232 幕間 ディルクの追想 その4
懲罰房は、坑口近くから沢に下りて、渓谷を少し進んだ先にあった。
少し空けた場所に、便所のような建物が並んでいる。
兵士に背中を押され懲罰房の一つに押し込められた。
扉を締められると完全な暗闇で、空気の流れがなく息苦しい。
座る事も出来ない狭い空間におまるが一つだけある。
これでは眠る事すら出来ない。
何も出来ず、ただ暗闇の中で立っているだけの二日間。
想像以上に過酷な場所だと分かり、ポメラニア伯爵の私兵の言う事を素直に従うのでなかったと後悔する。
兵士長であるリズボンの心証を悪くしてまでやるのではなかった。
「おい、誰かいるのか?」
渓谷に流れる川の音に混じって、壁越しに声が届いた。
もしかしてと思い、「いるぞ」と返事をする。
「おお、そいつは良かったぜ。鍛えた筋肉を休ませていた所だ。暇だから話し相手になってくれ」
どうやら、昨日ルドガーとクズノハを殴って懲罰房に入れられたブラッカスが、すぐ隣の懲罰房に入れられているようだ。
それにしても、幾つも建っている懲罰房に囚人を隣同士で入れるか? と兵士の職務に疑問に思ってしまうが、俺としても有り難い事なので批判は止めておく。
俺は壁越しにブラッカスと話し始めた。
懲罰房に入った経緯から始まり、俺が一番聞きたかったクズノハについて話を持っていく。
ブラッカスは、以前にクズノハと会った事があるらしいからその辺をしっかりと聞いておきたかった。
「あいつとの激戦を思い出すと、今でも俺の逞しい筋肉がピクピクと動くんだ。事細かく聞くがいい。俺とあいつの血と汗の混じった熱き戦いを」
言葉に熱を帯び出したブラッカスに、後悔の念が湧いてくる。ただ無駄な時間が二日もあるので、耐えながら聞いていく。
ブラッカスの話は、事あるごとに「俺の逞しい筋肉で」とか、「俺のはち切れんばかりの筋肉が」とか、一々言わなくてもよい表現を入れてくるので、頭が痛くなってくる。
そんな苦行を乗り越えて、クズノハとの闘いを聞いた限り、どうも泥試合みたいな戦いだと感じた。まぁ、ブラッカス本人は非常に楽しかったみたいであるので、余計な事は言わないでおく。
そして、肝心のクズノハについては、ルドガーとの拳闘の時に感じた通り、腕力も体力も経験もない鉄等級同等か、それ以下の力量しかないと判断した。
ただ、ブラッカスの放った土の魔術を消し去り、視力を奪う魔術を使ったとの事なので、もしかしたらクズノハは魔術師なのかもしれない。
もし本当に魔術師なら外見と中身が違い過ぎて笑いが込み上げてくる。まぁ、殴るのが大好きな魔術師が俺の仲間に居るから、クズノハが本当の魔術師だとしても笑ってはいけないな。
ブラッカスと会話していると、外から魔術を唱える声が聞こえた。それに合わせて、俺の両手足に掛かっている束縛魔術が光り出し、身動きが出来なくなった。
ゆっくりと扉が開かれると、真っ暗だった懲罰房の中に茜色の光が射し込む。どうやら夕方のようだ。
眩しさに目を細めると、「飯だ」と兵士が水の入ったコップを俺の口元へ持っていく。
俺は口元を濡らしながら水を飲み干すと、バタンと乱暴に扉を閉められ、また真っ暗な空間に閉じ込められた。
まさか食事が水だけとは……これは飯とは言わん。
「おい、肉だ! 肉を食わせろ! 水だけだと筋肉が縮んじまうじゃねーか! 痩せちまったら、お前ら、どう責任取るつもりだー!」
隣が騒がしい。
俺よりも一日余計に入っているにも関わらず、ブラッカスはまだまだ元気そうだ。
気温がどんどん下がっていく。
薄着の作業服しか着ていないので、体の熱がどんどん奪われていき体が震えてきた。
夕食を終えて数時間でこれだ。
深夜を過ぎれば、どれだけ気温が下がるか分かったものではない。
ただ暗闇の中、突っ立っているだけなのに、死を覚悟し始めた。
