278 ヒル沼の魔物たち その2
沼と聞くと濁った水質を思い浮かべるが、ヒル沼の水質は良好だった。
その為、ヒル沼の中に入ってすぐに目に飛び込んできたのは、沼の底で死んでいるカマキリの魔物で、その周りにハリガネムシがウネウネと漂っていた。
水深は五メートル程。
その底の方に私はゆっくりとハリガネムシに引っ張られている。
ハリガネムシは私をどうするつもりなのだろうか?
捕食するつもりか、それとも体内に侵入して卵でも植え付けるのだろうか?
どちらにしろ、碌な目には合わない。
絶対にハリガネムシの集団には行ってはいけない。
いや、その前に溺死してしまう。
肺に溜まっている酸素が足りず、胸が苦しく、頭が朦朧としてきた。
必死に両手足を動かして浮上を試みるが、右足に絡みついたハリガネムシの力の方が強く、どんどん沼の底へ沈んでいく。
水を吸った衣服で動いた為、どんどん体力が無くなる。
水圧の所為で耳がキーンとなり、余計に意識が遠退く。
このままでは本当に不味い事になる。
『啓示』さん、出番です! 助言をお願い!
「…………」
『啓示』の返答はなし。
さっきの助言も遅すぎだし、あまり『啓示』が役に立っていない。
遊んでいないで、早く何とかしないと本当に死んでしまう。
右足に絡みついたハリガネムシを左足でゲシゲシと蹴るが剥がれない。
それならレイピアで斬るか、と思い柄に手を伸ばすが、手に力が入らず鞘から刀身を出す事ができない。
そもそも水中でまともに剣なんか振れない。
万策尽きた。もう駄目だ……と諦めかけた瞬間、グイッと背中を引っ張られた。
ハリガネムシの力と背後の力が均等し、私は水中で留まる。
エーリカたちが助けに来てくれたのか? と背後に首を回すとカメムシのような昆虫が太い前足を皮鎧にくっ付いて、私をグイグイと引っ張っていた。
足首から巨大ハリガネムシが、背後から巨大タガメが、私を取り合っている。
それだけでなく、横から細長い茶色の巨大ヤゴが、さらに沼の底から巨大ヒルがヒラメのように体をくねらせて近づいてきていた。
私の争奪戦が始まる。
当の私はもう意識が途切れそうなんだけど……。
まじで、死ぬ……。
―――― 魔力弾を撃ってねー ――――
待ちに待った『啓示』からの指示が飛んだ。
私は薄れる意識の中、右手に魔力を集め、私の体に撃つ。
私を中心に閃光が広がると近くに来ていた巨大ヤゴと巨大ヒルがビクンと体を震えて、沼の底へ沈んで行った。
さらに背後にくっ付いていた巨大タガメも剥がれた。その所為で、また沼の底へ引っ張られてしまう。
ちょっと、ハリガネムシには効かないの!?
視力が無い所為か、巨大タガメが外れた私をハリガネムシは沼の底まで引っ張っていく。
―――― 魔力弾をくっ付けてねー ――――
くっ付ける?
どういう事?
……ああ、そうか!
間に合え!
