261 酒飲み対決
ドワーフ村の守備隊長レギンとの酒飲み対決が始まった。
なぜか中身未成年の私が代表である。
下戸の私が常に酒を飲んでいるドワーフに敵うはずがない。
すでに諦めムードの私と違い、青銅等級冒険者の三人とエーリカだけは期待に満ちていた。
「はぁー」と溜め息を吐く中、目の前に座っているレギンがショットグラスに酒を注いでいく。
黒くドロリとした液体が歪な形のグラスにワンフィンガーほど入る。
少しの量でほっとする反面、この量で勝負が決まると思うと、相当きつい酒と分かり嫌な汗が出てくる。
そもそも、その色は何? 黒くてドロリとして、まるでヘドロだよ! デスフラワーという明らかに危ない花の魔物。その蜜が発酵して出来た蜂蜜酒。人間が飲んで大丈夫なの? 煙なのか湯気なのか分からないものが立っているし、絶対に危ないって!
「見た目はアレだけど、匂いは良いな」
隣に座っているリディーが顔を覗かしてショットグラスの中をクンクンと嗅いでいる。
からかい半分で「少し舐めてみる?」と私が言ったら、「ああ、そうする」とリディーはショットグラスに指を突っ込んだ。
えーと、リディーさん、今から飲む私の酒に指を突っ込まないでほしいのだけど……言った私も何だけど、もうちょっとやり方を考えてほしい。
ほんの少しだけ酒の量が減ったにも関わらず、ドワーフたちは文句を言う事もなく黙っていた。いや、むしろニヤニヤと期待に満ちた顔をしている。
リディーは指先に付いたドロリとした黒い液体をまじまじと見つめると、パクリと口に入れた。
「…………」
「どう?」
「…………ッ!?」
「リディー?」
「うげぇー! ゲハゲハッ! み、み、水、水っ!?」
顔を真っ赤に染め、あわあわとするリディーにエーリカは、袖口から水の入った皮袋を取り出して渡す。
それを見た私と青銅等級冒険者の三人から血の気が引いていく。
一方のドワーフたちは、楽しそうにゲラゲラと笑い出す。
「お、おっさん、駄目だ! これは酒じゃない! 毒だ! 猛毒だ!」
涙目になっているリディーは、水で口を洗浄すると、真面目な顔で忠告する。
一舐めしてこれだ。やはり人間が飲んでよい酒ではなかったようだ。
青い顔をした私は、ショットグラスからレギンへ視線を向ける。
「軟弱なエルフが飲んでいい酒じゃない。酒狂いの為の酒だ」
「どこが酒だ、馬鹿! 僕たちを毒殺する気だろ! あー、くそ、舌が痺れて、痛い」
「ふん、そこまで言うなら先に俺が飲んでやる」
そう言うなりレギンは、ショットグラスを持ち上げ、みんなに見えるように掲げるとクイッと一口で飲み干した。
そして、空になったショットグラスを逆さまにして、ダンダンと机を叩いてから置いた。
「ぶはぁー」と息を吐いたレギンの口から煙のようなものが見える。
「次はお前だ」
花の香りの口臭を吐き出すレギンは、私の前に置いてあるショットグラスを顎でクイクイと示す。
リディーが「おっさん、止めとけ」と枯れた声で心配してくれる。
エーリカはいつも通りの眠そうな顔で、黙って私を見つめる。
青銅等級冒険者の三人は、青い顔をしながら少し距離を空けて、他のドワーフと一緒に観客になっていた。
うぅー、飲みたくない……。
飲食でここまで拒否反応を起こすのは、ベアボアスープ以来だ。ただベアボアスープは不味いだけの飲み物で、せいぜい吐き気が起きるだけ。
だが、今回はお酒だ。
お酒に弱い私が、数杯でドワーフを黙らせるお酒を飲んだら、下手したら死んでしまうだろう。
私、冒険者だよ。魔物相手に命を掛けるならまだしも、酒飲み対決で命を掛けるつもりはないよ。
とは言え、やりませんと言える雰囲気はとうに過ぎている。
