254 迷いの森 その1
太陽が顔を出し、一日が始まる。
簡素な朝食を済ませた私たちは、すぐに出発した。
目指すは、視界に入っている風吹き山に住まうドワーフの村。
街道を逸れ、一直線に風吹き山に向かうが、進めど進めど視界に入る大きさは変わらず、距離が縮まらない。それだけ大きいという事だろう。
急ぎの旅ではないので、のんびりと草木が茂る平原を進むこと昼近く、ようやく鬱蒼とする森の手前まできた。
天高く生える木々の間を誰も中には入らせないと意思表示をするかのように草や枝が絡み合い、非常に薄暗い。
木々の中から鳥や虫、獣の鳴き声に混じって風の音が聞こえる。それが生き物の叫び声に聞こえ、寒気がしてくる。
ここが迷いの森なのだろう。
気味が悪すぎて、絶対に入りたくない場所であった。
「さて、これからどうするかだな」
ヴェンデルを中心に私たちは森を見つめる。
この二日間、立ち寄った町や村で迷いの森の抜け方を聞いてみたが、どこも良い返事は返ってこなかった。
迷いの森近辺の村なら分かるかと思っていたのだが、地図や周辺を見回しても町や村は存在しないので聞くに聞けない。
そこで私たちは、直接、森に入って自力で突破するしかないと覚悟していたのだが、いざ目の前に迷いの森を眺めると尻込みしていた。
「この森、人間が入っていい場所じゃないわ」
「ああ、俺も入りたくない。すぐに逃げ帰る未来しか見えないな」
マリアンネとサシャが肌を擦りながら徐々に後退している。
「そんな事を言っても、この森を通り抜けなければドワーフの村に辿りつけないぞ。このまま何もせずに帰る訳にもいかないし、覚悟を決めて入るしかない」
「リディアねえさん、ドワーフたちが行き来しているので、どこか安全な道があると思います。森に入る前に、まずは森の周りを見て回りませんか?」
弓に手を添えたリディーをエーリカが妥協案で引き留めた。
エーリカの案を採用した私たちは、ゆっくりと森に沿って移動する。
どこもかしこも入口らしい場所は存在せず、獣道すらない。無理矢理、森に入るにしても草木が生い茂っているので、剣で薙ぎ払っていかなければ森の中にすら入れない。それほど密度の濃い森であった。
「これは駄目そうだね。このまま時間が潰れて、もう一泊、野宿するはめになりそう。私、この森の近くで野宿するのは嫌よ」
「近くの村まで戻った方が良くないか? 酒を買いにきたドワーフが来るかもしれん。そこを捕まえて、連れて行ってもらった方が速いんじゃないのか」
「それも考慮に入れつつ、もう少し先まで……いや、待て。向こうから誰か来るぞ」
マリアンネとサシャの言葉を吟味していたヴェンデルが、森の端の方を指差した。
ヴェンデルの言う通り、ベアボアに荷車を牽かせている老夫婦がゆっくりと私たちの方へ向かってくる。
「もしかしたら、ドワーフの事が分かるかもしれない。尋ねてみよう」
私たちは、老夫婦の元へ駆けると声を掛けた。
「すみません。少しお尋ねしたいのですが……」
「はい、何でしょうかね、旅人さん」
代表でヴェンデルが声を掛けると、梅干しのような皺くちゃなお婆さんが荷車の上から穏やかに挨拶を返してくれた。
「この近くに村があるのでしょうか?」
「ええ、ええ、少し離れた場所にあります。まぁ、村と言っても十人ほどしか住んでいない名も無い村ですがね」
耳も良いし、はきはきと答える態度から見た目に反して、元気なお婆さんである。一方、隣に座っているお爺さんは、ボケーと空を見て、視線すら合わせない。
「僕たちはこの先のドワーフの村に行きたいのですが……」
「はいはい、ドワーフさんの村だね。時々、わたしたちの村に来てはフライパンや鍋を直しに来てくれるんですよ。先日も村のお酒を貰う代わりに、全ての家の蝶番を直してくれたんです。親切な方たちですよ」
「そのドワーフなのですが、僕たちは彼らの村に行きたいのです。行き方を知りませんか?」
「ええ、ええ、知っていますよ」
「本当ですか?」