私は急いで重たい腕を持ち上げると、背中から剥がれたタガメを捕まえた。
そして、魔力を集めた手をタガメの背中にくっ付けると粘着魔力弾を貼り付けた。
光っているタガメを放すと、足首に絡まっていたハリガネムシが外れ、代わりにタガメに巻き付いた。
ようやく自由になった私は急いで地上に向けて泳ぐ。
もう肺に酸素がなく、体中に力が入らない。
水を吸った衣服と皮鎧の所為で、思うように浮上していかない。
それでも無我夢中で手足を動かす。
だが、すぐに体がビクンと跳ね上がり、意識と視力が無くなった。
………………
…………
……
「がはぁ、げはっげはっ……」
地上に顔を出した瞬間、意識が戻った。
はぁはぁと水を吐きながら呼吸を再開する。
「おっさん、呼吸するのは後だ。早く、陸に上がってくれ。重い……」
リディーが私の体に抱き着いている。
どうやらリディーが私を助けてくれたみたいだ。
「ご主人さま、大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
「旦那さま、引き上げるから手を伸ばしてぇー」
エーリカとフィーリンが陸から手を伸ばして、私を引き上げてくれた。
私が無事に上がると、リディーもすぐに上がり、犬のようにブルブルと体を振って、水滴を落とす。
「気が付いたら旦那さまが居なくなって焦ったよぉー」
「わたしが目を離した所為で、申し訳ありません」
「はぁはぁ……エーリカたちの所為じゃないよ……私の落ち度……リディー、助けてくれてありがとう……」
「エーリカが助けに向かいたがっていたが、軽装の僕が入った方が良いと思ってな」
私は地面に倒れながら、再度、感謝を述べる。
一瞬、意識が無くなっていた事から本当に死に掛けた。
「ご主人さま、立てますか? すぐにこの場から離れた方がいいです」
エーリカとフィーリンが私を支えるように立たせる。
「エギルとレギンは?」
「まだ、ヒルと遊んでいるぞ」
今も尚、レギンは数匹の巨大ヒルに押し潰されていて、身動き出来ない状態になっていた。そんなヒルをエギルは手斧でブッ刺しては、一匹ずつ剥がしている。
「エギル、退いて。私が引き剥がすよ」
ヨロヨロとレギンとエギルに近づくと、私は右手に魔力を集める。
そして、レギンから少し離れた地面に粘着魔力弾をくっ付けた。
「何だそれ?」
地面の上で光っている玉をエギルが訝し気に見つめる。
そんなエギルに「光から離れて」と再度注意し、レギンにくっ付いているヒルに注目する。
外側にいる巨大ヒルから順にレギンから離れると粘着魔力弾に向けて、うねうねと移動していった。
なぜか私の粘着魔力弾は、虫たちが集まってくる。虫が光に集まるように、魔物の虫も同じ習性があるのだろう。それは巨大ヒルにも当てはまり、レギンにくっ付いていた全てのヒルが粘着魔力弾に群がっていった。
「そんな便利な魔術があるなら、早く使ってくれ」
ヒルの体液でベトベトになっているレギンから苦言が飛ぶ。
「私も忘れていたんだ。そもそも私も危なかったんだから、文句言わないでくれる」
私の粘着魔力弾の所為なのか、それとも元から居たのか分からないが、水辺の周りから続々と虫たちが集まりだしてきた。
ヒルから始まり、バッタ、コオロギ、名前の知らない羽虫と色々。どれいつもこいつも、それなりに大きくてゾッとする。
「襲われる前に逃げるよ」
私は粘着魔力弾を何個か地面に放って、虫たちの進行方向を逸らしていく。
道が通れるようになると、レギンとエギルが我先にとヒル沼から離れて行った。
続いて、リディーとフィーリンも走って行く。
「ご主人さま、わたしたちも行きましょう」
もう虫に襲われるのは嫌なので、しつこく粘着魔力弾をばら撒いている私の裾をエーリカが引っ張る。
そこら中が光り輝いているし、それに合わせて虫たちも散らばっている。
これなら襲われる事もないだろうとエーリカと一緒に走り出す。
だが、すぐに警告が飛ぶ。
「エーリカ、おっさん、止まれ!」
「進んじゃ駄目ぇー!」
先に行っていたリディーとフィーリンが私たちに向けて叫ぶ。
急いで立ち止まると、目の前の地面がムクムクと盛り上がった。
最初、誰かが土魔術で壁を使ったのか? と思ったが、すぐに勘違いだと気づいた。
それは私とエーリカを覆い尽くそうとする超巨大ヒルだった。
地面だと思っていた場所が、実はヒルだったとは……デカすぎると気づかないものである。
そんな超巨大ヒルは仁王立ちするように私たちに立ち塞がっている。
完全に壁である。
「ご主人さま、後ろへ!」
私の前に出たエーリカが超巨大ヒルに向けて、炎の魔力弾を撃つ。だが、粘液に覆われている所為か、炎はヒルの表面をなぞるように広がり、消えてしまった。
壁のように立っていたヒルはユラユラと振らめくと、重さに耐えきれず、ズズズッと私たちの方へ倒れてきた。
「不味い、逃げるよ!」
私はエーリカの腕を掴んで、元来た道へ走り出す。
ヒルの影が私とエーリカを覆う。
間に合うか!?
