308 黒色のローブを羽織った女 その1
漆黒と言っていいほどの黒く艶のあるローブに身を包んだ人物が私の前に立っている。
身長は百六十センチほど。深々と被ったフードで顔は見えないが、声色からして女性だ。そして、若くはない。
私の知る限り、彼女と初めて会ったのは炭鉱の時だ。
ルウェンの町で買い物をしていた時に見かけ、その数日後、なぜか一緒にいたリズボンを使い、私たちを襲わせた。
次に会ったのは、クロージク男爵を追い掛けていた時、通り道の山の上で襲われた。
なぜ私たちの前に現れるのか? なぜ私を狙うのか? なぜ私の命を奪うのか? まったく分からない。
そんな人物が目の前に立って、私を見下ろしている。
私を殺すと確実に言った。
このままでは何もできず、訳も分からないまま殺されてしまう。
頼りのフィーリンとリディーは動けない。
私一人で何とかしなければいけなかった。
「お、お前は誰だ? 何で私を狙う?」
駄目元で聞いてみたが、やはり答えない。
時間稼ぎも出来ない。いや、ワイバーンが迫っている中、時間を稼いでは駄目だ。
指と太ももの痛みで頭が上手く働かない。嫌な汗が吹き出て、気持ち悪い。死が目の前に現れ、呼吸が乱れる。
「理由も分からず、殺されるのはごめんだ。理由を言え! 訳を話……痛っ!」
緊張を振り払うように怒鳴る。その所為で、切れた指と太ももが悲鳴を上げた。
私の声など聞こえてないかのように女は答えない。その代わり、ローブの中に手を忍ばせると、黒色の短剣を取り出した。
一気に血の気が引き、口の中が乾く。
女は、短剣と私を交互に視線を向けると、再度ローブの中に短剣を仕舞う。そして、ゆっくりとした足取りで私の元へ向かった。
どういうつもりだ? 何で仕舞った? 殺すと言うのは嘘なのか?
警戒していると、女は急に走り出し、私の顔をガツッと蹴って地面に倒す。
さらに女は私の横に移動すると、サッカーボールを蹴るように横腹を蹴り上げた。
「がはっ!?」
少しだけ体が浮き上がり、地面を転がる。
体のデカい私を蹴り一つで吹き飛ばした。魔力強化なのか、凄い力だ。皮鎧を着ていてもズキズキと痛む。
さらに二度三度と蹴られ、フィーリンから遠ざかっていく。
女は、痛みで動けない私を観察するように立ち止まると、右手に黒い靄を纏わせる。そして、靄が晴れると黒光りするメスのような刃物を握っていた。
―――― 魔力を循環してねー ――――
そうだ! 私は一人じゃなかった! 『啓示』さんがいるんだった!
私は『啓示』の言う通り、体中に魔力を流す。右足太ももに刺さっているメスからバチバチと電気のようなものが流れ、痛い。
女が軽く腕を振って、メスを投げる。
シュンと顔の横をメスが通過した。
確実に当たったと思ったのだろう、顔色は見えないが女が驚いているのが分かる。
魔力循環で体をブラした私は、そのまま右足に魔力を集める。バチバチと痛みが走り、嗚咽が漏れるが、そのままメスに魔力を集めるとズボッとメス自ら抜け落ち、塵のように消えてなくなった。
私は急いで治癒付きの魔力弾を作り、切れた指と太もも、さらに蹴られた顔に塗り付ける。傷口を塞ぐように塗った事で痛みが和らぎ、フラフラとだが立ち上がる事が出来た。
女は立ち止まったままでいる。私を観察しているのか、それともいつでも殺せるという余裕からか分からない。それを良い事に私はゆっくりと深呼吸すると、鞘からレイピアを引き抜いた。
いつもある筈の人差し指が無くなり、上手く握れない。強く握るとズキズキと痛みが走り、思うように握れない。何度か持ち方を変えて調整し、レイピアに魔力を流す。
バチバチとスパークが走るレイピアを女に向けて注目させておくと、私は左手を外し、閃光魔力弾を放った。
私の十八番。目潰し攻撃。
レイピアで攻撃すると見せかけての閃光魔力弾。卑怯で結構。命懸けの状況で正々堂々と戦えるか。
