297 馬場内の戦い その2
ゴブリンとワーウルフだけなら安定して戦闘をしていたのに、虫やネズミなどが集まった事で混戦になってしまった。
それは魔物も同じでゴブリンたちにも蟻が群がり、カマキリに囚われ喰われていく。カラスの魔物に至っては、遠くの地面に倒れている死体を啄んでいた。
そんな敵も味方も関係ない虫たちの態度に苛立ったのか、ピッグオーガーの肩に乗っているワーラビットが「キュー、キュー!」と鳴いて、二匹のボアオーガーを動かした。
「猪が来るぞ!」
二匹のボアオーガーは四つん這いになると、私たちに向けて突進してきた。
「散れ、散れ、散れ!」と私たちは急いで左右へ逃げる。
土煙を上げるボアオーガーは、ゴブリンや昆虫の魔物を蹴散らしながら私たちの横を通り過ぎていく。
魔物とはいえ、やはり猪。一直線にしか走れないようだ。
ズザザッと急ブレーキを掛けたボアオーガーはクルリと反転すると、再度私たちに向けて駆けていく。
それしか出来ないのか? と思いつつ急いで横へ避けてやり過ごす。
吹き飛ばされそうな勢いで横を駆けるボアオーガーに合わせるように、一人のドワーフが真横に来たタイミングで体毛を掴みそのまま背中に乗った。
ドワーフは手に持っているハンマーでボアオーガの後頭部を叩くが、ゴブリンやカマキリと違い、ダメージは通らない。
ボアオーガが急停止した事で背中に乗っていたドワーフは前方へ飛ばされ、ゴロゴロと転がっていった。
「強力な武器でないと駄目だ。僕とおっさんで動きを止める。エーリカとフィーリンで止めを刺してくれ」
「えっ、私!?」
今まで仲良く平行して走っていた二匹のボアオーガだが、ドワーフの攻撃で位置がずれてしまった。その為、リディー一人で同時に二匹を相手にする事は出来ない。だからと言って、私を指名しないでほしい。真正面から軽トラックが突っ込んでくるようなものなんだよ。怖くて仕方がない。
そんな私に「目潰しは得意だろ」とリディーはニヤリと笑うと、一匹のボアオーガに向けて弓矢を構えた。
私が右手に魔力を溜めた事で、二匹のボアオーガがギロリと私を睨み、駆けてくる。
ここで広範囲の閃光魔力弾を放つと味方まで巻き込む恐れがあるので、魔力を抑えた範囲の狭い閃光魔力弾を放つ必要がある。だが、それをするには確実にボアオーガの顔に当てなければいけない。
リディーは一呼吸すると、ゴブリンの死骸を踏み潰しながら猛進する一匹のボアオーガに向けて矢を放つ。
矢は吸い込まれるようにボアオーガの片目を貫き、土煙を上げながら倒れた。
すぐ近くで味方がやられたにも関わらず、もう一匹のボアオーガは私から視線を逸らさず、ゴブリンの死骸を踏み潰しながら突き進んでくる。
もう少し、もう少し……。
今すぐにでも横へ飛び退きたい衝動を抑え、その場に留まる。
そして、もう無理! と思った瞬間、右手に集めていた魔力弾を放った。
恐怖のまま放った小さな魔力弾はボアオーガの顔には当たらず、すぐ横の肩に当たり、ピカッと小さく閃光を走らせた。
「……ッ!?」
グイッとリディーに体を引っ張られると、顔を歪ませたボアオーガが凄い勢いで通り過ぎていく。
失敗した!? と血の気を失せたが、数メートル先でボアオーガがゴロゴロと地面を転がって止まった。
近くで待機していたエーリカとフィーリンが、急いで二匹のボアオーガに駆け付け、体の上に飛び乗る。
私の閃光魔力弾で視力を奪ったボアオーガにエーリカは、振り落とされないように体毛を掴むと大口径の魔術具をボアオーガの頭に当てる。そして、ドゴンと火花を散らすと、ボアオーガの頭を吹き飛ばした。
一方のフィーリンは、片目を射貫かれたボアオーガに馬乗りになると、後頭部目掛けて土斧を何度も振り落とし、頭に刃先を突き刺した。そして、背中から飛び降りると同時に土斧を爆発させて破壊した。
