277 ヒル沼の魔物たち その1
「大事な妹の旦那さまが食われずに良かった良かったぁー」
私を助けてくれたフィーリンは、ニコリと笑うと巨大蟻地獄の腹にドカッと座った。
見た目女子中学生らしい可愛い笑顔であるが、お酒をチビチビと飲んでいるので、背徳感がヤバイ。
「本当に助かったよ。もう駄目かと思っていた」
ミミズ風呂に半身湯をしていた私は立ち上がり、這いずるように巨大蟻地獄の体をよじ登る。そして、皮鎧と衣服を脱いで、体中についているミミズを落とした。
「旦那さま、酒で体を洗う?」
沢山のミミズを潰してしまっているので、体中がミミズ臭くなっている。鼻で呼吸したら、すかさず吐いている事だろう。
とはいえ、エギルみたいに酒で体を洗うと、匂いは誤魔化せるけど、後でネチョネチョしそうで嫌だ。
そんな些細な事で悩んでいると……。
「ご主人さま、ご無事で何よりです」
……とエーリカが私たちの近くに下り立った。
「エーリカ、良いタイミングで来てくれた!」
私はエーリカに石鹸と水と着替えを収納魔術の袖口から出してもらう。
エーリカとフィーリンにジロジロと見られながら体中を洗っていく。そして、新しい服に着替えると、人心地付いた。
ちなみにミミズ汁塗れの服はどうにもならないので、その場でポイした。
「エーリカ、来てくれてありがとう。でも、どうやって戻るつもり? 何か考えはあるの?」
今、私たちは蟻地獄が作った陥没孔の底にいる。穴の側面はサラサラの砂で自力で登る事は出来ない。
フィーリンはどうか知らないが、さすがにエーリカは戻る手段を携えて下りてきたと信じたい。
「魔法と魔術で土の道を作っています。完成次第、そこから登って戻ります」
エーリカが上の方を指差すと、穴の側面に沿うようにエギルが道を作っていた。
それならと私たち三人は蟻地獄の上で小休憩をする。
しばらくすると、近くまで来たエギルが魔術で作った土の塊を垂直に垂らし、歪な形の梯子を成形して、私たちが脱出できるようにしてくれた。
「これ、私の重みで壊れたりしないよね」
「わたし一人だけの魔力なら壊れるでしょうが、フィーリンねえさんとエギルの魔力が混じっていますので、強度は保証済です。また廃道から道を引いていますので、土の中に沈む事もありません」
それを聞いた私は、土の梯子を登り、人一人分が渡れる道を四足歩行でヨチヨチと進み、穴の上までたどり着いた。
「おっさん、酷い目にあったけど、何事も無くて良かったな」
「いつまで待たせる。酒が無くなりそうだったぞ」
私たちを待っていたリディーとレギンから労いと愚痴を貰う。
「これからどうすの? 廃道に戻って、迂回路を探す?」
「いや、このまま道を伸ばして、向こうまで行く。魔女の廃村はあっちだからな」
そう言うなり、エギルは四つん這いになって、再度、魔術で道を作り始めた。
フィーリンとエーリカもエギルを挟んで、道を作っていく。
土魔術や土魔法が使えない私、リディー、レギンの三人は、道を作っている三人を見ながら、再度休憩するのであった。
ゆっくりではあるが徐々に土の道が伸びていき、蟻地獄の穴の上を通り、ミミズだらけの土を横断していく。
木々が生い茂る場所からデカい鳥やデカい蛇やデカい昆虫が現れると、土をほじって大量のミミズを食べている姿を目撃する。また土の中からモグラらしき生き物が顔を出したりして、結構楽しめた。
魔女がいた時、ここは農業地として野菜を育てていたらしい。だが、今は生き物の食料庫となっている。まぁ、ミミズと小虫しかいないけどね。
そして、食い意地が張って奥まで行くと、私みたいに蟻地獄に落ちて、逆に餌になるのだ。
なかなか興味深い場所である。
そんな事を考えていたら、ミミズ畑を越え、向こう側の廃道へ辿り着いた。
「エーリカ、フィーリン、エギル、ありがとう。おかげで迂回せずに渡れたよ。でも、魔力は大丈夫? 少し休憩しようか?」
「わたしは大丈夫です。大した労力ではありません」
「うん、土をこねて、固めただけだからねぇー」
