245 男爵を追い駆けろ ~寄り道~
今年の投稿は最後になります。
来年、また宜しくお願いします。
少し早いですが、皆さま、良いお年をお迎えください。
さ、寒い……。
そう思い、目を開けると太陽は昇り始め、真っ暗だった景色に明るさが射し込んでいた。
疲労からか、または寒さからか分からないが、気絶したように眠っていたようだ。
すぐ近くでクロたちの鳴き声が聞こえる。たぶん「腹減った」と言っているのだろう。
起き上がろうと上体に力を入れるが……起き上がれない。
それもその筈、私の胸板の上にエーリカが気持ち良さそうに寝ていた。それだけでなく、リディーも私の腕にしがみ付いて寝ているのだ。
エーリカはいつもの事だが、リディーは珍しい。あまりにも寒かったのだろう。……いや、たぶんだがエーリカを抱き締めていると勘違いしている可能性が高い。
私はリディーから腕を外すと、胸の上で寝ているエーリカをリディーの横へ落とす。すると、すぐにリディーは幸せそうにエーリカを抱き締めて眠り続けた。
「うー、さむさむ……」
起き上がった私は、消えかかっている焚き火に枝や木片を放り込んで火を起こす。
徐々に火が燃え広がるにつれて人心地ついてくる。
焚き火があるとはいえ、シーツ一枚で寝ていい気温ではない。
この世界にはテントや寝袋といった物は存在しないのだろうか?
下手をしたら死人が出るぞ。まったく、野宿も命懸けである。
「ティア、いる?」
ティアの名を呼びかけてみたが返事はなかった。すでに消えているようだ。
私はクロたちの方に向かうと、地面に新しい飼葉が置かれ、食べた痕がある。どうやらティアは、クロたちの為に餌の飼葉を置いてから消えたようだ。面倒見の良い事である。
そうなるとクロたちの鳴き声は「腹減った」ではなく、「おはよう」か、または「早く行こう」なのかもしれない。
「お前たちは朝から元気だ……って痛い、痛い、痛い! 噛まないで!」
挨拶のつもりか、クロとシロの体に触ろうと近づいたら、逆に私の頭をガシガシッと甘噛みしてきた。
「私の頭は餌じゃないから! リンゴを上げるから、お願いだから離してー! エーリカ、起きて! エーリカ、エーリカ!」
リディーに抱かれたままのエーリカは、「あと、五分……」とムニャムニャして起きる気配がない。
何とかクロたちの甘噛みから脱出した私は、川の水でベトベトの頭と顔を洗い、「寒いー!」と叫びながら焚き火に戻る。
しばらく火に当たっているとエーリカとリディーが起きだした。
エーリカから食材を出してもらい、簡単な朝食を作る。
水を入れた鍋に野菜屑と謎の鳥肉を入れ、塩胡椒で味付けしたスープ。あとは軽く炙ったパンとリンゴだ。
手抜き料理だが、エーリカとリディーから文句はでなかった。まだ眠っているのだろう。
朝食を済ませた私たちは、クロージク男爵と合流する為に出発する。
昨日と違い、私とエーリカはシロに、リディーはクロに乗っている。
まず目指すのは、昨日行こうとした宿場町である。休憩も兼ねて、男爵の情報が入ればと思っている。
「慌ただしくて聞けなかったけど……」
そう前置きしたリディーは、クロの速度を落とし、私たちと並行するように移動した。
「おっさんは、どうして命を狙われているんだ?」
「さぁ」
「さぁって……僕の知る限り、二回も襲われたんだぞ。ルウェン炭鉱でトカゲをけしかけられ、昨日の山ではゴブリンの大群に襲われたんだ。トカゲの話を聞く限り、おっさんの命が目的だろう。それもここまで追いかけてくる程だ。何か思い当たる事はないのか?」
私がこの世界に来てから、まだ数ヶ月しか経っていないのだ。魔物や人に恨まれる節はない。
今まで魔物を何体か倒してはいるが、他の冒険者に比べれば、大した数ではない。だから、魔物の線は薄いだろう。
また人と戦ったのも、私の財布を盗んだ冒険者崩れの盗人とブラッカス一味だけだ。盗人に関しては分からないが、ブラッカスたちはルウェン炭鉱で再会している。
もし私の知らない所で私を殺したいぐらい恨んでいるとして、わざわざ魔物を使って襲わせるような面倒な事をするだろうか?
謎の女性の行動が、さっぱり分からない。
「後輩に聞いたのですが、ワイバーンに襲われた際、謎の人物がいたそうです」
私の前に座っているエーリカが首を回して私の顔を見上げた。
ああ、そんな事があったね。
正直、あの時の事はあまり覚えていない。ブラック・クーガーとの戦闘で精も根も尽き果てていたし、死に掛けてたので、その時の記憶は曖昧だった。
「ワイバーンに襲われたって!? それ、聞きたい!」
私が酷い目に遭った話なのに、なんでそんなにわくわくした表情で聞きたがるかな?