二匹のボアオーガを撃退。
ボアオーガが暴れまわった事でゴブリンやワーウルフなどが轢き殺されたり、散り散りに逃げていった。虫の魔物も同じで、ボアオーガのおかげで馬場内にいる魔物は大分減った。
あと脅威になるのは、三匹のピッグオーガだけ。この豚の魔物を片付けば、一時は落ち着くだろう。
とはいえ、このピッグオーガは脅威で、包丁のような幅広の剣を巧みに使い、腕力に任せた剣撃は重くて早い。そして、盾のように使う事も出来る。
魔力で強化されたブクブクの体も生半可な攻撃ではダメージを与える事は出来ない。
ただ、私、ヴェンデル、サシャの三人で戦いった時と違い、今はエーリカやドワーフたちもいる。ヴェンデルとサシャは脳筋兄弟の特訓で何体か倒したと言っていたし、何とかなるだろう。
「豚どもが動き出したぞ」
真ん中のピッグオーガーの肩に乗っているワーラビットが「キュー、キュー!」と鳴くと、左右にいる二匹のピックオーガーがのしのしと向かってくる。
早速来たか、とレイピアを構えると、遠くの方で馬の嘶きが風に乗って聞こえてきた。
「シロの鳴き声だ!」
長い耳をビクンと立たせたリディーが馬場の奥に視線を向けて叫ぶ。
えっ、クロとシロの鳴き声ではなく、シロの鳴き声と言った。聞き分け出来るの!?
どうでもいい事を考えていると、「いた! クロも一緒だ!」とリディーは嬉しそうに指差すが、すぐに険しい顔になった。
クロたちは馬場の最奥に居る。そのクロたちは狼の魔物であるスモールウルフに追いかけられていた。
「エーリカ……いや、おっさん、一緒に来てくれ。クロとシロを助けに向かう」
「えっ、私!?」
今日、二回目の指名が入った。
「豚を相手にするには威力の高い攻撃が出来るエーリカとフィーリンが必要だ。僕とおっさんの二人でクロたちを救出するぞ」
そう言うなりリディーは駆け出す。
仕方なく私もリディーの後を追った。
凄い速さで駆けるリディーを必死に追いかけるがどんどん引き離されていく。私もクロたちを助けたいが、これは確実に人選ミスである。
リディーは何度も指笛でクロたちを呼ぶが、魔物に襲われていて私たちに気が付いていない。
ゼィゼィハァハァと息も絶え絶えに馬場の奥を見ると、状況が分かり出した。
石塀の近くに赤色の毛に覆われた一匹の仔馬が佇んでいる。その横にシロが守るようにいた。そして、クロはシロと仔馬から魔物を引き剥がす為、あえて馬場内を駆けて、スモールウルフを引き寄せていた。
この事からクロとシロは、逃げ遅れた仔馬を助ける為に魔物が溢れかえる馬場内に居残ったと考える。……たぶん。
私たちの前方に散り散りに逃げたゴブリンとワーウルフがシロと仔牛の方へ駆けている。そんなゴブリンどもをリディーは、走りながら後ろから弓矢を放ち、一匹ずつ仕留めていった。
―――― 左、注意 ――――
突然の『啓示』の警告に足を止める。
左側を向くと草をかき分けながら一匹のスモールウルフが私の方へ向かって来ていた。
スモールウルフはエーリカたちが何度も倒しているのを目撃しているし、ゴブリンと一緒にいる事が多いので、弱いイメージを抱いてしまう。ただ実際に目の当たりにすると恐ろしい魔物だ。
大きさは大型犬ぐらいの狼。しなやかな体躯で素早く移動し、何でも嚙み砕きそうな牙を持つゴブリンのお供である。
そんな狼の魔物が低い体勢から飛び掛かってきた。
私が無意識に払い除けようと無造作にレイピアを振った事で、スモールウルフの口がちょうど刀身に当たり、噛まれる事はなかった。
だが、覆い被さるように体重を預けてきた事で、スモールウルフごと後ろへ倒れてしまう。
「ぐふっ」と地面に倒れた痛みで息が漏れるが、痛みで体を縮こませる訳にはいかない。今も尚、スモールウルフは、レイピアの刀身ごと私の顔を噛みつこうとしているのだ。