「はっ、ふっ、はっ、ふっ……」
隣から変な息遣いが聞こえる。
一瞬、ブラッカスが一人で性欲を放出しているのかと思ったが、よくよく考えれば、筋肉馬鹿のブラッカスだ。こんな狭い場所でも体を鍛えているのだろう。
「寒さで筋肉が固まっちまったからな。寝る前に少しほぐしてやらねば、安眠できねーぞ」
そんな事を言って、俺にも体を動かせと提案してきた。
踵だけを上げ下げしたり、硬く閉ざされた扉を全身の力を入れて押したりしているらしい。
筋肉をほぐしたからって、こんな座る事も出来ない場所で眠れるとは思えない。
俺は「やらない」と答えたが、骨の芯まで冷えてきたので、こっそりと足踏みしたり、腰を上げ下げして体を温めた。
黙々と二人で筋肉を鍛えていると、突然、バンッとブラッカスの懲罰房が叩かれた。そして、「うるさい。もう夜だ。さっさと寝ろ!」と兵士の罵声が聞こえた。
「へいへい」とブラッカスの適当な返事の後、変な息遣いは消える。しばらくすると、「ぐごー、ぐごー」と扉越しから鼾が聞こえだした。こんな場所で良く眠れるな、と感心してしまう。
その後、どうすれば上手く眠れるかと色々な体勢を試しながら寒さに耐えていると、静かに扉が開いた。
月の光の中、ポメラニア伯爵の私兵が立っている。
私兵は、「静かに付いて来い」と小声で呟くと俺を外へ連れ出した。
数時間ぶりの外。
懲罰房の中よりも寒いが、空気が澄んでいて気持ちが良い。
川辺に向かう私兵に黙って付いていくと、石で組んだ焚き火があり、赤々と燃えていた。
焚き火の近くの石に腰を落とした私兵が、「座れ」と指示を出したので、俺は私兵の向かいになるように石を動かして座る。
「食え」と私兵がパンとワインを差し出してきたので、焚き火に温まりながらゆっくりと食べた。
冷え切った体が焚き火とワインで温まっていく。パンも空きっ腹に入れたので、気持ちも落ち着いてきた。
「近い内、ある国の使節団がルウェンの町に訪れる事が分かった」
パンとワインで人心地ついたのを確認した私兵が本題に入った。
「近い内っていうのは、実際はどの程度の事を差しているんだ?」
「『女神の日』に合わせて食事会をする予定らしいので、十日以内には来るだろう」
「十日か……確かに近い内だな」
「男爵は、伯爵の許可を取らずに大事な魔石を売買するという噂だ。独断でそんな事はさせられん。必ず阻止しなければいけない」
「ふっと思ったんだが、男爵は伯爵に報告せずに、直接、中央に許可を取っている可能性はないのか?」
貴族には派閥が存在する。醜い男爵を擁護するつもりはないが、男爵が伯爵と敵対していたら、わざわざ許可を取らずにいる事も考えられる。
「いや、ないな。一応、ロシュマン男爵はポメラニア伯爵の派閥に入っている。それに男爵風情が、直接、中央に取り付く事は不可能だ。必ず伯爵から取り付かなければ話しすら聞いて貰えないだろう」
「そんなものなのか」
「そういうものだ。俺たち兵士には、今回の使節団について他言無用と伝達されている。いつも書類の署名は秘書が代筆しているのだが、使節団関係のものは全部、男爵が処理していると聞いた。大々的に兵士を動かしているが、一応は秘密裡に行っているようだぞ」
その割には、囚人の俺に漏れているけどな。
「貴重な魔石を売るって事だが、そもそも近隣の国っていうのは何処なんだ? その辺は分かっているのか?」
「分からん」
「隣国のイディスラント公国は、ベーデル=ヴェルデン帝国と年中いざこざをしているよな。戦争用に買いに来ているという話では?」
「イディスラントは、フォーラルガルドと協力関係にある。わざわざ、こんな辺境の町まで来て、取引をする必要はない。直接、国王に願い出れば良いだけの話だ。それにあそこは、ルウェン炭鉱のような鉱山が沢山ある。わざわざ魔石や鉱石を秘密裡に買い付ける必要はない」
