30 ハンカチ屋へ行こう
失敗した。
昨日の事なのに、すっかり忘れていた。
私たちは、冒険者ギルドで捕獲したスライムを入れる木箱とそれを運ぶ荷車を借りて、商業地区を歩いている。そして、露店が集まる場所に来た時に私は思い出した。
昨日、マルテとエーリカに押し切られるように約束をした件だ。
そう、ハンカチの購入である。
私がデザインした落書きのようなハンカチが人気を博しているそうだ。
人によっては嬉しい事なのかもしれないが、私としては恥ずかしくて仕方が無い。
私の美術はせいぜい三止まり。授業の合間やテスト勉強の息抜きに絵を描いた事はあるがそれだけだ。
いや、ほんの一時だけ練習した事がある。BLの底なし沼に沈んでいた時に……。
そんな私の絵が綺麗なハンカチに、わざわざ手間暇をかけて刺繍して売っているのだ。
正気の沙汰ではない。
異世界でも限度というものを知ってほしい。
荷車を牽くエーリカを眺める。
マルテのお店がこの近くにあると気が付かないでほしいと切に願う。
そう思っていた矢先、先を進むエーリカは一度立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回す。そして、何も言わず、ハンカチ屋の方向へ足を進めた。
ちょっと、何で分かるの!? エスパーなの!? マルテの匂いでも嗅いでるの!? エーリカ、怖い子!
案の定、エーリカはハンカチ屋の手前で荷車を止めた。
「ご主人さま、約束通り、ハンカチを購入しましょう」
私の有無も聞かずに、エーリカは喜々とした足取りで、ハンカチ屋の中へ入っていった。
嫌で嫌で仕方がないが、私も腹をくくって店内へ入っていく。
暖かい光に包まれた、ほのかに甘い香りを漂わせるお洒落な店内。
若い女性が何人もハンカチを物色している。
先に入ったエーリカは、お店に入ってすぐの陳列棚にいた。
お客が一番初めに目に付く場所、そこに私の落書きを刺繍したハンカチが並べられている。ブドウ、ナス、犬、猫と、私と店員さんがあの時描いたハンカチが見本のように広げられ、その奥に購入用のハンカチが綺麗に積まれていた。
ここが店内でなければ、私は地面に穴を掘って隠れていただろう。それか頭を抱えてゴロゴロと呻き声を上げながら転げ回っていた所だ。
ああぁー、恥ずかしい。
そんな私の心情を知ってか知らずか、エーリカは熱心にハンカチを物色している。
「ご主人さまの描かれたハンカチはどれですか?」
恥ずかしいが、約束をしてしまった以上、素直にこれとこれと指を指していく。
「他はその場にいた店員さんが描いたものだよ」
「では、ご主人さまが描いたハンカチを全部購入します」
「お金が無いって言ったでしょ!」
私が即座に却下すると、エーリカはブーと唇を尖らせる。
「アケミおじさんとエーリカちゃん!」
店の奥から元気な声が聞こえた。
朝まで『カボチャの馬車亭』で働いていたマルテが、元気良く私たちの元まで駆けつけてくる。
「約束通り、来てくれたんですね。嬉しいです」
大きな目をキラキラと輝かせながら、私たちの来店を喜んでくれている。
「ご主人さまの描かれたハンカチです。仕事など後回しです」
エーリカ、仕事を蔑ろにしては駄目だよ。ハンカチは逃げません。一〇年後ぐらいに来ても問題なかったよ。
「お店の中で一番良い場所に陳列しているんですよ。売り上げもお客様の声も上々です」
嬉しそうに語るマルテには悪いが、恥ずかしいので店の奥……いや、バックヤードにでも置いてほしい。
「そうそう、アケミおじさん。こっちに来てくれますか?」
私たちはマルテに誘われるように、店の奥にある待合スペースに移動した。
そこに設置してある椅子に腰かけると、マルテは「しばらくお待ちください」と行ってしまった。
うーむ、どうしたんだろう?
