310 最後の戦い
私の魔力でフィーリンの魔石を満たした。そのおかげでワイバーンの炎を防ぐ事が出来た。
中学生の見た目のフィーリン。彼女は私を守るように今も城壁のような土壁を維持している。その後ろ姿はとても頼もしく見えた。
フィーリンがいればワイバーンも何とかなる。
心に余裕が出来た私は、ある懸念が生じた。
「ね、ねぇ、フィーリン。もしかして、私とフィーリンって、契約しちゃった?」
ワイバーンの炎で丸焼けになりそうだった私は、魔術契約の事など頭から完璧に抜け落ち、一気に魔力を流してしまった。
頭痛、吐き気と言った魔力欠乏症が起きる程に魔力を上げてしまったのだ。たぶんだが……もしかしたら……下手すれば……契約している可能性が無きにしも非ず。
そう思い、恐る恐る聞いてみたら、ニコリと向日葵のような笑顔が返ってきた。
「リディアとエーリカの旦那さまだったけど、今日からはアタシの旦那さまでもあるんだねぇー。いやぁー、まいった、まいった。恥ずかしい、恥ずかしいぃー」
クネクネと三つ編みを揺らしながらフィーリンが照れている。
どうやら、やってしまったようだ。
「後で綺麗になった魔石を見せてあげるから、旦那さまはリディアの所まで避難してくれるかなぁー」
ワイバーンが動き出したので、私は痛む体を引き摺るように壁際で座っているリディーの元へ走った。
「私、フィーリンと契約してしまったみたいです」
「何を今さら。予定調和だろ」
目をしょぼしょぼとさせているリディーが呆れた声を出す。
確かに六人姉妹の内、すでに三人と契約をしている。さらにゴーレムまで契約済み。一人増えたぐらい予定調和であるが……それで良いのか、妹さんよ?
「ところで、目はどうしたの? 埃でも入った?」
「おっさんの目潰しを喰らったんだ。まったく……まぁ、それで体が自由になれたから文句は言わないけど」
これも予定調和である。
「おっさんの方が酷い状態だな。体中が光っているぞ」
謎の女に指を斬られ、体中を切り刻まれ、腹を刺され、さらに火傷まで負っている。応急処置で治癒付きの魔力弾を塗りたくったので、今の私は、老人ホームの近くに現れた宇宙人みたいにピカピカと光っている。
「散々痛めつけられたけど、最後はレイピアで串刺しにしてやった」
「そいつは良い」
ケラケラと笑ったリディーは、すぐに真顔になると「始まるぞ」とフィーリンとワイバーンに視線を向けた。
「フィーリン、おっさんの魔力が完全に染まると精霊が逃げていく。その前に仕留めろ!」
リディーの助言を聞いたフィーリンは「本当、無茶ばかり言うなぁー」と肩を竦める。そして、土壁をさらに高く作った。
高く太く作った土壁だがワイバーンの突進で簡単に壊れる。
バラバラに崩れた土壁だが……。
「土の精霊さぁーん、後で美味しいお酒を上げるからワイバーンに石をぶつけちゃってねぇー……『石弾』!」
呪文なのかお願いなのか分からない事を呟いたフィーリンが腕をワイバーンに向けて伸ばすと、
粉々に砕けた土壁の破片が空中で止まり、凄い速さでワイバーンにぶつかっていく。
だが散弾銃のような石礫だが硬い鱗で守られているワイバーンには傷一つつかなかった。
代わりとばかりにワイバーンはクルリと回転し、太く長い尻尾をフィーリンにぶつける。
フィーリンは瞬時に土壁を作って防ぐが、重く鋭い尻尾によって砕かれた土壁と共に吹き飛ばされてしまった。
凄い速さで反対側の壁に飛ばされたフィーリンだが、ぶつかる瞬間、背後に新たな土壁を作る。土壁は細かい砂で出来ていて、フィーリンがぶつかると羽毛布団のように衝撃を吸収して受け止めた。
「えぇーい、『石弾』『石弾』!」
ドスドスと近づいてくるワイバーンにフィーリンは、空中で石の塊を作り、ぶつける。バスバスと石弾がぶつかるが、やはりダメージはない。
目と鼻の先にまで迫ったワイバーンが大きな羽を広げる。その所為でフィーリンは、壁際に追い込まれるように逃げ道を防がれた。
ワイバーンの喉が膨れ上がる。
フィーリンは手の平にスイカサイズの石の塊を作り出した。
「これでも喰らえぇー!」
ワイバーンが口を大きく開いた瞬間、フィーリンはスイカサイズの石を口の中へ投げ入れる。そして、「弾けろ!」と叫ぶとスイカサイズの石が膨張し、数倍のサイズへと大きくなった。
