276 ミミズ畑へようこそ
迷いの森の中にある開けた場所。
黒々とした土の上に私とエギルは立ち尽くしていた。
廃道の入口には、エーリカ、リディー、フィーリン、レギンが心配そうに見守っているだけで、中には入ってこない。
それもその筈、今居る場所こそが難所の一つであるミミズ畑である。
「ヒゥ……」
エギルが手の上でウネウネと蠢く大量のミミズを見て、私の息が漏れた。
革靴やズボン越しにウネウネの感触が伝わり、血の気が一気に引いていく。
この異世界に来てから私は虫と縁がある。
鉄等級冒険者の昇級試験の時は、大ミミズに襲われた。
炭鉱の時はデカい蟻と大量の蟻に襲われた。さらに懲罰房の中で大量の虫と一緒にシェイクされた事もある。
そして、今は大量のミミズがいる土の中に足を浸かっている。
グロい映画を見るのは好きだが、実際に体験するのは嫌。
このまま気を失って、倒れてしまいそうだ。
「は、早く、戻ろう!」
私がエーリカたちの元へ戻ろうと片足を上げると、もう片方の足がズブズブと地面に減り込んでいく。
「動く! 焦るな! 落ち着け!」
微動だに立ち尽くすエギルは、手に乗せていたミミズを放り投げると背中に掛けている皮袋からお酒を一口飲んだ。
「お酒を飲んでいる場合!?」
私が叫ぶとさらに足が地面に埋まっていった。
「だから、落ち着けって。恐ろしく柔らかい地面だ。体重を掛けると埋まっていくぞ」
少し離れた場所にいるエーリカたちから「ご主人さま」「大丈夫か?」「こっちまで来れるぅー?」と声を掛けてくれるが、少しでも体を動かすと埋もれるので返事が出来ない。
エーリカたちまで、せいぜい十五メートルほど。近いと言えば近い。たが、腕を伸ばして引っ張る事も出来ないので遠いと言えば遠い。
深呼吸をして心を落ち着かせた私は、改めて状況を確認する。
固めた地面ではなく、黒々とした土が広がっている。
よくよく表面を見ると、羽虫のような小虫が大量にいて、ピョンピョンと飛び跳ねていた。
試しに埋もれた足の周りの土を退かすと、ミートスパゲッティみたいに大量のミミズが現れ、やるんじゃなかったと後悔する。釣り餌用のミミズを大量育成をしているのかと思える程、ミミズの密度が高すぎである。
こうもミミズがいるのなら、余程、栄養価の高い土なのだろう。この土を持って帰って、アナの家庭菜園に撒けば、美味しい野菜が育ちそうだ。
いや、ミミズが多過ぎる土はあまり良くないとも聞くし、たぶん魔女の魔力の所為なのだろう。
この場所は生前、魔女が自分の魔力を込めて作った農園跡地とエギルは言っていた。
つまり、魔女の魔力が籠った土をたらふく食べているミミズは魔物なのだろうか? このまま成長すれば、大ミミズになるのかもしれない。
まぁ、今の所、数が多いだけで、襲われる事も噛み付いてくる事も無い。上手く抜け出せさえすれば、ただの気持ち悪い場所で終わる。
「うーむ、土の中にはミミズだけじゃないな。ハサミムシもダンゴムシも変な芋虫もいる。虫の楽園って感じだ」
「冷静に観察していないで、抜け出す方法を考えよう」
「そうだな。……試しに酒でも掛けてみるか」
エギルは、革袋からドボドボとお酒を地面に垂らした。するとエギルの足元の土がモゾモゾと動き出し、少しだけエギルが埋もれた。
「何がしたかったの?」
「逃げて行くかと思ったが、暴れておしまいか……」
「石版には何て書いてあったの? 前の村長はここを通ったんだよね。どうやって切り抜けたか、書かれていなかった?」
「いや、何も……ただ、ミミズ畑で魔物に襲われて酷い目にあった。二度と行かね。とだけ」
役に立たん!