「……なっ!?」
だが、そんな私の秘策も女は、バサッとローブで閃光魔力弾を払うと、弾ける事なく光の粒子となって消してしまった。
それならと、さらにレイピアに魔力を流す。
正直、人間相手に使いたくないがこちらも命が掛かっているので仕方がない。
私は魔力の行き渡ったレイピアを横薙ぎに振り払う。
ブンッと振ったレイピアの刃先から光の刃が飛び出す。
閃光魔力弾の時と同じ、ローブの女は避ける事もせず、光刃のタイミングに合わせローブをバサッと払い、消し去ってしまった。
これもか……。
閃光魔力弾も光刃も壊した訳ではない。見た感じ消滅に近く、私が使うレジストに似ていた。女が着ているローブが原因か、それとも女の能力が原因かは分からない。どちらにしろ、むやみやたらに放っても消されてしまうは分かった。
どうしようかな……。
私が攻めあぐねていると、ローブの女は一瞬で黒色のメスを作り、シュンと投げた。
私はすぐにレイピアから光のカーテンを広げる。
弾く事なくガスッと光のカーテンにメスが突き刺さる。お互いを拒否するように刺さった箇所からバチバチと光と黒の粒子がせめぎ合っていた。
女はさらに三本のメスを作り、ガスガスガスッと光のカーテンに突き刺す。追加のメスからもバチバチとスパークが走る。そして、メスを中心に光のカーテンにひびが入ると、ガラスが割れたように光のカーテンが解除された。
閃光魔力弾も光刃も光のカーテンも悉く解除される。
たぶんだが、相性の問題なのだろう。
女は真っ黒なローブを着て、真っ黒なメスを作る。真っ黒な女。
一方の私は、ピカピカと光ってばかり。
光と影。黒と白。聖と闇。
私とローブの女は正反対の魔力属性なのだろう。だから、私の魔力攻撃では女に届かない。
だが、それは相手も同じ事であるが、如何せん、数か月前まで女子高生だった私では、技術も経験も目の前の女には敵わない。
本当、どうすればいいの? 教えて、『啓示』さん!
『啓示』の返事を待っていると、女は再度一本のメスを作る。
私は、急いで光のカーテンを作り防御に徹するが、なぜか女は私ではなく、地面に向けてメスを投げた。
「……ッ!?」
急に胸に痛みが走り、私は前屈みに倒れる。
内臓が締め付けられるような痛みだけでなく、地面に足が固定されたように身動きが出来ない。
メスは地面に刺さっているだけなのになぜ?
……いや、刺さってる!
脂汗を垂らしながら地面を見ていた私は、自分の影にメスが刺さっているのに気が付いた。
フィーリンとリディーの影にもメスが刺さっていたのを思い出す。
漫画やゲームで忍者が使っていた影縫いというやつか。
だが、影は所詮、光を遮った際に現れる実態のないもの。それなのに影にメスが刺さっただけで痛みが生じ、動けなくなるなんてあり得るのか? 暗示という説もあるが、影にメスが刺さっている事実を知る前から痛みを生じた。
まぁ、ここは異世界だ。影にも魔力が宿り、肉体と同調している可能性がある。キョンシーに影を踏まれたら動けなくなるし、ネバーランドの住人の影は勝手に人様の家に入って暴れたりするので、異世界でも影縫いが出来るのだろう。
女の手に三本のメスが作られたのを見て、息が漏れる。
身動き出来ない状態でメスを投げられたら不味い。躱す事も光のカーテンで防ぐ事も出来ない。
―――― 光を ――――
『啓示』の短い言葉を瞬時に理解し、右手に魔力を集める。
影など光で消し去ってやる。
三本のメスが飛んでくる中、地面に向けて閃光魔力弾を放ち、一瞬だけ私の影を消す。そして、地面に倒れるようにメスを躱した。
「痛っ!?」
三本のメスの内、一本は体の横を通り過ぎ、一本は皮鎧に刺さり、一本は右腕を切り裂いて飛んでいった。
このまま距離を空けていては、嬲り殺されてしまう。
私は血が流れだした右腕に治癒付き魔力弾を塗ると、レイピアを握って走り出す。