口の中を石で塞がれたワイバーンは炎のブレスを吐く事が出来ず、もがき苦しむ。
その隙にフィーリンは地面に手を付くと……
「土の精霊さぁーん、ワイバーンを縫い留めてぇー……『土槍』!」
ワイバーンの周りの地面から無数の鋭い土の槍が飛び出す。
ガスガスと土の槍がワイバーンの鱗に当たるが、やはり貫く事はできない。だが、槍の表面から木の根っ子のように細い槍が伸び、鱗の隙間に突き刺さっていく。
無数の土槍の根っ子に絡め捕られたワイバーンは身動きが取れずにいる。だが、空を飛ぶ勢いで羽を動かした事で土槍を破壊し、自由になった。そして、体をグルンと回転し、壁際のフィーリンに尻尾を振った。
フィーリンは横へ飛び、前方に土壁を作り尻尾攻撃を防ぐ。土壁ごと吹き飛ばされるが、衝撃は少なく、難なく地面に着地し、ワイバーンの背後へと回った。
位置取りが逆転し、今はワイバーンが壁際にいる。
フィーリンは再度、土槍を作り、ワイバーンを繋ぎ止めた。
動けなくなったワイバーンから視線を上へと向けたフィーリンは、地面から土斧を作ると、「えいっ!」とワイバーンの背後にある絶壁の壁に向けて投げた。
ワイバーンが動けない事を良い事に、フィーリンは土斧を作っては投げてを繰り返し、楕円形を書くように壁に突き刺さしていった。
「精霊さぁーん、長く長く伸ばしてねぇー……『土槍』!」
地面から土の槍が盛り上がると、ぐんぐんと斜めに伸びていく。そして、ワイバーンの頭上を通過し、楕円形に刺さった土斧の中心地へガスンと突き刺さった。
ワイバーンは体を大きく動かして土槍の根っ子を破壊する。そして、「グアァー!」とフィーリンに向けて叫んだ。
フィーリンも負けずに「もう遅ぉーい!」と叫び返すと、壁に刺さった土斧が下から順番に爆破していき、楕円の形に亀裂の入った絶壁の壁がゆっくりと倒れていった。
ワイバーンを完全に覆いつくす巨大な石の壁。山自体が倒れたような錯覚を起こすほどの物量。そんな石壁を見て、ワイバーンが羽を広げて逃げようとする。だが、その前にフィーリンが「やぁー!」と可愛い掛け声を発しながら地面から伸びた土槍を力一杯引っ張り、一気に倒した。
ズズズンと土煙を巻き上げながらワイバーンは巨大な石壁によって押し潰された。
「は、派手だね……」
「はしゃぎ過ぎだな。さっさと止めを刺せと言ったのに……」
私の隣でフィーリンの雄姿を見守っていたリディーが溜め息を吐く。
「まぁ、ワイバーンも潰れたし、これで終わったね」
「まさか……あの大きさだ。岩に押し潰された程度ではくたばらん」
「うそ……あっ!? フィーリン、後ろ!」
「見ていてくれたぁー」と私たちに手を振るフィーリンの背後、ワイバーンが埋まっている瓦礫の上に漆黒のローブを羽織った女が立っていた。
ワイバーンの尻尾攻撃で塵のように消えたと思ったら、やはり生きていた。
「フィーリン、気を付けて! 女、女!」
女はお腹を押さえながらローブの中に片手を入れると、酒瓶のような入れ物を取り出した。やはり入れ物も真っ黒で、さらにモクモクと黒い靄が立ち込めている。間違いなく、怪しい品物。
私が「阻止して!」とフィーリンに叫ぶが、女はすぐに入れ物を逆さまにして、中身を瓦礫の上へと垂らしてしまった。
フィーリンが急いで土斧を投げるが、女は影に溶け込むように姿を消す。
「あいつ、何をしたんだ?」
「分からない。何か液体を流したみたいだけど……」
「フィーリン、何が起きるか分からん。距離を開けて、早くワイバーンに止めを刺せ!」
リディーの言葉にフィーリンは「無茶ばかり言うぅー」と愚痴るとトコトコと私たちの方へ近づき、クルリと瓦礫に向き直る。
「えーと……遅かったみたい」
再度、私たちの方へ視線を向けるフィーリン。彼女の言う通り、ワイバーンが埋まっている瓦礫の隙間から黒色の靄が溢れ始める。そして、ガラガラと石が崩れると、ワイバーンが現れた。
黒い鱗に覆われているワイバーンだが、今では黒い靄が全身を覆っていて、さらに真っ黒になっていた。ただ瞳だけが真っ赤なので、非常に気味が悪い。
「うわぁー、何かヤバそうなんだけどぉー! 試しに、えいっ!」
黒い靄に覆われたワイバーンにフィーリンは手斧を投げる。手斧はワイバーンの体に当たる前に黒い靄によって土へと変わり、消滅してしまった。