「魔法か魔術で何とかならない?」
「そうだなー……」
あまり乗り気でないエギルが土の上に手を置いてブツブツと呟くと、手を中心に硬そうな石板が広がっていく。だが、その石板に体重を預けるとズブズブと土の中へ入ってしまった。
エギルから「やはり、駄目か」と呟く。
たぶん柔らかい土の上を筏のように石板に乗って、戻れるのではと思ったのだろう。
「ここは底なし沼のようなものだ。重過ぎると沈んでいく。軽ければ良いんだが……」
エギルは、長い髭をモサモサと触って考え込む。
「どうも焦っている様子には見えないけど、エギルには何か腹案があるの? それとも虫好きなだけ?」
「虫が好きな訳じゃない。むしろ嫌いだ。だから悩んでいる」
「悩むって何を? やはり、何か解決策があるんだ」
「ああ、ある。だが、あまりやりたくない」
何を悩んでいるのか分からないが、脱出できる方法があるのなら教えてほしい。
そう尋ねようとした矢先、廃道にいるフィーリンから声が掛かった。
「旦那さまぁー、今、リディアが蔦を取ってきて縄を作っているから待っていてねぇー」
即席の縄を作って引っ張ってくれるらしい。いつズボンの隙間からミミズが入ってくるか分からないので、早くお願いしたい。
……と思っていたら、「ああー、もう! 動くな!」と森から蔦を刈ってきたリディーから悪態が飛んできた。
「おっさん、すまん。ここの蔦、ウネウネと動いて結ばせてくれない。あっ、逃げやがった! エーリカ、捕まえろ!」
蔦同士を結ぼうとしていたリディーの手から一本の蔦がウナギのように抜け出し、ヘビのように森の中へと戻って行こうとしていた。それをエーリカが追いかけて行く。
さすが迷いの森の蔦。元気がある。
「こりゃ、期待できそうにないな」
エギルの呟きに私もコクリと同意してしまう。
「あっ!?」
蔦と格闘しているリディー、逃げた蔦を追い駆けているエーリカ、そんな二人を酒を飲みながら休憩しているフィーリンとレギン。
そのレギンの背後の森から一匹のゴブリンが現れ、背中にしがみ付いた。
「くそっ、こいつら、どこにでも居やがるな!」
ゴブリンは、背中越しから錆びたナイフを使って、鎧をガスガスと刺す。
レギンは、背後にある大木に背中ごとぶつかり、ゴブリンを引き剥がした。そして、地面に倒れたゴブリンを抱えるとリディーに「こいつに蔦を結べ」と指示を出した。
ウネウネと動く二本の蔦をゴブリンの胴体に結ぶと、「オラァー!」とゴブリンごと私たちの近くに投げる。
一本の蔦はリディーとゴブリンに繋がっている。もう一本の蔦は、ゴブリンを間に私の近くに落ちた。
ゴブリンを間に私とリディーが蔦でつながった。これで引っ張ってくれれば助かる。
そう思い、目の前の蔦に手を伸ばそうとしたら、蔦が私の手を避けるようにクネッと曲がった。
さらにゴブリンの体に縛っていた個所が緩み、柔らかい土の上を滑る様に逃げて行ってしまった。
「痛っ!? こいつ、棘を出しやがった!」
もう一本の蔦もリディーの手から逃れ、森の中へ帰っていく。
こうして蔦を使った救出作戦は失敗に終わった。
「グギャァァー!?」
目を覚ましたゴブリンは、ミミズ畑から逃げようと足を動かす。
一歩二歩と進むたびに、ズブズブと土の中に沈んでいく。
「ギャア、ギャア」と抜け出そうと暴れるので、どんどん土の中に埋もれていく。
周りの土を掻き分けるので、土に隠れていたミミズが辺り一面に散らばる。そして、首まで埋まると顔を覆うようにミミズが這い上がり、口や鼻や耳に入っていき、そのまま土の中に消えていった。
そんなゴブリンの姿を見た私たちは言葉を失う。
「こりゃいかん。手段を選んでいられん。今すぐ脱出するぞ。お前も急げ!」
「急げって、どうやって脱出するつもりなの!?」
「泳ぐんだ!」
そう言うなりエギルは、目の前の土の上にドボッと倒れた。その勢いでズブズブと体が土の中に沈んでいく。
エギルは急いで土の中に埋もれていた両足を引き抜き、両手両足を使って、土を掻き分けるように進んで行った。
おお、進んでいる、進んでいる!
