整しながら形を整えていった。
ゴシック体ぽい文字、明朝体ぽい文字、丸みのある文字、陰影を付けた文字、一文字一文字の大きさがバラバラの文字、と思いつく限りの文字の絵を描き上げていった。
文字を描いた木札を脇に退かせると、新しい木札を引き寄せる。
次に行うのは文字を載せる板枠の案である。
こちらも絵で描いていく。
シンプルな長方形の板枠、丸っぽい板枠、意匠を凝らした板枠、と先程描いた文字に合いそうな板枠を描き上げていった。
あくまでも今は案である。
後でみんなの意見を聞いて決定するので、ちょっと奇抜なものでも気にせずに描いていった。
最後に普通の絵でも描こう。
『薬草料理店 スレイプニル』なので、スレイプニルは欠かせない。よってクロとシロの絵をディフォルメで描く。
おまけでアカも描く。スレイプニルではないが、クロとシロの弟分なので、省くと可哀そうだからだ。
誰かが「みんなの似顔絵を付けよう」と言ったのを思い出した私は、みんなの顔を思い出しながら似顔絵も描いていく。
支配人兼料理長のアナ、いつも眠そうなエーリカ、陽気なティア。この三人はハンカチ作りの時にも描いたので、サラサラと描ける。
リディーは始めてなので苦戦する。髪の毛が短くして耳を長くすれば、それっぽくなるのだが、顔立ちが中性的なので難しい。凛々しく描くと男性ぽくなるし、可愛く描くと女性ぽくなる。何パターンか描いてから、後でみんなの意見を聞いてみよう。
フィーリンは簡単。ボリュームのある三つ編みを描けばフィーリンだ。
ゴーレムのロックンも簡単。元がディフォルメされたような顔なので、一発で描き上げた。
最後にフリーデとディルクだ。眉毛が凛々しいフリーデは簡単。ただディルクは難しい。
強面で傷だらけのディルクだ。強面や傷を強調すると怖くなるし、シンプルに描くとディルクぽくない。こちらも何パターンか描いて、後でみんなの意見を聞こう。
そもそも似顔絵を看板に載せるかどうか分からないけど……アナは嫌がっていたしね。
ん? 私? ハゲのおっさんの絵なんか、いらないでしょう。
みんなの似顔絵も描いたし、最後は料理の絵を描いていく。
お皿の上に焼いた肉。そして、付け合わせのマッシュポテトと人参とカボチャを描く。
羽ペンだけで表現するので、熱々のお肉やもこもこのマッシュポテトに苦戦する。
同じく焼き上げたソーセージと具材を挟んだサンドイッチも難しく、何度も描き直した。
ただモーニングセットに付いてくる、ふわふわパン、スープ、茹で卵、ドリンクは一発で描きあげた。
以上、店名看板の案は終了。後はみんなの意見を聞いて、ディルクなりリディーなりプロの看板屋なりにお願いして完成である。
続いてお店の前に置くメニューボードに取り掛かる。
これは二枚の板を頭部分でくっ付け、三角形のように立てかける物。
私自身が実際に作れないので、木札に図案を描くだけにする。
表面に書かれる文字は、モーニングセットの内容。
『香草焼きのモーニングセット。三種類の肉から選べます。
ソーセージのモーニングセット。色々なソーセージが楽しめます。
サンドイッチのモーニングセット。柔らかいパンに具材が挟まっています。
どれもパン、日替わりスープ、茹で卵、飲み物が付いてます』
みたいな事を書き、私のような文字が読めない人の為に料理の絵を載せる予定。
ボードはディルクに頼んで、文字はエーリカにお願いしよう。
街道前に設置する案内板も同じ形の三角形ボードにする。
内容は、『『薬草料理店 スレイプニル』営業中。この先すぐ』と矢印を付ければ良いだろう。
あと必要なのは……そうそう、冒険者ギルドで宣伝してくれるらしいので、それの案も考えよう。
とはいっても、やる事は簡単で、木札に場所、営業時間、料理内容と料金を載せるだけ。気軽に来てもらえるよう、クロとシロとアカとアナの似顔絵を付けておく。
これも全て日本語で書かれているので、あとでエーリカに清書をしてもらう。
やる事をやった私は、再度、みんなの視察をしていると大量の布と紐を買いこんできたフリーデとティアが戻ってきた。
早速、フリーデがエプロン作りに取り掛かる。
採寸の数字が書かれた木札を見ながらフリーデは、広げた布に羽ペンを使って線を書いていく。そして、何の迷いもなくナイフで布を切っていった。
これでサイズぴったりのエプロンが完成すれば、フリーデは裁縫の天才かもしれない。
裁縫が得意でない私は、邪魔しないようにフリーデの作業を眺めているとディルクたちが帰ってきた。
エールを買いに行ったディルクたちだが、沢山の酒屋を飲み回った所為で、フィーリンとティアは陽気に、ディルクは青い顔になっている。ただその甲斐もあり、美味しいエールが手に入ったと語る。まぁ、私は飲まないんだけど。
みんなが集まった事で、先程の看板案の木札を見せて、意見を聞く。
「ご主人さまの似顔絵がありません」「羽を強調しすぎよー」「僕はこんなにも可愛くないぞ」「ロックンはそっくりだねぇー」「おっ、私も描いてくれたのか」「俺、こんな顔しているのか?」となぜか似顔絵ばかりの意見が飛び交う。
そんな中、アナから「私の似顔絵はいりません。恥ずかしい……」と意見が出たので、看板にはクロとシロとアカの絵だけを載せる事にした。
それ以外は順調に決まっていく。
店名看板は、丸みのある可愛い文字で、それに合わせた枠板になる。色については、塗料が来てから決める事となった。
メニューボードも問題ないし、宣伝の木札も二言三言の意見で決まった。
ただ一つ問題があり、実際に作るのがリディー、エーリカ、ディルクになったので、「仕事が増えた」とリディーとディルクが嘆いていた。
本日は、朝から街に行っては帰還報告と調理道具やパン作りのお願いに回った。その後、食事処の話し合いをしてから看板案を作った。
もっとゆっくりと過ごしたいのだが、これからますます忙しくなるだろう。
食事処だけでなく、冒険者の仕事もやっていかなければいけない。
ただ慌ただしい一日であったが、気分は充実していた。
バタバタとしていても楽しければいいか……。
そんな事を思いつつ、一日が過ぎていった。




