235 幕間 フリーデの追想 その2
「ただの疲労ですね。栄養のある物を食べさせて、休ませておけば回復するでしょう」
エルフの女性を診てもらう為、回復魔法の使える女性の兵士を捕まえて、ここまで来てもらった。だけど、回復魔法は体の損傷を治すが、病気や疲労を治す効果はないとの事で、無駄足を運ばせてしまったようだ。
女性兵士が部屋から出て行くと、私はベッドに寝ているエルフの女性を眺めた。
同性の私でも溜め息が出る程の整った顔立ち。ピンッと自己主張している長い耳。噂にたがわぬ美貌であるのだが、残念ながら薄緑色の髪はボサボサで不揃いの長さに切られていた。
一体、何があったのだろうか?
疲労困憊で倒れていた事から何日も山の中を彷徨っていたのかもしれない。
もし本当に迷子なら彼女は何処から来たのだろうか?
このルウェンの町の周辺には、別の町や村はない。まして、エルフが住む森がある訳ではない。
それなら元々ルウェンの町に住んでいたのだろうか?
いや、それはない。エルフが住んでいたら噂の一つぐらい聞いている筈だ。それだけエルフというのは、珍しいのである。
そうなると……。
私は、机の上に山のように積まれた衣服に視線を向けた。
彼女が着ていた衣服である。
私は、渓谷の沢で倒れていた彼女を担いで運び、兵舎にある自室のベッドに寝かせた。その時、衣服がモコモコで寝ずらそうだったので脱がした。暖かそうな毛皮を脱がせると、その下には何着も別の服を着こんでいたのである。
ここは山脈の中腹で、夜になれば相当寒い。たが、昼間はそこまで寒さはない。それだというのに、ここまで着こんでいたというのは、相当の寒がりか……それとも……。
私は色々と思案をしながら彼女の目覚めを待つ。
ちなみに上官には報告してあるので、仕事に関しては気にしなくていい。
しばらく整った寝顔を眺めていると、彼女の口から「うーん……」と可愛い唸り声が聞こえた。そして、ゆっくりと瞳を開き、長い睫毛をパチパチとさせると、右へ左へ顔を動かし辺りを見回した。
「……ッ!?」
彼女は、椅子に座っている私と視線が合った瞬間、ガバッと上体を起こし、ズザザッとベッドの端へと移動した。
「私はフリーデ。ルウェンの町の兵士をしている」
兵士と聞いて、エルフはさらに後退する。
どうやら警戒されてしまったようだ。
背中と腰に手を回した彼女は、私の背後の机の上に弓と短剣が置いてあるのを確認すると、青く染まった顔で私を睨んできた。
「えーと……混乱しているようだから先に説明しておくよ。君は川辺近くで倒れていたの。だから、ここまで運んで介抱したわ。その時、衣服を脱がさせてもらったけど、同性の私がやったから安心して。あと念の為、武器は外させてもらったわ」
敵意が無い事を知ってもらう為、なるべく優しく話をする。だが目の前のエルフは余計に警戒して、シーツを引き寄せて身を縮み込んでしまった。
エルフは、人里離れた魔物しかいない森の奥深くに暮らしており、そこから出る事無く数百年を生きると言われている。中には、森から出て人間の世界に暮らしている例外のエルフもいるのだが、目の前のエルフの態度を見るに例外のエルフではなさそうだ。
凄く警戒されており、私が色々と聞いても相づちすらしない。
もしかしたら、言葉が通じていないのだろうか?
どうしようかと思い悩んでいたら、彼女のお腹から、くぅーっと可愛い音が鳴った。
真っ赤に染まる彼女を見て、私はクスリと笑う。
「何か食べ物を持ってこよう」
そう私が言うと、エルフの長い耳がピンッと立ち上がった。
一言も口を開かないのは警戒されているだけで、言葉が通じていない訳ではなさそうだ。
念の為、弓と短剣を回収してから廊下に出て、厨房へと向かう。そして、料理長に事情を説明したら、「そいつ、体調が回復したらこっちに回してくれねーか?」と言われた。
「どういう事ですか?」
「先日、兵士から魔物狩りの訓練がなくなると聞いた。そうなると町で売っている粗悪な肉しか手に入らなくなる。食事内容が囚人と同じになって困っていた所だ」
私たち兵士の訓練に魔物狩りがある。
言葉の通り、山の中に入って魔物を狩る実地訓練なのだが、建前と本音は別で、本当の目的は鹿や猪を狩る食材調達であった。
ルウェンの町にも肉屋はあるのだが、こんな辺鄙な場所に肉を卸しにくる商人は少ない。そんな数の少ない肉は、貴族である男爵に優先で売られるので、町人や兵士に回ってくる肉は売れ残りの痛んだ肉しかこない。
