242 男爵を追い駆けろ ~強行突破~
ゴブリンがいる問題の場所には、すぐに辿り着いた。
山と山の間にある山峡のような場所で、人や馬車が行き来しやすいように山間を削った人口の道だった。決して広くはなく、馬車が対面で通れるぐらいである。
その入り口に、欠食児童のようなゴブリンが六匹と大型犬サイズの狼が三匹いた。
鼻の良いスモールウルフがいるが、山間の道から風が流れているおかげで、私たちの存在には気付かず、ゴブリンの近くに待機している。
一方のゴブリンたちは、先程の男性が置いて行った荷車をばらして、中身を漁っている。中身は麦らしく赤黄色の粒が辺り一面散らばり、酷いありさまであった。
「道の奥がどうなっているのか分からないね」
山間の道は、入ってすぐに曲がっていて、先がどうなっているのか判断つかない。距離は勿論、他にゴブリンがいるのかも分からない。
「地形を見るに、短い距離ではなさそうです」
「他にゴブリンがいる感じではなさそうねー」
「隠れている可能性はあるが……おっさん、やっぱり止めるか?」
「いや、止めない」
この先で命の危険に迫っている人がいるのだ。ゴブリンに捕まっているのか、今現在、襲われているのかは分からないが、見て見ぬふりは出来ない。
「ただ、リディーが聞いた声は聞こえないね。もしかして……」
最悪の事態を想像してしまい口を閉ざすと、エーリカが「いいえ」と言った。
「リディアねえさんの言っていた通り、女性の声が聞こえます」
「うんうん、聞こえる、聞こえる」
エーリカとティアは聞こえるようだ。
「ちなみに声は何人分?」
「聞こえるのは、女性が一人だけです」
「分かった。今すぐに助けに行こう」
私がゴブリンのいる方へ視線を向けると、リディーから「待て」と止められた。
「おっさん、急いで助けに行きたいのは分かるが、一つ言っておく」
真剣な表情でリディーは私を見る。
「な、何?」
「道の先がどうなっているのか分からないし、魔物の数も分からない。それに僕たちは回復薬を持っていないし、回復魔術を使える者もいないんだ。現場の状況や女性の状態によっては、見捨てる事になる。その覚悟はあるか?」
リディーの言う通り、女性の元まで辿り着いたとして、怪我の有無で助ける事すら出来ない可能性がある。軽傷ならクロたちに乗せて逃げられるが、重症だった場合、医者でない私たちでは為す術がない。ましてここは、魔物がいる。のんびりしていたら私たちの方が危険になってしまう。
所詮、私はレベル八。自分の身すらまともに守れない。出来る事よりも出来ない事の方が多いのだ。私自身が危険に遭うのは嫌だが、エーリカたちが私の所為で危険に遭うのはもっと嫌だ。
他人よりも自分たちの方が大事である。
私はリディーの大きな瞳を見詰めると、「状況によっては見捨てる」と大きく頷いた。
「ゴブリンどもは僕とエーリカで何とかする。おっさんはクロから落ちないようにしがみ付いていろ。ティアは口を閉ざし、周囲を監視。……行くぞ!」
私の意志を確認したリディーは、簡単に指示を出すと、「はっ!」とシロの腹を蹴る。シロがゴブリンの元へ走り出すと、それに続くように私とエーリカが乗るクロも駆け出した。
先頭を駆けるリディーは、背中に背負っている矢筒から二本の矢を抜き、弓に番える。
ドドドッと駆けるクロたちに気が付いたゴブリンたちが、「ギャア、ギャア」と私たちを指差して叫ぶ。だが、すぐにリディーの放った矢で二匹のゴブリンが倒れ、エーリカの手から放たれた炎の魔力弾で、一匹のゴブリンが焼き殺された事で静かになった。
「全部を片付ける必要はない。このまま中に入るぞ」
乗り手のいないスモールウルフは、自分よりも大きいクロたちから距離を取り、耳を伏せながら唸る。
残りのゴブリンは、私たちの進行を阻止する為に道の真ん中に踊り出るが、クロとシロにぶつかり、弾かれ、潰された。
止まる事もなく、そのまま小道へと入る。