すでに負け戦なのは分かっているので、形だけでも試合して、潔く負けてしまおう。
フィーリンについては、後日考えればいい。
うん、そうしよう。
覚悟を決めた私は、震える手でショットグラスを掴み、口元へ持っていく。
香しい匂いが鼻に入り、ずっと嗅いていたくなる。
匂いだけは良いので、飲める気がしてきた。
私は様子見で半分ほど、デスフラワーの蜂蜜酒を口の中に入れた。
ドロリとしたヘドロのような蜂蜜酒にも関わらず、すんなりと喉の奥へと流れていく。
あれ? 普通に飲めるぞ。
お酒臭さもなく、喉が焼ける痛みもない。
逆に喉から鼻に掛けて、甘い花の香りが流れ、幸せな気分になる。
これ、なかなか美味しいんじゃないかな? と思い、クイッと残りも飲み干した。
「……ッ!?」
ドクンと体ごと心臓が跳ね上がる。
一気に体温が上昇し、汗が噴き出る。
視界がチカチカと点滅し、目の奥が痛くなる。
頭の中が蒸気に包まれたように意識が混濁する。
薄れゆく意識の中、私はグラグラと体を揺らすと、バタンと机に倒れてしまった。
「ご主人さま!?」「おっさん!?」とエーリカとリディーの声が聞こえるが、舌と喉が焼けるように痺れて、答える事が出来ない。
ドワーフたちから笑い声が聞こえるが、耳の奥がキーンと鳴り出しているので気の所為かもしれない。
ドクン、ドクンと心臓が破裂しそうなほど高鳴り、胸も肺も内臓も痛くなってきた。
ああー、これ、駄目だ……。
意識は混濁し、手足に力が入らない。
全ての五感がおかしくなっている。
誰かが私の背中を擦っている気がするが、気の所為かもしれない。
心臓が破裂するのが先か、意識が途切れるのが先か分からないが、どちらにしろ私はもう駄目だと、薄れる意識の中、諦めの気持ちが広がっていく。
―――― 魔力を循環させてねー ――――
耳鳴りしか聞こえないにも関わらず、聞き慣れた声が頭に響く。
私は、白濁とした意識の中、言われるがまま体中の魔力に意識を向ける。
血液が流れるイメージで魔力を循環させていくと、熱を帯びていた体が冷えていくのを感じた。その後、焼けるように痛い喉と痙攣する胃を重点的に魔力を集めていくと、痛みが和らいでいく。それに比例して、心臓の鼓動と呼吸も落ち着いてきた。
最後に熱で火照った頭に魔力を集めると、蒸気が霧散しかのように意識がはっきりとした。
……良し!
机に倒れていた私は、ガバッと立ち上がる。
「おおっ!」
ドワーフたちから驚きの声が上がった。
「ほう、やるじゃねーか」
「ま、まぁね」
目の前に座っているレギンは感心した様子で私を見る。
「まさに生死を彷徨った感じだな。酷い顔をしている」
何とか正気を取り戻したは良いが、今の私の顔は、涙と鼻水と涎でグズグズになっていた。
ゴシゴシと袖で顔を拭いながら自分の体調を確認する。
心臓の鼓動は正常。目の痛みもない。耳鳴りもしない。手足に力が入る。ただ、舌が痺れて痛いままだ。
「ね、ねぇ、私の口、溶けて破れてない?」
「いつもの凛々しいお口のままです」
エーリカが確認する限り、口元が溶けていないようで安心する。
それにしても、この痺れと苦味に覚えがある。これは魔力の味だ。デスフラワーの魔力と発酵した蜜が混じっているから酷いお酒になっているんだね。……と考察しながら、ガラガラになっている舌を中心に魔力を集めると、徐々に舌の痛みも引いてきた。
うん、私の魔力は便利だね。
体中に魔力を集める事で、蜂蜜酒の魔力をレジストして、なぜかアルコール成分まで消してくれたみたいだ。
『啓示』のありがたい言葉で助かった。
これならドワーフに勝てそうだ。
勝機を見た私は、倒れているショットグラスをみんなに見えるように掲げると、ゆっくりと逆さまにして机に置いた。そして、レギンに向けて、ニヤリと笑う。