私の心情など知らないリディーは、少年のような表情をしながらエーリカから当時の話を聞いている。
そして、ワイバーンの炎で全身大火傷を負い、生死の境を彷徨ったと聞くと、「どうして生きているんだ?」と不思議そうな表情へと変化した。
うん、どうして生きているんだろうね。私自身、不思議だ。
「その謎の人物もご主人さまを狙いました。ご主人さまの命を狙うのは、昨日の女性だけではありません」
「何人もいるって事か? 本当に心当たりはないのか、おっさん?」
正直、あると言えばある。
人に恨みを買っていないとなれば、私個人の特殊性だけだろう。
私はこの異世界に強制的に転移された異世界人だ。それも聖女として呼び出された。
そんな特殊な存在の私を目障りに思っているのかもしれない。または秘密裡に行われた儀式の為、口封じに来ているのかもしれない。
どれもありそうで怖い。
さらに相手の事がまったく分からないので、さらに怖い。
勝手に異世界転移され、さらに命まで狙われるのだ。
いい迷惑である。異世界、怖すぎ。
改めて私の事情を説明したら、リディーが「おっさんが聖女ぉー?」と変な顔をされてしまった。強制転移については話した記憶があるが、私が聖女として召喚されたという事をリディーに話していなかったみたいである。
「聖女を呼び出す筈が、何の因果か、間違って私を召喚しちゃったみたいだよ。詳しくは知らないけど……。だから、私自身が聖女って事じゃないからね」
ハゲで筋肉で加齢臭のするおっさんが聖女な訳がない。私はただの女子高生だし、今は性別すら違う。
こんな私が、もし仮に聖女として迎えられていたら、女神信者はこぞって脱退してしまうだろう。
「何はともあれ、これからも気を付けなければいけないな」
「ご主人さまはわたしが守りますので、安心していてください」
謎の人物に狙われていて、いつ襲われるか分からないというのに、エーリカとリディーは私に付いていてくれるらしい。
申し訳ない反面、嬉しさが上回る。
そんな二人に「ありがとう」と伝えた。
代わり映えのない街道を駆け足で進む事しばし、目的地の宿場町へ辿り着いた。
街道の休憩場所として作られた町というだけあり、小規模ながら宿屋、商店、茶屋が並んでいる。
私たちは、町に入るなり、近くにいた町人を捕まえた。
「ああ、男爵様なら二日前に寄ってくれたぜ。あの方は、毎回、そこの料理屋によって食事をしていくんだ。あんたらも寄ってみると良い。女主人が綺麗なんだ」
私とクロたちを休ませる為に、町人に紹介された料理屋に入った。
「パウル・クロージク様は常連だよ。近くに来たら必ず私の店に寄って食事をしてくれるんだ。ただ、二日前に来た時は酒が出せなくて、残念がっていたよ。麦を取り寄せているんだが未だに届かず、その所為でエールも作れない。それで良いならあんたらも食べていかないか? 時間的に大したものは出せないが、名物のカニなら出せるよ」
「カニ料理!?」と興味を引かれた私たちは、男爵の事を横に置いて注文をした。
ちなみにお店を切り盛りする女主人は……こういう言い方は非常にまずいのだが……昨日、吊り橋から落とした豚の魔物に似ていた。人の美的感覚は十人十色である。
しばらくすると、女主人からカニ料理が運ばれてきた。
親指サイズのカニを塩茹でしただけの料理。宿場町の近くにある渓流で捕まえるそうで、とても新鮮との事。
塩茹でしたカニはそのまま殻ごとバリバリと食べる。
絶妙な塩加減で美味しいのだが、爪や殻が口の中に刺さり、痛くて食べ難い。それなのにエーリカとリディーは、気にせずバリバリモグモグとスナック菓子のように食べていた。どういう口をしているのやら。
茹でるのでなく、油で揚げてくれればなと思いつつ、お酒の肴のような料理を堪能したのであった。
幾つかの集落を通り過ぎた私たちは、ほんの少しばかり大きい村に辿り着いた。
十棟ほどの家族が住んでおり、牛とヤギを育てながら暮らしている長閑な村である。
ここでも小休憩がてら男爵の足取りを聞いてみた。
「ええ、ええ、クロージク男爵様は二日前にいらっしゃいました。時間が時間なので、村で一晩泊まっていきましたよ」
人の良い村長が楽しそうに語ってくれる。
「訳あって酒が出せない状況でしたが、我が村のチーズをお出しした所、絶賛していただき、満足そうに一泊していきました。帰る際、村のチーズを気にいった男爵様は、何個か買っていかれました。身分に関係なく、本当に人の良い貴族様でしたよ」
貴族が村に一泊しただけでなく、自慢のチーズを気にいってくれた事が嬉しく、村長の表情は終始、笑顔が絶えないでいた。
絶賛チーズと聞いたエーリカが、私の裾をクイクイと引いて期待に満ちた目を向けてきたので、私たちもそのチーズ料理を頂く事にする。
この村には、牛の乳とヤギの乳で作ったチーズが二種類ある。やはり、ここは牛の乳で作ったチーズを頂く。私の食事に冒険心はないのである。
肝心の料理は、チーズフォンデュだった。