崖に挟まれた小道は、山間に沿って掘り進めた所為で、右へ左へと蛇行している。必然的に速度は落ちるが、道が狭いので凄く怖い。曲がり角を曲がるたびに体が引っ張られ、壁にぶつかりそうになり、肝が冷える。
「後ろから来ます。ご主人さま、上から失礼します」
後方からゴブリンを乗せた二匹のスモールウルフが駆けてくる。
前にいるエーリカは、私の頭をグイッと下げるとスモールウルフに向けて、ボンッボンッと二発の雷属性の魔力弾を放つ。
スモールウルフに魔力弾が当たり、砂煙を上げながらゴブリンと一緒に地面を転がった。
「リーちゃん、上にもいるわー!」
「任せろ」
崖の上に三匹のゴブリンが私たちを見て、「ギャアギャア」と騒ぎ出す。そして、急いで玩具のような弓を構えるが、「遅い!」とリディーは矢筒から矢を取り出して、連続で三本の矢を放つ。
矢はどれもゴブリンの額に当たり、二匹のゴブリンは後ろへ倒れ、一匹は崖から落ちていった。
「あっ、聞こえる」
女性の声が聞こえた。
「助けて……」と風に乗って声が届く。それに合わせて、鉄臭い匂いも感じ取れた。
「近いです。すぐそこです」
「その前にゴブリンどものお出迎えだ」
エーリカの声に被せるようにリディーは、前方からスモールウルフに乗ったゴブリンを指差した。
直線になった道を私たちに向けて駆ける二匹のスモールウルフとゴブリンに、エーリカとリディーは右腕と弓を構える。
「僕は左、エーリカは右」
リディーとエーリカが同時に矢と魔力弾を放ち、平行して走る二匹のスモールウルフに当てる。
スモールウルフは、ゴブリンと共に地面に倒れ、八本もあるクロとシロの足に弾かれ、または潰された。
ゴブリンを蹴散らした私たちは、開けた場所に出た。
崖に囲まれた円形のような広場で、奥には入って来た小道と同じ道が続いている。
私たちは中央まで進み、クロたちの足を止めた。
「……うっ!?」
私は嘔吐しそうになり、口元を押さえる。
馬酔いした訳ではない。地面に死体が転がっていたからだ。
薄汚れた服を着た男性の死体が四体も転がっている。
どれも酷い有様で、肉は千切れ、骨が見えている。内臓も無造作に飛び出し、地面を血と共に汚していた。
鉄臭い匂いはこれが原因か……。
「死んでからそれほど経っていないな。魔物にやられたか」
「そうでしょう。柔らかそうな場所が無くなっています」
顔の頬が無くなって歯茎が見えている事から魔物に食べられたのだと、エーリカは判断した。
「それでー、肝心の女性はどこにいるのー?」
ティアの言う通り、死体の中に女性はいない。周りを見回してもいない。
この広場のさらに奥にいるのだろうか?
「ふふふ……たすけてー」
崖の上から声がする。
見上げると、真っ黒なローブを身に纏い、フードを目深に被った人物が崖に腰かけていた。
「おい、おっさん! あいつは、確か……」
リディーがその人物を見て、驚いている。
驚くのは無理はない。
顔は分からないが、たぶん同一人物だ。
炭鉱の町ルウェンでトカゲ兵士のリズボンをけしかけた謎の人物で間違いない。
「みんな、ごめん。これは罠だ」
謎の人物は、なぜか私の命を狙っている。つまり今の状況は、私を誘い出す罠だったという事だろう。
驚愕する私に挨拶をするように謎の人物は、手の平をヒラヒラと左右に振ると影に紛れるように消えていった。
そして、謎の人物の代わりにスモールウルフに乗ったゴブリンが崖の上から次々と現れた。
私たちを囲むように沢山のスモールウルフとゴブリン。私たちをあざ笑うように「ギャア、ギャア」と見下ろしながら叫ぶ。
「ちょっとー、ワーウルフまで居るわよー!」
ゴブリンの集団を掻き分けるように二足歩行の狼が現れた。それも二匹。
細長い汚れた剣を握るワーウルフは、四足で走る獣の魔物と違い、知性を感じさせる瞳で私たちを睨んでいる。
「ねぇねぇ、どうするのー!? 逃げるの、戦うの? どっちなの?」
「数が多すぎる。罠と分かったのならさっさと撤退だ」