と感心をするが、土を掻き分ける度に大量のミミズやその他の虫も掻き出され、体中を虫塗れになっていた。
私も含め、廃道にいるリディーたちも青い顔をしてドン引きしている。
それでも尚、エギルは必死にミミズプールの中を泳いでいく。
そして、服や靴、さらに長い髭や髪の中に大量のミミズをお持ち帰りしながら廃道まで戻っていった。
「ミミズ、くせー!」
廃道に辿り着いたエギルはすぐさま衣服を脱ぎ、頭を振って髪や髭に付いているミミズを振り落とす。そして、持ってきたお酒を全身に掛けて、ミミズ臭さを落としていった。
そんなエギルに手を貸す者はいない。みんな遠巻きに見ているだけ。その場に私がいても、そうしていただろう。
「良し、脱出できたぞ! お前も来い!」
「絶対に嫌ぁー!」
やり切った感を漂う半裸のエギルに私は声を荒げる。その反動で、ズブズブと足元が沈んでいき、ついにズボンの裾からミミズが入り込み、私の脛毛を擦るようにウネウネと暴れだした。
「ひぃー、気持ち悪いー!」
まずい、まずい、まずい!
このまま土の奥まで入り込んでしまうと、完全に抜け出せなくなってしまう。そうなったら、ゴブリンのようにミミズ塗れになりながら、土の栄養分になってしまう。
エギルのようにミミズプールを泳ぐか、それとも別の方法を考えるか。
「そうだ! 板は無い? 私が乗れるぐらいの板!」
もしあれば、干潟のむつかけ漁でつかうスキーみたいに土の中に沈まずに移動できるかもしれない。
そんな期待をして頼んだら、即答で「ないです」「ない」「ないよぉー」と返ってきた。
もっと真剣に探してよー。ミミズプールで泳ぎたくないんだよー。
泣きそうになった私に「ご主人さま」とエーリカが声を掛けてきた。
「炎を使えば、嫌がって道が出来るかもしれません。試してみますか?」
「今すぐにやって」
エーリカは手近の土に向けて、炎の魔力弾を放つ。
地面を舐めるように火が広がると、ズズズッと土が盛り下がっていく。
たぶん、熱を嫌がった地中のミミズが左右逃げて行ったのだろう。
さらにボンボンボンと連続で炎の弾を撃っていく。その都度、炎で焼かれた部分だけ地面が下がり、海が割れる十戒のように私に通じる道が出来始めた。
「いい、いいよ、エーリカ! 凄く臭いけど、この調子で撃ちまくって!」
辺り一面、何とも形容しがたい匂いが鼻につく。
焼きミミズの匂いが充満する中、エーリカは私を焦がさないように小さいサイズの魔力弾を何度も何度も放っていく。その都度、地中にいたミミズが逃げて行くので、炎を中心に波紋が広がるように土がうねっていた。
「うわぁっ!」
ミミズが大移動した事で地中が緩み、ズズズッと体が沈んでいく。
「エーリカ、急いで! いや、私もやる! 一緒に道を作ろう!」
腰のあたりまで沈んでしまった私は右手を土の中に突っ込んだ。
右手にウネウネヌメヌメとミミズが絡みつくが、気にしている余裕はない。だって、もう私のズボンの中はミミズで溢れているのだ。このままでは下半身の大事な部分にまで届いてしまう。そうなる前に脱出したい。
私は右手に魔力を集めると、光の魔力弾を放つ。
ドバッと水柱が上がるように土とミミズと小虫が爆ぜた。
ボトボトッとミミズが頭の上に落ちてくるが、そのおかげで目の前の土がへこみ、エーリカたちへの道が開いていく。
「このまま続ければ、戻れる。エーリカ、続けて」
勝機を見た私とエーリカは、次々と炎と光の魔力弾を土にぶつけていく。
その度、土はへこみ、ミミズが移動し、土と共に爆ぜていく。
雨のようにミミズが降り、私の頭や肩に乗っかりウネウネと暴れていているが、ミミズプールを泳ぐよりはまし。
そう思っていたら、後方からズズズッと地鳴りのような振動が伝わってきた。