それが嫌で、今では兵士が訓練と言う名の食材調達をしているのだ。
そんな魔物狩り訓練が無くなる事は、私も聞いている。
炭鉱事業が拡大した事により、これから囚人たちが増えていく。それに合わせて、監視をする兵士が必要になるのだが、兵士の補充はない。その為、食材調達に回す余裕が無くなったのだ。
「エルフと言えば、狩りの達人だよな。兵士の代わりにそのエルフが狩ってくれれば助かるのだが……どうだ?」
「どうだと言われましても、当事者の彼女の判断によるとしか言えません。今さっき目を覚ましたばかりで、混乱している状態です。上官にも説明しなければいけませんので、この話は後程になります」
「ああ、話だけでも通しておいてくれ。俺たちだけでなく、兵士たちの食事事情だ。ぜひ、頼むぜ」
料理長にお願いされたが、先程の彼女の態度を見るに、協力してくれるかは難しいかもしれない。
そもそも彼女は、兵士でもこの町の住人でもないただの一般人だ。どこか別の場所が目的で、その途中で行き倒れたとしたら、この町に留まる理由はないだろう。
「結果はどうなるか分かりませんが、話だけはしておきます。それで料理の方をお願いしても良いですか」
「ああ、そうだったな。疲労で倒れていたんだろ。何日も食べていないかもしれん。消化の良い物を用意しよう」
そう言うなり料理長は、パン粥とリンゴを削った飲み物を手早く作って渡してくれた。
部屋に戻ると、エルフは大人しくベッドに座って待っていた。
料理を受け取った彼女は、凄い勢いで食べ始める。料理長の言う通り、何日も何も食べていなかったようだ。
「ふー、不味いけど、お腹が空いていたから美味かった」
ここで初めて彼女が口を開いた。小鳥の囀りのような綺麗な声である。
「お代わりはいる?」
「……ええ。……もう少し、味を濃くしてほしい」
お腹が落ち着いたおかげか、彼女の警戒心は薄らいでいた。
今なら料理を餌に色々と聞けそうだ。
「その前にあなたの事を聞かせてほしい。一応、ここは兵士が管理している場所で、そこであなたが倒れていた。疑う訳ではないけど、あなたの素性は聞かなければいけないの。話してくれる?」
警戒心を上げないよう優しい口調でお願いすると、彼女は「あー」とか、「うー」とから言いながら落ち着きなく視線を彷徨う。
そして、意を決したように私の顔に視線を向けた。
「た、助けてくれてありがとう。私はリディアミア。その……人と会話をする事に慣れてなくて……」
「私だけしかいないし、気負わなくていいわよ。えーと、リディアミアさん」
「リディーで良い。みんな、そう呼んでいる」
「よろしく、リディー。私はフリーデ。気兼ねなく呼んで」
リディーは、「フリーデ……フリーデ……」と小声で呟く。
「それでリディー、何であんな場所で倒れていたの?」
「わ、私が住んでいた場所は、雪に覆われていて……あまりにも寒くて……このままでは死ぬかもしれないと思い、姉と二人で山を越えてきた」
「そう、お姉さんと……えっ、山を越えた!?」
「ああ、酷い山越えだったよ。寒いわ、風に飛ばされそうだわ、道は無いわで毎日が命懸けだった。魔物も出るしで、いつ死んでもおかしくなかった」
当時の事を思い出したのか、リディーの長い耳はペタリと垂れ、綺麗な顔はげんなりとしている。
その表情を見るに冗談を言っている訳ではなさそうだが、一応、確認する必要がある。
「その山っていうのはキルガー山脈の事? その山脈を越えて来たって事?」
「名前は知らない。すぐそこの山の奥から来た」
私は絶句する。
可能性の一つとして考えていたが、まさか本当にキルガー山脈を越えて来たとは……。
キルガー山脈は、年中雪が積もり、強風が吹き荒れる標高の高い山々が列を成して連なっている。
何度か登山隊を組んで挑戦した事もあるのだが、どれも失敗に終わった。重度な凍傷を負いながら命からがら戻って来た者の話では、「人類が踏み込んでよい山ではない」と言い残している。
そんな山脈を越えて来たというのだ。
信じられない事だが、リディーの表情を見る限り、嘘は言っていないのは分かった。
「寒いってだけの理由で山越えをする山脈ではないわ。他に重要な理由でもあるの?」
「理由は……まぁ、あるかな。でも、あの時は、ただただ寒いのが嫌で仕方がなかった。姉に関しては、酒の調達が出来なくなったのが理由かな」
何を言っているのか分からない。
寒いのが嫌だからとか、酒が手に入らなくなったからといって、余計に寒くて危険な山脈を越えるだろうか?