「わたしはシロに移動して、リディアねえさんと先頭を走ります。ティアねえさん、ご主人さまをお願いします」
エーリカは器用にクロの背中に立ち上がるとシロに飛び移り、リディーの前に座る。代わりにティアが、私が乗っているクロの頭に移動した。
来た道と奥の道から数体のゴブリンが広場に入ってきて、私たち目掛けて迫ってくる。
それを合図にワーウルフが剣を掲げ、「ガウッ!」と吠えた。
崖の上で待機していたゴブリンたちが、砂埃を巻き上げながら斜面を滑るように降りてくる。
「ゴブリンどもを蹴散らしながら逃げるぞ! 強硬突破だ!」
リディーの合図でシロが先の道に向けて駆け出す。
「あたしたちも行くよ、クロちゃん」とティアの合図でクロも走り出した。
「『空刃』! 『空刃』! 『空刃』!」
ゴブリンが集まっている所にリディーの風魔術が飛び、首や胴が切断されていく。
「はっ、はっ、はっ!」
シロの手綱を握るエーリカは、進行を邪魔するゴブリンに魔術弾を浴びせて道を開ける。
「ひぃー!」
エーリカがいなくなり前があっぱっぱになった事で恐怖心の募った私は、クロの背中にしがみ付きながら振り落とされないように踏ん張る。
クロとシロは、行く手を阻むゴブリンを弾き飛ばし、踏み潰しながら小道へと入っていく。右へ左へと蛇行する狭い道を速度を落とすことなく駆けるので凄く怖い。
右へ左へと体が持って行かれそうになるたびに、私の悲鳴とゴブリンの叫びが谷渓に響き渡る。
「崖の上からも追ってきているわよー」
後方も崖の上も、さらに前方からもスモールウルフに乗ったゴブリンが追い掛けてくる。
「リディアねえさんは上のゴブリンをお願いします。前方のゴブリンはわたしが仕留めます」
「分かった」とリディーは、弓矢を構え、一本一本、確実にゴブリンやスモールウルフを仕留める。
エーリカもシロを操作しながら進行の邪魔になるゴブリンを魔術弾で仕留めていく。
この二人がいれば何とかなりそうだ。
そう思っていると、ゴブリンから玩具の弓で次々と矢を放ってきて、矢尻のない矢が崖上から雨霰と降ってきた。
「安心しろ。命中率はない。……おっと!?」
崖上から降ってきた矢を弓で弾いたリディーは、お返しとばかりにゴブリンに正確無比の矢を放つ。
「おっちゃん、気をつけてー。後ろのゴブリンも撃ってきたー」
後方から追いかけてきたゴブリンからシュンシュンと矢が放たれる。
エーリカとリディーは、崖上と前方のゴブリンで手一杯。後方のゴブリンは、殿を走る私とティアで何とかするしかない。
「後ろは私に任せて。事故らせてやる」
私はクロにしがみ付いたまま右手に魔力を集めた。
「おっさん、目潰しの魔術を使う気か?」
「そう。後ろを振り返らないで! 絶対だよ! ふりじゃないからね!」
前科のあるリディーに強く言っておく。
「曲がり角の直前で仕掛けろ! クロとシロが驚いて動きを止めるかもしれん」
「分かった。ティア、少し速度を落として」
ティアはシロの耳に呟くと、徐々に速度が落ちていく。
私は少しだけ上体を起こし、後ろを振り返る。
後方からスモールウルフに乗ったゴブリンが迫ってくる。
数は沢山。良くもここまで集めたものだと感心してしまう。
今は直進。すぐに次の曲がり角が迫る。
ゴブリンたちの矢が飛び交うが、どれも明後日の方向に飛んでいく。
私は前方と後方を交互に見ながらタイミングを計る。
「おっちゃん、曲がるわよー」
ティアの助言を聞いた私は、ゴブリンたちの手前に向けて光の魔力弾を放った。
曲がり角を曲がった勢いで、体がグンッと引っ張られ、落ちそうになる。
「あわわっ!」と慌ててクロの背中にしがみ付き、後方を確認する。
曲がり角で強い閃光が走り、ゴブリンたちの悲鳴に合わせて、土煙が吹き荒れた。
上手く多重事故を起こせたようだ。
「上手くいった……あいたっ!?」
自己満足に浸っていた私の頭に痛みが走る。
上を向くと、崖上のゴブリンから矢と合わせて、石まで投げていた。