「わたしの若い頃には、村とドワーフさんの村とを行き来して、協力しあっていたのです。わたしも何回か訪れた事があります。ただ、もうわたしの村には年寄りしかいなくなってしまい、今ではドワーフさんの方からたまに来るぐらいですがね」
楽しそうに話をするお婆さんであるが、徐々に話が逸れていく。そんなお婆さんとの会話をヴェンデルは根気良く付き合い、必要な情報を尋ねていった。
「なるほど、それは大変ですね。それでドワーフの村の行き方を教えてくれませんか?」
「ええ、ええ、村の行き方ですね。この先を進むと、森を切り裂いた道があります。そこを通って行けば、たどり着けますよ」
ああ、普通に道があるのね。
「……道を……逸れるな」
今まで無言で空を眺めていたお爺さんが、空を見ながらポツリと呟いた。その言葉を聞いたお婆さんの顔に陰りが現れる。
「旅人さん、道以外の場所に入ってはいけませんよ。決して、森の中に入ってはいけません」
「それほど危険な場所なのですか?」
「この森は生きています。一度、森に入ると外に出さないよう森が囲ってしまうのです」
「魔物とかですか?」
「ええ、ええ、そうとも言います。その所為で、わたしたちの村にいた若い子たちが何人もいなくなってしまったのです。今では老人しかいません」
食糧探しに森に入った若者が帰ってこなかったのだろう。または大人の忠告を聞かず、子供たちが度胸試しに森に入って、帰ってこなかったのかもしれない。
お婆さんの雰囲気からすると、一人や二人の犠牲ではなさそうだ。何と言っても魔物の巣窟と言われているからね。
その後、他愛のない話を聞いてから「では、良い旅を」とお婆さんたちは立ち去っていった。
私たちはお婆さんの言われた通り、ドワーフの村に通じている道を探しながら森に沿って進んでいく。
だが、いくら進んでもそれらしい場所はない。
うーむ、広い森だからもっと先なのだろうか?
不安に思いつつ、しばらく進むと……。
「もしかして、これじゃないか?」
先頭を進んでいたサシャが足を止めて、森の中を指差した。
「道は道だけど、ただの獣道な気がするぞ」
ヴェンデルが言う通り、サシャが見つけた道は草花を押し潰しただけの道と言ってよいのか分からない場所だった。
「婆さんが若い頃の話だろ。今は草木が伸びて、地形が変わったんじゃないのか」
「いやいや、ドワーフたちが行き来しているんだよ。ちゃんとした道がある筈よ」
うん、私もマリアンネの意見に賛成だ。
「まぁ、待て。もしかしてって事もある。少し様子を見てくる」
諦めの悪いサシャが馬から下りると、私とヴェンデルの顔を見て「付いて来てくれ」と言った。
男性グループ、女性グループに分かれる事が多くなった所為で、私まで確認要員に選ばれてしまった。
仕方なくクロから下りた私は、リディーと一緒に乗っているエーリカにクロを預ける。
エーリカはいつも通りの眠そうな顔をしているが、私を見る目が心配そうに感じたので、「ちょっと森に入るだけだから」と安心させた。
サシャ、ヴェンデル、私の順に森に入る。
人一人分がようやく通れる獣道。
左右には草や蔦が伸びていて、素肌を露わにしている腕が擦れて痒くなる。
葉っぱの裏にいる毛虫に注意しながら黙々とヴェンデルの後に付いていくと、その足どりはすぐに止まった。
「あー、すまん。俺の勘違いだ。ここは道じゃない」
ヴェンデルの前にいるサシャが振り返るなり、申し訳なさそうに謝罪を述べる。
サシャの先にあった獣道は草木に覆われていて、道が途絶えていた。
やっぱりね。
まぁ、数十メートルぐらいしか進んでいないので、このまま戻ってもロスは少ない。笑って済ませる程度だ。
「マリアンネたちが心配しているし、すぐに戻……えっ?」
振り返ったヴェンデルが私の背後を見て、言葉を詰まらせる。
サシャも「あれ?」と首を傾げた。
「道が無くなっていないか?」
「ああ、一本道だったよな。間違えるはずがない」
両目をパチクリしているヴェンデルたちに倣い、私も振り返ると……。
先程まであった獣道が草木に覆われていた。
