258 迷いの森 その5
魔物の後を追うように森から出てきた二人の男。
身の丈もある大きな剣を持っている男は、髪を短く刈り上げ、剃り込みのような三本の傷が側頭部についている。
一方、身の丈もある大きな斧を持った男は、長い髪をオールバックにして無造作に後ろで縛り付けている。
二人とも私よりも背が高く、筋骨逞しく、体の至る所に傷跡が残っていた。さらに顔立ちが瓜二つの為、阿吽の仁王像に見えた。
上半身裸の男たちは、体中を血で汚しながら逃げる魔物を狩っていく。いや、血の匂いで酔ったような喜々とした表情を見るに、狩りというよりも虐殺を楽しんでいる。完全にサイコパスであった。
血肉で汚れた武器を構えた二人は、ヒヒの魔物やゴブリンには目もくれず、豚と猪の魔物に狙い定め、「逃げるんじゃねー!」「戦えー!」と追い駆ける。
その姿はまさに悪鬼羅刹。恐怖の対象に追いかけられる豚と猪に同情する。
「ブヒー、ブヒー」と必死に逃げている一匹のピッグオーガに追い付いた二人は、左右から大剣と戦斧を振って、太く短い足を一刀のもと切断した。
両足を失ったピッグオーガがドスンと地面に倒れる。それを合図に残りのピッグオーガとボアオーガが立ち止まり、意を決したように武器を構えた。
「ようやく、やる気になったか」
「準備運動は出来てるぜ」
倒れたピッグオーガに大剣と戦斧を突き刺して止めを刺した二人は、楽しそうに魔物の群れに駆け出す。
一匹のピッグオーガが包丁のような幅広の剣を上段に構えると、大剣を持った男に振り下ろした。
力任せの大振りの剣撃を躱す事も無く、男は大剣を横に向けて受け止める。
ガツンと森中に響き渡ると男の足が地面に減り込んだ。
二回りも体が大きいピッグオーガの攻撃。普通ならそのまま膝を折って倒れる状況なのに、男は逆にそのまま力任せに押し返し、ピッグオーガを仰け反らした。そして、すかさず大剣を振って、ふっくらと膨らんだお腹を斬り裂き、内臓を地面に散らす。
「ブピーッ!」と自分の贓物を掻き集めるピッグオーガに対し、男は容赦なく大剣を振り落とし、首を刎ねた。
一方の戦斧の男は、別のピッグオーガに対して、積極的に攻撃を仕掛ける。
右左上段と休みなく繰り出す戦斧をピッグオーガは、剣を盾のように構えて防いでいく。
男の攻撃は、一撃一撃がフルスイングで、フェイントといった小手先の動作は一切ない。ただただ力任せのごり押しである。普通ならすぐに息が上がり力尽きてしまうのに、男は戦斧を振れば振る程、鋭さを増していく。
さすがに疲れたのだろう、男は一歩後ろに下がり、「ふぅー」と息を吐く。そして、戦斧を背後に構えると「うらーっ!」と大きく踏み込んで、戦斧を横薙ぎに振った。
ガツンと鈍い音と共にピッグオーガの剣が叩き折られ、そのままピッグオーガの太く丸いお腹に突き刺さる。
「ピキィー!?」と鳴くピッグオーガを蹴り付けながら戦斧を引き抜き、追い打ちで袈裟切りのように戦斧を叩き付け、肩から脇の下へ切り裂いた。
「よくやった、弟よ」「兄貴もな」と仲良く拳をぶつける二人の男。そんな二人にボアオーガが四足歩行で突進する。
一直線に駆ける猪なら横に避けるのが常だが、二人の男はニヤリと笑うと武器を構えて、ボアオーガに向けて走り出す。そして、ボアオーガとぶつかる瞬間、上段に構えた大剣と戦斧を真正面から叩き付けた。