両手でレイピアを支えるが、徐々に力負けしてスモールウルフの顔が近づいてくる。刃の面が口に当たっているにも関わらず、グイグイと力を込めてくる。
生暖かい息、ベトベトの涎が顔に掛かり、恐怖と不快感が全身を襲う。
―――― 魔力を込めようねー ――――
分かっている。
私はレイピアに魔力を流しスパークを発生させると、スモールウルフを押し除けるようにレイピアを振った。
「……いたっ!?」
スパッと何の抵抗もなくスモールウルフを斬った事で、頭の半分が落下し、私の鼻に直撃した。さらに頭が半分になった胴体は力無く私に倒れ、押し潰す。
スモールウルフの断面から血がドクドクと流れ、私の肩口を染める。生暖かい血液に「ひぃー」と鳥肌が立ち、急いでズルズルとスモールウルフの胴体から抜け出した。
「おっさん、クロたちが危ないのに何を遊んでいるんだ」
戻ってきたリディーが呆れた声を掛けるが、別に遊んでいる訳ではない。
私が立ち上がると、「ヒヒィーン!」とクロの鳴き声が聞こえる。
クロのお尻に一匹のスモールウルフが爪を立ててへばり付き、鋭い牙で噛みついていた。
クロは後ろ足を跳ね上げてスモールウルフを剥がそうと暴れている。
そんなクロの周りに二匹のスモールウルフが様子を見ながら待機していて、非常に危険な状況であった。
「クロが危ない! 行くぞ!」
リディーが駆け出すと待機していた二匹のスモールウルフが私たちの方へ向かってくる。
「『空刃』! 『空刃』!」
リディーが手刀を切って風の刃を飛ばすと、二匹のスモールウルフを易々と斬り殺した。
「クロ、後ろを向け!」
リディーの言葉が分かるのか、たまたまなのかは分からないが、クロは後ろ脚を跳ねながら私たちに背後を見せる。
「良い子だ」と呟いたリディーは、弓矢を構えると上下に跳ねているスモールウルフを撃ち抜き、クロのお尻から離した。
解放されたクロは凄い速さで馬場内を駆けて行き、シロの元へ戻っていく。その姿を見たリディーは肩に弓を担ぐと、「ふぅー……」と息を吐いた。
「あっ、リディー、まだだ! 魔物が来ている!」
短い草を掻き分けるように黄褐色の大型のネコがリディーの側面を狙うように迫る。
クロの無事を確認して集中力を切らしたリディーは判断が遅れ、大型のネコに体当たりされるように覆い被さり、地面に倒されてしまった。
「リディー!?」
私はレイピアに魔力を流し、リディーの元へ駆け出す。
光の刃を放つか? 駄目だ。リディーごと斬ってしまう恐れがある。
なら光の魔力弾で視力を奪うか? これもリディーごと視力を奪ってしまう。
どうすればいい……と葛藤していると、リディーに覆い被さっている魔物が「ギャン!?」と鳴いて、横へ飛び退いた。
魔物の首筋には短剣が刺さっている。リディーが刺して、退かしたのだろう。
だが、その短剣は深く刺さっておらず、スルリと抜けて地面に落ちた。
リディーは地面に倒れたまま動かない。怪我の状況が気になるが、今はリディーから魔物を離す事が先決。
私は左手に魔力を集め、粘着魔力弾の用意する。昆虫の魔物には効果があるが、ネコの魔物に効果あるか分からない。
そんな私の不安も杞憂に終わり、粘着魔力弾を放つ前に魔物は私の方を向き、視線が交わった。
「……ッ!?」
体が固まる。
以前、戦ったブラッククーガーを思い出し、酷い重症を負わされた記憶が蘇る。
目の前の魔物はフォレストクーガー。
森に棲むネコ科の魔物で、ブラッククーガーの下位種である。とはいえ、魔力量が違うだけで、基礎能力は同じ。
一応、青銅等級冒険者以上なら討伐可能で、今回の依頼中、ヴェンデルたちが戦っているのを見た。
だが素人同然の私が退治できる相手ではない。そもそも普通のクーガーですら人間が普通に戦って勝てる相手ではない。
今も尚、リディーは動けないでいる。
私一人で何とか出来るだろうか?
