251 説得
ドワーフの村には、エーリカとリディーの姉であるフィーリンがいる。
エーリカたちは、姉の所在が分かっただけで満足しており、直接会いに行ったり、連れ戻したりする気はない。
一方の私と『啓示』は違う。
奴隷商でエーリカと、教会でティアと、炭鉱の町でリディーに出会った。
どれも『啓示』の指示に従った結果だ。
今回も南アルトナに行くように指示があり、さらにドワーフの村に行けと追加の指示が出た。
ヴェクトーリア製魔術人形の六人姉妹の内、三人が私の元へ集まっている。
その内の一人が近くにいるのだ。
今回も仲間になったり、魔術契約をするかは分からないが、会うだけ会った方が良いと思う。
それ以上に所在がバラバラになっている姉妹だ。フォーリンもエーリカやリディー、ティアの安否を知りたいだろう。ありがた迷惑かもしれないが、家族は集まっていた方が良いに決まっている。
本当の家族と疎遠の私が言うなって話だけどね。
エーリカとリディーを説得するのは容易だ。
私の側を離れないエーリカは、私がドワーフの村に行くと言えば、一緒に来てくれる。エーリカが行けば、必然的にリディーもついてくるだろう。
問題は、クロージク男爵だ。
ドワーフの村はどこかの高い山にあると以前聞いた。その山がどこにあるのか分からないが、周りに高い山が無い事から日帰りで帰ってこられる場所でないのは分かる。つまり、数日は確実に掛かるだろう。
小麦を使った料理を提供する依頼の最中である。私が数日間、留守にする事をクロージク男爵は許してくれるだろうか。
もうレシピがないと言って依頼を終わらせるか? それとも正直にエーリカたちの姉を探してくると伝えるべきか?
他の貴族と違い、平民相手でもしっかりと対応してくれるクロージク男爵なので、適当に話しても許可を出してくれる気はする。だが、食に関する依頼中なので、駄目と言う可能性もある。
さて、どうするかな?
「ご主人さま、どうなさいました?」
地面を見ながらゆっくりと歩いている私をエーリカとリディーが立ち止まって待っていてくれた。
私はエーリカたちに素直に自分の考えを伝える。
『啓示』の指示があった事、私自身フィーリンに会うべきだと思っている事、エーリカたちも同行して欲しい事を伝えた。
「おいおい、フィーリンに会うのは別に良いけど、場所がドワーフの村なのを忘れていないか? あいつらは、まずは酒だ! と言ってから浴びるように酒を飲んでから話を始める連中だ。エーリカは耐性があるから問題ないが、僕とおっさんではすぐに潰されるぞ。あいつら、酒を飲めない奴を信用しないんだ。まともに歓迎されない」
予想通り、リディーは難色を示した。
「別にドワーフの村へ観光に行くのが目的じゃないよ。リディーたちの姉に会いに行くだけ」
「会ってどうする? もしかして、僕たちみたいにフィーリンも契約して、主従関係にしたいのか? 汚らわしい」
「いや、別に契約するつもりはないよ。……って、魔術契約って汚らわしい行為なの?」
「違います。とても素晴らしい行為です。ご主人さまの愛を感じます」
エーリカから変な感想が出るが、無視する事にする。
「ただ単純に離れ離れになっている姉妹が集まれば良いと思っている。別に喧嘩別れをした訳じゃないんだし、お互いの無事の姿を見せた方が良いよ」
リディーとフィーリンは、行き別れてから一年近くが経過している。エーリカに至っては百年だ。やはり会うべきだろう。
「会った後、一緒に暮らそうとか、契約しようとは思っていないよ」
「まぁ、別に会うだけなら僕も良いんだけど……ドワーフどもがフィーリンの事を姫とか言っていたぞ。絶対に変な事になっている。面倒事に巻き込まれるぞ」
ドワーフたちが、フィーリンを嫁にしたいとか、村に定住させたいとか、言っていたのを思い出す。
結婚するしないはフィーリンの自由だ。サウンド・オブ・サイレンスが流れる中、嫁さん候補を掻っ攫いに行く訳ではないので問題はないだろう。
ドワーフの村に行く目的は、フィーリンに会う事だ。話をして、そのまま帰ってこればいい。『啓示』の目的は知らないが、私の目的はあくまでも姉妹の再会である。
私の考えを二人に聞かせると、エーリカの方を向いた。
「エーリカはどう?」
「ご主人さまが行くなら一緒に行きます」
予想通りの答えが返ってきた。
その後、リディーも「ううぅ……エーリカが行くなら……僕も……行く」と渋々同行が決まる。
何か卑怯な方法でお願いした気分である。
後はクロージク男爵の説得だ。
正面玄関から館の中に入ると、メイド長である初老の女性がタイミング良くいた。
私はメイド長にクロージク男爵に面会したいとお願いすると、「確認してきます」と先程のドワーフとは打って変わった対応をしてくれる。
これもひとえに、新しい料理を出す度にハンネたちと共に呼ばれては、「これはどうやって作った?」、「何を入れたらこうなった?」と興味津々で聞いてくるのが理由だろう。
しばらくすると、メイド長が戻ってきて「お会い出来ます」と執務室まで連れて行ってくれた。
クロージク男爵の執務室は一階にある。すでに行き慣れている場所だ。なお、館の二階は住居スペースに成っているので立ち入った事はない。
メイド長がドアをノックし入室の許可を得ると私たちは部屋の中へ入った。
執務机で書類仕事をしていたクロージク男爵は、木札や羊皮紙に囲まれていた。ただ、書類の隙間に山のようにクッキーを乗せられた皿とお茶の入ったカップが置かれているあたり、食堂楽男爵らしい事務机である。
「この館に来て数日が経った。何か困っている事はないかね」
「おかげさまで、特に困っている事はありません」