「ずっと屈んでいたから腰が痛くなった程度だ。酒を飲めば治る」
そういう事でフィーリンとエギルに酒休憩、エーリカにリンゴ休憩をしてから先に進んだ。
とはいえ、廃道を少し進むとまたすぐに空けた場所に出てしまったのだが……。
目の前には水場が広がっている。
広くもなく、狭くもない学校の二十五メートルプールぐらいの楕円形の水場。
水場の周りには、背の低い葦のような植物が生えていて、風で靡いている。
水は透き通っていて、とても綺麗な場所だが、ここが第二の難所だろう。
「ヒル沼だな」
離れた場所から沼を見ていた私たちにエギルは呟く。
「やはり石板には、詳しく書かれていなかった?」
「ああ、ミミズで汚れた体を洗っていたらヒルに襲われた。溺れそうになったり、血を吸われたりと酷い目にあった。もう寄らねー。と書いてあった」
本当に役に立たない日記である。
とはいえ、今回は沼に入るつもりはないし、近づくつもりもない。
このまま迂回すれば、特に危険はないだろう。
その事をみんなに伝えたら、全員、同意してくれた。
ただ、エギルだけは物欲しそうに沼を見つめている。全身ミミズ臭と酒でべとついているので体を洗いたいのだろう。だが、我慢してもらう。
「エギル、体を洗うのは俺たちの村に戻ってからだ。行くぞ」
長い髭を触って沼を見ているエギルにレギンが声を掛ける。
「体は洗いたいが、それで沼を見ていた訳じゃない。ちょっと気になるものがあってな」
「気になるもの?」
「見ろ、草刈マンティスや石切マンティスが死んでいる。それも数体。どうして、こんなにも死んでいるんだ?」
エギルの言う通り、水場の周りに三匹のカマキリの魔物が倒れていた。
だが、それだけだ。
どうも学者肌のエギルは、それが気になるらしいのだが、生憎と私は興味がない。というか、見るのも嫌。
「げっ!?」
カマキリの死骸から目を逸らすと、巨大ヒルが視界に飛び込んできた。
八十センチほどの黒茶色した二匹のヒルがカマキリの死骸にくっ付いている。
巨大カマキリと巨大ヒル。こんなのばっかり……。そもそも死んだカマキリから血が吸えるのだろうか? それとも体液でも啜っているのだろうか?
「うわっ!?」
レギンの叫び声がした。
ヒルから視線を逸らすとレギンが地面を引き摺られている。
何が起きているのか分からないが、ズルズルと水場に向かっているので、急いで助けに向かった。
「くそっ、足に何か絡みついてやがる!」
上向きのまま手足をバタバタさせているレギン。その右足に茶色の紐のようなものが絡まり、ヒル沼まで繋がっていた。
「うぉー、凄い力だ! 早く、ぶった切ってくれ!」
レギンは地面に斧を突き付けて、動きを止める。
「おらっ!」
手斧を持ったエギルが茶色の紐目掛けて振り下ろす。だが、クニッと曲がるだけで、斬れる事はない。
その後、リディーの短剣、私のレイピアで攻撃しても斬れなかった。凄く丈夫な紐である。まるで針金みたいだった。
「そもそも、誰が引っ張っているのぉー? そいつを倒した方が早くないかなぁー?」
「水場に引き寄せているって事は、サハギンかな?」
以前、私はサハギンに海藻で作った紐で水中を引っ張られた経験がある。ただ、全身鎧を着たレギンを引っ張れる程、サハギンに力があるとは思えない。
「いえ、魔物が沼から引っ張っている訳ではないです」
今まで黙ってレギンを観察していたエーリカが前に出る。
「何でもいいから早くしてくれ! 足がもげる!」
ズボッと斧から手を放したレギンが、再度沼の方へ引き摺らていく。
そんなレギンの足元に向けて、エーリカは指先から炎の魔力弾を放った。
レギンの足に絡まっている紐に炎が纏わり付くと、ようやくレギンの足から外れた。紐は、そのまま苦しそうに地面の上を蠢き、そして動きを止める。
「何これ? 水辺に生えている蔦だったの?」
「いえ、違います。これは植物ではありません。虫の一種です」
「これが虫?」
茶色い紐の様な虫。
今は炎で焦げて黒色になっている。
まるで太い銅線や針金のようである。
……ん、針金?