「……ッ!?」
私の不安などお構いなしに、フォレストクーガーは姿勢を低くするとロケット噴射のように飛び出した。
―――― 横へ避けてー ――――
すぐに左側に飛ぶと、フォレストクーガーの鋭い爪が空を切る。
―――― 後方へ移動してー ――――
足がもつれながら後ろへ下がると、再度、フォレストクーガーの鋭い爪が空を切った。
大丈夫、私には『啓示』がいる。それにあの時よりもレベルは上がっているし、色々と経験をした。
ブラッククーガーの時と同じ流れでフォレストクーガーの攻撃を回避するが、まだ気持ちに余裕がある。
その後、「右へ」「左へ」「しゃがんで」と引っ切り無しに『啓示』の指示が飛び、何とかフォレストクーガーの攻撃を紙一重で回避していく。
そして、フォレストクーガーが体当たりするように突進したのを横へ避けると……。
―――― 斬撃 ――――
ようやく攻撃チャンスが来た。
私は後ろを向いているフォレストクーガーに向けて、レイピアを上から下へ振り落とす。
スパッと軽い感触が手の平に伝わると、フォレストクーガーは逃げるように前方に跳躍し、距離を開けた。
「はぁはぁ……浅かった」
極度の緊張と体力の無さで、無造作にレイピアを振った所為だろう。そういう所が素人なのである。
もう体力的に限界。これ以上、避け続ける事は無理そうだ。
それなら私の十八番である目潰しからの光刃が得策だろう。
この案、どうかな『啓示』さん?
―――― ………… ――――
返事なし。
『啓示』に会話を試そうと注意を逸らした私にフォレストクーガーが右へ左へと跳躍しながら迫る。
『啓示』の指示が出ない。
目潰しなのか、回避なのか、攻撃なのか、どうすればいいか判断できない私は迫りくるフォレストクーガーを見ているだけになってしまった。
まずい、やられる!
何も出来ずにいる私の目の前にフォレストクーガーの爪が伸びる。
「『風槌』!」
フォレストクーガーの爪が私の顔を引き裂く瞬間、風の塊がフォレストクーガーの横腹を叩き、数メートル先へ吹き飛ばした。
―――― 攻撃 ――――
私はすぐに『啓示』の指示通り、レイピアに魔力を流して、クルリと地面に着地したフォレストクーガーに光刃を放った。
光の刃はフォレストクーガーの右足を切断する。
片足を無くしたフォレストクーガーが地面に倒れると、再度光刃を放ち、腹部を切り裂いた。おまけにもう一発放ち、首元を切り裂いた。
フォレストクーガーは、鳴き声を上げる事なく息絶える。
緊張から解放された私は大きく息を吐くと、地面に座っているリディーの元へ行く。
「ありがとう、リディー。おかげで助か……えっ?」
地面に座っているリディーは、汗を滴らせながら顔を顰めていた。
リディーの左腕は、穴が空き、肉が剥がれ、その隙間から真っ赤な血が流れている。
リディーは、酷い怪我を負っていた。