「ふん、面白い。だが、まだ一杯だ。ドムドルを越えただけだ。次からが本番だぜ」
若者らしいドムドルが「俺を引き合いに出すな」と情けない声で抗議するのを、周りにいるドワーフがからかいながら馬鹿笑いする。
そんな中、レギンは新しいショットグラスを用意し、デスフラワーの蜂蜜酒を注いだ。
「さぁ、二回戦だ」
レギンはショットグラスを掴み、クイッと一気に飲み干す。
二杯目の蜂蜜酒を口に入れたレギンは、目を瞑ったまま固まる。
しばらく待っていると、ゆっくりと瞳を開けて「くはぁー」と花の香りを口から吐き出す。
「デスフラワーの名に恥じない酒だ。あの世を垣間見えたぜ。美味、美味!」
レギンは「わっはっはっ」と笑いながら空のショットグラスを叩き付けるように机に置く。
その光景に周りのドワーフが歓声を上げ、「レギン! レギン!」と囃し立てる。
超アウェーの中、私は自分のショットグラスを掴む。
攻略法は分かっているので、恐れる事はない。
今から体中に魔力を循環させていく。
「んんー?」
目の前のレギンが目をゴシゴシと擦り、頭を振った。
「レギン、もう酔ったのか?」
「いや、こいつの体が二重に見えてな」
「それを酔ったと言うんだ。……いや老眼かもしれんな」
「俺はまだ三百歳になったばかりだ!」
いかんいかん。
少し魔力を集め過ぎて、体がダブって見える魔術が発動してしまった。イカサマがばれないよう、少しだけ調整しよう。
レギンと周りにいるドワーフが落ち着くのを待ってから私はお酒を喉に流し込んだ。
「……うっ!?」
一杯目の時と同じ、花の香りが鼻腔を流れた瞬間、痛みと苦味が舌と喉を襲う。
口元を押さえて蹲る。
だが、それだけだ。
事前に魔力を循環させていたおかげで、心臓が跳ね上がったり、体温が上昇したりはしない。
おでこを机に乗せて、体調が整うまで待つ。
液体が流れた場所を重点的に魔力を集中させると、荒くなっていた呼吸も落ち着いてきた。
机に突っ伏した状態で大きく深呼吸すると、私はゆっくりと上体を起こす。
「おおー、スゲーぞ、この人間!」
「髪と髭が無いだけで、本当はドワーフなんじゃねーのか!」
「いや、オークという線もあるぞ!」
周りから変な事を言われているが、何とか二杯目を飲み干す事が出来た。
「お前、大丈夫か? 無理していないか?」
心配してくれるレギンに私は黙って空になったショットグラスを逆さまにして机に置いた。
二杯ずつ飲んだ事で、私とレギンの前には空のショットグラスが四つ置かれている。
次は三杯目。レギンの限界数。次で勝負が決まる。
インチキまがいな方法で勝負をしているが、私はまったく気にしない。
だって、命が掛かっているんだもん。
「このままではズルズルと長引きそうだな。貴重な酒が勿体ない。だから……」
そう言うなりレギンは、新しいショットグラスにトクトクとヘドロのような黒い蜂蜜酒を注いでいく。
量は倍。
ツーフィンガー分を注いだレギンは、ゆっくりと私の前にグラスを置く。
若干、量が増えたからって、私にとっては些細な事。口に入れて、レジストすれば問題なし。
気楽に考えている私と違い、レギンは真剣な目でショットグラスを睨んでいる。
酒好きのドワーフなのに、お酒を見る目ではない。
これからドラゴンを退治にするような、または世界に一つしかない鉱石を使って武器を作るような、そんな険しい目つきになっていた。
「さすが、レギン隊長だ! 勝負に出たぜ!」
「馬鹿、さすがのレギンでも三杯目の量じゃないぞ! 本当に死ぬぞ!」
「おい、レギンの家族を連れて来い! 最後の雄姿だ!」
何かヤバそうな事になっている。
量が増えるって事は、それほどヤバイ事なのか?