「それなら」と再度フィーリンは土斧を投げて、黒い靄に当たる直前に爆破させる。だが、これも黒い靄によってダメージが通らなかった。
その後も土の槍や石礫を放っても同じ結果で終わる。
「これは駄目だねぇー」
フィーリンは逃げるように私とリディーの元まで走ってきた。
「あの靄を何とかしないと傷を付ける事が出来そうにないな」
「そうだねぇー。でもどうやって消すのぉー? リディーの風魔術で吹き飛ばせる?」
「さすがに無理だ。……僕ではな」
フィーリンと話していたリディーがチラリと私を見る。
「おっさん、トカゲと戦った時、一瞬目潰しの光で炎を消したよな」
「ああ、魔力で作ってあるものなら消せるよ。だけど、あの靄が魔力なのか分からない。そもそも私の魔力はもう空で、あんな大きな体に纏っている靄を消すなんて無理だよ」
「そうか……フィーリン、靄が消えたら何とかなるか?」
「もちろん、任せてよぉー」
「なら僕とおっさんでワイバーンの靄を消す。止めはフィーリンに任せる」
「分かったぁー」
「いやいや、どうやってやるのか教えてくれなければ……うわっ、炎、炎!」
ドスドスと近づいてきたワイバーンの口から炎の塊が飛び出す。
ボンボンと黒光りする火球が私たちの左右に飛び散り、当たり一面、黒い炎で焼きつくされる。
両端は黒い炎、正面はワイバーン。逃げ道がない。
ワイバーンの喉が膨れ上がる。
私たちの前に出たフィーリンが城壁のような土壁を作る。
黒い炎が土壁に当たり、左右へと流れる。
「アタシの壁では、炎を防げない!」
黒い靄が上乗せされている為、ワイバーンの炎が通常以上の熱量を発している。その為、フィーリンの土壁が徐々に溶け出して、崩れていった。
リディーが折れた足を庇いながら前に出て、風の壁を展開する。だが、若干土壁の崩壊が遅くなった程度にしか効果がなかった。
私も光のカーテンで防御したかったが、肝心のレイピアがどこかに落としていて、何も出来ず、熱さを我慢する事しか出来なかった。
「だ、駄目、もう崩れる……」
―――― 魔力で包もうねぇー ――――
フィーリンの言葉と同時に『啓示』の声が流れた。
私は両手に魔力を集める。
視界が真っ白になり、グラリッと体が傾くが炎の痛みで意識を保つ。
残り僅かの魔力で治癒付きの粘着魔力弾を作る。
ドロリと鼻から血が流れ出すが、すでに血だらけなので気にしない。
ボロボロと土壁が崩れ、穴から炎が吹き上がり、私たちを焼いていく。
「こ、これでどうだー!」
意識を保つ為に叫んだ私は、手の平に出来た粘着魔力弾に光のカーテンのイメージを追加する。
バラバラと土壁が砂と化し黒い炎が迫る瞬間、粘着魔力弾はぶわっと薄く広がり、私たちを覆うようにへばり付いた。
光り輝く粘着魔力弾と黒い炎がぶつかり、魔力同士が反発しバチバチと火花が飛び散る。そのおかげで体が焼かれる事はなくなった。ただ鼻や口にまでべったりと魔力弾がくっ付き、息が出来ない。
このままでは窒息死してしまう……。
そう思っていると、ワイバーンの炎が止み、粘着魔力弾も消えた。
「がはっ、がはっ、おっさんに殺される所だった……」
「旦那さまの魔力でぬれぬれだよぉー」
リディーとフィーリンが涙目になりながら深呼吸している。
体中テカテカに光ってしまったが、何とか助かった。だが、目の前のワイバーンが再度喉を膨らませて、助かっていない事に気が付く。
もう魔力がない。
フィーリンとリディーの魔法や魔術でも防げない今、どうする事も出来ない。
「ご主人さま!」
絶望で言葉を噤んでしまった私たちの上空からエーリカの声がした。さらに私たちの背後からドスンと音が鳴った。
振り向くと桶のような入れ物が壁際に落ちていた。入れ物は紐に繋がれており、絶壁の上に伸びている。そして、紐は絶壁の縁にある滑車に繋がれていた。
「ご主人さま、中に入ってください。引き揚げます」
私は急いで立ち上がると滑り込むように入れ物に入る。足を骨折しているリディーは、「痛い、痛い!」と言いながらフィーリンに放り投げられるように入れられた。
ワイバーンの口が開き、炎が吹き出される。
フィーリンが飛び込むように入れ物に入ると、私は「引き上げて!」と叫んだ。
絶壁の縁から縄に括られた岩が落ちる。
ゴォーと黒い炎が迫る中、滑車がガラガラと回り、岩の重さで入れ物が引き上がった。
