271 再度、迷いの森 その2
現在、迷いの森にいる。
もう入る事は無いと思っていたのに、二回目の森の中である。
今の所、魔物に襲われる事もなく、魔女の村に通じる林道を進んでいる。
数百年前の林道は、枝や石が至る所に落ちており、木の根が盛り上がっているが、密集している森の中とは思えない歩きやすさである。しっかりと整備をすればハイキングコースになり、観光客が訪れるのではなかろうか? ……魔物さえ出なければね。
そんな林道を六人で進んでいる。
前方をアーロン・アーベル兄弟、一歩下がった所にフィーリンがいる。この三人が前衛である。
その後ろに私を挟んでエーリカ、リディーが横に並んでいる。彼女たちは左右からきた魔物を警戒していた。
最後尾は村長の息子であるエギルと守備隊長のレギンが後方を警戒していた。
一見、私を中心とした陣形に見えるが、たまたまである。
決して、激弱な私を真ん中に置いて、守っている訳ではない筈だ。……たぶん。
それにしても、魔物の巣窟である迷いの森にいるにも関わらず、私たちの装備は軽装過ぎないだろうか?
私は普段着に皮鎧を装着している。武器はレイピア。これはいつもの冒険者スタイルであり、それ以外の防具は持っていないので仕方が無い。ドワーフの村にいるのだから防具を借りても良かったのだが、間違いなくサイズが合わないので頼んでいない。
それはそうと、以前、手甲と脛当てを買ったのだが、どこかで無くしてしまっている。一体、どこで無くしたのか……まったく覚えていない。
エーリカは、いつも通りの黒色を基本としたゴシックドレス。武器はドリルなどの魔術具であるが、今は装着していない。決して、森の中を歩いたり、魔物と戦う恰好ではない。場違いにも程があるが、今更、別の服を勧めたりはしない。
リディーは若葉色のヒラヒラとしたエルフ服を着ている。今は草木が生い茂っている森の中なので、しっかりと迷彩機能を発揮していた。ただ、肌を露出している個所が多く、虫に刺されないか心配である。武器は弓矢と短剣。腰に差してある短剣は使わず、弓に矢を番えて、いつでも射るようにしている。常に長い耳をピクピクと動かしいる事から誰よりも警戒をしていた。
フィーリンは、沢山のポケットの付いた作業用ハーフパンツ。胸にサラシのような物を巻き、その上から皮製の上着を羽織っている。さらに作業用の手袋とごっつい靴を履いている。これは普段着である。武器は持っておらず、背中に大量の皮袋を背負っていた。聞かなくても分かる。中身はお酒だろう。
アーロン・アーベル兄弟の二人は、皮製の上着とズボン。上半身裸にただ羽織っているだけなので腹筋が丸見えだ。
魔物を発見すれば、誰よりも早く突進していくほどの戦闘狂なのに防御力皆無の服装である。
全身にある傷跡をみるに、相手の攻撃を避けて攻撃をするスタイルではない。少年漫画のように相手の攻撃を受けて、ボロボロになりながら勝つ、泥臭いスタイルだろう。
一つ一つの傷を楽しそうに話していたので、ただの被虐性愛かもしれない。
そんな二人の武器は、身の丈もある両刃の大剣と穂先が槍のようになっている戦斧である。二人は時折り、鉄の塊のような武器を持ち上げては、「はっ、はっ、はっ」と上げ下げしている。たぶん魔力を流さずに純粋の重さで筋肉トレーニングをしているのだろう。
バーベルの代わりにもなるなんて、便利な武器である。
お腹がぷっくりと膨れているエギルの服装は私と変わらなかった。皮と麻の上着とズボン。そこに皮鎧を纏っているだけ。腰に小さな手斧を差してあるがピカピカな所を見ると、今まで使われた様子はない。
村長の言う通り、エギルは武闘派でなく頭脳派なのだろう。
私と同じ、戦闘には期待しないでおこう。
最後にレギンだが、彼だけは違った。
守備隊長だけあり、立派な鎧と兜を身に付けている。
黒光りする鎧には至る所に傷があり、長年使われている形跡があった。
武器は両刃の斧。こちらも立派な作りである。鎧も武器もドワーフ製なので、中古とはいえ街で売ったら金貨数枚は舞い込んでくるだろう。
つまり、彼は大金を身に纏っている事になる。
一応、エギルもレギンもフィーリン同様、背中には沢山の皮袋を持参しており、歩くたびにタプタプと音が鳴っている。
腕力も体力も鍛冶スキルも高い頼りになるドワーフだが、唯一の弱点は、お酒を切らしたら弱体化する事。酔拳の師匠かな?