―――― 防御壁を張ってねー ――――
防御壁を作れって事は間に合わないって事。
私はすぐに鞘からレイピアを抜き、エーリカを抱えながら光のカーテンを広げた。
「……ぐへっ!?」
ズズンッと私とエーリカは超巨大ヒルに押し潰されてしまった。
今の私たちは布団を被るように超巨大ヒルに覆われた状態で地面に倒れている。
光のカーテンで身を包んでいるおかげでヒルとは直接肌を合わせていない。だが、ヒルの重さは感じる。正直、とても重い。煎餅布団を何枚も乗せられている感じだ。
「エーリカ、無事? 怪我はしていない?」
「はい、無事です。逆に幸せです。このままこの体勢が続けば良いと思っています」
私の体に抱き着いているエーリカは、私のお腹に顔を埋めて、くんかくんかと匂いを嗅いでいる。
石鹸で洗ったとはいえ、ミミズ臭いから止めて。
「エーリカはヒルの姿を見えていないから良いけど、私は思いっきり見えているんだよね。早く、この状況から逃げ出したい」
ヒルに覆われて何も見えないと思うだろうが、生憎と私の防御壁は光を放っている。その所為で、防御壁越しにヒルの腹面が見える。というより、吸盤のようなヒルの口がすぐ目の前にあって、私を吸おうとモキュモキュしている。
さらに薄い防御壁の為、ヒルの動きが体を伝わって、気味が悪い。
「エーリカ、魔術具でヒルを攻撃できないかな?」
「この体勢では無理です。腕を取り付ける隙間がありません」
「そ、そう……」
「無理をすれば取り付けられるかもしれませんが、この状況でヒルを攻撃したら、ヒルの体液が流れ込み、酷い事になります。それでもいいですか?」
「絶対に嫌」
うーん、どうしようかと悩んでいると、「問題ありません」とエーリカが言う。
「わたしたちではどうする事も出来ませんが、近くにリディアねえさんとフィーリンねえさんがいます。二人に任せておけば問題ありません」
エーリカの言う通り、すぐに「エーリカ、おっさん、無事か?」とリディーの声が聞こえた。
「無事だけど、私たちではどうにもならない。何とか退かして!」
超巨大ヒル越しに助けを乞うと、すぐにヒル越し振動が伝わった。
ビクビクとヒルが動く。たぶん、斧や短剣で斬りつけているのだろう。
だが、あまり手応えはなさそうだ。それだけ目の前のヒルが大きいという事だ。
「おっさん、フィーリンの斧で爆破させる。巻き込まれないように耐えろ」
ちょっと、本気で言っているの!?
私は急いで胸の前で握っているレイピアにどんどん魔力を流し込む。
その直後、ドン、ドンと爆発音が鳴るとヒル越しに衝撃が伝わり、その都度、押し潰された。
非常にまずい。
防御壁を作り続ける魔力量はある。だが、爆発の衝撃で集中力が無くなっていく。
このままでは防御壁がなくなり、チューチューと血を吸われながら、圧迫死してしまう。
「手伝います」
爆発の度に「ぐぇっ、ぐはっ」と息を吐く私を見かねて、エーリカが手を伸ばす。
レイピアを握っている右手にエーリカの手が添えられると暖かい物が流れ込んできた。
そのおかげで、防御壁を維持する事が容易くなった。
しばらく、衝撃に耐えていると超巨大ヒルの口元が動かなくなる。そして、ベリッと剥がされる。
防御壁に粘液が伸びると同時に青空が視界に入った。
た、助かった……。
防御壁を解除した私とエーリカは立ち上がり、地面を見た。
ベッドを覆う程の平べったいヒルが力尽きている。ヒルの背中はボコボコと穴が空き、煙が立っていた。
「助かった。ありがとう」
本日、何度目かの礼を言うと、私たちは脱兎の如く、ヒル沼から遠ざかった。
ミミズ畑といい、ヒル沼といい、もう虫はこりごりだ。
今後は絶対に近づかないぞ、と誓うのであった。