ぶつかった衝撃で二人の男は、左右へ吹き飛ばされて、地面に叩き付けられる。
ボアオーガもそのまま地面に倒れ、土煙を上げながら転がり、動かなくなった。
大剣は猪の突き出た鼻と顔に減り込み、戦斧は牙を折り肩口に刺さっていた。
こうして、デカ物の魔物はいなくなった。
ピッグオーガ一匹に散々苦労して倒した私たちと違い、二人の男はいとも簡単に倒してしまった。
戦い方はともかく、私たちとはかけ離れた強さを持っている。逆立ちしても勝てないのは、素人目でも明らかだった。
残った魔物……ヒヒとゴブリンは遠巻きに二人の男を眺める。
そんな魔物を見た男たちは、「痛ててぇー」「腹が痛てー」と大声で叫ぶと地面に倒れた。
「えっ、何?」
「分からん」
「今になって疲れが出たんじゃないのか」
物陰に隠れて様子を見ていた私たちが怪訝な顔をしながら二人の男を眺める。
急に地面に倒れ、痛がる二人の男たちを見て、ヒヒとゴブリンは「キキィー」「ギャアギャア」と嬉しそうに男たちの元へ駆け出すと、倒れている二人に飛びつくように襲う。
すると数匹のヒヒとゴブリンにくっ付いた状態で二人の男はすくっと立ち上がった。
「バカなゴブリンにはこれに限り」
「すぐに騙されるんだ。少しは学べよ」
「学ぶ前に死んじまうから無理な話だ」
「一生、バカって事か。それなら仕方が無い」
「わっはっはっ」と笑う二人は、体にしがみ付いたヒヒとゴブリンを掴むと地面に叩き付ける。
ヒヒとゴブリンが石や弓矢で反撃をするが、二人の男は避ける事もせず、ガスガスブスブスと当たっている。だが、まったく痛がる素振りを見せない。
男たちはヒヒとゴブリンを掴んでは地面にぶつけ、掴んでは首をへし折り、掴んではサバ折りにして死体を積み上げていった。
危機を察したヒヒとゴブリンが逃げ出す。
だが、見た目に反して動きの速い二人の男に追いつかれ、一匹、二匹と殺されていった。
独自の生態系を持つ迷いの森。その魔物の巣窟に君臨するのが、この大男二人でなかろうか。そう思えるほど、二人の男は圧倒的に強く、残忍であった。
生き残ったヒヒとゴブリンが森の中へと逃げて行く。
二人の男は、わざわざ追い駆けて殺す事はせず、ゆっくりとボアオーガの死骸に向かい、無造作に大剣と戦斧を引き抜く。そして、肩や首を回しながら私たちが隠れている場所に視線を向けた。
「兄貴、人間の姿に化けた魔物が三匹残っているぞ」
「スライムか何かか? まぁ、殴ってみれば分かるか」
武器を肩に担いだ二人の男がのしのしと近づいてくる。
「ま、待て! 俺たちは人間だ! 早まるな!」
サシャを先頭に物陰から飛び出す。
たぶんだが、二人の男も同じ人間だ。盗賊の類でなければ、話し合いで解決するはずである。
「おーおー、人の言葉まで話したぞ、兄貴」
「たぶん、幻覚を操る魔物だろう。殴れば消える」
まったく、話し合いにならなかった。
「くそ、どっちが魔物だ。言葉が通じない!」
「僕たちでは相手にならない。逃げるぞ!」
私たちは通り抜けてきたトンネルに視線を向ける。
今も燃えているが、だいぶ弱まっている。無理をすれば、通れるか?