草花を押し潰しただけの道。人一人がやっと通れるほどの獣道だったが、今では元気良く草花が生い茂っていて、道らしき道がなくなっていた。
何者かに化かされた気分で嫌な汗が流れる。
ここはおかしい。
立ち止まっていては危険だ、とあるのかどうか分からない第六感が告げる。
「方向は分かっている。草を刈って、元の場所に戻るぞ!」
焦りの表情に変わったヴェンデルが、盾を持ちながらショートソードを構える。
その瞬間、私の片足に何かが触れて、凄い力で引っ張られた。
片足がグイグイと引っ張られ、倒れそうになるのを堪える。
「なになになにっ!? 怖い怖い怖い、助けて!」
現状を理解できない私は前方にいるヴェンデルにしがみ付く。
「蔦だ!」
私の状況を見たサシャが腰に差してあるナイフを引き抜くと、私の足元に投げる。
トスッとナイフが地面に刺さると足に絡みついていた力が無くなった。
足首を見ると緑色の蔦が絡みついていた。
ナイフで切られた本体の蔦は、ズルズルと草花の茂みへと引っ込んでいく。
「ひぃー」と情けない声を出しながら、私は足をブンブンと振って、絡まっていた蔦を落とす。その蔦も未だにウネウネと動いている。
「ここは危険だ。早く、戻るぞ!」
ヴェンデルは叫ぶなり、元来た方向の草花をショートソードで刈りだす。
ヴェンデルが道を作り、その後ろを私、サシャの順で後を追う。
「しまった! 捕まった!」
後ろにいるサシャから声がした。
振り向くとサシャの腕に茶色の枝が絡まっている。
「くそっ、くそっ!」とナイフで枝を斬るが、グニッとしなるだけで上手く斬れない。
「私がやる」
私は腰に差しているレイピアを引き抜くとすぐに魔力を流す。そして、すぐにサシャの腕に絡まった枝をスパスパと斬った。
「すまん、助かった」
「いや、まだよ」
草花の茂みからズルズルと緑色の蔦がミミズのように這ってきていた。
私とサシャは足元に迫る蔦を踏み付け、レイピアとナイフで斬っていく。
「ヴェンデル、早く、行け! このままじゃ捕まってしまう!」
「分かっている! だが、少し待て! 枝が邪魔で上手く斬れないんだ!」
私たちを通さないと言わんばかりに木々の間を枝が絡み合い通せんぼをしていた。そんな枝をヴェンデルが剣を振り下ろして叩き斬るが上手くいっていない。
「私がやってみるわ」
サシャのナイフで上手く斬れなかった枝だが、私のレイピアを使ったら何の抵抗もなく斬れた。
私はレイピアに魔力を流し、刀身にスパークを生み出す。
ヴェンデルが体を逸らすと同時に私は枝の塊に向けてレイピアを振った。
「『光刃』!」
レイピアの刀身から飛び出した光の刃は、木々の間に絡みついた枝を難なく切り裂いた。
斬られた枝は、ズルズルと茂みへと引っ込んでいき、木々の間に道が開いていく。
「おっさん、良くやったぜ」
「サシャも助けてくれてありがとう」
「お前たち、話は後だ。蔦だけでなく、枝まで伸びてきた」
茂みから茶色の枝が、地面からは緑色の蔦が私たちを取り囲み始める。
枝や蔦に触れないよう私たちは急いで木々の間を通り抜けた。
「……えっ?」
私たちは立ち止まる。
景色が一変した。
先程までは太陽の下で草花に囲まれていた。
それが今は大木が生い茂り、枝や葉っぱによって太陽の光が遮られた薄暗い場所に出てしまった。
「後ろを見ろ。道が無くなっちまった」
震える声でサシャが後ろを見つめる。
先程までいた草花は消え、どこまでも続いていそうな樹海が広がっていた。
「お婆さんが言った事は例えでも何でもなかったんだな。この森は生きている」
ヴェンデルの言葉に私たちは頷いた。
入ってきた方向へ戻ったにも関わらず、まったく別の場所へ出てしまった。
一歩入ったら迷子になる。『迷いの森』の名は伊達ではなかった。
森の奥から鳥の鳴き声や草木の擦れる音に混じって、獣の鳴き声が聞こえてくる。
ただ迷子になるだけではなく、この森は魔物の巣窟でもある。
私たちは無事に脱出できるのだろうか?