男爵と同じ料理が食べたいとか、お風呂に入りたいとか、早く帰りたいとか、言いたい事は沢山あるのだが、貴族相手に馬鹿正直に言える程、私のメンタルは図太くない。
「君の料理はいつも驚きの連続だ。おかげで料理の扉が開きっぱなしだよ。マローニ料理なんか、以前食べた本場の味などすでに上書きされてしまっている。このまま市場に広め、主食のパンと同等に食べられるように計画を練っている最中だ。ますます麦の生産を増やさなければいけないな」
「わっはっはっ」と豪快に笑いながら、ポイポイとクッキーを口にいれる男爵。楽しそうで何よりです。
「料理で何か不憫な事はないかな? 食材は足りているかな? 必要な物があったら言うが良い。何とか手配してみよう」
平民相手とは思えない対応でありがたい。だが、その分プレッシャーが掛かって辛い。
「不憫や必要な物は特にないのですが、一つお願いしたい事がありまして」
「うむ、申してみろ」
楽しそうに口髭を撫ぜているクロージク男爵であるが、その瞳は注意深く私の顔色を窺っている。
ここですぐに「数日間、出掛けてきます」と言うと怪訝されそうなので、男爵の興味を引く天然酵母の話をしてから留守にする旨を伝えよう。
「本日、ふわふわのパンを作る準備を始めました」
「ふわふわのパン? 柔らかいパンという意味かね? そんな事が可能なのかね?」
クロージク男爵もパンは硬い物という認識である。だから、ふわふわの柔らかいパンというのを想像できないでいた。
「ええ、可能です。私の国では柔らかいパンが主流でした。そのまま食べても美味しいですし、食材を挟んでも美味しいです。何より顎が疲れません」
「ほう、それが本当なら素晴らしい! ぜひ、私も食べてみたいぞ!」
クロージク男爵が食らい付いた。
「だが、どうやれば、あのパンを柔らかく出来るのだ? 水を多く含ませたりするのか?」
「いえ、酵母菌という生き物の力を使います」
「こうぼ? 生き物? ……分からん」
理解できないのも無理はない。私だってさっぱり分からない。
酵母とは微生物で、麦に含まれる糖を食べる事でアルコールと炭酸ガスを発する。その力でパンを膨らませるらしい。などと説明した所でますます分からないだろう。私も良く知らないので下手な事は言えない。
「えーと……エールやチーズを作る方法に似ています。そもそも私の知っているパン屋では、エールを混ぜてパンを作っています。そこのパンは柔らかいのですが、それ以上に柔らかいパンを作るつもりです」
「うむうむ、なるほど……それで、それは今日にでも出来るのかね?」
期待に満ちた顔をするクロージク男爵には申し訳ないが、「出来ない」と私は残念そうに首を振った。
「いえ、数日は掛かります。それも初めて作りますので、失敗で終わる可能性もあります」
「そうか……ぜひ完成して欲しいものだ」
本当、今後の私の顎の為にも完成したいね。
「そこでお願いがあります。天然酵母……パンを柔らかくする材料はハンネたちに教えて、実験をしてもらうつもりです。その間、私たちはドワーフの村に行きたいと思います」
「ドワーフの村だと?」
本題を切り出すと、クロージク男爵の丸い顔の眉間に皺がよる。
「報告は聞いている。先程も我が館にドワーフが来たらしいな。そのドワーフたちの村に行くと言うのか? 何の為に?」
「どうもエーリカとリディーの姉が、そのドワーフの村に居る可能性があります。長い間、行き別れて会っていないので、再開したいと思っています」
その姉が村の中で姫様と呼ばれ、周辺の町や村からお酒を買い漁っている原因とは言わないでおこう。
「そうか……姉か……」とクロージク男爵は、私の背後に控えているエーリカとリディーを順に見ると、机に視線を逸らし、口髭をいじりながら考え込んでしまった。
「正直言いますと、小麦を使った料理も限界にきています。せいぜい、あと二つか三つが限界です」
「それは残念だ。私の家族が毎日楽しみにしているのだよ。無論、私もね。毎日、食べるのに必死で、まともに会話できないぐらいだ」
「わっはっはっ」とクロージク男爵が楽しそうに笑うと、クッキーをポイポイと口に放り込んでいく。料理の依頼と称して、クロージク男爵を肥満に追い込んでいる気がする。早死にしたら、私を責めないでくれ。
「クロージク男爵は、パンとエールだけでは勿体ないと言いましたが、パンを柔らかくする材料が完成すれば、今までにないパンを沢山作れます。惣菜パン、菓子パン、サンドイッチ、ハンバーガー、揚げパン、蒸しパン、ミルクパン、チーズパン、ベーグル、フォカッチャ、フレンチトーストなどなどです」
「聞いた事もないパンだが、それらは全てパンなのか!? 小麦粉を混ぜて焼くだけではないのか!?」
「ええ、パンだけでも無限の可能性があります。ただ、このままでは駄目です。パンを柔らかくする酵母がなければ、どれも難しいでしょう」
「うーむ……」
「ただ、酵母を作るだけなら私がいなくても出来ます。そもそも私自身、作った事がないので、完成するまで私が居ても居なくても変わりありません。だから、その間、出掛けたいと思っています。よろしいですか?」
「パンだけでも無限の扉があるとは……」
「えーと……男爵さま?」
ブツブツと独り言に没頭するクロージク男爵を覗き込む。
「ああ、そう言う事なら仕方ない。私にも遠く離れた場所に親と兄弟がいる。離れ離れの家族を思う気持ちは分かる。ぜひ、会ってきなさい」
簡単に許可が下りた。話の分かる貴族で本当に助かる。やったね。
「ついでと言う訳ではないが、君たちには依頼として送り出そう」
「い、依頼ですか?」
何でそこで依頼の話がでるの?