私が怖気づきながら様子を見ていると、レギンは「うるせー!」と怒鳴り、乱暴にショットグラスを掴むと一気に飲み干した。
レギンの動きが止まる。
髭面でよく分からないが、痛みに耐えているようにギュッと目を瞑っている。浅黒い肌が赤くなり、汗が吹き出し、大きな鼻の先からポタポタと垂れていた。
体もブルブルと震えているし、冗談でなく本当に危ない状態なんじゃなかろうか。
周りのドワーフもレギンの異変に気が付き、心配そうに顔色を窺っている。
「……ぶっはぁぁーー」
カッと目を見開いたレギンの口から煙が吐き出された。
「さすが隊長だぜ! レ、ギ、ン! レ、ギ、ン!」と周りからレギンコールが鳴り響く。
レギンは歓声に答える事が出来ないでいる。
それもその筈、見開いた瞳は充血し、髭だらけの口元は涎を垂らしている。体はユラユラと船を漕いでいた。意識を繋ぎとめるのにやっとという状態である。
酒好きのドワーフがこんな姿になった事で私は怖気づいてしまう。
インチキ技があるとはいえ、この量を飲み干しては駄目な気がする。
後悔先に立たない為に、棄権しようかな?
「は、早く飲め……さっさと飲め……勝負……き、決めろ」
焦点の定まっていない目で睨みながら、覚束ない声でレギンは言う。
決して、棄権など許さないと無言の圧力が掛かる。
私はゴクリと唾を飲み込むと、震える手でショットグラスを掴む。
正直、飲みたくない。だけど、飲まない雰囲気ではない。ああー、どうしよう……。
私が悩んでいると背中に暖かいものが触れた。
左右を見ると、エーリカとリディーが腕を伸ばして私の背中を触っている。
どういう意図で私の背中を触っているのか分からないが、手の温もりを感じて勇気が出てきた。
私は一気にデスフラワーの蜂蜜酒を飲み干す。
そして、後悔した。
喉に流し込んだ瞬間、心臓が跳ね上がり、意識が飛んだ。
その所為で体中を循環させていた魔力が霧散し、レジストする事が出来ず、ドサリと机に倒れた。
しまった。
一気に飲まずに、少しずつ飲むべきだった。
量が倍という事は、レジストする時間も倍になる。
アルコールを無毒にするには、まったく間に合わない。
体温が急激に上昇し、頭、目、鼻、舌、喉、内臓と痛みが走り出す。
口の中に溶岩を流したかのように舌、喉、胃へと焼け爛れ、内臓が痙攣し、嘔吐感が増す。
だが、それも意識が薄まるにつれ、消えていく。
「レギン隊長の勝利だ!」「やはり、ただの人間だったな」と遠くから聞こえる中、「ご主人さま」「おっさん」と心配する声が聞こえる。ただ、意識が消えかかっている私には、誰の声か分からない。
ああ、このまま眠ったら気持ち良いだろうな……と薄れる意識に身を投げ出そうとした時、背中を中心に再度痛みを感じだした。
折角、痛みが無くなって、気持ち良く眠れると思ったのに!
心の中で文句を言った事で、途切れそうになっていた意識が再度繋がった。
背中から暖かいものが流れている。その所為で、痛みすら感じなかった体に痛覚が戻った。
原因は分かっている。
エーリカとリディーが私の背中越しに魔力を送っているのだ。
まったく、ご主人さま扱いが酷い。
最後まで戦えって事なのだろう。
私は、蜘蛛の糸のように細い意識を繋ぎ留めつつ、体中の魔力を循環させていく。
薄れゆく意識が徐々に鮮明になるにつれ、体中の痛みがぶり返す。だが、それもすぐに薄れていく。
そして……。
「……えっ!?」
「嘘だろ……」
私は、スッと何事も無かったかのように起き上がると、「はぁー」と煙の混じった溜め息を吐く。
レギンの勝利に湧いていたドワーフたちが無言になる。
机に倒れているショットグラスを掴むと、私はドワーフたちに見せるようにゆっくりと逆さまにして、コトリと机に置いた。
「大した……人間だぜ……クソ……」
限界を迎えたレギンは、空のショットグラスを散らばらしながら机に倒れる。
こうしてドワーフの酒飲み対決は、私の勝利で幕を閉じたのだった。