そう思っていると、マルテと入れ違いに女性店員が木札を持って現れた。
彼女に見覚えがある。
レナのハンカチを選んでもらったり、私と一緒に落書きで楽しんだ女性だ。つまり、私の羞恥心を作った諸悪の源だ。
「先日はありがとうございました。また、逢いたくて仕方ありませんでした」
懇切丁寧に挨拶を済ますと、女性店員は机に木札を並べ、私の前へ座った。
「では、前回同様にお絵描きをしましょう」
「何でそうなるんですか!?」
胡乱な目で睨むが、ウキウキとした女性店員は悪びれる事もなく答える。
「お客様の描かれた絵を刺繍しました所、他のお客様から多大な反響がありまして、連日、刺繍職人は嬉しい悲鳴をあげております」
「そ、そうですか……」
「そう言う事ですので、また、新しい絵を提供していただきたいと思います」
「そう言う事じゃないですよ! ノリで描いた絵を勝手に商品にして、普通は許可を取ってからするものです!」
恥をさらされた上、再度、恥の上積みで新しい絵を描けと言われ、私はつい声を荒げてしまった。
他のお客が「どうした?」と私たちを眺めてくるが、当の女性店員は頬を手に当ててニコニコしているだけ。
この店員さん、どこか変だ。
「ええ、ええ、お客様の言い分は理解しています。わたくしたちも刺繍をする前にお客様の許可を取りたくて探させていただいたのですが、結局見つからず、事後報告になってしまって申し訳ありません」
まったく悪びれた雰囲気も無く、ニコニコと謝罪された。
普通ならここでさらに怒っても良い場面なのだが、生憎と私は怒る事に慣れていない。何て言ったって、人と関わらない生活をしていたのだ。怒る方法も喧嘩する方法も知らないし、経験もない。
声を荒げただけで、恥ずかしさからくる羞恥心で逃げ出したくなっている。
「私が描いた絵では、どうも味が出ないのです。ここはぜひ、お客様の絵を再度提供してもらえませんか?」
「お願い、お願い、お願い」と手を合わせて、女性店員が身を乗り出してせがんできた。
うーむ、凄くやりにくいよ、この人。
「姉さん、失礼ですよ。アケミおじさんは友達でなくお客様です。店員としてちゃんと対応をしてください」
私たちの為に果実水を持ってきてくれたマルテが変な女性店員を叱りつけた。
「えっ、この人、マルテちゃんのお姉さんなの?」
「はい、私はマルテの姉のディアナです」
「ちなみに、あそこで接客している男性は兄です」
マルテの指差す方を見ると、背が高く、スラリとした男性が他のお客にハンカチの説明をしていた。
「私の父がお店の責任者で、母は刺繍の責任者をしています」
このハンカチ屋はマルテ一家で経営をしているようだ。
その後、他のお客に呼ばれたマルテは、私たちの前に果実水を置いてから行ってしまった。
「では、気を取り直して、お絵描きをしましょうか」
どこをどう気を取り直すのか分からないが、マルテの姉であるディアナが私の前に木札を勧める。
苦い顔をする私は、レモン風味の果実水を一口飲んでから口を開いた。
「ディアナさん、知的財産権というものがありましてね。以前、私が適当に描いた絵は、私が描いた時点で、私の財産になります。それを勝手に商品として利用し、お金を得る行為は犯罪であり、罰せられる行いです。これは窃盗に近く……」
私は再度絵を描かないように犯罪だとか悪い行いだと言って諦めさせようと、つらつらと語っていると、横で果実水をチビチビと飲んでいたエーリカの手が上がった。
「この先はわたしが代わりに話をさせてください」
エーリカは眠そうな目で自信のある顔をしている。
間違いなく私よりも頭が回るエーリカだ。
何か良い案があるのだろうと思い、私は潔くエーリカにバトンタッチをした。
「ご主人さまが言ったように、ご主人さまが描かれた絵を無断で使用した事は罪になります」
改めて考えると、ここは異世界だ。知的財産なんて概念は無いかもしれない。つまり、私の知的財産を侵害しても罰にならないかもと思ったが、話がややこしくなるので無視をする事にした。
「今回の件で、裁判を起こした場合、間違いなくそちらの落ち度なので、膨大な賠償金を支払う事になります」
ふむふむと理解をしているのか、理解していないのか、判断に困る顔でディアナは頷いている。
エーリカの案が読めた。
これから裁判を起こして膨大な賠償金をせしめる。そのお金で借金を返済する考えだな。……とは言っても、知的財産権が存在しないだろうこの世界で裁判で勝てるとは思えないのだが……。
「そこで和解案です」
和解案?
エーリカは裁判を起こす気はないそうだ。
つまり、はったりか?
「仮にご主人さまが以前描かれた絵を提供したとします。それなのに、一方的にそちらだけに利益が増えて、ご主人さまには一切の利益がありません。それでは描き損です。分かりますか?」
エーリカがディアナに問うと、ディアナは「うーむ……」と天井を見つめてから手を叩いた。
「分かりました。今後は許可を取ってから販売をさせていただきます」
「違います」
エーリカはコホンとわざとらしく咳払いをしてから話しの続きをする。
「ご主人さまの描かれた絵でハンカチの売り上げが上がりました。つまり、ご主人さまの絵には価値があります。ここまでは良いですね」
「はい」
「その価値のある絵で一方的にお金儲けをするのが駄目なのです。つまり、利益の配分か、またはご主人さまの絵の買い取りをしなければ不公平であると言いたいのです」
「なるほど、分かりました。絵の買い取り料として、お客様が描かれた犬のハンカチを一枚無料で差し上げます」
「いらね!」
つい、ツッコミを入れてしまった。
誰が好き好んで、恥の塊のハンカチを欲しがるか?