私が首を傾げるとクロージク男爵は説明してくれた。
「知っていると思うが、ドワーフたちが周辺の町や村で酒を買っている。通常の売買なら問題はないのだが、あまりにも量を買うので平民たちの生活に支障が出てしまっている。そこで、私は視察の時にドワーフに酒類の売買の禁止を言い渡してきた」
「ええ、それは聞き及んでいます」
細かく言うと、盗み聞きしたのだが……。
「ただ、ドワーフも私が管理している住民だ。あまり無碍な事はしたくない。何が原因で買い漁っているのか知りたいのだが、口が悪く常に酔っぱらっている連中だ。何を言っているのか、さっぱり分からん。だから、現地に行き、事情を聞き、問題を解決できればと思っていた所だ」
「そこで私たちの出番と言う事ですか?」
「そういう事だ。姉妹に会うついでに様子を見て来てくれ」
様子を見るだけなら良いのだが、どうもフィーリンとドワーフの間に何か面倒臭い事になっている。そこを解決しない限り、穏便に済むだろうか?
「ゼルマ、地図を」
クロージク男爵が指示を出すと、扉の横で待機していたメイド長が書棚から一枚の羊皮紙を取り出し、クロージク男爵に渡した。
クロージク男爵は、山積みの机の上に羊皮紙を広げ、「こっちへ」と近づくように言う。
「現在はここだ。南東に馬車で四日ほど行った場所に風吹き山がある。その麓にドワーフの村がある」
馬車で四日という事は、クロたちに乗れば二日も掛からずに辿り付けるだろう。私のお尻が無事ならの話だ。
「ただ、問題が一つある」
「問題ですか?」
「風吹き山の裾野に『迷いの森』と呼ばれる樹海が広がっている。そこは魔物の巣窟になっている。そこを通り抜けなければ村に辿りつけない」
うへー、魔物の巣窟って……絶対、入ってはいけない場所だよね。冒険者だけど、わざわざ危険を冒してまで行きたくない。
「冒険者の君たちなら魔物など造作もないだろうが、さすがに三人では心配だな」
心配してくれるのはありがたいのだが、食堂楽男爵の事だ、私に何かあったら料理のレシピが手に入らないと思っていそうで純粋に喜べない。
「私の私兵を貸す事は出来ないし……うーむ、どうするか……」
クロージク男爵は、勝手に依頼し、勝手に説明し、勝手に悩み出す。私たちは一言も依頼を受けるとは言っていない。勝手に話が進んでいく。
「良し、彼らに同行してもらうか」
自分の中に解決策を出したクロ―ジク男爵は、「まだ青銅等級冒険者の三人はいるだろ」と言う。
私が「はい」と答えると、ヴェンデルたちの同意を取り付ける事もなく三人の同行が決まった。
「出発は明日にしなさい。準備も兼ねて、今日中に二つ三つある残りの料理をアルバンたちに教えておいてくれ」
これから別の料理を教えるの!? 出発準備とは一体……。
こうして、クロージク男爵との話は終わった。
エーリカとリディーの姉であるフィーリンに会う為に外出の許可を取ったら、なぜか別の依頼が付いてきてしまった。
結果はどうあれ、ついでに出来そうな依頼なので、そこは気にしないでおこう。
ただ青銅等級冒険者の三人は困るだろう。
今現在も近くの町で依頼を受けている。帰ってくるのは夕方だ。その後で、明日から数日掛けてドワーフの村へ行く事を聞くのだ。慌ただしい事、間違いなし。
まぁ、貴族の依頼だから依頼料は期待して良いだろう。それだけが救いである。
こうして私たちは、明日の朝にはクロージク男爵の館を離れ、ドワーフの村に向けて、出発するのであった。