も、もしかして……。
私は水場近くで死んでいるカマキリに視線を向けると、でっぷりと膨れたお腹がモゾモゾと動き出した。
「みんな、カマキリの近くに寄らないで!」
私が叫ぶと同時にカマキリのお尻から針金のような物が飛び出してきた。
やはり、ハリガネムシだ!
画像でなら見た事はあるが、実際に見ると気持ち悪い!
それだけでなく、バシャバシャと水辺から数体のハリガネムシが飛び出してきた。
お前たち、元気良すぎだろ!
「何なんだ、こいつらは!?」
「昆虫に寄生する虫! 私たちにも寄生するかもしれないから気をつけて!」
こんなデカいハリガネムシの卵が体内に入って、孵ったら、チェストバスターと同じで即死だ。
「駄目だ。僕たちでは斬れない。エーリカ、頼む」
斧や短剣で斬りつけてもハリガネムシを傷つける事が出来ない。
エーリカは、水辺からウネウネと這ってくるハリガネムシをボンボンと炎の魔術弾をぶつけていく。
「むっ、効果が薄いです。水に濡れているからでしょう。なら……」
エーリカは炎の魔力弾から雷の魔力弾に切り替える。だが、ハリガネムシの周りにスパークが流れるだけで、ダメージを受けている感じはなかった。
「これも駄目ですか。なら、凍らせましょう」
エーリカの右手から飛び出した氷の魔術弾がハリガネムシにぶつかっていく。
そして、辺り一面、氷で冷やされたハリガネムシは、動きが鈍くなり、徐々に動かなくなった。
「効果ありました」
「おい、人間の嬢ちゃん。そんな気味の悪い魔物をいちいち相手にするな。さっさと逃げるぞ」
ハリガネムシに引き摺られていたレギンが退却の指示を出す。
だが、後ろを振り返ると……
「うげっ、ヒルが迫ってきている」
いつの間にか、私たちの退路を塞ぐように巨大ヒルが体をくの字に曲げながら向かってきていた。
「こいつらは遅い。脇からすり抜ければ問題ない」
ドスドスとレギンが巨大ヒルの群れに駆け出す。
だが、巨大ヒルはグッと体を縮むとピョンと飛び跳ねた。
「うぎゃぁー!」
四方八方から巨大ヒルに飛び掛かれたレギンは、そのまま押し倒されてしまった。
「アタシの斧で爆発させて助けるぅー?」
「わたしの魔術で燃やしますか?」
「鎧を着ているし、僕の風魔法で斬りつけるのもありだな」
誰も近づいてレギンを助けようとしない。勿論、私も。
そんなレギンから「何でも良いから助けてくれぇー」と必死の叫びが聞こえる。
仕方ないから、以前、サシャを助けたようにレイピアを光らせて、一匹ずつ刺していこう。
そう思い、近づこうとしたら……。
―――― 足元、注意だよー ――――
えっ? と思った瞬間、グイッと片足を引っ張られた。
「痛っ!?」
バランスを崩した私はそのまま前のめりに倒れる。
草の影から一匹のハリガネムシが伸びて、私の足首に絡みついていた。
まずい!
案の定、凄い力でズズズッと水場の方へ引っ張られる。
「助……」
「助けて!」と叫ぶ前に私はヒル沼に落ちてしまった。