「ティア、体がぶれる魔術を掛けて! 私たちだけでなく、クロにも当たって怪我をする」
正確性、命中性ゼロのゴブリンの攻撃だが、数撃ちゃ当たる戦法でその内当たってしまう。現に私のツルツル頭に石が当たって痛い。
私自身、体がぶれる魔術は使えるが、自分限定である。そこでティアにお願いしたのだが、「意味が無いわー。リーちゃんと違って、ゴブリンの腕は最低よ」と断られた。
体がぶれる魔術は、ほんの僅かしかぶれないので、腕の悪いゴブリンの矢ではあまり意味がないそうだ。その代わり、ティアはクロに逐一指示を出して、右へ左へと細かく移動させて矢と石を回避していった。
「あわわー、止めて、それ止めて! 落ちる、落ちる!」
右へ左へ振り回される私は、ティアに向かって叫ぶ。
「それならおっちゃんが何とかしてよねー」
私の叫びにティアは文句で返した。
「自分でやるから、なるべくクロを動かさないで!」
私は両股に力を込めて姿勢を安定させると腰に差してあるレイピアを抜く。そして、上段に構えると、魔力を流して光のカーテンを広げた。
「おおー、おっちゃん。見ない内に変な技を覚えたなー」
変とは失礼な。
まぁ、防御魔術なのだが、なぜか私のは薄く広がるカーテンのようなものになってしまう。壁とか盾ならカッコいいのに……。
そんな光のカーテンは、私だけでなくクロまで広がり、崖上から降ってくる矢や石をカツンカツンと防いでくれた。
一方のエーリカたちは、器用にシロを操作したり、リディーが弓矢で撃ち落としたりして防いでいる。
「ご主人さま、リディアねえさん、ワーウルフが来ます。用心を」
エーリカの言う通り、両端の崖の上を走る二匹のワーウルフの姿が見えた。
口に剣を加えながら四足歩行で駆けるワーウルフは、ゴブリンを薙ぎ払いながら私たちを追う。
凄い速さですぐに追い越されそうだ。
「一匹が来ます」
右の崖を走っていたワーウルフが跳躍し、先頭を走るシロ目掛けて落ちてくる。
空中で剣を握り直したワーウルフは、シロの背中に着地するとそのままリディー目掛けて剣を振り下ろした。
「甘い!」
リディーは、弓を上段に掲げる。
何の木で出来ているのか分からないが、リディーの弓は叩き斬られる事はなく、若干しなっただけで易々とワーウルフの剣を受け止めた。
「エーリカ、お願い!」
リディーとワーウルフに挟まれているエーリカは、ワーウルフのお腹に右手を添えると魔力弾を放った。
ドンッ、ドンッ、ドンッと三発の魔力弾を腹部に受けたワーウルフの上体が反れ、リディーから離れる。
「はっ!」
すぐさまリディーは、上体を起こし、腰に差してあるナイフでワーウルフの首を一閃する。首を切られたワーウルフは、よろめきながらシロの背中から落ちて、後ろを走るクロの足に踏み潰された。
「もう一匹、来るわー! うわー、よりにもよって、あたしたちの方よー!」
ティアの叫びに合わせて、左の崖を走るワーウルフが私たち目掛けて落ちてくる。
「ぐぇっ!?」
ガツンとレイピアに重みが加わり、私はクロの背中と光のカーテンに挟まれた。
光のカーテンの上に降り立ったワーウルフは、何度も何度も剣を振り下ろすが、光のカーテンを壊す事は出来ないでいる。
「おっさん、そのまま持ち上げろ!」
「ふんぬー!」
リディーの言う通りにレイピアを持ち上げるが、私の腕力では光のカーテン越しのワーウルフを持ち上げる事が出来ない。
「あたしに任せろー!」
見た目に反して力持ちのティアが、私と一緒にレイピアを握り、凄い速さで羽を動かしながら持ち上げてくれた。
「もう少し、もう少し……良し、良い位置だ。……『空刃』!」
後ろ向きのままリディーは、風の刃を飛ばし、ワーウルフの首を刎ねた。
「ご主人さま、出口です。このまま走り抜けます」
前方に数体のゴブリンを蹴散らしながらシロが駆けて行く。
頭の無くなったワーウルフを地面に落とすと、私たちも後を追い駆けるように駆け抜けた。