「ご主人さま、何だか変です。急いで、わたしの元へ来てください」
エーリカから忠告が飛ぶが、まだ足を動かせるほどミミズの量は減っていない。
そもそも何が起きているのかも分からない。
音のする後方を見るが、ただの黒々とした土が広がっているだけ。
そう思っていたら……。
「ご主人さま、急いで!」
エーリカの叫びと同時に後方の土がバカンッと崩れていき、穴が開いた。
シンクホールのように深く陥没し、その範囲は徐々に私の元まで近づいてくる。
「ちょっと、ちょっと、まずい、まずい!」
私は急いで逃げようとするが、両足が持ち上がらない。膝まで土に埋まっていて、さらにズボンの中はミミズで溢れているので、私の脚力では脱出不可能。
「おっさん、もう泳げ!」「旦那さま、早く!」と急かされるが、出来ないものは出来ない。
代わりに手を伸ばして、助けを乞う。
道が出来た事でエーリカが駆けつけ、私に向けて手を伸ばす。
「ご主人さま、手を!」
私の手とエーリカの手が触れ合う瞬間、私は後方へと落ちて行った。
「うわぁぁーー!」
ズザザッと坂を転がるように陥没孔の底へと落ちる。
崩れる地面に指を立てるが、砂塵のように脆く、落下を止める事が出来ない。
大量のミミズと一緒に滑っていると、穴の底に巨大な生き物がいるのに気がついた。
サルラックか!? と思ったが違った。
牙のような顎を生やした、ずんぐりとした土塗れの大きな虫。
私を丸呑みに出来そうな巨大な蟻地獄だった。
普通のミミズしかいなかったのに、何でこいつだけ巨大なんだ!
「止まれ、止まれ、止まれ!」
土を掘るように必死に両手足を動かして滑る速度を落とす。
柔らかい土に手を突っ込んでは足元へ流す。
ミミズも大量に出てくるので、今の私の手はミミズの体液で汚れていて、さらに臭い。
だが、そんな事を気にしている余裕はなく、必死に土とミミズを下へ下へと落していくと斜面が緩やかになり、蟻地獄の手前で止まる事ができた。
ふぅー、危機一髪。助かった。
ハァハァと息をしながら、蟻地獄を観察する。
蟻地獄の周りには大量のミミズが蠢いていて、まるでミミズ風呂に入っているみたいだった。
こんなにも近くにミミズがいるというのに、蟻地獄はミミズを一切食べようとしない。
私の方に牙の顎を向けて、歯をガシガシとしているので食欲はあるらしい。
もしかしたら、ミミズに誘われた生き物が主食なのかもしれない? のこのこと大量のミミズを食べていると、ボコッと落とし穴が開き、私のように滑って食べられるのだろう。
知恵の回るのか、根気があるのか、分からない生き物だ。
蟻地獄が砂の中に隠れた。
諦めたか、と安堵すると底からミミズごと土が飛んでくる。
「不味い、不味い、持ち堪えれない!」
ゲリラ豪雨のように土とミミズが降ってきて、再度体が滑り始めた。
ボコッと蟻地獄が姿を見せる。
私と蟻地獄まであと僅か。
私を食べようと牙のような顎と奥にある口をガシガシとしている。
食べられる寸前にレイピアで一刺ししてやろうかと考えたが、鞘から抜く時間がない。
光の魔力弾を撃つ時間もない。
もう無理! 食べられる!
「助けてぇー!」
「あいよぉー」
私の叫びに答えるように二本の手斧が私の横を追い越していった。
蟻地獄が私を食べるよりも先に二本の手斧が呑み込まれる。
そして、ドンドンッと爆発し、蟻地獄の口から透明な液体と肉片が吹き上がった。
ズボンッとミミズが溜まった穴の底に私は落ちた。
ズズンと巨大な蟻地獄がすぐ横で倒れ、ミミズの波が全身に振り掛かる。
「間一髪だったねぇー、旦那さまぁー」
倒れた蟻地獄の上に少女が下り立つ。
「助かったよ、フィーリン」
私を助けてくれたフィーリンは、革袋からお酒を一口飲むと、「リディアとエーリカのお姉ちゃんだからねぇー」とニコリと笑った。