「逃がすかよ!」
「俺たちと戦え!」
二人の大男が武器を構えて向かってきた。
「目を瞑って!」
私は凄い速さで迫ってくる二人の男に右手を突き出し、光の弾を撃った。
二人の男は、まったく避ける事もしないので易々と命中。
男たちを中心に目を焼く閃光が広がり、周りに生えている木々がざわざわと動く。
老木の枝がしなしなと垂れるのを見て、「もしかして……」と呟いた。
「くそー、目潰しとは味な真似を!」
武器を落とした二人の男は、両手で目を覆い、「うおー!」とか「くそー!」と叫ぶ。そして、目が見えないまま拳を突き出し、自分の周囲を殴り始めた。
その一発が隣にいた男の顔に当たると、「そこにいるな!」「殴りやがったな!」とお互いに勘違いしながら殴り合いが始まった。
「今の内に逃げるぞ」
「ああ、ゴブリンたちが逃げて行った所を行こう」
「待って、私に考えがある」
ヴェンデルとサシャが駆け出そうとしたのを私は引き留める。
「サシャ、私たちが入ってきた方向はどっち? 大まかでいいから教えて」
怪訝な表情をするサシャは、黙って上空を見て、太陽の位置を確認する。
「たぶん、あっちだ」
サシャが指差した方向は、私たちの背後で老木が隙間なく生えており、人一人も通る事の出来ない場所だった。
そんな場所に私は光の弾を放つ。
密集した木々に光の弾が当たり閃光が迸ると、老木がブルブルと震え、絡まっていた枝や蔦がほどけ、しおしおと力無く垂れ下がった。
「おお、隙間が出来た。良くやった、おっさん」
「これなら最短距離で抜けれるぞ」
「二人とも視力をやられないように付いてきて」
背後で二人の大男が殴り合う音を聞きながら、私たちは再度森の中へ入っていった。
道無き道を進む。
老木に囲まれた草木が生い茂る森の中、森の外を目指して隙間を通っていく。
だが、その足取りは悪い。
サシャが示した方向に真っ直ぐ進みたいが、大木や蜘蛛の巣などで若干の迂回を余儀なくしたり、足場が悪くて駆ける事が出来ず、やきもきしてしまう。
「行き止まりだ」
「たぶん行ける。目を瞑って!」
老木で道を塞がれている場所に光の弾を放つ。
閃光と共に木々が騒めき、枝や蔦が垂れて、隙間が出来る。
こうやって、光の弾で道を作っていく。
たまに閃光を浴びても動かない老木がいる。これは普通の木で迂回しなければいけない。
そうやって、二人の大男に追いつかれる前に私たちは前へ進んだ。
「ぐあっ!?」
背後からサシャの倒れる音がする。
追い付かれたか!? と思い、後ろを振り返るとサシャの体に八十センチ程の黒茶色した軟体生物が覆い被さっていた。
「この森にはヒルもいるのか!?」
ヒルって……私の知っているヒルの大きさと違う!
サシャはヒルの頭? みたいな場所を掴んで体を噛まれないように退かそうとしている。だが、うねうねと伸縮しているヒルを思うように退かす事が出来ず、「助けてくれー!」と泣きそうな声を上げていた。
無理もない。あんな大きなヒルに噛まれたら干からびるまで血を吸われてしまう。それにヒルは血液凝固を妨げる分泌液を含ませて吸うので、噛まれた後に無理矢理剥がしたら、ダラダラと血を流し続ける事だろう。
だから、サシャが噛まれる前にヒルを退かしてあげたいのだが、私は八十センチ程のヒルに近寄る事が出来ないでいた。
だって、気持ち悪いんだもん。
「駄目だ! 僕の剣では怯まない」
ヴェンデルが剣で巨大ヒルをブスブスと刺すが、まったく効果がない。弾力とネチョネチョで輪切りにする事も出来ない。剣に魔力を込めているにも関わらずだ。このヒルは見た目に反して、魔力量は多いのだろう。
「おっさんも助けてくれー! 頼むよー」
もう泣いていると過言ではないサシャが必死に懇願する。
棺桶のような懲罰房で大量の虫と一緒にシェイクされた私だ。あの時に比べれば、まだ、ましだろう。
私は意を決して、レイピアに魔力を注ぎ、バチバチとスパークさせる。そして、ブスリと巨大ヒルを突き刺す。
うひー、気持ち悪い!
レイピアを中心に巨大ヒルの体をスパークが覆う。すると伸縮していた体が丸くなり硬くなっていった。
「おっさん、助けてくれたのは良いが、もっと早くしてくれ」
ドサリと巨大ヒルを横に退けたサシャは、ヌルヌルになった手を地面に擦りながら悪態を吐く。
「えーと……ごめんね」と素直に謝っておく。
「ヒルの群れが迫ってきているぞ!」
立ち止まっている私とサシャにヴェンデルが叫ぶ。
ヴェンデルの言う通り、私たちを囲むように数匹の巨大ヒルがヒャクトリムシのようにお尻を地面につけて、くの字の要領で近づいてきていた。
数匹の巨大ヒルを見て、鳥肌が立つ。
この地帯はヒルの縄張りのようである。
それにしても、小さいヒルなら別の生き物にこっそり忍び寄って血を吸えばばれないのに、こんな大きなヒルならすぐにばれてしまうだろう。そんなんで生きていけるのか?