「やりました! ご主人さまのハンカチを無料でゲットしました!」
居たよ、ここに……。
「いやいや、そもそもエーリカのハンカチは私から贈るつもりだったから無料のハンカチを上げるのもどうかと……」
ハンカチを贈りたくはないが約束をしてしまったので仕方がない。
私を慕ってくれているエーリカには、私の財布で購入したハンカチをあげるべきだ。
うーむ、真面目だな、私は……。
「お嬢さんにハンカチを贈るのですか!? もしかして、特別な関係なんですか!?」
キラキラ目で期待に満ちた顔でディアナが聞いてくる。
ああぁ、そういえば、ハンカチには男女の特別な道具として機能していたんだったな。
「はい、特別な関係です」
エーリカがしれっと答える。
「エーリカ、誤解を招く言い方をしない! 店員さんも頬を赤らめて楽しそうにしない!」
はぁー、疲れる。
ただ、ハンカチを購入しに来ただけなのに……。
「ふふふ、分かっています。では、しばらくお待ちください」
何を分かったのか、ディアナは席を立ち、お店の奥へ消えていった。
私とエーリカをゆっくりと果実水を飲んで待つ。
しばらくすると、ウキウキ顔のディアナが戻ってきた。
そして、ディアナが戻ってくるなり、机に銀貨を並べた。
「銀貨四枚です。以前、お客様が描かかれた絵と今回描いてもらう絵の代金です。この金額でお願いします」
銀貨四枚。
この世界のお金の価値が未だに分からない私は、この金額が高いのか低いのか妥当なのか判断に困る。
そもそも私の描いた落書きのような絵にお金が付くことが変なのだが……。
困った私はエーリカを視線を向けると、エーリカはコクリと頷いた。
「流石、ご主人さま。早速、ご主人さまの財産が売れました」
エーリカが褒めてくれるが、正直、嬉しくない。
だが、借金を背負っている身として、有り難く頂戴する事にした。
「分かりました。この金額で手を打ちましょう」
「では、早速、新しい絵を描いてください」
満面の笑みのディアナが、ズズズっと木札と羽ペンを私に突き付けてくる。
はぁー、金儲けって大変なんだね。おっさんの姿になって初めて知った。
気は進まないが、借金返済の為、絵を描いて提供をする事にした。
「木札の数に合わせて、提供する数は十個にさせてもらいます」
「はい、お願いします」
私は羽ペンにインクを付けて、木札に絵を描いていく。
トマト、とうもろこし、イチゴ、スイカと頭に浮かんだ食べ物をサラサラと描いていく。
「イチゴは分かりますが、こっちの物は何ですか?」
私の作業を見ていたディアナがくし型切りにしたスイカの絵を指差して尋ねてきた。
「スイカですけど、この街にはありませんか?」
「ええ、見た事はありませんね。美味しそうです」
ディアナの感想に、横にいたエーリカがコクコクと同意している。
そうか、スイカはないのか……最近、暑いから食べたかったのにな。
うーむ、困った……サラサラっと四種類の絵は描けたが、後が続かない。
他にハンカチに合いそうな物はないかな?
腕を組んで悩んでいるとエーリカが、化けネズミにしましょうと提案してきた。
「魔物だけど?」
「見慣れた魔物なら冒険者の方が面白くて買っていくかもしれません」
それを聞いた私は、ディアナに視線を向ける。
「良い提案です。化けネズミでなくても、ただのネズミなら一般人でも見慣れていますからね」
疫病をまき散らす動物だよ。そんなんでいいのか異世界人!?
まぁ、許可が出たのでネズミを描くことにした。
サラサラサラ……
考えるのが面倒臭いので、このまま干支の動物で描き切ってしまおう。
子、丑、寅、卯、辰、巳……この先は思い出せないが、ちょうど十個になるので問題ない。
ネズミは描いたので、続きの牛、虎、兎と順番に描いていく。
「兎の頭に角を付けてください。そうすれば、魔物のホーン・ラビットになります」
「魔物の方が人気あるの?」
「ホーン・ラビットの角はお守りになります。狩人の人がお守り代わりに買ってくれると思います」
ラビット・フットみたいな扱いなの? まぁ、良いけど……。
続いて竜を描くと、「もっと怖く、口から炎を吐いて」とディアナから注文が飛んだ。
「ドラゴンは冒険者の憧れの魔物です。これは絶対に売れますよ」
そうですか……。
最後に巳を描くが……巳って何だっけ?
巳、巳、み、み、ミミズ?