他にも隣国はあるが、俺たちが住んでいるダムルブール地区から相当離れている。私兵の言う通り、わざわざ遠い場所に売買しにくる隣国は存在しない。
いや、まだ近くに別の国があったな。
俺は暗闇に染まったキルガー山脈を眺めた。
「シーボルトはどうだ?」
「それこそ、ありえん。どうやって山脈を越えてくるんだ?」
まぁ、そうだよな。
前人未踏の山脈だ。一山二山越えるだけの話ではない。険しい山々が何十と連なる場所だ。隣国に辿り着く前に、途中で息絶えるだろう。
「話は分かった。それで、俺に何をさせたい?」
「いつも食って寝ているだけの男爵が、やる気になっている。今日も色々と動き回っていた」
「あの体形でか? ……そのまま倒れて、心臓が止まってくれれば良いな」
俺が軽口を挟むと、私兵は「まったくだ」と同意し笑う。
「男爵の不在を狙って、俺たちが汚職の証拠を見つけ出す。お前は、その証拠を隠蔽してくれ」
「俺が隠すのか? ただの囚人だぞ」
「一番に疑われるのは兵士だろう。囚人の行動範囲が決められているように、兵士も行動範囲が限られている。俺たちが隠せる場所は、捜索される可能性が高い。その点、男爵の部屋に入れるとは思っていない囚人のお前がどこかに隠せば、見つからない可能性が高いだろう。誰にも見つからない場所を探しておいてくれ」
常に沢山の囚人がいる場所で生活している俺に無茶な事を言う。
「炭鉱作業をしている時も飯を食う時も寝る時も必ず他の囚人がいるんだぞ。どこに隠せって言うんだ。もしかして、尻の穴にでも隠せとか言うなよ」
「状況によってはそうしろ。それがお前の仕事だ」
本当に無茶な事を言う。
「それで、もし証拠品を盗む事が出来なかったら、どうするつもりだ?」
「伯爵が適当な理由をつけて強制捜査する事になるだろう。だが、出来ればそれは避けたい。だから、俺たちで何とかする」
「何とかって言われてもな」
「最悪、不幸の事故に遭ってもらうか……その時はお前に任せる」
「俺は冒険者だ。魔物は殺すが、人間はやらん。それに貴族を殺したら、関係者全員、死刑だぞ。伯爵の命令でも絶対にやらないからな」
俺が断固として断ると、私兵は「そうならないよう祈っていてくれ」と笑った。
どこまで本気で、どこまで冗談か、まったく分からない。
貴族殺しにならないよう、女神様に祈っておこう。
ちょうど良い機会なので、第二の依頼であるクズノハについて聞いてみた。
私兵の話では、俺の予想通り、特別な恩赦があるようだ。
恩赦のある囚人などこれまで居なかったので、どのぐらい特別扱いすれば良いか分からず、兵士の間でも悩みの種だったらしい。
結局、住む場所は別にして、炭鉱作業は各現場担当の持ち回りする。それ以外は他の囚人と同じ扱いで落ち着いたそうだ。
それ以外の情報は、目の前の私兵は持ち合わせていないので、クズノハの話は終わった。
その後、取り留めのない話をして時間を潰していく。
そして、三つめの月が現れ始めた時、私兵が腰を上げた。
「交代の兵士がそろそろ来る。お前はブラッカスに気付かれないように懲罰房へ戻れ」
そう言って、私兵に連れられるように狭く暗い懲罰房へ戻される。
懲罰房に入った俺は、寒さを耐えながら、何とか寝付ける体勢を見つけた。そして、朝食用の水が来るまで眠る事が出来た。
懲罰房、二日目。
日中はブラッカスと夜は私兵と会話して暇を潰した。
深夜、空気穴からネズミが進入して、余計に寝付けなくなった。
そして、朝一番に叩き起こされた俺は、兵士の指示で、使用したおまると懲罰房の中を掃除させられた。
ブラッカスから「お前、戻るのか!? 俺も一緒に出させろ!」と懲罰房の中で文句を言っていたので、「あと一日だ。我慢しろ」と澄んだ空気を吸い込みながら言っておいた。
そして、朝食の水を飲むと、休息もなく、そのまま炭鉱作業へ行かされた。