そんな私たちは、常に周りを警戒しながら林道を進んでいたのだが、その警戒も徐々に薄まっていった。
その原因は平和の一言に尽きる。
魔物の巣窟である迷いの森にも関わらず、魔物に襲われる事はないし、姿すら見かけない。精々遠くの方から変な鳴き声が聞こえるぐらいだ。
その所為か、一番後ろにいるレギンが話し掛けてきた。
「客人、一つ聞きたい事がある」
客人って誰を指しているのだろうと後ろを振り返ると、「お前さん、炭鉱帰りと聞いたが本当か?」と言ったので、私かリディーの事だと分かった。
「ええ、ほんの僅かの期間ですが、ルウェン鉱山で働いていました。数日前に戻ってきたばかりです」
「俺の女房の兄貴が街の酒場で喧嘩をしてな。その際、ある男娼を巻き込んで怪我をさせちまったんだ」
「だ、男娼ですか?」
一体、何の話だ?
「ああ、運の悪い事にその男娼はある貴族のお気に入りでな。義兄は貴族の怒りを買ってしまい炭鉱送りにされちまって、今もそこで働いているんだ。お前さん、炭鉱で会っていないか?」
「うーん、どうだろう……」
思い出したくない炭鉱生活を記憶の底から浮上させる。
囚人の中にはドワーフも何人かいた。その内の二人は、一緒に作業し、話もした。一人は炭鉱作業初日に私の手を「女房の尻よりも柔らかい」と言ったドワーフ。もう一人は、蟻の魔物に襲われた時、スコップの武器を作ってくれたドワーフだ。
その二人の事を話すと、「それじゃあ、分からん」とレギンと呆れた感じで言われた。
「義兄は俺より少しだけ背が高く、クリッとした目をしていて、立派な鷲鼻をしている。髭は三つに分けて束ねているが、炭鉱だと解いているかもしれんな」
「どうだ?」とレギンが期待に満ちた声で尋ねるが、「それじゃあ、分からん」と同じ言葉を返した。
「私が会ったのは、薄暗い坑道内です。しっかりと顔を見た訳ではないですし、生活していた場所も違うので、判断できません」
ドワーフの顔はどれも同じで判別できん、と馬鹿正直に言えない私は「リディーはどう?」と振ってみたら、「僕が知る訳ないだろ」と素っ気なく返された。
そんな私たちにレギンは「そうか……」と落胆する。
「元気にしているかどうか、知りたかったんだがな……」
「ああ、それなら大丈夫だと思いますよ」
私の言葉を聞いたレギンが俯いていた顔を上げた。
「作業の休憩中に隠れて酒を飲んでいたり、『女神の日』には囚人たちに密造酒を売っていました。私の見た限り、ドワーフの人たちは楽しくやっていましたよ」
土いじりの得意なドワーフは、炭鉱作業自体は苦じゃなさそうだしね。
「おお、そうか。酒が飲める環境なら何の問題もない。良い報告を聞いた。帰ったら女房に教えてやろう」
元気になったレギンは斧を掲げるとドスドスと歩き始めた。
家族想いの良いドワーフである。
「それにしても何も起きないねぇー。魔物、どこか行っちゃたんじゃないのぉー」
アーロン・アーベル兄弟に挟まれる形で歩いているフィーリンが大きく欠伸をする。
「お嬢の言う通り、肩透かしにもほどがあるぜ」
「これならいつもの散歩道の方が張りがあるな」
アーロン・アーベル兄弟もフィーリンに倣って、欠伸をしたり、首をゴキゴキと鳴らしたりと緊張感が抜けていた
私としては平和の方がありがたいのだけど……。
「ねぇ、ここって、生活する為の道だったんだよね」
私は振り向いてエギルに尋ねた。
「ああ、魔女の村が存在していた時に整地され、実際に使われていた道だ。口伝だけでなく、文献にも載っているから間違いない」
「魔物のいる森の中を通る道って、絶対に危ないよね。普通に考えて、普段使いは出来ないよね。それでも使っていたんだよね」
「何が言いたいんだ?」
「いや、もしかしたら、この道も結界が張ってあって、魔物を遠ざけているんじゃないの? そうでもしないと、毎回、魔物に追いかけられながら道を進んでいた事になるよ」
道を整備したからって、魔物が気を利かせて襲ってこなくなる訳ではない。
まして、ここは迷いの森。一度、入ったら蔦や枝が動いて、出られなくしてしまう。以前、私たちが入った時は、鳥や蜘蛛やリスの魔物がひっきりなしに襲ってきた。
森に入った場所が違うとはいえ、こうも平和なのは逆におかしい。
何か原因がある筈である。