まぁ、いいや。大ミミズにしておこう。嫌がらせのつもりで……。
あまり思い出したくない大ミミズを無理矢理可愛く描いたら、チンアナゴみたいになってしまった。
これはこれで、ありかも……。
チラッとディアナを見ると、ウンウンと満足そうにうなずいている。
良いのか、異世界人!?
「農家にとってミミズは土を耕す益虫ですから売れるでしょう」
ミミズはミミズでも、魔物の大ミミズだよ。土を耕す前に人間を食べちゃうよ。
依頼通り、十個の絵が完成した。
こんなの売れるのかと不安になるが、店員であるディアナは満足そうに私の絵を眺めている。
「ご主人さま、わたしの似顔絵を描いてください」
「エーリカの絵? 別に良いけど……」
余っている木札にエーリカの似顔絵を描いた。
均等の取れた綺麗な目と鼻と口。個性のツインテール。元は人形というだけあり、非常に描きやすい。
サラサラサラっと描いたエーリカの似顔絵を見せると、「素晴らしいです」「カワイイ」と言って、エーリカとディアナが喜んでくれた。
「ご主人さまの似顔絵も描いてください」
「えっ、私の絵?」
調子に乗って描こうとするが、自分の顔を思い出せず、ペン先が止まってしまう。
私の顔は特に癖のない単純な顔立ちだ。
大きくもなく、小さくもない目と鼻と口。髪型も自然のままのストレートヘア。ホクロなどのチャームポイントもない。極々平凡な顔立ちの為、絵に描くと非情に困る。何処かしか個性があった方が絵は描きやすいのだが……。
そんな事を思って悩んでいたら、今のご主人さまの似顔絵ですとエーリカに言われた。
私が描こうとしていたのは、召喚前の女性だった時の顔だ。
エーリカが望んでいるのは、ハゲの筋肉の中年の現在の姿であると改めさせられた。
それなら簡単だ。
『ケモ耳ファンタジアⅡ』のキャラメイクで散々悩んだからな。
サラサラサラっと自分の似顔絵を、エーリカの似顔絵の横に描いた。
エーリカは私が描いた似顔絵に満足して、木札をディアナの方へ向けた。
「これでハンカチを作ってください」
「ちょっと、待て!?」
急いでエーリカの手を掴むが、似顔絵を描いた木札は既にディアナの手に渡ってしまった。
ディアナは似顔絵の描かれた木札を見て、ハッと目を見開いた。
「これです、これ! お客様、素晴らしい案です!」
「な、何が!?」
ディアナは、興奮のあまり席を立ち、前屈みで私たちを見る。
「似顔絵の刺繍です! 恋人、家族、兄弟姉妹、大事な人の似顔絵を刺繍したハンカチを販売するんです。これは売れる! 売れすぎます! 忙しすぎて、私、倒れちゃいます! ああぁ、本当に愛の結晶のハンカチになるのですね!」
商人の顔と恋愛好きの顔が混ざりあって非常に怖い。
「ハンカチ革命の第一号として、お客様の似顔絵付きハンカチは、私が責任を持って作らせていただきます」
「ちょっと、本当に作るつもり!? 考え直して!」
私が手を伸ばしてディアナを引き留めようとしたが、時既に遅く、私が描いた絵の木札を大事そうに抱え、店の奥へと行ってしまった。
「うん、これなら期待出来そうです。完成が待ち遠しい」
「私は全然、待ち遠しくない……」
ますます、変な事に成ってしまった。
……頭が痛い。
ディアナが行ってしまったので、代わりにマルテが来てくれて、成り行きを説明した。
「姉さんは少し変わっていますが、ハンカチに対しては真面目ですので、安心してください」
安心云々の前に、私とエーリカの似顔絵が描かれたハンカチを作って欲しくないのだが……と断りたいが、ディアナの興奮した姿やエーリカの期待に満ちた顔を見たら、すでに断れない状況に成っているので、心身の為に素直に諦める事にした。
「エーリカちゃん、刺繍をするハンカチを選びましょうか。私が案内します」
そう言って、マルテとエーリカはハンカチが並んでいる棚へ向かった。
エーリカがハンカチを選んでいる間、私は残りの果実水を飲みながら外の景色を眺めて現実逃避に没頭する。
「ハンカチの完成は三日後です。代金はその時に受け取ります」
マルテからハンカチの受け取り日を聞いてから私たちは席を立った。
私は残業続きで疲れ切ったサラリーマンのような哀愁漂う姿で、エーリカはスキップでもしそうな満ち足りた姿で、ハンカチ屋を後にしたのだった。
色々とありましたが、無事にハンカチを頼みました。
満身創痍のアケミおじさん。
エーリカが喜んでくれるので、良しとしましょう。