駆け出した私にメスが飛んでくる。だが、私はすぐに光のカーテンを展開し、メスを防ぐ。二本三本とメスが刺さり、光のカーテンが砕ける。
すぐにレイピアを横に振って、光刃を放つ。
女がローブで光刃を無力化するが、私は気にせず駆け続ける。
私の接近を嫌うように女が大きく後ろへ飛び退きながら一本のメスを投げた。
私は傘を広げるようにバサッと光のカーテンを広げ、メスを受け止める。そして、すぐにレイピアから左手を離し、魔力弾を放った。
女はいつも通りローブで魔力弾を消そうとするが、ベチャと張り付き、シュウシュウと蒸発するようにすぐには消えない。
うん、私の放ったのは弾ける閃光魔力弾でなく、虫たちの大好きな粘着魔力弾だ。粘着性があるから、すぐに消えないんだね。……良く分からん現象だ。
なかなか消えない魔力弾に女の動きが止まる。それを良い事に私は一気に足を速め、女との距離を縮めた。
「はぁーっ!」
目の前まで来た私は、女に向けて腕を伸ばすが……。
「……うそ」
女の体を貫通させるつもりで突いたレイピアは、ローブを突き破る事なく手前で止まってしまった。
光輝くレイピアの先端と黒色のローブの間で火花のような粒子が爆ぜている。
魔力弾や光刃と同様、レイピアも効かないとは……。
「……うっ!?」
ズシンと頭に痛みが走り、動けなくなる。
レイピアを受け止めた女は、私の影の頭部を踏みつけていた。
ガツガツッと右左に顔を殴られる。
痛みで地面に倒れそうになるが、頭を中心に固定され、倒れる事も出来ない。
この後も女はしつこく私の顔を殴り続ける。
サンドバッグのように殴られ続けるが、有難い事に女の足が私の影を踏んだままなので、拳に腰が入っておらず、致命傷にはなっていない。とはいえ、痛いのは痛い。徐々に顔が腫れていき、熱を帯びていく。
女の攻撃が止まる。フードの奥から荒い呼吸音が聞こえるので疲れたのだろう。そんな女は、大きく息を吐くと右手にメスを作った。
不味い、こんな近距離でメスを振られたら、切り刻まれてしまう。
―――― 光を ――――
攻撃が止んだ事で集中力が戻った私は、だらりと垂らした右腕に魔力を溜める。
女が私の顔にメスを振る瞬間、右手から閃光魔力弾を放ち、すぐ下の地面で破裂させた。
「……ッ!?」
女はメスを放つ事なく、腕を持ち上げて閃光を防ぐ。
強い閃光で影を消した事で自由になった私は、体当たりをするように女にぶつかり、地面に倒した。
左手で女の体を抑え込み、右腕を持ち上げて拳を握る。
今度は私が殴る番だ。
フードに隠れた顔に狙いを定め、拳を振り下ろすが、途中で力が抜けてしまい地面に手を着くだけになってしまった。
横腹が焼けるように痛い。
それもその筈、私の横腹にメスが刺さっていた。
「つぅー……」
原因が分かった事で痛みが増す。
眉を寄せて痛みを堪えていると、抑え込んでいる女が私の顔を殴り、すり抜けるように距離を空けた。
私はお腹に魔力を集めメスを抜くと治癒付き魔力弾を塗る。幸い怪我は浅い。皮膚と肉を裂いただけで、内臓までは行ってない。
女はゆっくりと立ち上がり、土を払うようにローブを叩く。そして、ゆっくりとローブの中に手を忍ばせると黒光りする短剣を取り出した。
私は落としたレイピアまで後ずさり、お腹を押さえながら立ち上がる。
指は切り落とされ、太ももは刺され、腕は切られ、お腹は刺された。
治癒付きの魔力弾で応急処置をしてはいるが、ズキズキと痛みは残る。
痛みで集中力はないし、死という恐怖で体が震える。
命が助かるのなら、惨めに命乞いをしてもいいし、情けなく逃げてもいい。
だが、目の前の女は私を切り刻みたいようで、シュンシュンと短剣を素振りしている。
目の前の女を何とかしない限り、助かる道はない。
私は痛みに耐えながらレイピアを強く握り締めた。




