234 幕間 フリーデの追想 その1
私が兵士になった切っ掛けは、冒険者よりも安定しているという、ただそれだけの理由であった。
私の父と母は元冒険者だ。二人とも青銅等級であり、それ以上にはいけなかった。
歳の離れた二人の兄も冒険者で、この二人は鋼鉄等級止まりである。
そんな家族に育てられた私は、幼い頃から両親と二人の兄から剣技や魔術を習って育った。その所為か、私も将来は冒険者に成るのだと思っていた。
だが、いざ私が冒険者に成ると言い出したら、両親と兄たちは断固として反対をした。
「収入が安定しない職業だ。それも一日の稼ぎは、ベアボアのクソよりも安い」
「怪我は当たり前。最悪、死ぬぞ」
「どう頑張っても青銅等級止まりの俺の血を引いているお前だ。低等級冒険者で終わる」
と二人の兄と父は、冒険者の低収入と危険性を理由に賛成をしなかった。
母に至っては、「良い人を見つけて、嫁入りして欲しい」と無茶な事を言う始末。
結婚なんて家と家の繋がりの為にある。隙間風が入る借家で生活している片田舎の低等級冒険者家族に繋がりを求める酔狂はいない。無論、一般的な嫁入り修行をしてこなかった私を好いて、恋愛結婚をしたい物好きもいない。剣技と魔術しか取り柄の無い私では、薪割りぐらいしか役に立たないのだ。
だからと言って、冒険者以外の職業と言っても、今更、見習いから入るには遅すぎた。
そこで家族揃って三日程、話し合った結果、兵士という選択肢が浮上した。
兵士は、決して高くはないが国からの支給で収入は安定している。それに他国と戦争をしない限り、危険な事も少ない。精々酔っぱらいや盗人を捕まえるぐらいで、今の私なら危険性もない。
そういう事で、特に思い入れのないまま私は兵士になり、ダムルブールという比較的大きな街の勤務になった。
ダムルブールの街には、女神フォラを信仰する大聖堂が建っている。その所為か、女神信者が多く、他の街に比べ、男尊女卑の傾向は少なかった。どの職場でも女性が活躍しているし、女性冒険者の数も多い。女性というだけで、蔑み、差別される事は少なかった。
だが、兵士の世界は違った。
男性よりも腕力や体格が劣る女性が同じ兵士という立場に自尊心を傷付き、癪に障るのだろう。その為、女性兵士に対する男性兵士の差別が他の職種よりも顕著であった。
訓練時、必ず男性兵士と組まされ気絶するまでしごかれる。そして、「腕力もない女など皿洗いがお似合いだ」と馬鹿にされた。
上下関係を教える行為というならまだ分かる。だが、同じ時期に入った男性兵士が相手なのだ。周りの男どもは、私たち女性が地面に倒れている姿を見て咎めたりはせず、ニヤニヤと笑っているだけであった。
直属の上官も同じで、いつも「ふん」とか、「そうか」とぶっきらぼうに言って、蔑んだ目をする。まともに話しすら出来ない始末だ。
仕事は専ら書類仕事である。後は掃除などの雑務全般。
たまに街の警邏をする事があるが、その殆どが危険地区である貧民区域に行かされた。
一歩踏み込めば犯罪者にぶつかると言われる貧民地区に、女性兵士だけで行かされるのだ。犯され殺されろと命令されているようなものである。あいつらは女性を差別したいのでなく、ただ女性が嫌いなのかもしれない。
やはりと言うべきか、貧民地区に一歩踏み込んだら、すぐに変な輩が絡んでくる。娼婦みたいに抱かせろと言われるのは良くある事で、中には兵士である私に金を巻き上げようとする馬鹿もいる。そんな連中はニ、三発殴って黙らせる。男性兵士には敵わないが、ただのゴロツキに後れを取る事はないのだ。まぁ、少しだけ私情を入れた八つ当たりに近い拳で殴っているのは、大目に見て欲しい。
そんな貧民地区で警邏を終えた帰り道、裕福地区で盗人を捕まえた。
盗人は、足腰の悪い老婆からお金を盗んだのだ。その現場を目撃し、すぐさま同僚と追い掛け、魔法で動きを封じ、身柄を拘束した。