ただ白ワインがないらしく、代用で牛乳でチーズを薄めたものが出てきた。
小さな鍋にグツグツと柔らかくなったチーズに、一度茹でた野菜を絡めて食べた。
男爵が絶賛した通り、とても美味しかった。野菜はくたびれていたが、チーズは濃厚で癖がない。チーズだけでもズルズルと啜りたくなった。……火傷するからしないけどね。
特にリディーが気に入ってしまい、黙々と食べ続けていた。
「お貴族様だけでなく、エルフの方にも気に入ってくれるとは……自慢のチーズです」
熱々のチーズを食べて体が暑くなったリディーは途中でフードを外し、素顔のまま料理を楽しんでいた。どうも人見知りよりも食欲が勝ったみたいである。
そして、男爵と同じようにチーズの塊を買っていった。
今進んでいる街道が男爵一行も進んでいる事が分かったので、私たちは速度を上げて進んだ。
その間、要所要所の村や町があれば立ち寄り、男爵の情報を拾う。案の定、男爵一行は頻繁に村や町を訪れては、料理屋で食事をしたり、お店によって食材を物色していた。
さすが食道楽男爵である。
この調子では、執事のトーマスが予想した合流地点よりも速く出会えそうであった。
太陽が傾き始めた頃、教会を中心とした小さな村に辿り着く。
教会に入ると、お酒の匂いが充満していて咽そうになった。
「申し訳ありません。只今、エール作りをしておりまして、村人総出で作業をしているのです」
私たちの存在に気が付いた若い神官が、ワイワイと楽しそうに作業をしている村人に視線を向けた。
「そう言えば、他の村や町でもお酒が無くなっていると言っていました。ここでもそうなんですか?」
「はい、つい先日、在庫を切らしてしまい、近くの農村から急いで麦を取り寄せ、新しく作っている最中なんです。そういう事で、飲み物は水ぐらいしかありません」
申し訳なさそうにする神官だが、お酒を飲まない私はまったく気にしない。
ただ、私と違いこの世界の住人は、水の代わりにエールをガバガバと飲んでいるので、在庫がなくなるのは死活問題のようである。
ちなみにエールは、発酵で殺菌されているので、井戸水や湧水を飲むよりも安全である。原料が麦なので栄養もある。さらにエールは、焼いたパンを砕き、水に浸かせ、発酵させれば作れるので、個人の家庭で作ったり、主な場所でまとめて作ったりしている。
水よりも安全で、栄養もあり、簡単に作れる事からエールは、水やお茶のように飲まれているのだ。
そんな賑やかな様子を見ながら私は、男爵の情報を聞いてみた。
「昨日の夜に泊まっていきました。もう少し遅くに来たら、出来立てのエールが飲めたのにと残念がっていましたよ」
ダムルブールの教会は分からないが、村や町にある教会では宿泊が可能で、食事まで出してくれる。料金も取られない事から旅人などからは無料宿泊場所として重宝されている。
ただ、無料とはいえ献金箱が設置されているので、各々の判断でお金を置いていくそうだ。無論、貴族であるクロージク男爵は、一泊の感謝にそれなりの寄付をした事だろう。
「少し騒がしいですが、お泊りになりますか?」
太陽も沈み始めていた事で、若い神官は私たちの宿泊を進言した。
昨日の夜、クロージク男爵がこの教会に泊まったという事は、今日の朝に出発したという事である。寄り道ばかりしている男爵だ。今すぐに追い駆ければ、本日中に合流できる可能性は高い。
急いで向かうべきか、それとも余裕を持って向かうべきか……悩ましい。
「ご主人さま、今から向かっても暗くなってしまいます。今まで通り、男爵が寄り道をしていたら、追い越してしまう可能性もあります」
「それに真っ暗の中で合流しても、貴族たちの方も面倒だろう」
どうもエーリカとリディーの二人は、教会に泊まった方が良いと判断しているみたいだ。
私の方でも特に問題はないので二人の意見に合意し、一泊する事を若い神官にお願いした。
「今の所、他に宿泊される方はいませんし、エール作りで場所を取ってしまっているので、個室を案内します」
普段なら藁を引き詰めた場所で赤の他人と一緒に雑魚寝をするのだが、現在、その場所もエール作りで使えないとの事。タイミングが良くて助かった。
部屋は二部屋。男の姿の私が一部屋、エーリカとリディーで一部屋である。エーリカが私と一緒がいいと駄々をこねたが、女神さまを祀る教会内で変な風に見られるのは不味いと思い、エーリカには我慢してもらった。
久しぶりのぼっち時間。
部屋は、机とベッドがあるだけの簡素なもので、明かりは蝋燭である。
食事は、硬いパンと塩スープ。無料だから文句は言えない。
無論、お風呂はなし。お湯を貰い、布で体を拭いた。
特にやる事もないので、そのままベッドに倒れ込み、眠ってしまった。
後で聞いたのだが、エーリカとリディーは、エール作りを見学したり、一緒に作業をして楽しんだそうだ。
お酒に興味ないけど、ちょっと楽しそうだ。私も誘って欲しかったな。……ぐすん。