そこで私はもっと詳しく話を聞いた。
リディーが住んでいたのは、ルウェンの町と同じ山の中腹にある小さな村だった。
一年の大半が雪に覆われている村は、小さな池を囲むように家が建っている。
村人たちは、狩りをしたり、凍った池に穴を空けて魚を捕まえたりしながら細々と生活をしていた。
リディーと姉の二人は、その村の少し離れた場所で生活をしていた。
そんなある日、大寒波が襲い、村が全滅してしまった。
生き残ったリディーと姉は、生活用品をやり取りしていた村が無くなった事で、引っ越しを決意したのが理由らしい。
「あまりにも寒くてね。山を越えれば、気候が変わると思い、山越えをしたんだ。当時の私たちは、一つ二つ山を越えれば終わると思っていた。だけど、実際は永遠とも思える程の山々が連なっていたの。出発前に分かっていたら、山越えなんかしなかったわ」
「そ、そう……それでお姉さんはどうしたの?」
「昨日、渓谷を下っていた時、川に落ちて流れていった」
「えっ、それって……もしかして……」
私は、聞いてはいけない事を聞いてしまったと思い口をつぐむ。
「ああ、大丈夫、大丈夫。姉は巨石に潰れても死なない奴だから。まぁ、酒が無くなったら、狂ってしまうかもしれないけど……まぁ、大丈夫」
気楽に語るリディーを見るに、姉の生死については深く考えていないようだ。
「じゃあ、お姉さんを探さないといけないのね」
「んー、どうだろう? 私のようにこの町に辿りついていないなら、もっと先まで流れて行っていると思う。無意識に酒がある場所にフラフラと行ってしまうから探すのが面倒臭い」
命懸けでキルガー山脈を越えてきた姉妹であるが、お互いに心配をしない間柄のようである。
一通り話を聞いた私は、空になった皿を持つと、料理のお代わりを貰いに部屋を出た。その時、リディーから「もう少し、お腹に溜まる物が良い」と注文が入る。リディーの警戒心は無くなりつつあった。
厨房に戻ってきた私は料理長に空の皿を渡す。その時、「美味しかったと言ってました」と感想の半分を伝えておいた。これで気兼ねなくお代わりの注文が出来る。
気分が良くなった料理長が新たに料理を作り始めたのを確認してから、私は廊下に戻り、上官のいる執務室へ向かった。
書類仕事をしている上官は、私の姿をチラリと見ると、すぐに視線を元に戻し、書類仕事を始める。
いつもの事なので、私はそのままリディーから聞いた話を報告する。
そして、リディーが隣国からキルガー山脈を越えてきたと報告すると、上官の視線が書類から私へ向いた。
「それは本当の話かね?」
「にわかには信じ難いですが、彼女の様子を見るに本当の事を話していると私は思います」
「助けた女性はエルフだったな。人間では無理だが、亜人ならキルガー山脈を越えられるかもしれない」
長命であるエルフは、人間に比べ身体能力が高く、病気や怪我による耐性が高い事から数百年の寿命があると言われている。
そんなエルフだからこそ、人間では不可能なキルガー山脈を越えたのだろうと上官は考えていた。
つまり、亜人による登山隊を結成すれば、隣国までの経路が開ける可能性がある。
「それで、そのエルフはどういった人物だね?」
「どうとは?」
「シーボルト王国の間者の可能性はないのか?」
間者と聞いて、ギョッとする。
その考えはまったく思いつかなかった。
私が下級兵士の所為か、あまりそういった危機感はなかった。
「えーと……少し話しただけですが、見た目相応の女性でした。間諜をする為に命懸けで山脈を越えてきた感じにはまったくしません」
始めの内、リディーは凄く警戒をしていたのだ。虚偽の報告をしている可能性は十分に考えられる。
ただ、それでもリディーが隣国の間者という線はないと私は思えた。ただの直感だけど……。
その事を伝えると上官は、「そうか……」と口を閉じ、考え始める。
そして、上官は「エルフの面倒は、見つけた君が責任を持って監視しろ」と言った。
「間者かどうかは別にして、そのエルフを手放すのは不味い。貴重な情報源だ。何としてでもこのルウェンの町に留めておけ。そして、話を聞き情報を引き出せ」
隣国であるシーボルト王国は、距離としては非常に近いのだが、決してたどり着けない事から情報が一切入らない謎の国である。
だからこそ少しでも情報が欲しいらしい。
「行き別れた姉がいるそうです。回復したらすぐに出て行くかもしれません。どうやって、留めておきますか?」
「数年を瞬きするぐらいの時間と思っている長命のエルフだ。体調が回復するまで十年ほど休んでいけと言えば従うだろう。適当に理由を付けておけ」
無茶な事を言う。
それならと、先程料理長に頼まれた件を伝えてみた。
「ああ、それで良い。仕事を与えておけば、足止めになる。厨房の関係者として、滞在の許可を出す」
食材調達の件は、簡単に許可が下りた。
後は、本人次第である。
話が一段落した私は厨房に戻り、完成した料理を持って、リディーが待っている自室へと向かった。
これからリディーは、ただの行き倒れた迷い人ではない。
隣国の間者の可能性がないと思われるが、それを踏まえた上で私が監視をしなければいけない。そして、隣国の事、キルガー山脈を越える経路についても詳しく聞かなければいけない。
まずは、このルウェンの町に滞在してもらうように説得する。
警戒心は薄まったとはいえ、同意してくれるだろうか?
渋ったらどうしよう?
私はあまり口が達者ではないのだ。
部屋に戻った私は、腹を空かしているリディーにお代わりの料理を渡す。
無言で食べ進めるリディーに、緊張した声で「しばらく、この町に住まないか?」と言った。
そしたら……
「良いよ」
……と、一切の間もなく返ってきた。
願ったり叶ったりの返答であるのだが……少しは警戒しろよ。