犯罪者を一人捕まえた事で気分良く兵士詰所に連行したのだが、なぜか捕まえた私たちでなく、直属の上官自ら盗人を取り調べ、そして、すぐさま盗人を釈放したのである。
無論、理由を聞いても女性である私に答えは返ってこない。
これは私の予測なのだが、盗人から金を受け取り、その代わりに釈放したのだろう。
国から支給されているとはいえ兵士の給料は安い。その為、賄賂は当たり前のように行われている。逆に賄賂を拒み、非難する者は、爪弾きにされてしまう。
私たち女性兵士は、弱みを握られない為の自衛として、賄賂は一切受け取らなかった。そう言った理由もあり、男性兵士から嫌われている。
犯罪者が簡単に釈放される事は良くある事なのだが、今回に限り、私は抗議をした。
あの盗人は、足腰の悪い老婆から盗んだのだ。何たる外道。絶対に許してはいけない。
だが、どんなに抗議をしたとして、立場が下である私の声など上官は聞こうともしない。そこで私は、直属の上官よりもさらに上の上官に直訴した。
そうしたら、次の日には私宛に移動命令が下りた。
場所は、遠く離れた辺境の町、ルウェン鉱山である。
上官の上官も同じであったのだ。
二日後には、ルウェン鉱山行きの馬車に乗って、暑い砂漠を縦断した。
私の心は虚無だった。
肩身の狭い思いで兵士を続けた結果、辺境の町に飛ばされたのだ。元々給料が安定しているというだけの理由で兵士になったので、現実を直面して裏切られたとか、落胆したという事はない。元々こういう世界なのだ。
このまま兵士を続けて何の意味があるのか、と疑問が湧いてくる。
給料が安いなら、別に冒険者でも良かったのではと思えてくる。
こんな暑い馬車から飛び降りて、家族の元へ帰ろうかと考える。
これからどうするのか、何をしたいのか、色々と考えては消えていき、答えが出ないままルウェンの町へ到着した。
ルウェンの町は、鉱石と魔石を産出する為に作られた鉱山の町である。ただ、ここ最近、石炭と呼ばれる良く燃える物質が見つかり、利用価値が高い事が分かった。その為、従来の鉱石と魔石よりも石炭を採掘する事に力を入れ始めた。採掘事業が拡張した事により、一般炭鉱夫だけでは間に合わず、犯罪を犯した囚人を導入して働き手とした。その管理をするのが私たち兵士である。
そんなルウェンの町は、キルガー山脈の麓にあるので、昼は涼しく、夜は寒い。一方、炭鉱内は蒸し暑い。慣れない内は気温の変化ですぐに体調を崩してしまう。それだけでなく、炭鉱作業には事故が付き物で、毎年、何人かは亡くなっている。そんな過酷な現場の中、常に囚人を見張っていなければいけないのだ。
一般兵士よりも給料は高い。生活に厳しい一部の兵士は、自ら志願して炭鉱兵士になる者もいる。だが殆どの者は、私のように上官に嫌われたり、重大な失敗した事で送られるのだ。つまり、私たちも囚人と変わらないという事である。
兵士としての気力がすっかり無くしてしまった私であるが、実際にルウェンの町で働くと、ダムルブールの街での待遇と違っていて驚いた。
しごきはあり、立場の上下関係は厳しいが、男尊女卑のような差別は無かった。
兵士は過酷な環境化の中、お互いに助け合いながら責任を持って職務を全うしていた。
上官にその事を話したら、理由はリズボン班長のおかげだと教えられた。
リズボンは、ルウェンの町の兵士を束ねる兵士長である。
常に冷静で、私情を挟まず、損得で判断をする。上官の命令は絶対で、命令違反をした者は、兵士であろうと拳による教育をする厳しい指導者でもある。
また感情によって言葉を荒げたり、人によって態度を崩したりはせず、どんな部下でも相談に乗ってくれる話し好きの兵士長でもあった。
さらに戦闘面も優れており、剣技だけでなく、強力な精霊魔法まで使いこなせる立派な方であり、このルウェンの町の兵士で彼を嫌っている人はいなかった。