下方で炎が燃え広がるのを見ながら、グングンと地上へと上がっていく。
ああ、助かった……。
ほっと一安心すると、ガツンと入れ物が止まり、エーリカが出迎えてくれた。
「ありがとう、エーリカ。助かったよ。……あっ、みんなもいたんだ」
エーリカの背後にはエギルや村長、その他ドワーフたちが集まっていた。脳筋兄弟のアーロンとアーベルの姿もあった。
「フィーリンさん、僕たちが来たからには、もう安心です。ワイバーンを蹴散らしましょう」
胸でなく腹を叩いたエギルが、男らしくフィーリンに告げる。
「戦いがいのある魔物だぜ。面白くなってきた」
「ああ、腕が鳴るぜ」
アーロンとアーベルが肩を回して、楽しそうに崖からワイバーンを眺める。
「その前にやる事がある。おっさん、肩を貸してくれ」
足の痛みで上手く立ち上がれないリディーを支える。だが、私も魔力不足と傷の痛みでフラフラしてしまう。
「それでリディー、私はどうすれば良い?」
「僕に魔力を流してくれ」
胸元を広げたリディーは、鎖骨の間にある魔石を指差した。
「リディーに上げるほどの魔力はもうないよ」
頭は痛いし、吐き気もするし、視界はぼやけているし、体の力も入らないほどである。
今すぐにでも意識を無くしそうな程だ。
「僅かでいい。ほんの少しだけ流してくれれば、おっさんと同じ魔力を練り上げる事ができる」
それならとリディーの魔石に指先を触れる。魔術契約をした時みたいに強制的に吸われる事はなく、私はゆっくりと魔力を流した。
ほんのちょっと魔力を流しただけで私の体はグラリと傾き、リディーと共に倒れそうになるのをエーリカが横に来て支えてくれた。
「風よ、集まれ。渦を巻き、汚い靄を巻き上げろ。――『旋風』!」
リディーは、炎のブレスを吹き終えたワイバーンに腕を伸ばすと、呪文を唱えた。
石切り場に流れる風がワイバーンに集まると、ワイバーンを中心につむじ風が生じ、風が上昇していく。
異変に気が付いたワイバーンは羽を広げて飛び立とうする。
「フィーリン、ワイバーンを逃がすな!」
「あいよぉー」
ワイバーンに向けてフィーリンが土槍を撃って阻止する。
エギルや他のドワーフたちも崖から身を乗り出して、土魔術でワイバーンを逃さないように釘付けにした。
リディーが作ったつむじ風の中に光の粒子が混じり出すと、ワイバーンの体に纏っている黒い靄が反発してバチバチと火花が飛び散り始める。だが、黒い靄は根っ子が生えているようにワイバーンの体から剥がれなかった。
「魔力が足りない。エーリカ、僕に魔力をくれ!」
すぐさまエーリカがリディーの腰に手を当てると、つむじ風の勢いが増し、竜巻のように発達した。
飛ばされないようワイバーンが地面にしがみ付く。
ワイバーンは飛ばされないが、勢いを増した風で黒い靄がブチブチと千切れるように飛び散っていった。
「は、剥がれた……フィーリン……仕上げ……だ」
竜巻と共に黒い靄がグルグルと回転し消えると、リディーは気を失って倒れた。
「よっしゃー、最後の大仕事だぁー!」
嬉しそうにフィーリンは地面に手を付くと、「デカいのを作るよぉー」とボコボコと地面を盛り上げ、特大サイズの土斧を作り上げた。
全長十五メートル、刃の部分だけで五メートルもある。その為、「デカく作り過ぎたぁー、重すぎて持ち上がらなぁーい」と情けない事を言っている。
「フィーリンさん、手伝います」
エギルがフィーリンの元へ駆け出す。
「姫さま、俺も俺も」と楽しそうに他のドワーフたちも加わる。
「面白そうだ」とアーロンとアーベルも加わり、数人掛かりで特大サイズの手斧を持ち上げた。
そして……。
「みんなぁー、一発で決めるよぉー……それ!」
そう言うなり、フィーリンたちは崖から飛び降りるとワイバーン目掛けて落ちて行く。そして、今にも飛び立とうとするワイバーンの胴体に、ズブリと特大サイズの手斧を突き刺した。
「グワワァァーー!」とワイバーンの叫び声が石切り場に響き渡る。
落下した衝撃でドワーフたちがゴロゴロと地面を転がると、すぐに立ち上がり、ワイバーンから逃げるように遠ざかっていく。
それもその筈、ワイバーンに突き刺さった手斧はカッと光ると大爆発が起きた。
大轟音と共にワイバーンの血肉と土煙が石切り場を覆う。
本当にこれで終わった。
数人のドワーフが爆風で空を舞うのを見ながら、私は意識を失った。