「うーん、結界か……特にそれっぽいのは見当たらないがな」
エギルとレギンは周りを見回してから首を振った。
「エーリカはどう? 何か感じる?」
私の顔をチラリと見たエーリカは立ち止まると、ぐるりと景色を眺めて「いいえ」と答えた。
「わたしも結界らしきものは感じられません」
ティア曰く、「あたし程じゃないけど」の結界を張れるエーリカなら何か分かると思ったのだが……そう思っていると、「ただ……」とエーリカから続きが出た。
「ん? 何かあるの?」
「何となく懐かしい感じがするのですが……」
「懐かしい? 道が? それとも森が?」
「……分かりません」
いつもはっきりと物を言うエーリカだが、珍しく曖昧な物言いをする。
「リディーやフィーリンは何か感じる?」
「……いいや」
「ぷはぁー、さっぱりぃー」
エーリカの姉妹だから同じ感覚になっていると思ったのが違ったようだ。それよりもフィーリン、酒を飲みながら答えないでくれる。何だか、生返事された気分になる。
「結界じゃなかったら、もしかして魔女の秘術とかだったりしてね。それか道の中に魔物避けの薬草が練り込んであったりして」
「結界なのか、秘術なのか分からんが、魔物が近づいてこないっていうならそれに越したことはない。廃村の近くに行ったら、嫌でも襲われる事になるからな」
石板に描かれている地図を眺めていたエギルから不吉な言葉がでる。
「この道って村まで続いているんだよね。どうして魔物に襲われる事が確定なの?」
「村の手前に二つの難所があるらしいんだ」
「難所?」
「ミミズ畑とヒル沼だ」
「……は?」
何か耳を覆って、逃げ出したくなる単語が出てきた。
リディーも「うげっ」と長い耳を下げている。
「ミミズ畑は、野菜や果物を育てていた農業地で、魔女の魔力で整地した場所だ。だが、廃村になった後、ミミズや蟻、芋虫などの土中の虫が集まり、一歩入ると小虫どもが襲ってくるらしい。余程、魔女の魔力が美味しいらしいと石板に書いてあったぞ」
昨日、エギルは私たちと別れた後、遅くまで書庫に籠り、情報を探してくれていた。残念ながらゴーレムの作成方法の書かれた石板は見つからなかったが、魔女の村について書かれた石板を見つけ出した。その貴重な情報なのだが、まったく嬉しくない情報である。
「ヒル沼の方は、村の水場として作った貯水池だ。ここも廃村になった後、魔物の水飲み場となり、ヒルの生息地になっているそうだ。ここも危ない場所らしい」
「そこ、絶対に通らないといけない場所なの?」
「さぁな、実際に行った事がないから分からん。俺も迂回できたら迂回したい。ただ、結局の所、近くまでは行かなければいけないがな」
うわー、行きたくねー。
そんな話をしつつ林道を歩いていると、前衛の三人の足が止まった。
「あれぇー、道が無くなっちゃったよぉー」
呑気な声で報告するフィーリンの言う通り、林道を通せんぼするように大木が倒れ、その先を草木が覆っていた。
「大木を跨いで進むか、脇道に逸れて進むしかないね。どっちにする?」
私がみんなに尋ねると、リディーから「待て」とストップが掛かった。
「前方から気配を感じる」
鋭い顔になったリディーは弓矢を構え、長い耳を忙しなく動かす。
「ようやく魔物か……待ちわびたぜ」
「ゴブリンかなぁー? それともワーウルフかなぁー?」
「そんな小物よりも大物が出てくれた方がいいな」
水を得た魚のようにアーロン・アーベル兄弟とフィーリンが肩を回しながら倒れた大木の方へ歩いていく。
「何でそんなに楽しそうなの? まったく理解できない」
「まったくだ」
私の呟きにリディーが苦笑いをする。
「道が途切れた先に魔物が居るって事は、客人の予測通り、この道が原因で魔物が近寄らなかったみたいだな」
「逆に言えば、道が途切れたって事は、魔物が襲ってくるって事だ。気をつけろ」
後ろにいるエギルとレギンが戦闘前の一杯として、皮袋から酒を飲む。そして、武器を構えると口を閉ざし、周りを警戒し始めた。
そんな二人に倣うように私もレイピアを鞘から引き抜き、いつ襲われてもいいように魔力を流しておく。
マイナスイオン満載の散歩道は終わり、これから魔物の巣窟に突入する。
ここからが本番である。
……あれ、これ前にも言ったな。