これだけでも凄いのに、さらに凄いのがリズボンは火蜥蜴族の亜人である事だろう。
数は少ないが、亜人の兵士は珍しくない。このルウェンの町でもコボルトといった獣人の兵士が二名いる。だが、亜人で兵士長まで上り詰めたのはリズボンぐらいしか知らない。
上官曰く、「相当苦労し、沢山差別を受けたのは想像に難しくない。だから、女性と言うだけで差別をする職場になっていない」と私の疑問に答えてくれた。
ちなみに兵士長なのに班長と呼ばれるのは、リズボンが班長時代の名残だそうだ。本人も初志を思い出すので許している。非常に真面目な方だ。
余談だが、ルウェンの町を管理しているテオドール・ロシュマン男爵の相手が出来るのはリズボンだけと言われている。
ロシュマン男爵は、兵士の中でも非常に評判が悪い。一日中、食べて寝てを繰り返し、「面倒臭ぇー」が口癖で、貴族としての仕事は全て部下に丸投げをする。そんな男爵と兵士の間を上手く取り成しているのがリズボン班長であり、それだけで評価が高い。
そんな移動先のおかげで、私はまだ兵士としてやっていけていた。
主な仕事は、書類仕事といった雑務ばかりでダムルブールの街の時とあまり変わりはない。
本来の仕事は囚人たちの監視なのだが、禁欲生活を強要されている囚人には、なるべく女性を近づかせたくないという理由で監視任務は殆どしない。私たち女性兵士も、囚人たちに刺激を与えて、問題を起こさせたくない事は、重々に理解しているので文句はない。
その為、雑務全般が女性兵士の仕事となっていた。
ルウェンの町に移動してから一年が経過した頃、私は彼女に出会った。
その日は朝早く、同僚の兵士たちと共に坑口の横にある沢に降り、少し進んだ懲罰房へと向かった。
二日前、鉄拳教育を拒んで兵士に殴り返そうとした囚人を懲罰房へ入れた。その回収の為、私たちは向かったのである。
懲罰房の扉を開けた瞬間、糞尿で汚れた囚人が扉を押しのけるように地面に倒れてきた。死んでいるのかと私たちは驚いたが、ただ意識を失っているだけであった。
明かりが一切なく、身動きの出来ない、非常に寒い懲罰房に二日間も入っていたのだ。食事は水のみなので、体調はすぐに崩れる。
案の定、気絶している囚人も体調を崩し、高熱を発していた。
本来は、罰を終えた囚人に自分の入っていた懲罰房を掃除させるのだが、意識を取り戻しそうに無い為、仕方なく医務室へ運ぶ事になった。
私たちは無言で顔を見合せると、小さく溜め息を吐く。そして、一緒に向かった同僚が汚れた囚人を担ぎ、運んで行った。
一人残された私は、囚人の代わりに懲罰房を掃除する事になる。
懲罰房の中を見て、私は再度溜め息を吐く。
おまるがひっくり返って中身が広がっている。その中に三匹のネズミが潰れていた。扉の内側には引っ掻き傷が無数にあり、赤黒い血と剥がれた爪が付いていた。
悲惨な状況を見て、私は絶対に犯罪を犯さないと誓う。
川から水を汲み、汚れを洗い流し、無心で懲罰房を掃除する。
そして、再度使える状態に成ったら朝食を摂る為に戻る。
うーむ……食事が喉に入るかな?
お腹を擦りつつ坑口下の沢の近くまで行くと……
「……けて」
……と、僅かに声らしき音が聞こえ、足を止めた。
初めは気の所為かと思ったが、耳を澄ませて周りを観察していると、川の音に混じって「誰か……食べ物を……」と弱々しい声が確実に聞こえる。
もしかして、脱走者か!? と急いで声の方へ向かうと、岩の影に人が倒れていた。
衣服を見る限り、囚人ではない。
暖かそうな毛皮を羽織って倒れているのは、細身の女性である。
歳は私よりも二つ、三つ若い。
何でここに女性が?
いや、それよりもその耳……。
地面に倒れて動かない女性の耳は、私たち人間よりも長かった。