どうなっているのだ、この森の生態系は?
「おい、ヒルだけじゃない。あいつらも来たぞ!」
背後の森からバキバキと木々を破壊する音が近づいてきていた。
息を飲んだ私たちは急いで森の中を駆け出す。
「追い付いたぞー!」
「戦え、戦え、戦えー!」
立ち塞がる老木を大剣と戦斧で叩き折りながら、血塗れの二人の大男が鬼の形相で追いかけてくる。
私たちに集まってきた巨大ヒルが向きを変えて大男に襲い掛かるが、大剣と戦斧の一刀で吹き飛ばされる。
逃げている私たちの横を吹き飛ばされた巨大ヒルが横切り、バチンと大木にぶつかった。
「逃げるんじゃねー! それでも男かー!」
「正々堂々と戦って、力を示せー!」
一匹の巨大ヒルに噛み付かれながら追い駆ける大剣の男と扇風機の羽のようにブンブンと戦斧を振り回す男。
ベアボアや大量の蟻に追われた時よりも怖い。
言葉は通じても会話が成り立たない。
こいつらは絶対に人の皮を被った鬼だ。
追い付かれたら笑いながら殺されてしまうだろう。
恐怖と殺気に当てられ、足の力が抜けていく。
それでもがむしゃらに森の中を駆ける。
「このままじゃ追い付かれる。おっさん、もう一度、目潰しだ!」
頭の中が真っ白になっていた私は、言われるがままに魔力を集めて、後ろに放った。
「同じ手を二度も食らうかよー!」
左腕に巨大ヒルをくっ付けた大男が大剣を振って、光の弾を斬る。
だが、斬られた瞬間、閃光が走り、二人の男の視力を奪った。
うん、二度目も食らったね。
「ぐわー、またか!」「馬鹿兄貴!」と視力を奪われた二人の男は勢いを落とす事なく走り続ける。そして、私たちを通り過ぎると老木を粉砕しながら森の奥へと行ってしまった。まるで止まる事の出来ない暴走列車である。
「今の内に行くぞ」
サシャが先頭を走り出し、私とヴェンデルも後を追う。
そして、草花が目立ち始めた時……。
「見ろ、光だ!」
木々の隙間から光が漏れだしていた。
だが、嫌がらせのように老木の枝や蔦が絡み合い、光が閉ざされていく。
「おっさん、もう一度……痛てっ!?」
先頭を走っていたサシャが動きを止めて、身を屈める。
サシャの体には、ひっつき虫のような棘のついた実が無数に付いていた。
「気を付けろ。植物が攻撃してきている」
進行方向に生えている草がUの字に折れるとそこから棘の付いた実を鉄砲のように飛ばしてきた。
サシャの衣服が血に染まっているのを見るに、相当、危ない実である。
「僕が先頭を行く。このまま突っ切るぞ!」
十字砲火のように放たれる実の銃弾を盾で防ぎながらヴェンデルが強硬突破する。その後ろを私とサシャが身を沈めながら追う。
完全に棘の実を防ぐ事が出来ず、一番後ろを走るサシャが「痛い、痛い、痛い!」と叫ぶ。
「俺ばっかり怪我をしてないか?」
「あとでマリアンネに治療してもらえ。突っ込むぞ! 光を放て!」
「喰らえ!」
出口を閉じつつある枝や蔦に向けて、光の魔力弾をぶつける。
閃光と共に絡み合う枝や蔦の束にヴェンデルの盾ごと私たちは突っ込んだ。
「うわっ、ビックリした!」
枝の破片を撒き散らしながら地面に転がった私たちの目の前には、驚きの表情のマリアンネが立っていた。その近くに、エーリカ、リディー、クロたちの姿も確認できた。
こうして私たち三人は、無事に森から脱出する事が出来たのである。




